腰の高さほどの、立方体だった。
断面には青と黒の顔料で、呪文のような文字が書かれている。その物体はシーラザットと呼ばれており、現地の言葉で“真理の石”という意味だ。
ヨキは足をかけ、目の前にあるシーラザットにのぼった。
「どう? なにかみえる?」
シュカが下から声をかける。
「特に変わりありませんね。『地平の彼方』という、超常の景色はみえません」
とはいえ、目のまえに広がる景色も、なかなかに幻想的だった。
夕日が沈もうとする地平線にむかって、すいこまれるように細く長い雲がたなびいている。
地上には見渡すかぎり、四角の石が等間隔にならんでいた。そのすべてに青と黒の文字が書きつけられ、うっすらと発光している。
大平原に広がる巨石群。
広大で、整然とした墓地のようにも思える。
「スケールの大きさに圧倒されるね。意識がとびそうだよ」
シュカが、となりの石にのぼっていう。
「なにせ、言い伝えが本当であれば、世界に存在する人の数だけ、このシーラザットがあるというのだからさ」
◇
ヨキとシュカはセントラルという名の空中都市に所属している。他の文明に比べ著しく進歩した文明レベルにあるのだが、そんなセントラルの知識をもってしても、いまだ解明できない謎が地上には数多く存在している。
シーラザットの遺跡群もそのひとつだった。
大平原に存在する、立方体にカットされた大量の石。その断面をみるかぎり、何ものかの手による加工がほどこされたことに疑いはない。しかし、いつ、誰が、何の目的でつくったものなのか、詳細は不明だ。
調査官であるヨキとシュカがこの地を訪れたのは、当然のごとく、この遺跡を調査するためである。
◇
夜、ヨキとシュカは、動物の骨と皮で組まれたテントのなかで、老人とむかいあって座っていた。
「己(おのれ)の石を探すのであれば心してかからなければいけない」
老人がキセルをふかしながらいう。
彼の部族は、表向きは牛や羊とともに暮らす遊牧民なのだが、先祖から受け継ぐ真の使命は、シーラザットの遺跡群を守ることにある。もし石を壊そうとするもの、悪用しようとするものがあらわれれば、命を賭して戦う。老人はそんな部族の長だった。
「己の石にのぼれば『地平の彼方』を見渡すことができる。地平の彼方は、お前が望むものを与えてくれるだろう。しかしそれは最初にのぼったときの、一度だけ。それが終わればただの石になる。人生で唯一の瞬間。そのとき何を望むのか、よく考えておいたほうがいい」
「地平の彼方にはこの世界のありとあらゆる知識があり、自分のシーラザットをみつけることができれば、望む知識をひとつ知ることができる。そう聞いて、ここにきました」
ヨキはいう。
平原の周辺の街には、多くの学者や発明家がいる。新しい定理や法則、火薬の製法などを発見したのだが、彼らはそれらを地平の彼方にみたと語っているのだ。
「知識だけではない。地平の彼方には、過去、現在、未来、生者、死者、すべてがある。わたしは己の石をみつけ、幼いころの自分と語り合った。彼はわたしを認識し、わたしは彼を認識した」
しかし己の石をみつけるのは容易ではない、と老人はいう。
「誰かが死ねば、石は消滅する。誰かが生まれれば、石もまた生まれる。世界に存在する人の数と同じ石のなかから、たった一つの石をみつける。わたしは五十年かかった。それでも幸運だった。ここを訪れるもののほとんどが、みつけることなく帰る。探しつづけ、そのまま老いて死ぬものもいる」
シーラザットについての話が終わり、ヨキとシュカは族長のテントを出た。
夜空は澄み渡っていた。星々が空からこぼれ落ちそうだ。
すいこんだ空気は胸のなかでもその冷たさをたもっている。耳を澄ませば、どこかで焚火の音がきこえてきた。
「土の香りのする夜ですね。セントラルではこうはいかない」
ヨキはいう。
「僕はもう少し、自分のシーラザットを探してから眠ることにします」
「そう。じゃあ、私は先にテントに戻って休ませてもらうよ」
シュカは体調がすぐれない様子で、顔色がわるい。
「先輩、大丈夫ですか? そういえば夕食残してましたよね」
「そうなのさ。牛の一頭でも食べてやろうと思ってたのに。悔しいよ」
「そこは悔しがらなくていいんじゃないですかね」
シュカは肩をすくめてみせる。そして話題を変えた。
「それで、ヨキは何を願いながら己の石を探すの?」
質問され、とっさにヨキの頭に浮かんだのは、人類の起源や世界の終わりという言葉だった。人がなぜ発生したのか、進化論は正しいのか、世界はどうやって終わりをむかえるのか。そういった事柄は、いつもヨキの心を惹きつける。
「いずれにせよ、学術的な興味でしょうね。まあ、ものは試しです」
シーラザットにのぼれば超常の景色がみえる。そもそも、その話が本当かどうかもわからない。それに、もしその話が本当だったとしても、無数にあるシーラザットのなかから、たった一つの自分の石をみつけるのは天文学的な確率だ。
「それでもロマンがあって、私は好きだけどね」
シュカはいう。
「まあ、がんばりたまえ」
「ええ。寝る間を惜しんで石にのぼりますよ。世界の謎を解き明かしたい。その衝動が、僕の足を前に進めるんです」
ヨキは背をむけ、大平原へとむかう。
シーラザットは腰くらいの高さがあるから、一つのぼるだけでもちょっとした労働だ。石をニ十個のぼったところで、足の筋肉が悲鳴をあげる。
結局、ヨキは早々にテントにひきあげ、横になった。
「世界の謎を解き明かしたい衝動が……僕の足を前に進める……」
となりで毛布にくるまり丸くなっているシュカが、寝言のようにつぶやいた。