世界の果てのランダム・ウォーカー 特別版


世界の果てのショート・ウォーカー ①
『どういたしまして』




 腰の高さほどの、立方体だった。

 断面には青と黒の顔料で、呪文のような文字が書かれている。その物体はシーラザットと呼ばれており、現地の言葉で“真理の石”という意味だ。

 ヨキは足をかけ、目の前にあるシーラザットにのぼった。

「どう? なにかみえる?」

 シュカが下から声をかける。

「特に変わりありませんね。『地平の彼方』という、超常の景色はみえません」

 とはいえ、目のまえに広がる景色も、なかなかに幻想的だった。

 夕日が沈もうとする地平線にむかって、すいこまれるように細く長い雲がたなびいている。

 地上には見渡すかぎり、四角の石が等間隔にならんでいた。そのすべてに青と黒の文字が書きつけられ、うっすらと発光している。

 大平原に広がる巨石群。

 広大で、整然とした墓地のようにも思える。

「スケールの大きさに圧倒されるね。意識がとびそうだよ」

 シュカが、となりの石にのぼっていう。

「なにせ、言い伝えが本当であれば、世界に存在する人の数だけ、このシーラザットがあるというのだからさ」



 ヨキとシュカはセントラルという名の空中都市に所属している。他の文明に比べ著しく進歩した文明レベルにあるのだが、そんなセントラルの知識をもってしても、いまだ解明できない謎が地上には数多く存在している。

 シーラザットの遺跡群もそのひとつだった。

 大平原に存在する、立方体にカットされた大量の石。その断面をみるかぎり、何ものかの手による加工がほどこされたことに疑いはない。しかし、いつ、誰が、何の目的でつくったものなのか、詳細は不明だ。

 調査官であるヨキとシュカがこの地を訪れたのは、当然のごとく、この遺跡を調査するためである。



 夜、ヨキとシュカは、動物の骨と皮で組まれたテントのなかで、老人とむかいあって座っていた。

「己(おのれ)の石を探すのであれば心してかからなければいけない」

 老人がキセルをふかしながらいう。

 彼の部族は、表向きは牛や羊とともに暮らす遊牧民なのだが、先祖から受け継ぐ真の使命は、シーラザットの遺跡群を守ることにある。もし石を壊そうとするもの、悪用しようとするものがあらわれれば、命を賭して戦う。老人はそんな部族の長だった。

「己の石にのぼれば『地平の彼方』を見渡すことができる。地平の彼方は、お前が望むものを与えてくれるだろう。しかしそれは最初にのぼったときの、一度だけ。それが終わればただの石になる。人生で唯一の瞬間。そのとき何を望むのか、よく考えておいたほうがいい」

「地平の彼方にはこの世界のありとあらゆる知識があり、自分のシーラザットをみつけることができれば、望む知識をひとつ知ることができる。そう聞いて、ここにきました」

 ヨキはいう。

 平原の周辺の街には、多くの学者や発明家がいる。新しい定理や法則、火薬の製法などを発見したのだが、彼らはそれらを地平の彼方にみたと語っているのだ。

「知識だけではない。地平の彼方には、過去、現在、未来、生者、死者、すべてがある。わたしは己の石をみつけ、幼いころの自分と語り合った。彼はわたしを認識し、わたしは彼を認識した」

 しかし己の石をみつけるのは容易ではない、と老人はいう。

「誰かが死ねば、石は消滅する。誰かが生まれれば、石もまた生まれる。世界に存在する人の数と同じ石のなかから、たった一つの石をみつける。わたしは五十年かかった。それでも幸運だった。ここを訪れるもののほとんどが、みつけることなく帰る。探しつづけ、そのまま老いて死ぬものもいる」

 シーラザットについての話が終わり、ヨキとシュカは族長のテントを出た。

 夜空は澄み渡っていた。星々が空からこぼれ落ちそうだ。

 すいこんだ空気は胸のなかでもその冷たさをたもっている。耳を澄ませば、どこかで焚火の音がきこえてきた。

「土の香りのする夜ですね。セントラルではこうはいかない」

 ヨキはいう。

「僕はもう少し、自分のシーラザットを探してから眠ることにします」

「そう。じゃあ、私は先にテントに戻って休ませてもらうよ」

 シュカは体調がすぐれない様子で、顔色がわるい。

「先輩、大丈夫ですか? そういえば夕食残してましたよね」

「そうなのさ。牛の一頭でも食べてやろうと思ってたのに。悔しいよ」

「そこは悔しがらなくていいんじゃないですかね」

 シュカは肩をすくめてみせる。そして話題を変えた。

「それで、ヨキは何を願いながら己の石を探すの?」

 質問され、とっさにヨキの頭に浮かんだのは、人類の起源や世界の終わりという言葉だった。人がなぜ発生したのか、進化論は正しいのか、世界はどうやって終わりをむかえるのか。そういった事柄は、いつもヨキの心を惹きつける。

「いずれにせよ、学術的な興味でしょうね。まあ、ものは試しです」

 シーラザットにのぼれば超常の景色がみえる。そもそも、その話が本当かどうかもわからない。それに、もしその話が本当だったとしても、無数にあるシーラザットのなかから、たった一つの自分の石をみつけるのは天文学的な確率だ。

「それでもロマンがあって、私は好きだけどね」

 シュカはいう。

「まあ、がんばりたまえ」

「ええ。寝る間を惜しんで石にのぼりますよ。世界の謎を解き明かしたい。その衝動が、僕の足を前に進めるんです」

 ヨキは背をむけ、大平原へとむかう。

 シーラザットは腰くらいの高さがあるから、一つのぼるだけでもちょっとした労働だ。石をニ十個のぼったところで、足の筋肉が悲鳴をあげる。

 結局、ヨキは早々にテントにひきあげ、横になった。

「世界の謎を解き明かしたい衝動が……僕の足を前に進める……」

 となりで毛布にくるまり丸くなっているシュカが、寝言のようにつぶやいた。