Chapter 1 "To the Pit" ‐07-

 トンネルのような通路を抜けて、やがて彼女が立ち止まったのは、広場の一角だった。


 そこには大きな緑色のバスがまっていた。なぜ広場にバスが、と一瞬疑問に思ったが、すぐに解決した。バスの側面に〈ベアリトー〉という文字がペイントされていたからだ。ベアーとブリトーをくっつけた名前らしい。実に微妙なセンスだ。よく見れば、置かれた黒板にメニューも書いてある。どうやらバスを改装したキッチンカーのようだった。


 バスの前には、いくつかテーブルと椅子が並べられていて、食事ができるようになっている。

 小柄な上背に対してアンバランスなくらい太った色白の男が、テーブルの上を片付けていた。かぶっている野球帽には、丸い枠に女王の横顔のマークが入っている。確かこんなコインがあったような気がするが、まだみがなくうまく思い出せない。

 男の姿に緊張する俺をよそに、ブーディシアはつかつかと歩み寄り、声をかけた。


「おい」

いらっしゃいませハイヤ

「ブリトーふたつ。後で届けてくれる?」

「は? うちはそういうのやってないんで。自分で持っていってくださいっす」


 迷惑そうに眉をひそめて、太った男は言い返す。


「ひとつはパーク・ストリートの画材屋。もうひとつは……エイト・ビット・ワールドってゲームショップなんだけど」


 ブーディシアは鋭い視線を向けながら、薄く肉をぐようなゆっくりさで、言葉を紡ぐ。

 知らない、と白を切ることもできただろう。

 しかしそのきようがくの表情は、なによりも雄弁に物語ってしまっていた。


 間違いない。

 こいつが犯人だ。


「いきなり当たりブルズ・アイか。やったのはてめーだな!」


 ブーディシアは後ずさる男の胸ぐらをつかんで顔を寄せ、問い詰める。


「ひっ。お、俺は違うっていうか、俺だけじゃないっす!」

「おーい、ペニー。どうしたー」


 太った男の悲鳴を聞きつけたのか、バスの中から、場違いなほどのんびりした声とともに、別の男が顔を出した。ここからでもわかるくらい背が高くて、黒縁の眼鏡をかけている。オレンジ色の髪の毛とひげが、同じくらいもさもさと茂っていた。


「こいつやばいっすよ! ビーストっす」

「あたしがビーストならお前はフイーストだ。正直に言わねーと食っちまうぞブタ野郎」

「ひぃぃぃ、助けてほしいっす!」


 ペニーと呼ばれた太った男は、必死で助けを求める。体力的には振り払おうと思えばできそうだが、ブーディシアに完全にされていた。


「うーん。確かにやばいな。目がやばい。関わらないほうがいいって」


 バスの中の男は、そんなことを言って、悠長にひげでている。


「そんなこと言われても、もう遅いっす……」

「なんだてめーは。細長いずうたいしやがって。キリンか?」


 ブーディシアはバスの中の男をにらみつける。それに応えるようにして、その男は高い背を折りながらバスから出て、こちらに歩いてくる。


「いい度胸じゃねぇか。俺はJFジエイエフだ。いいか、俺はこのカフェのコーヒー担当なんだ。そっちのペニーはブリトー担当。俺たちはふたりでひとりなんだよ。いいか、俺の相棒に手を出したら、ただじゃおかねぇぞ」


 ブーディシアはペニーから手を離し、見下ろすように立ちはだかるジェイエフに、臆することなく向かっていく。


「……そうか、わかった。てめーら二人が犯人だな。エイト・ビット・ワールドって名前に聞き覚えあんだろ」

「やべっ、あの店のやつかよ!」

「完全にバレてるっすよ……」


 ブーディシアはふたりを交互ににらみつける。


「てめーらがやったんだな」

「うん、それはつまり、あれだ。いや、っていうか、証拠あんのかよ」

「そうっすよ!」

「はーん、認めねー気か。なら……この店のライターはヘッタクソで、ブリトーもクソまずいってうわさがブリストル中を駆け巡るかもしれねーな」

「ぐ……」

「き、汚いっす!」

「もう一回聞くぞ。てめーらがやったんだな」


 ブーディシアはもう一度、鋭い視線でふたりを刺す。

 青ざめたふたりは、顔を見合わせると、とうとう降伏した。


「すいませんでしたぁっ!」

「俺たちがやったっす!」


 なんということだろう。

 たったあれだけの情報から、犯人まで辿たどりついてしまった。

 ブーディシアはそんな俺の驚きを知る由もなく、ふたりを威圧し続けている。


「よし。警察に突き出すのは勘弁してやる。代わりにうちに書いたグラフィティ消しに来い」

「いやでも店があるからよ」

「ベアー・ピットのみんながおなか空いちゃうっす」

「は? 文句言うやつがいたらな、腹一杯になるまでスプレー口に捻じ込んでやるから安心しろ。わかったか?」

「マジかよ。怖すぎんだろ」

「入んないっす、絶対入んないっす」

「わかったかって聞いてんだよ!」

「お、おう」

「ひゃい」


 それからブーディシアはペニーにブリトーをふたつ作らせると、引きずって店の前まで連れてきて溶剤をたたきつけ、防毒マスクを手渡し、グラフィティを消させた。ジェイエフのほうには、アイオンの店までブリトーを配達するよう指示していた。そういえばアイオンは、腹が減ったからブリトーが食べたい、と言っていた。ひょっとすると、情報代ということなのかもしれない。


 ペニーはどうも気が弱いほうらしく、終始ブーディシアにおびえていた。ちょっとかわいそうな気もしたが、自分で書いたものを自分で消しているわけだから、自業自得といえばそうなのだろう。ブーディシアはブーディシアで、ブリトーの代金をちゃんと払っていたのが妙に律儀だった。


 彼女はいつもの椅子に座って、ショーウィンドウの向こうで涙目になりつつグラフィティを消すペニーを見ながら、牛肉ビーフとチーズをたっぷり入れさせたブリトーを頰張っていた。


 俺はその光景を見ながら、なんとも感慨深い気持ちになる。

 さっきまで、ここに書かれた絵が、いったいなんなのかもわからなかった。なのにブーディシアは、その犯人を的確に突き止め、こうしてここまで連れてきてしまったのだ。


 彼女に導かれて、たくさんのものに出会って、驚くことばかりだけれど。

 それでも俺は、まだなにも知らない、と思う。

 グラフィティのことも、そして、彼女のことも。


「ブーさん」

「ん」

「ありがとうございます」

「なんだよ、急に」

「いえ、新しい体験ができて、うれしかったので」

「なにそれ。マジで変なのトータリー・ウイアード


 苦笑いとともに窓の外を向いた瞳は、光が入って、青く透き通っていた。

 俺はその目に映っている景色をもっと知りたいと、強く思った。

刊行シリーズ

オーバーライト3 ――ロンドン・インベイジョンの書影
オーバーライト2 ――クリスマス・ウォーズの炎の書影
オーバーライト ――ブリストルのゴーストの書影