ふてぶてしく応じつつ、イクタは寝転がったまま器用にヤシ酒のお代わりをコップへ注いだ。
高等士官試験──それは学習内容に幼年軍事訓育課程を含む所定の教育機関を修了してきた者だけが受けられる関門であり、幹部候補生、いわゆるエリート軍人となるためにくぐらねばならない最初の試練だ。
一兵卒=二等兵として軍に入った場合、実戦でよっぽどの大戦果でも上げない限り、その出世は下から七番目の階級である下士官「曹長」が限界となる。しかし、高等士官試験は将校の候補者選抜を目的として作られたものなので、この試験に受かった者は最初から「曹長」より一つ上の階級である「准尉」の地位を得ることができる。ただし試験は一年に一度、受験は三回まで。
もちろん倍率もバカ高い。試験全体を通して四百倍を切ることはまずないし、一次試験だけでも二十倍をくだらない。しかしカトヴァーナ帝国の人々には軍人を英雄視する傾向があるので、これに合格した者は憧れの的になる。地位と名誉を一度に得るチャンスなのだが……。
「んー、国家戦略論。たるいわー」
目をぎらつかせて答案用紙と向かい合う受験生たちの中にあって、あくび混じりに鉛筆を走らせるイクタの存在は、もうびっくりするほど浮いていた。そのくせ解答自体は妙にサラサラと進んでいるものだから、周りの受験生たちは揃って鼻白むしかない。
「あー、軍事行政学。ぬるいわー」
その姿ときたら、夏休みの課題を無理やりやらされている子供と同じだ。頰杖を突いて唇をへの字に曲げて、目なんか死んだ魚のよう。で、各科目の解答が終わった瞬間に突っ伏すと、そのまま見直しもせず、答案用紙の回収までピクリとも動かない。
「げー、アルデラ神学。ウザいわー」
試験を見守る教官の性格によっては、それだけで退室を命じられかねない不真面目さだったが、どうやら悪運に恵まれたらしい。
そうして迎えた試験二日目、最後の科目は「軍事史」だった。
「これが最後、これが最後……ん?」
ほとんど生きた屍のような状態で機械的に答案を埋めていくイクタの手が、ふいに止まる。用紙の最後に記された記述問題のテーマが、彼の目を捉えて放さなかった。
──前キオカ戦役において「戦犯」とされた帝国軍の元大将バダ・サンクレイについて、思う所を自由に述べよ。
「…………」
試験が始まって以来初めて、イクタにとっては意表を突かれる出題だった。「自由に述べよ」という解答の形式からして軍の設問らしくない。型に嵌めようとする意志が見えないからだ。
──でも、この文面からは、ほんの少しだけ懐かしい匂いを感じる。
思わず真面目に答えたくなったイクタだが、まさか高等士官試験の答案用紙に帝室への批判を書き連ねるわけにもいかないので、すでに他の教科で点を稼いでいる確信もあり、こう短く答えるに留めた。
──あらゆる英雄は過労で死ぬ。
午後七時二十分をもって各会場での一次試験は終わり、六千人からいた受験生は、例年通りに三百人以下まで絞られた。
そんな一次試験の終了から、およそ一月後。イクタとヤトリは旅の荷物を背負った姿で、それぞれの精霊と共に港から海を眺めていた。二次試験は帝国南方のヒルガノ列島で行われるため、現地へ向かう送迎船に乗りに来ていたのだ。
「ここまでは計画通りね。あんたが受かってくれて安心したわ」
「二年前に取引を持ちかけられてからは、講義をサボって受験勉強ばかりしてたからね」
あくび混じりにイクタが答える。成績さえ優秀なら合格できる高等士官試験と違って、首都の国立図書館司書のポストは天下りの貴族専用だ。この取引以外のチャンスはイクタにはない。
「別に図書館職員を差別するわけじゃないけど、よくそんなに頑張れるわね。特に本の虫ってわけでもないんでしょ?」
「本は好きだけど、言っちゃえば仕事は何でもいいんだよ。『首都の』『国立』図書館司書ってのがポイントでね。その部分さえ同じなら庭師でも掃除夫でも構わない」
カトヴァーナ帝国の首都バンハタールは地理的にも政治的にも帝国の中心だ。仮にこれからキオカ共和国との戦況が悪化しても、攻められるのは最後の最後になる。図書館のような国立施設の職員には福利厚生も手厚い。ぶっちゃけ国が滅びる寸前まで怠けていられるポジションなのだ。
「この取引が上手くいって、それで今後死ぬまで怠けていられるのなら、二年程度の受験勉強は安いもんだよ。僕は徒労が大嫌いで、その分、自分が怠けるための適切な努力を惜しまない」
「はぁ……そう、あんたはそういう人間だったわね」
呆れと感心が半々の溜め息をついて、ヤトリは目の前に広がる大海原を眺めやった。海面は波が低く、風も穏やか。憎らしいほどの晴天だ。海辺の空気は砂と潮の混ざった匂いがする。
「船が来ましたよ、イクタ。さぁ、ヤトリとシアも行きましょう」
イクタの腰のポーチに収まった光精霊クスに促されて、二人並んで船の方へと歩いていく。港に接岸した中型船から、一目で軍人と分かる水夫たちが降りてきて、イクタとヤトリの全身をじろじろと値踏みした。
「受験票を」
両方の受験票を確認してから、水夫は無言で二人に乗船を促した。いざ乗り込むと、軍の備品らしく無駄な装飾はないが、全体に整備の行き届いた清潔な船だ。彼らが案内された客室には、狭いながらも三段重ねの寝台が左右に一つずつあり──しかも、そこには先客がいた。
「……あ、こんにちは。ひょっとして、あなたたちも受験生ですか?」
緊張と安心が混ざった表情で話しかけてきたのは、淡い水色の髪を持った長身の女性だった。膝の上にはパートナーの水精霊が乗っている。毅然としたヤトリとは対照的に柔和な印象だ。
「そうみたいね。私はヤトリシノ・イグセム。帝立シガル高等学校の第131期卒業生よ。パートナーは火精霊のシア。こっちは同輩のイクタ・ソロークと光精霊クス。……あなたは?」
ヤトリが口にしたイグセムの姓に、女性は少し驚いた様子で、すぐに自己紹介を返した。
「て、丁寧にありがとうございます。えと、帝立ミン・ミハエラ看護学校の第11期卒業生、ハローマ・ベッケルという者です。この子はパートナーの水精霊ミル。イグセムさん、ソロークさん、よろしくお願いします」
ハローマの向かい側の寝台に腰を下ろして、ヤトリは柔らかい口調で言葉を重ねた。
「姓で呼ばれるのは落ち着かないわ。ヤトリで結構よ」
「どうか親しみを込めてイッくんと呼んで下さるように」
芝居がかった口調でふざけるイクタの態度に、ハローマが小さく笑いをこぼす。
「これの冗談は無視してくれて結構よ、ベッケルさん。相手にすると調子に乗るわ」
「くすくす……お二人は仲が良いんですね? じゃあ、よかったらわたしのこともハロと呼んでください。知り合いは皆そう呼びますから」
「お言葉に甘えるわ、ハロ。……パートナーが水精霊で、あなた自身も看護学校の出ということは、志望兵科は衛生兵かしら?」
「仰るとおりです。これで恥ずかしながら三度目の受験でして、今回初めて筆記試験を通りました。最後のチャンスなだけに、なんとか活かせるといいんですけど……」
「衛生兵科は他に比べて競争率が低いし、じゅうぶん希望はあるわよ。競い合うことになったら手加減できないけど、もし協力できるようなら力を合わせていきたいわね」