差し向かいで寝台に腰掛けて、マシューとトルウェイは軍人将棋で対戦していた。駒と盤を持ち込んだのも、勝負を持ちかけたのもマシューなのだが、戦況はどうやら彼に不利なようだ。
「3、4、5─7風銃兵大隊。……あの、これだと、たぶん四手先で詰むんじゃないかな」
「ちょ、ちょっと待てよ! まだ何か手が……!」
必死になって盤面を見つめるマシューだが、見れば見るほど自軍の劣勢は甚だしい。とっくに勝敗が決していることは最初の一分で分かったが、それから心の準備に三分を費やして、ようやく彼は「……参った」の一言を搾り出した。
「くそっ、もう一戦だ! 今のはつまらないミスが重なっただけだ!」
と言いながらも、すでに戦績はマシューの三連敗という事実を晒しているのだが、負けず嫌いな彼はなかなか実力の違いを認められない。このままでは不毛な戦いが続くだけだと察したトルウェイが、相手を気遣って提案する。
「ねぇマーくん、ちょっと観想戦をやってもいいかな? 今の一局、ぼくもちょっと反省したい部分があって」
負けを冷静に見つめ直さないことには実力の向上はないと、マシューも感情はともかく理屈の上では承知しているので、渋々ながらトルウェイの提案を承諾した。だいぶ頭が煮詰まっていると見えて、「マーくん」という馴れ馴れしい呼び方に文句を付ける余裕はないようだ。
「うう、中盤までは競ってたのに……。何手前が決め手だったんだ? 六手前に焼撃兵を出しすぎたところか、それとも十二手前に衛生兵を失ったところか……」
相手のプライドを逆撫でしないように気を付けつつ、トルウェイが自分なりの見解を述べようとしたところで、二人の頭上から頼みもしないのに第三者の声が降ってきた。
「──二十一手前だよ、我が友マシュー。戦力合流を阻止された風銃兵を、そのまま無理に敵陣へ食い込ませたところだ。あそこはいさぎよく撤退して、いったん守りに移るべきだった」
おちょくるようなイクタの声に舌打ちして、マシューは苦々しい面持ちで駒を並べ直す。トルウェイは目を丸くして一番上の寝台を見上げた。
「……イッくん、棋譜を記憶しているのかい? そこからじゃ盤上もよく見えないだろうに」
「だからイッくんて呼ぶなイケメン。次は枕投げんぞ」
返答はそっけなかったが、トルウェイは素直にイクタを評価していた。棋譜を暗記していること自体も大したものだが、その上で攻防の要所を把握している事実の方こそが賞賛に値する。イクタが勝敗を分けたと考える局面は、トルウェイが言おうとした部分とまったく同じだったのだ。
「皆さん、お茶が入りましたよー」
そこで折りよく、大きな土瓶と人数分のカップを抱えたハロがヤトリと一緒に部屋へ戻ってきた。最初は備え付けのテーブルで注ごうとしたが、足場の揺れであやうく土瓶が落ちそうになったので、カップを一つ一つ手に持って注ぐやり方に切り替える。
「かなり揺れますね……。厨房をお借りした時に、窓から海面の様子がちょっと見えたんですが、やっぱり波がすごかったです」
「強い西風の影響を受けて、進路もかなり東に逸れているみたいよ。コース修正に手間取るだろうから、船旅は思ったより長引きそうね。まったく船っていうのはままならない乗り物だわ」
ハロからお茶の入ったカップを受け取りながら、ヤトリが疎ましげに自分の赤い髪をかき上げる。その視線がふと、マシューとトルウェイが間に挟んだ軍人将棋の盤に向けられた。
「なによ、将棋やってたの? 結果はマシューの何連敗?」
「な、なんでおれの連敗が前提の質問なんだよ……」
「文句を付ける声に元気がないってことはその通りなんでしょ。……ま、それほど気にすることもないと思うけど。将棋王イコール名将ってわけじゃないし」
一応のフォローを入れるヤトリの言葉に、トルウェイが話題の糸口を見つけて展開した。
「そういえば、この試験の最終段階では、面接を兼ねて現役の高等士官と対局するらしいね。将棋の実力がそのまま指揮官としての実力に反映しないとしたら、この仕組みにはどういう意味があるんだろう?」
「対局しながらの面接だからね、私は同時処理の能力を測られるものと思っているわ。高等士官ともなれば、二つや三つの仕事を同時にこなせないようじゃキャパオーバーで潰れるでしょ」
ヤトリの答えは論理的で揺るぎない。続いて彼女は、寝台から腕だけを伸ばしてお茶を受け取るイクタの姿を眺めやった。その不精に呆れつつ、トルウェイからの質問を彼にパスする。
「イクタ、あんたはどう思う?」
「……ん、なかなか美味しいよ。でも欲を言えば牛乳で茶葉を煮出すより、熱湯で濃い目に茶を淹れてから別にほどよく温めた牛乳を加える方が、淹れ方としては望ましいかな」
「誰がお茶の味について意見を求めたの。ついでに言っておくと牛乳の煮沸を勧めたのは私よ。万が一にでも傷んでいたら、誰かがお腹を壊した時に責任取れないじゃないの」
付き合いが長いだけあって、友人のおちゃらけた言動への対処もヤトリは非常にスムーズだ。寝台の上で上体だけを起こしてお茶をすすりながら、イクタはのんびりと本来の質問に答える。
「ヤトリの考えでほぼ正しいとは思うけど。その点を別にしても、軍人将棋にはそれなりに兵法の基本的な部分が詰まっているからね。頭の体操としては悪くない。ただ、僕の意見を言わせてもらえば──どうせ軍人がやるなら、盤を使わない目隠し将棋の方がいい」
「──へぇ? イッくん、それはなぜ──わぷっ!」
降ってきた枕がトルウェイの顔に直撃した。寝台からにゅっと首を出して、イクタが怒鳴る。
「イッくん禁止! ……将棋を戦争に当て嵌めるなら、すなわち盤上イコール戦場。そこで質問するけど、実際に戦争をやってる時、指揮官は空の上から神の視点で戦場全体を見下ろせる?」
「……それはないわね。敵部隊の位置に関しては、限られた情報から推測するしかない場合がほとんどだわ。指揮下にある味方にしたって、予定通りに動いてくれるとは限らない」
「そういうこと。現実の戦争では、敵と味方の位置を把握するところから戦いが始まる。そのために必要なのは断片的な情報から全体像を導き出すイメージの力。目隠し将棋でそれが鍛えられるとまでは言わないけど、想像力の土台くらいは作れる。まずは頭の中に『盤』を持つこと。そうすることで初めて、盤の上で動く兵士を想像することが……あ、お茶、おかわりある?」
すらすらと見解を述べながら、例によって寝台から腕を伸ばした危なっかしい体勢で、イクタはハロにお茶を注いでもらう。トルウェイとハロが感心して聞き入る一方で、マシューはほとんど無視して盤上をにらみつけていたが、そこで大きく船が揺れた。
「あ」「あぢゃああああああっ───!?」
イクタのカップからこぼれたお茶が悪魔的な角度でマシューの首に直撃した。熱さにもんどり打って転がる相手に「ごめん、ごめん」と軽く謝りながら、彼はふと船室のドアに視線をやる。
「そこ、誰かいるの?」
イクタと同じ方向を見つめて、ヤトリが声をかけた。マシューの悲鳴に紛れてはいたが、船が揺れた瞬間、何かがドアにぶつかるゴツンという音が響いていたのだ。不審に思ったヤトリが歩いていって部屋の扉を開く。
「う、うう……いたい……」
開いたドアの向こうには、大きな帽子を被った小柄な少女が頭を押さえて立っていた。広い鍔に隠れて顔は見えないが、帽子の中に収まりきらず流れ出した金髪が滑らかで美しい。服装も地味ではあるが、見るからに生地が上等で、着こなしにもどことなく品があった。
「受験生……ってわけじゃなさそうね。どこのお嬢さん? 私たちに何か用かしら?」