帝国においてイグセムと並び立つ旧軍閥の名家・レミオン家の三男坊。今期の高等士官試験での合格者最有力候補。最大のライバルが目の前にいる──そう理解したヤトリは、何度か深呼吸して心を落ち着けると、それを宣戦布告に代えるような勢いで名乗りを上げた。
「ヤトリシノ・イグセムよ。この子はパートナーのシア。……身の上なんて言うまでもないわね?」
「……ヤトリシノ!? そうか、その炎髪、イグセム家の……! ああ、なんてことだ!」
相手の名を聞いた途端、トルウェイは憧れの英雄を見るように目を輝かせた。それまで滑らかに回っていた口も急にぎこちなくなって、「あの、その、ええと」と意味のない呟きばかりを繰り返している。そんな彼の様子を眺めて、ヤトリがいぶかしげに眉根を寄せた。
「……ちょっと、何? 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「こ、心の準備が出来ていなくて……。そ、そのミス・イグセム、ぼくは──」
「いい気になるなよ、おまえら」
トルウェイが覚悟を決めて何かを口にしようとした瞬間、彼とヤトリの間にマシューが割って入ってきた。勇敢にも二人と同時に対峙して、小太りのテトジリチ家長男坊が声を荒げる。
「イグセムの白兵戦術は当然として、レミオンの戦列銃兵戦術だってとっくに最先端じゃない。おまえらはもう戦場の先駆けでもなければ花形でもないんだ。名家の係累というだけで、無条件にでかい顔はさせないぞ」
「ええと、きみは……?」
「マシュー・テトジリチだ。この名前、忘れるんじゃない、レミオン家の末っ子」
ほとんど宣戦布告のような剣幕で名乗ったマシューだが、それを聞いたトルウェイの方は、相手とは反対に人好きのする笑みを浮かべた。
「人の名前を覚えるのは得意なんだ。一緒に頑張って合格しようね、マシューくん」
「ふん、おためごかしで油断させようったって無駄だぞ」
「マシューくん……マシューくんか……。……うーん、マーくんと呼んでもいいかい?」
「はぁ!?」
何の脈絡もなく愛称を付けられて、マシューが目を丸くした。一方、ライバルとの会話を邪魔されたヤトリが、溜め息をついて彼の身体を押しのける。
「……私たちの先祖が考案した戦術が、時を追うにつれて古いものになっていくのは当然よ。過去の栄光を笠に着るつもりは初めから毛頭ないわ。その上で言わせてもらうとね、マシュー」
意味ありげに一拍置いて、相手をじっと見つめながら、ヤトリは鼻で笑って言い切った。
「客観的に見て……この面々の中では間違いなく、あなたの顔が体積的にいちばん大きいわ」
「うぅっ!」
普段から気にしている身体的特徴をズバリと突かれて、マシューは情けない顔で呻いた。格の違いを弁えずに突っかかっては返り討ちにされる、学生時代からのお決まりのパターンだ。
「くらぁー、マシューをいじめるんじゃねー」
ちょっと棒読み気味にイクタが割って入った。トルウェイが困った顔でかぶりを振る。
「いじめるつもりはないんだ、気分を悪くしてしまったならごめんよ。ところで、きみは……」
「えぇい黙らっしゃい。一つの狩場に二匹の猛禽はいらない」
「え、え?」
「聞いて驚け、お前には顔面裁判で有罪判決が下ったぞ。罪状はズバリ容姿端麗罪だ。アルデラ教の聖典に曰く、全てのイケメンに死を!」
「あんた今の発言だけで宗教裁判もんよ! それと会話は最低限キャッチボールしなさい!」
ヤトリが突っ込みを入れたところで、トルウェイが「知り合い?」と尋ねる視線を送ってくる。彼女は溜め息をついてイクタの紹介を代わった。
「こいつはイクタ・ソローク。マシューと同じ私の同輩よ。見てくれのいい男にはとりあえず威嚇する習性があるけど、あまり気にしないで。ヘンに縄張り意識が強いだけだから」
「イケメン爆発しろ! がるるる!」
うなるイクタの首根っこを摑んでヤトリが説明する。トルウェイは遠慮がちに尋ねた。
「……仲が良いのかな? 二人は」
「付き合いが長いだけよ」
そっけなく応じるヤトリだが、イクタとのやり取りからは誰の目にも親しみが見て取れる。トルウェイは再びイクタに視線を戻し、どこか羨望の混じる表情で、ゆっくりと右手を差し出した。
「トルウェイです、よろしくイクタくん。……その、仲良くしてもらえるかな?」
威嚇をやめて、イクタも相手をじっと見つめた。その瞳には内面を見透かす鋭さがある。トルウェイの万事控えめな物腰が計算ずくのものかどうか──彼はここまでのやり取りから暫定的に推測して、その結果、どうやら天然系の善人らしいという結論に至った。
「…………イクタ・ソロークだ。お前の顔面が原型をとどめないほどバラバラに砕け散る様子を想像の中で十七回ほど繰り返して、ようやく寛大な気持ちになれた。仲良くしてやろう」
清々しいほど本音がだだ漏れで、しかも上から目線だった。が、幸いにもトルウェイは細かいことにこだわらない性格だったので、二人の間でほとんど奇跡的な握手が結ばれた。
「うん、よろしくイクタくん。……あ、そうだ、イッくんと呼んでもいいかい?」
「いや断る。何言ってんだお前」
マシューに続いて、初対面なのにナチュラルに愛称を付けたがるトルウェイだったが、イクタはイクタで、それをナチュラルに跳ねのけられる容赦なさを持っていた。
「まったく、イッくんだと? ふざけんな、僕をそう呼んでいいのは彼女だけだ」
黒い瞳が意味ありげにハロの方を向く。これまで蚊帳の外にいた人物を突然輪に含めると、さらにイクタは頼まれてもいないのに彼女の紹介を代わった。
「彼女はハローマ・ベッケル。衛生兵の指揮官を目指していて、実家には五人の弟がいるんだ。とても良い子だよ。僕が保証する」
「い、イクタさんっ!? その紹介の流れだと、すごく誤解を招くと……!」
ハロが慌てて訂正しようとするが、タチの悪いことに、ここまでイクタは内容的に間違ったことを言っていない。事情を知らないトルウェイが、間違った方向に察しの良さを発揮した。
「なるほど、そういうことだったのか。……うん、とってもお似合いだよ。二人とも」
「何が『そういうこと』なんですかっ!? いやぁ、そんな温かい目で見ないでください……!」
都合のいい形に事実をねじ曲げたイクタが、その成果にすっかりご満悦でいると、不意に足場がぐらりと揺れた。船が港を出たのだと察して、ヤトリがひとまず場を収める。
「自己紹介も一通り終わったし、皆、とりあえず腰を落ち着けましょうか。ヒルガノ列島までは風に恵まれても二日近い長旅よ。向こうに着いてからのためにも、体力は温存しておかないとね」
「ああ、そうだね。じゃあ、それぞれの寝台を決めて荷物をまとめるとしようか」
「ねぇハロ、君はどの位置がいい? 上? 下? 後ろ? ああ対面座位もいいねぇフフフ」
「なんでわたしにだけ訊くんですかっ!? あとそれ本当に寝台の位置の話ですか!?」
「……顔……おれの顔……そんなにでかいか……? ……ブツブツ……」
各自の寝台に腰を落ち着けると、ここまでの旅疲れもあって、五人はすぐさま浅い眠りについた。ちなみに激論の末、イクタの寝台はハロから最も遠い対角線上にあてがわれたのだった。
出航から三時間が経ったころ、天候の急激な悪化で船の揺れが激しくなってきたので、イクタたち同じ船室の面々も順番に目を覚まし始めた。長い船旅はまだ序盤。誰にとっても時間は大いに余っている。
「う、うーん……7─6焼撃兵……いや、3─3風銃兵だ」
「それでいいのかい? じゃあ、ぼくは4─6風銃兵で両隣の駒と戦力合流かな」