口調も表情もにこやかなヤトリだが、その内心は本音と打算が半々。この時点ではもう、勝負は始まっているどころか序盤戦まで終わっている。イクタという「試験の合格に興味がない完全な味方」を用意できたことが最初の戦果で、ここからは協力者を現地調達するフェイズだ。
「そうできたら心強いです。イグセム家の長女──ヤトリさんの高名は噂に聞いていますし」
「あら光栄ね。噂の半分ほども実力が伴うと良いんだけれど……」
二人が謙遜混じりの社交を始めた頃、船室のドアが開いて新たな乗客が姿を現した。ぽっちゃりした小太りの身体に丸い顔をのっけた少年だ。彼はざっと室内を見渡して、ある一点でぎょっと目を丸くした。
「イクタ・ソローク……? ど、どうしてお前がここにいるんだよ!」
「おお、我が友マシュー! 君も受かっていたか、いやぁ嬉しいなぁめでたいなぁ!」
寝台から立ち上がったイクタに抱き付かれて、マシューと呼ばれた少年はめちゃくちゃ嫌そうな顔をした。必死に相手を突き放しながら、彼の視線が今度はヤトリに注がれる。
「っ、ヤトリシノ……やっぱりお前もいたか」
「一月ぶりね、マシューくん。会えて嬉しいわ。そっちはそうでもなさそうだけれど」
「当たり前だ。お前が一次試験でずっこけてれば、おれはどんなに痛快だったかわからない」
マシューが憎々しげに毒づいた。面識がないハロのために、そこでヤトリが紹介を挟む。
「マシュー・テトジリチと、パートナーの風精霊ツゥ。私とイクタの同輩よ。もしハロがテトジリチっていう家名に聞き覚えがあるのならそう言ってあげて。彼、とっても喜ぶと思うわ」
「どういう紹介だよっ! 誰に覚えがあろうがなかろうが、テトジリチ家は帝国内でも屈指の旧軍閥名家だ! イグセムやレミオンにだって勝るとも劣るもんか!」
「て、テトジリチ……ですか? ええと、聞いたことがあるような、ないような……すいません、喉まで出かかってるような気がしないでもないんですけど……」
ハロが無意識に失礼なことを言うので、マシューは地団駄踏んで歯軋りした。そのタイミングでイクタが慰めるように、というかおちょくるように、彼の肩をぽんと叩く。
「いいじゃないか、マシュー。そのメジャーマイナーくらいの知名度こそが君のポジションだ。別に全ての芸人が全国区である必要はない。君はローカル路線で地道に頑張っていくんだ」
「誰が芸人だっ! あぁもうっ、何でもいいから、とにかくお前は離れろよっ!」
背後霊のようにイクタに付きまとわれたマシューは、そのまま船室の片隅に膝を抱えて座り込んでしまった。見かねて声をかけようとするハロを、かぶりを振ってヤトリが引き止める。
「そっとしておきなさい。あの状態だと何を言っても逆ギレするから」
「は、はぁ……。……なんか、扱いに慣れてます?」
「四年絡まれ続けたもの。あ、でもイクタがいると対処が楽よ。毒をもって毒を制する感じね」
ヤトリは薄く笑って言い切った。するとハロにも、ひっきりなしでマシューに話しかけるイクタの姿が、獲物に巻きつく毒蛇のように見えてくる。彼女は少し怖くなって視線をそらした。
「……えっと、ヤトリさん。イクタさんとは同輩なんですよね?」
「そうよ。高等学校に入学してからの付き合い。まぁ、奇縁というか腐れ縁ね」
ヤトリが苦笑混じりに話すと、彼女の耳に軽く口を寄せて、さらにハロは小声で尋ねた。
「あの、マシューさんもそうみたいですけど、やっぱりイクタさんも名家の出でいらして──」
「ははは、まっさかー。ソロークってのは孤児院の名前ですよ、お嬢さん」
急に耳元で笑い声がして、ハロは思わず「ひゃあっ!?」と叫んで振り向いた。いつの間にかマシューの傍を離れてきたらしいイクタが、彼女の隣に図々しく陣取ってニヤニヤ笑っている。
「名家の出どころか、僕は父なしの母なしです。朽ちかけの空き家で行き倒れていたところを、当時ソローク孤児院で働いていたクスに見つけられましてね。以来、そこの子供に。幸いにも頭はそれほど悪くなかったんで、高等学校には奨学金を借りて通わせてもらえましたが」
「あ、そうだったんですか……。すいません、興味本位で失礼なことを訊いて……きゃぅっ!?」
「いやー構いませんよー。これから僕も、あなたにかなり失礼なことをしますしー」
手の甲を撫でられたハロの口から色っぽい声が上がった。その光景を見ながら、「また始まったか……」とヤトリが片手で頭を抱える。
「背、高いですよねぇ……すらっと長い。男の僕より指五本以上もある……」
「ひゃ、百七十六センチです……。すいません、女のくせに無意味に大きくて……」
「それだけ発育が良いってことじゃないですか……。……あ、指が少し荒れてますね。普段から家事を自分で?」
「お、弟が五人いて、わたしが一番のお姉ちゃんなんですぅ……ひゃぁっ! に、二の腕撫でないでっ……!」
「六人姉弟の長女? それはそれは素晴らしい、もとい大変だ……。ご両親は何をされて?」
「ち、地方で領主さまから畑を借りています……。でも、それだけじゃ稼ぎがおっつかないから、わたしが出世して仕送りをしないと──やぁ、耳たぶつまんじゃダメ、髪梳いちゃダメですぅ……!」
手の甲に始まった接触が、そこを起点にどんどん身体の方へ進む。正直放っておくのも面白いとヤトリは思ったが、そうすると絵的に洒落にならないところまで行き着くので、その前にイクタの首根っこを引っつかんで止めることにした。
「そこまでよ、イクタ。女漁りはまたの機会にしなさい」
「OH、残念」
ヤトリにぽいっと投げ捨てられると、そのままイクタは部屋の隅で膝を抱えるマシューの方に戻っていった。開放されたはいいが息も絶え絶えのハロに、ヤトリは気遣って声をかける。
「大丈夫……? ごめんね、私としたことが、止めるのが少し遅れたわ」
「はぁはぁ……わ、わたし、いったい何をされて……?」
「イクタの悪癖よ。特にハンサムでもないくせに、とりあえず女を口説きたがるの。あのまま放っておくと、同じノリでおっぱい揉まれてベッドイン。あれよあれよで気付けば朝チュンよ」
「おっぱ……!? あ、あわわわ……!」
「落ち着きなさい、ハロ。私の傍にいれば大丈夫」
優しくハロの肩を抱いてやりながら、偽善者の微笑みを浮かべたヤトリは心の中で「よし、うまく手懐けた!」と勝ち誇っている。協力者の現地調達フェイズは絶賛続行中だった。
ふと、そこで再び船室のドアがゆっくりと開いた。遠慮がちに顔を出したのは、ハロよりもさらに背の高い美男子だ。澄んだ翠眼をもち、薄い緑色を帯びた髪が肩口まで伸びている。腰のポーチにはマシューのツゥと同じ風精霊の姿があった。
「ええと、入っても大丈夫かな? 何だか取り込み中のようだったから」
「もちろんダメだ。自分の縄張りに帰れイケメン」
なぜかイクタが即答で拒否したが、その口を片手で封じて、ヤトリが新入りを歓迎した。
「どうぞ、入って。皆で自己紹介をしていたのだけれど、あなたも参加してくれる?」
その提案を爽やかな笑顔で快諾し、青年は部屋に入ったところで自己紹介を始めた。
「ぼくはトルウェイ・レミオン。帝立エルミ高等学校の第82期卒業生だ。この子はパートナーの風精霊サフィ。どうかよろしく、みんな。難しい試験だけど、合格まで一緒に頑張っていこう」
青年がそう名乗った瞬間、部屋の隅でうずくまっていたマシューの上半身がガバッと起きた。同時にヤトリの両目も見開いている。静かな興奮からか、彼女の唇は自然と釣り上がっていた。
「……そう。あんたが、レミオンの」