「……聞き捨てならんぞ、イクタ・ソローク。リカン中将率いる東域鎮台は、夷敵どもの侵攻を退けるために今もって全力を尽くしている。だというのに、どうして貴様の口は敗北を騙る?」
「必勝の信念こそが結果を呼び込むのだ。お前のような敗北主義者には分かるまいがな」
口々にイクタへ反発するのは、その多くが卒業後の進路として軍属を決定している生徒たちだ。彼らの根っこには自国の軍に対する盲目的なまでの信頼があり、それは「必勝の信念」という思考放棄に名を変えて、東域での戦況に対する愚かしいまでの楽観を生んでいる。
「高等士官試験を受けるって噂に聞いたけど、はっ、正気か? 受かる受からない以前に、帝国軍がお前みたいな腑抜けを欲しがるかよ。なぁ『怠けのイクタ』」
「講義も実技もサボッてばかり。その時間に何をするかといえば、昼寝と徒食と女漁りとくる。ろくでなしの見本品、ごくつぶしの免許皆伝──それがお前だろう、イクタ・ソローク」
「うみゃぁ、返す言葉もない」
イクタがとぼけた顔でうめいた。その態度が少年たちの神経をいっそう逆撫でして、さらなる非難を集めかけたが、そこですかさずヤトリが間に入って剣吞とした場をとりなす。
「まぁ皆、そうとがらずに。今日はめでたい日なんだから、喧嘩せず楽しく過ごしましょう」
場の中心にいるヤトリにそう言われては、他の面々も抑えるしかない。少し不満げな面持ちで彼らが去っていくと、残ったヤトリは溜め息をついて隣の少年に問いかけた。
「……やっぱり、陥ちるの? 東域鎮台は」
「こぶしを封じられたボクサーに勝ち目があると思う?」
イクタの喩えはシンプルで辛辣だった。コップにヤシ酒のお代わりを注ぎつつ、彼は続ける。
「冷静に考えればすぐに分かることじゃないか。だいたい、どうして前線では今でも東域鎮台が戦っているんだ? 『鎮台』っていうのは平時に常設される地方の軍事機構だよ。キオカ軍の侵攻が始まってから三ヶ月以上経つんだから、本気で戦争に勝つつもりなら、とっくに中央から兵力を送られて東域方面軍に組み替えられてなくちゃおかしい」
常設組織である鎮台は軍隊としての機動性に欠けるため、守る力があっても攻める力がない。『こぶしを封じられたボクサー』とイクタが喩えたのはそういうことだ。積極的な攻め手を持たない東域の兵たちは、そのために先の見えない防衛戦を強いられている。
「専守防衛に勝ち目がないのは軍事学における初歩の初歩だ。ガードの上からタコ殴りにされるだけだからね。今の東域鎮台はまさにそれ……いや、もっと悪いか。今回の戦争からキオカ軍が投入してきた新兵科は、こちらのガードをすり抜けて打撃を与えてくるんだから」
「……天空兵部隊のことね。確かに、あれは帝国が想像もしなかった脅威だわ」
ヤトリが苦々しげにうなずいた。──天空兵部隊。それは気球に乗った多数の兵士によって編成されるキオカ軍の新兵科のこと。彼らは上空から国境を越えて帝国領土に侵入し、補給の中継点となる軍施設や集落に、火を点けた油を大量に落として回る。
飛行空域が高すぎるため、今のところ帝国側には天空兵に対する直接的な迎撃手段がない。弓矢も銃弾も届かない遥かな高みから、彼らは一方的な被害を帝国に与え続けることができるのだ。このダメージの蓄積が、時間をかけて東域鎮台の兵たちを苦しませる。
「天空兵による『空爆』の開始から今に至るまで、すでにどれだけの集落が焼かれたことか……。いや、家が焼かれるだけならまだいい。畑の作物を焼かれ、穀倉を焼かれては、食いぶちを養っていけない。鎮台の兵たちも同じことさ。彼らはもう、今日食うものにも困ってる有様のはずだ」
「でも、中央から補給の物資は届いているはずよ」
「空襲で焼け出された人々の全員に行き渡るほどの量を? まさか、そんな余裕は中央にだってないさ。仮に送っているとしても、それをこれから延々と続けるのか? 肝心の戦争に勝つ見込みもないのに?」
言って、イクタはベンチにごろりと寝転がった。何もかも馬鹿馬鹿しいとでも言いたげだ。
「何より哀れなのは、鎮台司令長官のハザーフ・リカンその人だ。約束された負け戦の指揮はさぞかし辛いだろうね。それもこれも全ては、本気で戦争をするつもりのない皇帝と内閣の怠慢──」
「その辺にしておきなさい、イクタ。さすがに場所が悪いわ」
周囲の聞き耳をはばかって、ヤトリが彼の発言を諫めた。カトヴァーナ帝室は神聖にして不可侵。まして戦時の今、その批判を安易に口にすることは許されない。特に旧軍閥の名家出身であるヤトリの発言には否応なく責任が伴う。不用意なお喋りはできないのだ。
「だいいち、関わることも出来ない戦争について話すよりも、今の私たちにはもっと建設的な話題があるでしょう?」
「ん……? ああ、今夜の卒業祝いか。夜通しパーッとやりたいね。どこ飲みにいく?」
「たった今たらふく飲んだばかりじゃない! 私が言いたいのは高等士官試験のことよ!」
仰向けにクスを抱き上げた姿勢で、イクタは苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「あー、そんな鬱ぃイベントも残ってたか……」
「気乗りしなくても出てもらうわよ。……本当、事の重大さが分かってるんでしょうね?」
寝転がったイクタの頭の方へ近付いていって、ヤトリは周りに聞こえないよう小声で囁く。
「……イグセム家のコネを使って、あんたには首都の国立図書館に司書のポストを用意したわ。その代わり、あんたは私と同時に高等士官試験を受験して、二次試験以降で私に有利になるよう立ち回ってもらう。この取引にはあんたも納得したはずでしょ」
「そりゃもちろん、首都の図書館は貴族の天下り先だからね。金と暇を持て余した頭空っぽの連中に流行りの娯楽小説を貸し出して、たまに埃をかぶった哀れな学術書を手入れしてやって……それだけで食うに困らない額の給与が入ってくる。僕としては願ってもない話さ。ヤトリらしくないセコい策だとは思ったけど。君なら僕の助けなんてなくても合格は固いだろ?」
「何とでも言いなさい。合格するだけでいいなら、私だって自分の腕一本で挑むわ。……でも、イグセムの長女に求められる結果はそれだけじゃないの。『主席合格』という勲章が必要なのよ」
「その勲章を、君は高等学校時代から何事につけ独占してばかりじゃないか。そろそろ誰かに譲ってあげても良い頃だよ。主席に座りたがっているのは君ひとりじゃないんだから」
「どの口で言ってるのよ。あんたが座らなかったから、私が座っているだけの話じゃないの」
それを聞いたイクタはきょとんとして、暑さで気でも違ったのか、食べ終わった料理の皿からアサリの貝殻をつまんで次々と自分の頭に載せ始めた。ヤトリの眉根がいぶかしげに寄る。
「……ちょっと、それ、何やってるの?」
「貝かぶりすぎ」
あえて何のコメントも返さず、ヤトリは少年の頭からアサリを叩き落とした。
「……とにかく! あんたが意味もなく隠している実力を利用しない手はないわ。特に今回の試験にはレミオン家の末っ子が強力な対抗馬として出てくるらしいし、用心に越したことはないの。あんたを踏み台にして、ヤトリシノ・イグセムは覇道の第一歩を刻むのよ」
「ま、いいとは思うけどね。話を聞く限りじゃ、二次試験以降は受験生同士の同盟も珍しくないそうだし。戦に先駆けて兵力を揃えることは軍事における基本中の基本だ。『衆は寡に勝る』」
「分かっているならいいわ。くれぐれも一次の筆記試験で落ちるようなヘマはしないように」
「はいはい、頑張りますよ。君と違って、軍なんかに関わるのはこれを最後にしたいからね」