星なき夜のアリア アインクラッド第一層 2022年11月

 四十四人。

 それが、トールバーナのふんすい広場につどったプレイヤーの総数だった。

 おれの予想──あるいは期待よりずいぶんと少ない、そう言わざるを得ない。このSAOでは一パーティーが最大六人、それを八つまでたばねて、計四十八人の連結レイドパーティーを作ることができる。ベータテスト時代の経験からすると、フロアボスを死者ゼロで倒そうとするならレイドを二つ組んで交代制をくのがベストなのだが、この人数ではレイド一つの上限すら満たせない。

 ため息をつくために吸い込んだ空気を、しかし俺は吐き出すタイミングを失った。

「……こんなに、たくさん……」

 左後ろで、フーデッドケープ姿のレイピア使いがそうつぶやいたからだ。思わず振り向き、問い返す。

「たくさん……? この人数が?」

「ええ。だって……初めてこの層のボスモンスターに挑戦するために集まったんでしょう? 全滅する可能性もあるはずなのに……」

「…………なるほど」

 うなずき、改めて広場に三三五五たむろする剣士たちの顔を確かめていく。

 互いに名前を知っているプレイヤーが、五、六人。更に、前線付近の街やダンジョンで見かけたことのある者が十五人くらい。残る二十人以上はほぼ初めて見る顔だ。当然ながら、男女比ははなはだしくかたよっている。女性プレイヤーは、ざっと見たところではレイピア使い一人だけだが、ぶかかぶったフードのせいで見た目ではそうとわからないので、俺以外の人間はこの場の全員が男だと思っているはずだ。広場の反対側には、高いへいに腰掛けている《ねずみのアルゴ》の姿があるが、彼女はボス攻略には参加するまい。

 レイピア使いの言うとおり、だれも見たことのない──あくまで今回のアインクラッドでは、だが──第一層フロアボスに挑もうというのだ。HPゲージがゼロになる、すなわち死亡するリスクは、今までこの層で行われた大規模せんとうの中でも最大だろう。つまり、広場に集った全員はおのれの死を覚悟し、後続プレイヤーのみ台になることを受け入れたうえでここにいる……ということになるのだが……。

「……いや、どうかな……」

 我知らず、俺はそう呟いていた。レイピア使いが、フードの奥からげんそうなひとみを向けてくる。それに対し、言葉を選びながら答える。

「全員がそうだとは言わないけど、《自己せい精神のはつ》って言うより《遅れるのが不安だから》来てるって人もけっこういると思うよ。おれもどっちかというと後のほうだからさ……」

「……遅れる? 何から?」

「最前線から、さ。全滅するのは怖いけど、自分の知らないところでボスが倒されるのもやっぱり怖いんだ」

 りのフードが小さくかたむく。彼女がまったくのネットゲームビギナーなら、俺の言うことはなかなか理解できないだろう──と、思ったのだが。

「……それって、学年十位から落ちたくないとか、偏差値七十キープしたいとか、そういうのと同じモチベーション?」

「………………」

 今度は俺が絶句する番だった。しばし考え、微妙な角度でうなずく。

「うん……まあ、たぶん……そうなのかも……」

 すると──。

 フードの下にのぞく、形のいい唇がほんの少しほころんだ。ふ、ふ、というかすかな声まで聞こえる。笑っている……のだろうか? 迷宮区から運び出した俺に『余計なことを』と言い放った、超絶完成度の《リニアー》使いが?

 思わず、えんりよにフードの奥を覗き込みかけたが、幸いその前に状況が動いた。パン、パンと手をたたく音とともに、よく通る叫び声が広場に流れたのだ。

「はーい! それじゃ、五分遅れだけどそろそろ始めさせてもらいます! みんな、もうちょっと前に……そこ、あと三歩こっち来ようか!」

 実に堂々たるしやべりの主は、長身の各所に金属防具をきらめかせた使だった。広場中央にあるふんすいふちに、助走なしでひらりと飛び乗る。あの高さをあの装備でワンジャンプとは、筋力・びんしよう力ともにかなり高い。

 振り向いた片手剣使いを見て、四十数人の一部が小さくざわめいた。気持ちはわかる。なぜなら、噴水の縁に立つ男は、なぜこんなやつがVRMMOをと思わずにいられないレベルのイケメンだったからだ。おまけに、顔の両側にウェーブしながら流れる長髪はあざやかな青に染められている。一層では髪染めアイテムは店売りしていないので、モンスターからのレアドロップをねらうか買うかするしかない。

 もしこのたいのために苦労して髪型髪色をカスタマイズしてきたのなら、女性プレイヤーがわずか一人(しかもフーデッドケープで外見からはそうと解らない)という状況は不本意ではあるまいかとつい考えてしまうが、男はそんな邪推など全反射するさわやかな笑顔を浮かべると言った。

「今日は、オレの呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな! オレは《ディアベル》、職業は気持ち的に《ナイト》やってます!」

 すると、噴水近くの一団がどっと沸き、口笛や拍手に混じって「ほんとは《勇者》って言いてーんだろ!」などという声が飛んだ。

 SAOには、システム的な《クラス》は存在しない。各プレイヤーは、与えられた複数の《スキルスロット》に、自由な選択で各種スキルを設定し修練できる。例外として、生産系や交易系スキルをメインにしている者は、《》や《お針子》《料理人》などの職名で呼ばれる場合もある──のだが、《騎士ナイト》や《勇者》という職はぶんにして聞いたことがない。

 だが、もちろんどんな職名を名乗ろうと、それは個人の自由というものだ。見れば、ディアベルと名乗る男は胸と肩、腕とすねをブロンズ系防具でおおい、左腰には大振りの直剣、背中にカイトシールドを背負っている。いわゆるナイト系装備と言って言えなくもない。

 その堂々たる姿を、人垣の最後方からじっと見詰めながら、おれは脳裏のインデックスを素早くった。装備や髪型が違うからわかりづらいが、あの顔は確か何度か前線の村や町で見かけた気がする。そして、それ以前──ここではない《もう一つのアインクラッド》ではどうだったか。少なくとも、名前に聞き覚えはない……。

「さて、こうして最前線で活動してる、言わばトッププレイヤーのみんなに集まってもらった理由は、もう言わずもがなだと思うけど……」

 ディアベルが演説を再開し、俺は物思いをめてそちらに集中した。青髪の騎士は、さっと右手を振り上げ、街並みの彼方かなたにうっすらとそびえる巨塔──第一層迷宮区を指し示しながら続けた。

「……今日、オレたちのパーティーが、あの塔の最上階へ続く階段を発見した。つまり、明日か、遅くとも明後日あさつてには、ついに辿たどり着くってことだ。第一層の……ボス部屋に!」

 どよどよ、とプレイヤーがざわめく。俺も少々おどろいた。第一層迷宮区は二十階建てで、俺(ととなりのレイピア使い)が今日もぐっていたのが十八階から十九階に上がったあたりだったので、もう十九階がそこまでマッピングされているとは知らなかったのだ。

「一ヶ月。ここまで、一ヶ月もかかったけど……それでも、オレたちは、示さなきゃならない。ボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームそのものもいつかきっとクリアできるんだってことを、はじまりの街で待ってるみんなに伝えなきゃならない。それが、今この場所にいるオレたちトッププレイヤーの義務なんだ! そうだろ、みんな!」

 再びのかつさい。今度は、ディアベルの仲間たち以外にも手をたたいている者がいるようだ。確かに言っていることは立派というか非の打ち所もない。いや、非を打とうなどと考えるほうがそもそもおかしいのだろうか。ここは俺も、今までバラバラだった最前線の住人たちのまとめ役を買ってでてくれたナイト様に拍手のひとつも送っておくべきか────

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 そんな声が低く流れたのは、その時だった。

 かんせいがぴたりと止まり、前方の人垣がふたつに割れる。くうげきの中央に立っているのは、小柄ながらがっちりした体格の男だった。俺の位置からは、背負っているやや大型の片手剣と、ある種のサボテンのようにとがったスタイルの茶色の髪しか見えない。

 一歩み出し、サボテン頭は、ディアベルの美声とは正反対のだみごえうなった。

「そん前に、こいつだけは言わしてもらわんと、仲間ごっこはでけへんな」

 唐突な乱入に、しかしディアベルはほとんど表情を変えなかった。余裕あふれる笑顔のまま、手招きしながら言う。

「こいつっていうのは何かな? まあ何にせよ、意見は大歓迎さ。でも、発言するならいちおう名乗ってもらいたいな」

「………………フン」

 サボテン頭は盛大に鼻を鳴らすと、一歩、二歩と進み出て、ふんすいの前まで達したところでこちらに振り向いた。

「わいは《キバオウ》ってもんや」

 なかなかに勇猛なキャラネームを名乗ったサボテン頭の片手剣士は、小さめながらするどく光る両で広場の全プレイヤーをへいげいした。

 よこぎに移動する視線が、おれの顔の上でほんのいつしゆん停止した──と思ったのは気のせいだろう。俺は彼の名前を知らなかったし、どこかですれ違った記憶もない。たっぷり時間を掛けて一同を見回し終えると、キバオウはいっそうドスのいた声で言った。

「こん中に、五人か十人、ワビぃ入れなあかんやつらがおるはずや」

び? だれにだい?」

 背後で噴水のふちに立ったままの《騎士ナイト》ディアベルが、様になった仕草で両手を持ち上げる。そちらを見ることなく、キバオウは憎々しげに吐き捨てる。

「はっ、決まっとるやろ。今までに死んでった二千人に、や。奴らが何もかんも独り占めしたから、一ヶ月で二千人も死んでしもたんや! せやろが!!」

 たん、低くざわめいていた約四十人の聴衆が、ぴたりと押しだまった。キバオウが何を言わんとしているのか、やっと全員が理解したのだ。もちろん、この俺も。

 重苦しいちんもくのなか、NPC楽団のかなでる夕方のBGMだけが静かに流れる。誰も、何も言おうとしない。何か言えば、その途端に自分が《奴ら》の一員にされてしまう──とおそれているかのようだ。いや、よう、ではない。少なくとも、俺は明らかにその恐怖に捕らわれている……。

「──キバオウさん。君の言う《奴ら》とはつまり……元ベータテスターの人たちのこと、かな?」

 腕組みをしたディアベルが、今までで最もきびしい表情を浮かべて確認した。

「決まっとるやろ」

 革の上に分厚い金属片をい付けたスケイルメイルをじゃらりと鳴らし、キバオウは背後の騎士をいちべつしてから続けた。

「ベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まったその日にダッシュではじまりの街から消えよった。右も左もわからん九千何百人のビギナーを見捨てて、な。やつらはウマい狩場やらボロいクエストを独り占めして、ジブンらだけぽんぽん強うなって、その後もずーっと知らんぷりや。……こん中にもちょっとはおるはずやで、ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらお考えてるずるい奴らが。そいつらに土下座さして、め込んだ金やアイテムをこん作戦のためにのきみ吐き出してもらわな、パーティーメンバーとして命は預けられんし預かれんと、わいはそう言うとるんや!」

 名前のとおり、きばひとみにも似たきゆうだんが途切れても、やはり声を上げようとする者はいなかった。まさしく元ベータテスターの一員であるおれもまた、奥歯をめ、息を殺し、ちんもくを保ち続けた。

 叫び返したいというしようどうがないわけではなかった。元ベータテスターが、一人も死んでいないとでも思っているのか、と。

 俺は一週間ほど前、アルゴからとある情報を買った──正確には、彼女にある調査を依頼した。元ベータテスターの死亡者数を推計する、という。

 今年の夏休みに行われたSAOクローズド・ベータテストは、募集枠わずか千人だった。その全員に正規版パッケージの優先こうにゆうけんが与えられたのだが、テスト末期のログイン状況を見るに、千人がこぞって正式サービスに移行したわけではないと俺は推測している。恐らく、七百人から八百人──。それが、デスゲーム開始時点での元ベータテスターの総数だろう。

 しかし、《だれが元テスターか》を調べるのはそう簡単なことではない。カラー・カーソルに【β】マークでもあれば話は早かったがもちろん──と言うか幸いと言うかそんなものは存在しないし、アバターの外見は、GMたるかやあきひこはいりよによって現実の容姿そのままに戻されてしまっている。唯一の手がかりとなり得るのが名前なのだが、テストと本番で変更している場合も少なくあるまい。ちなみに、おれとアルゴが互いを元テスターだと確信している理由は、最初に出会った時の状況が関係しているのだが、それはまた別の話だ。

 ともかく、そんなわけで、アルゴの調査はなんこうしたはずだ。しかし彼女はわずか三日で俺にひとつの数字を示した。

 およそ三百人。それが、アルゴの推計した、元ベータテスターの死亡者数だ。

 その数字が正しいとすると、現在までの死者二千人のうち、新規参加者は千七百人ということになる。割合に直すと、新規プレイヤーの死亡率は約十八パーセント。対して、元テスターの死亡率は──四十パーセント近くにもなるのだ。

 知識と経験が、常に安全を生むわけではない。逆に、かんせいとなることもある。俺自身、デスゲーム初日に真っ先に受けたクエストで、危うく命を落としかけた。そしてまた、外的な要因もある。このSAO正式サービスは、ベータテスト時と地形もアイテムもモンスターもほぼ同一だが、時折ほんの、ほんのわずかな差異が、小さな猛毒の針のように…………

「発言、いいか」

 その時、豊かな張りのあるバリトンが、夕暮れの広場にひびき渡った。物思いから我に返り、顔を上げると、人垣の左はしあたりからぬうっと進み出るシルエットがあった。

 大きい。身長は百九十ほどもあるだろう。アバターのサイズはステータスにえいきようしないと言われているが、背中にっている無骨な両手用戦斧ツーハンド・バトルアクスが実に軽そうに見える。

 ふうぼうもまた、武器に負けず劣らずかいだった。頭を完全なスキンヘッドにし、肌はチョコレート色。しかし、彫りの深い顔立ちに、その思い切ったカスタマイズが実に似合っている。日本人離れした……と言うよりも、本当に人種から違うのかもしれない。

 ふんすいそばまで進み出た筋骨隆々たる巨漢は、四十数人のプレイヤーに軽く頭を下げると、猛烈な身長差のあるキバオウに向き直った。

「オレの名前はエギルだ。キバオウさん、あんたの言いたいことはつまり、元ベータテスターが面倒を見なかったからビギナーがたくさん死んだ、その責任を取ってしやざいばいしようしろ、ということだな?」

「そ……そうや」

 いつしゆんされたように片足を引きかけたキバオウだが、すぐに前傾姿勢を取り戻すと、らんらんと光る小さなでエギルと名乗るおの使いをめ付け、叫んだ。

「あいつらが見捨てへんかったら、死なずに済んだ二千人や! しかもただの二千ちゃうで、ほとんど全部が、ほかのMMOじゃトップ張ってたベテランやったんやぞ! アホテスター連中が、ちゃんと情報やらアイテムやら金やら分けうとったら、いまごろここにはこの十倍の人数が……ちゃう、今頃は二層やら三層まで突破できとったに違いないんや!!」

 ──その二千人のうち三百人は、あんたの言うアホテスターなんだぞ!

 と、叫びたいしようどうおれは必死にこらえた。三百という数字に今は根拠を示せないし、るし上げられるのが怖いというわいしような理由ももちろんある。しかしそれ以前に、ここで元テスターを名乗って反論することが、状況にプラスになるとはどうしても思えなかったのだ。

 現状、四~五百人が残っていると思われる元テスターは、新規参加者たちの中に危ういながらも溶け込んでいる。レベルや装備的には、もう目立つ差はないと言っていいだろう。そんな状況で、俺が元テスターだと名乗り出ても、ゆうが進むどころか逆にじよ狩りのようなことが起きないかというがある。最悪なのは、前線に出ているプレイヤーが、新規とテスターに分かれて争うような展開だ。それだけは何が何でもけねばならない。なぜなら、このSAOでは、フィールドやダンジョンのいわゆる《圏外》にけるプレイヤーアタックが許可されているのだ……。

「あんたはそう言うが、キバオウさん。金やアイテムはともかく、情報はあったと思うぞ」

 俺が情けなくうつむいていると、再びエギルというおの戦士が見事なバリトンで応じた。はち切れんばかりの筋肉をおおうレザーアーマーの腰につけた大型ポーチから、羊皮紙をじた簡易な本アイテムを取り出す。表紙には、丸い耳と左右三本ずつのヒゲを図案化した《ねずみマーク》。

「このガイドブック、あんただってもらっただろう。ホルンカやメダイの道具屋で無料配布してるんだからな」

「……む、無料配布だと?」

 俺は思わず小さな声をらす。あれは、表紙のマークが示すとおり、情報屋・鼠のアルゴが販売している《エリア別攻略本》だ。詳細な地形から出現モンスター、ドロップアイテム、クエスト解説までもうされていて、表紙下部にでかでかと書いてある【大丈夫。アルゴの攻略本だよ。】というじやつもあながちおおではない。恥ずかしながら俺自身、記憶を補完するために全巻こうにゆう済み──であるが、俺の記憶では、あれは一冊五百コルというなかなか立派なお値段だったはずなのだが……。

「……わたしも貰った」

 となりで、今までひっそりちんもくを守っていたレイピア使いがささやいた。俺が「タダで?」とたずねると、こくりとうなずく。

「道具屋さんに委託してたけど、値段が0コルだったから、みんな貰ってたわ。すごく役に立った」

「ど……どうなってんだ……」

 あの《鼠》が──金さえ積めば自分のステータスさえ売りかねないあの商売の鬼が、情報を無料配布? 有り得へんやろ! と視線を振るが、数分前までアルゴがちょこんと座っていたはずのいしべいはいつの間にかカラになっている。今度会ったら理由を聞きたい、のはやまやまなれど「その情報は千コルだナー」と言われるのは目に見えている。

「────もろたで。それが何や」

 キバオウのとげとげしい声に、おれはやむなく思考を中断した。エギルは攻略本をポーチに戻すと、腕組みして言った。

「このガイドは、オレが新しい村や町に着くと、必ず道具屋に置いてあった。あんたもそうだったろ。情報が早すぎる、とは思わなかったのかい」

「せやから、早かったら何やっちゅうんや!」

「こいつにってるモンスターやマップのデータを情報屋に提供したのは、元ベータテスターたち以外には有り得ないってことだ」

 プレイヤーたちが、いつせいにざわめいた。キバオウがぐっと口を閉じ、その背後で騎士ナイトディアベルがなるほどとばかりにうなずく。

 エギルは視線を集団に向けると、よく通るバリトンを張り上げた。

「いいか、情報はあったんだ。なのに、たくさんのプレイヤーが死んだ。その理由は、彼らがベテランのMMOプレイヤーだったからだとオレは考えている。このSAOを、ほかのタイトルと同じ物差しで計り、引くべきポイントを見誤った。だが今は、その責任を追及してる場合じゃないだろ。オレたち自身がそうなるかどうか、それがこの会議で左右されると、オレは思っているんだがな」

 エギルと名乗る両手おの使いの態度はごく堂々としており、論旨もこの上なく真っ当で、それゆえにキバオウもみ付くすきを見いだせなかったようだった。エギル以外のだれかが同じことを主張すれば、キバオウは恐らく「そんなことを言うお前こそ元ベータテスターだろう」とはんげきしたと思われるが、今は憎々しげに巨漢をめ付けるだけだ。

 無言でたいする二人の後ろで、ふんすいふちに立ったままのディアベルが、ゆうを受けて紫色に染まりつつある長髪を揺らしてもう一度頷いた。

「キバオウさん、君の言うことも理解はできるよ。オレだって右も左もわからないフィールドを、何度も死にそうになりながらここまで辿たどり着いたわけだからさ。でも、そこのエギルさんの言うとおり、今は前を見るべき時だろ? 元ベータテスターだって……いや、元テスターだからこそ、その戦力はボス攻略のために必要なものなんだ。彼らを排除して、結果攻略が失敗したら、何の意味もないじゃないか」

 さすがナイトを自称するだけのことはあると思わせる、こちらも実にさわやかな弁舌だった。聴衆の中にも深く頷いている者が何人もいる。元テスター断罪すべし、という場の雰囲気が変わるのを感じて、俺は思わずあんの息を吐きそうになった。そんな自分にじくたるものを覚えつつ、続くディアベルの発言に耳をかたむける。

「みんな、それぞれに思うところはあるだろうけど、今だけはこの第一層を突破するために力を合わせて欲しい。どうしても元テスターとは一緒に戦えない、って人は、残念だけど抜けてくれて構わないよ。ボス戦では、チームワークが何より大事だからさ」

 ぐるりと一同を見渡した騎士ナイトは、最後にキバオウを真顔でじっと見詰めた。サボテン頭の使は、しばしその視線を受け止めていたが、ふんと盛大に鼻を鳴らすと押し殺すような声で言った。

「…………ええわ、ここはあんさんにしたごうといたる。でもな、ボス戦が終わったら、キッチリ白黒つけさしてもらうで」

 振り向き、スケイルメイルをじゃらじゃら鳴らしながら集団の前列まで引っ込む。おの使いエギルもまた、それ以上言うことはないというように両手を広げると、元居た場所へと下がった。

 結局のところ、その一幕が会議のハイライトとなった。何せ、詳細な対ボス戦略を練ろうにも、まだ迷宮区の最上階にようやく達したという段階なのだ。ボスの顔すらだれも見たことのない状況で、作戦など立てられるはずが…………

 ──いや、それは事実と少々異なる。なぜならこのおれは、アインクラッド第一層のボスが超大型のコボルドであること、やつの武器が巨大な湾刀タルワールであること、取り巻きに重武装のコボルドしんえいたいが計十二匹くことを知っているからだ。

 仮に俺が、この場で元テスターであることを明かし、ボスの情報を提供すれば攻略の成功率がある程度上がるのかもしれない。しかしそれをすれば「なぜ今までだまっていた」と言われるだろうし、流れで元テスターるし上げの雰囲気が再燃してしまうねんもある。

 そしてまた、俺の知識はあくまで旧アインクラッドで得たものであり、正式サービス開始にあたってボスが丸ごと、ないは細部が変更されているという可能性も残る。ベータ時の情報を基に作戦を立て、いざ突入したらボスの外見もこうげきパターンもまるで違っていた……などということになれば、混乱のあまりレイドがかいめつしかねない。結局のところ、一度はボス部屋の扉を開け、そこの主を湧出ポツプさせてみなければ何も始まらないのだ。

 なかば言い訳のように自分にそう言い聞かせ、俺は口をつぐみ続けた。

 会議は最終的に、騎士ディアベルのこの上なく前向きなかけ声と、それに応じる参加者の盛大なたけびでめくくられた。俺も形ばかり右手を上に突き上げたが、となりのレイピア使いは叫ぶことはもちろん、片手をケープの下から出そうとすらしなかった。「解散」の声がひびく前に音もなく身をひるがえした彼女は、去りぎわに、俺にだけ聞こえるボリュームでささやいた。

「会議の前に、あなたが言いかけたこと……もしボス戦で二人とも生き残ったら、教えて」

 うすぐらい路地の奥へと遠ざかる背中に向かって、俺は声に出さずに答えた。

 ──ああ、その時は、教えるよ。俺が自分ひとりを生かすために、ほかすべてを切り捨ててきたことを。

刊行シリーズ

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