ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン

第一章 たそがれの帝国にて ⑩

 ヤトリがやさしく微笑ほほえんでたずねると、少女は返答に困ったように口ごもり、「し、失礼した」とごまかすように謝って早足にろうっていった。その背中を見送って、ヤトリが首をかしげる。


「何だったのかしら? まがりなりにもこうとうかんこうせいを乗せる船に、一般の旅客がわせているとは考えにくいんだけど……イクタ、あんたはどう思う?」

「んー、食用にてきするまで残り五~六年、きっちりじゆくするまでは十五年ってところかな……」

「誰もあんたのストライクゾーンの下限なんかいてな──」


 ヤトリのツッコミを、とつぜんおそってきた船体のげきしんがさえぎった。全員がいつせいに体勢をくずし、手に持っていたカップのなかが残らずこぼれ落ちる。これまでの揺れとは明らかに一線をかくする、それは波によるものではないしんこくな「しようとつ」のしんどうだった。


「──何事!?」


 同室の面々の中でいち早く体勢を立て直しながら、ヤトリがじようきようぶんせきにかかる。他方、トルウェイはあおけに倒れかけたハロの肩を抱いて支え、最上段の寝台から落ちたイクタは、だんりよくに富むマシューの身体からだしたきにして、ずうずうしくもでいた。


「おおマシュー、まさかていして助けてくれるなんて……。かんぱいしよう、僕らの友情に」

「うう……おまえなんて頭から落っこちれば良かったんだ……」


 イクタを押しのけたマシューがようよう起き上がったころしんだいで大人しくしていたせいれいたちもきんきゆうたいを察して動き出し、それぞれのあるじのポーチに収まった。全員がたがいにのないことを確認し合っていると、開いたままのドアから船員のさけび声がひびいてくる。


「しょ、しよくん、落ち着いて聞いてくれ! この船は船底をあんしようにぶつけてしんすいを始めている! たった今船長から総員退たいかんの命令が下された! 動ける者は直ちにデッキへ向かい、すいの指示にしたがって救命ボートに乗り込め!」


 なんを指示する声は危機感にうわずっている。しよう、浸水、総員退艦──これらの単語からうんめいてきみちびき出される一つの結末を、絶望的なイメージとともに、その場の全員が同時に思いえがいた。


「皆、聞いたわね! デッキに向かうわよ!」


 だが、悲観的な予想をいつしゆんねのけて動き出した者も一人いた。ヤトリシノ・イグセムだ。


あわてなくていいわ、私の後ろを一列になって付いてきなさい! 荷物は最低限よ!」


 こういうじようきようまようことなく場を仕切ることができるのがヤトリという人間だ。緊急事態に直面してごうしゆうと化した集団を、そくちつじよ付けるだけのリーダーシップが彼女にはある。そして彼女以外の面々も、この場面で烏合の衆にあまんじてはいなかった。

 ヤトリを先頭にして階段をけ上がり、デッキに出て行った彼女らを、ごうもうふうせんれいが出迎えた。大人のどうまわりをえる太さのマストがふうあつきしみを上げ、その上では水夫たちが風をはらんでパンパンにふくらんだたたもうと命がけの作業をしている。すでに船体は平常から20度近くかたむいており、そのうえこくよいの口。やみに沈んだばかりの海面は、ぞっとするほど真っ暗だ。


おお時化しけね……。この局面で悪天候のピークなんて、私たちも神様にきらわれたものだわ」

だれごろおこないが悪かったのかな。心当たりのある人は手を上げてみて」

「考えるまでもなくあんたいつたくでしょ。これからはせいてんをネタにしたジョークはつつしむことね」


 イクタときんちようかんのないかるくちたたきつつ、ヤトリは集団の先頭に立ってデッキ後部へ向かう。そこには四そうきゆうめいボートが用意されており、うち一艘は水夫の手によって海面に下ろす準備が整えられていた。やって来たヤトリたちへ、船員からの指示が飛ぶ。


「来た者から乗り込め! 民間人のお前たちがさいゆうせんだ!」

「民間人」というひびきに少しだけ不本意な表情をしたヤトリだが、そんなかんしようもすぐに振り切って行動を再開した。ハロを一番に乗せて、それからマシュー、トルウェイ、イクタの順、最後に自分がボートに乗り込んでいく。

 全員のがらが収まったところで、イクタの姿をながめた水夫が、すまなさそうに付けくわえた。


「お前のパートナーはひかりせいれいだな? よく聞け、しようのせいで船員にしようしやが出ていて、今はまだこのボートにすいを乗せてやれない。きゆうめいボートはすべて本船にロープでけいりゆうしてあるから流されることはないが、いよいよとなったら道連れをけるためにロープを切らなければならない。その時は光信号で近くのボートにしよを伝えてくれ。多少流されていても、必ず合流する!」


 イクタがクスとともにうなずいたのを見届けると、水夫は繫留のロープをり出して、彼らを乗せたボートを海面に降ろしていった。荒れるおおうなばらに放り出された小舟は、右へ左へと激しくさぶられ、乗り込んだ者たちを生きた心地ここちにさせない。


「じょ、じようだんじゃないぞ! 海がこんな荒れようじゃ、いくらボートでなんしたって……!」

「マーくん、もう少し右に寄って! ベッケルさんは左に! 船全体で体重のバランスをきんいつにするんだ! この波じゃ、一度てんぷくしたらもう二度とかいふくできない!」


 ヤトリに次ぐれいせいさでトルウェイが指示を出し、マシューとハロがちゆうでそれに従う。一方のイクタは、たたきつけるごうの中、めいてきかたむきつつある本船にじっと目をらしていた。


「どうしたのイクタ、いつものらず口をたたきなさいよ。あんたがだまるとゲンが悪いわ」

「君が僕の言動をジンクスにしていたとは知らなかったな。……それよりヤトリ、あの子だ」


 言われたヤトリがイクタのせん辿たどると、ついさっき船室の前で出くわした少女が、デッキ上でこれから救命ボートに乗り込もうとするようが目に入った。細い肩をふるわせているのが遠目にも見て取れる。まさか一人旅というねんれいでもなさそうだが、他に連れの姿は見当たらない。


「……あっ!?」


 そのしゆんかんげきが起きた。よこぱらに波の張り手を食らった船体が激しく傾き、はずみでデッキのはしに立っていた少女が海に向かって投げ出されたのだ。たいくういつしゆん──悲鳴を上げる間もなく、小さな身体からだが黒い海にまれて消える。

 かろうじてデッキにみとどまった水夫の一人が、浮き輪を片手に血走った目を海面へ走らせた。……が、おそい。助けを出そうにも、少女の姿はとっくに波のはざかくれてしまっている。


「む、まずい。あれは死ぬ」


 限りなくけいに近い事実をつぶやいたイクタは、その場で立ち上がって上着をぎ始めた。


「クス。まだあの子が見えているなら凝集光ハイビームらしてくれ」

「イクタ、危険です。やめた方が……」

たのむよ」


 あるじせいがんを受けたクスが、しぶしぶといったようこしのポーチを抜け出してボートの端に立ち、ふくの「こうどう」から強い光を放って海面のいつかくを照らし出した。続いてイクタは、船底に転がっていた救命用の浮き輪を抱えて、それに結び付けられていたロープのせんたんをヤトリに預ける。


「簡単に放したらけて出るからな」

「ちょっ、あんた──!?」


 ヤトリに考える時間を与えず、イクタは頭から海に飛び込んでいった。あらなみに負けじと手足で水をき、凝集光ハイビームの指し示す場所へとまっすぐに進んでいく。やがてっ黒な海の中へもぐり込んでいった彼の背中を、ボートに残された面々はかたんで見守るしかなかった。


「………………ぶはぁっ!」


 見ている側からはえいえんにも感じられた十数秒の後、死体のようにぐったりした少女の身体からだを抱えて、イクタが海面に浮かんできた。ヤトリたちがほっとあんいきをつく。


「もームリ、もー死ぬ! 助けれー!」


 そんな間の抜けた悲鳴にこたえて、四人がいつせいにロープを引っ張り始める。今にもてんぷくしかねないれの中では、バランスを保ちながらボートに二人を引き上げるだけでも一苦労だった。