世界の果てのランダム・ウォーカー 特別版




 翌日から、ヨキは足が痛くなるのをこらえ、石にのぼりつづけた。

 地平の彼方をみることはできるのか。その検証期間は限られている。

 足をかけ、石にのぼる。みえる景色はかわらない。石からおりてまた次の石にのぼる。

 荒涼とした平原に規則正しくならぶ石。

 寝泊まりしているテントを出発点とし、順につぶしていく。

 周りには、同じようなことをしている人たちがいた。旅装のものや学者風のもの、髪と髭が伸びきった修行者のようなものまでいた。みな、それぞれ何かしらの思いをもって、石にのぼっている。

 一方、シュカは休んでいることが多かった。それは普段の彼女からすれば想像もできないことだった。地平の彼方にロマンを感じていることはあきらかで、ヨキなんかよりもよっぽど自分のシーラザットを探すことに夢中になっていいはずだ。みつかる確率が低いからといって、あきらめる性格ではない。がぜんやる気をだすタイプだ。

「先輩、どうしちゃったんですか」

 青空の下、倒木に腰かけながらヨキはたずねる。

 昼食を食べているときのことだ。前日、小麦粉を練って丸めたものを、焚火のなかにいれておいた。灰のなかからそれをとりだし、外の皮を捨て、香辛料をまぶして食べる。

 シュカは牛や羊をながめながら「カワイイねえ」とつぶやくばかりで、いっこうに口に入れようとしない。ゲテモノだって平気なのに。

「このところ、ずっと体調が悪いんだ」

 シュカがいう。

「健康診断、受けてます?」

「このあいだ受けたところだよ。特に異常はなかったんだけど。まあ、たまにはこういうときもあるさ。今回はヨキに任せるよ」

「そうですね。先輩はゆっくり休んでいてください。食事の量が減るなんて、尋常じゃないですよ。書類仕事をサボるためにお腹が痛いと仮病を使うときですら、お菓子をぼりぼり食べながらなのに。僕は本当に心配です」

「なんだか腹の立ついいかただなあ!」

 ひとしきりふざけたのち、シュカは少し真面目な顔になる。

 地平の彼方が望むものを教えてくれる、みせてくれるという現象について、仮説を考えてみたという。

「自分の石にのぼって何かを知るっていうのはさ、超常現象じゃなくて、個人の精神活動によるものなんじゃないかな」

「個人の精神活動?」

「ひらめき、思考の洗練ってこと。この地域の学者たちはシーラザットにのぼって定理や法則をみつけたというけど、逆なんじゃないかな。定理や法則をみつけたときに、たまたま石にのぼっていた」

 地平の彼方が望むものを教えてくれる。それを信じて、石にのぼりつづける。熱力学の方程式が知りたければ、それを心にとめながら自分の石を探す。それはつまり、ずっと熱力学について考えていることに他ならない。長いあいだ考えていれば、ひらめきが生まれることもあるだろう。それは自分の思考による結果なのだけれど、石の話が先にあるものだから、さも石のおかげのような形になる。

 自分の石をみつけられたものは、ひらめきがあったもの。逆に、みつけられなかったものは、ひらめきが訪れなかったもの。

「じゃあ、族長が幼いころの自分と語り合ったというのは?」

「忘我状態による幻覚症状といったところかな」

「神秘体験ですか。宗教のなかには、厳しい修行をすることで意図的に脳のトランス状態を誘発するものがありますね」

「一定のリズムで繰り返す、石の昇り降り。あの踏台昇降に似た運動が厳しい修行にあたるというわけさ」

 そして脳がトランス状態となり、みえるはずのないものがみえたり、普段はできないような思考や発想が可能になる。それが地平の彼方をみるということ。

 シュカはそういっているのだ。

「もちろん、これは科学的見地にたった仮説にすぎない。ヨキが石をみつけて、自分では絶対に知り得ないことを知ったとしたら、それが地平の彼方が存在するという反証になる。私としては、そっちの結末を望むね。面白いし」

「そうですね。僕もそっちがいいです。シーラザットに書かれたあの文字も、なんだか密教的なパワーを感じて好きなんですよ」

 ヨキは昼食を食べ終えると、また一人で平原へとむかった。

 ふりかえってみれば、シュカが顔に手をあてたあと、その手をずっとながめていた。

 鼻から血を流しているようだった。

 そういえば昨夜も、毛布にくるまりながら鼻のあたりをおさえていたような気がする。

 ヨキは不安を感じながらも、シュカならば大丈夫だと自分に言い聞かせた。もちろん、根拠などなかった。