わたし、二番目の彼女でいいから。2

第8話 左手の行方②

「じゃあ、私は先輩のことをストレートに好きって態度にだせばいいの?」

「そうなるな」

「でも私、そんなこといえる立場じゃないし、当日は橘さんもいるし……」

「だから、とにかく褒めればいい」


 好きと言葉にするだけが好意じゃない。女性誌で気になる相手の口説き方として、異性を褒めるという方法がよく紹介される。単純だが、あれには心理学的な根拠がある。


「じゃあ、私は先輩を褒めまくればいいんだね」

「そうすれば先輩は早坂さんにくびったけさ」

「やってみる!」


 と、いうわけで場面はカフェに戻り──。

 俺はコーヒーに口をつけたり、先輩の話に相づちを打ったり、物静かにしている橘さんを横目でみたりしながら、テーブルの下で再び早坂さんにメッセージを送る。


『先輩の服、初めてみる。最近買ったんじゃないかな』


 褒めたら喜ぶにちがいない。

 早坂さんはスマホをみてうなずき、会話が一段落したところでおずおずと声をあげる。


「えっと、あの……」


 緊張しているせいか、下を向いてしまっている。


「駅で会ったときから思ってたんだ……」


 いいぞ、がんばれ。


「すごくオシャレだなって……」


 あと少し。


「橘さんの服!」


 俺は思わずコーヒーを吹きだす。そっちじゃない。


「すごくオシャレで似合ってるよ!」

「そ、そうかな?」


 首をかしげる橘さん。それもそうだ。今日の彼女の格好は、どちらかというと普段より力が抜けている。でも、早坂さんは止まらない。


「うん、すごくハイセンス! 橘さん、もうオシャレ番長だよ!」

「あ、ありがとう……」


 緊張と恥ずかしさから、ギリギリのところで褒める相手を橘さんにしてしまったようだ。


『相手、まちがってるからな』


 俺はまた机の下でメッセージを送る。


『あと、先輩、髪も切ってるぞ』


 早坂さんはそれをみて、首をぶんぶんと縦にふり、こっちに向かって親指を立てる。

 あ、ダメだ。全然わかってない。もう隠せてすらいない。

 どこかでみた流れ。まったく成功する気がしないが、早坂さんの挑戦はつづく。

 また会話が一段落したところで、早坂さんは先輩に話しかける。


「さっきから思ってたんだけど……」


 今度はちゃんと先輩のほうを向いている。


「すごくいいよね」


 そこで首がくるっとまわる。


「橘さんの髪型!」


 お約束だな!


「いつも思ってたんだ。後ろで結んだり、ワンレンにしたり、今日のナチュラルな感じもすごくいい!」

「そうかな?」


 またもや首をかしげる橘さん。

 たしかに橘さんはきれいな髪をしているし、気分によって髪型を変える。でも今はアホ毛が立っている。歩いているときキャップをかぶっていたのは、この寝ぐせを隠すためだったのだ。

 今日の橘さんは、どちらかというとやる気がない。というよりも、完全に手抜きだ。

 しかしそんなことはおかまいなく、早坂さんは目をグルグルまわしながら、勢いそのままに橘さんを褒めつづけた。外見だけでなく趣味、内面まで。先輩への熱い想いは明後日の方向へととんでいってしまった。コントロールのわるいピッチャーの大暴投だ。


「ひかりちゃんって女の子にも好かれるんだな」


 先輩がほほ笑ましそうにいう。


「どうなんだろ。とっつきにくい、ってよくいわれるけど」

「でも早坂ちゃんは好きみたいだ」


 うん、と橘さんは照れたように髪をいじる。


「なんか私も早坂さんのこと好きになってきた」


 すごいな好意の返報性、効果抜群じゃないか。

 でも、そっちじゃないけどな! そう思っていると、スマホが震える。みれば、早坂さんからのメッセージを受信していた。


『もう一回! 先輩になにか話ふって!』


 今日の早坂さん、めげないな。

 俺はいわれるがまま、最後にもう一度だけ話をふる。


「先輩、フットサルの調子はどうなんですか?」

「サッカーよりコート小さいけど、ボール蹴るのはやっぱ楽しいな」

「初心者も多いんですよね?」

「そういう人には俺が教えてる」

「早坂さんも教えてもらってるの?」


 俺は早坂さんに話を渡す。


「うん、優しく教えてもらってるよ」


 恥ずかしそうにうつむく早坂さん。


「私、不器用で失敗ばかりだから、助けてもらうことが多いんだ」


 耳まで真っ赤だ。


「優しさに助けてもらってばかり。だからね、すごく感謝してるんだ」


 そうそう、先輩にね。

 と思ったところで、早坂さんは突然、俺に顔を向ける。


「桐島くんに!」

「俺!?」


 すごい角度できたな! どう考えても先輩にありがとうっていうところだろ。

 しかし早坂さんは早口でまくしたてる。


「いつもありがとね。私が困ってたら絶対助けてくれるし、さりげなくフォローしてくれるし、励ましてくれるし、ほんと、桐島くんには感謝してるよ、これからもよろしくね!」


 それ全部先輩にいえよ、って感じだが、早坂さんは『私ってバカだあ、誰か止めて~』という泣き笑いの表情のまま俺に向かって話しつづけ、結局、いつもの早坂さんだった。


「桐島と早坂ちゃんってやっぱいいコンビだよな」


 恋人になったらいいんじゃないか? そんなニュアンスで先輩はいうのだった。

 そこでタイムアップ、映画の時間がきてカフェをでる。


「ごめんね桐島くん」


 シアターへと向かう途中、エスカレーターで早坂さんはつぶやくようにいった。


「緊張しちゃうとほんとダメなんだ」

「今日はがんばったほうだろ」

「桐島くんとふたりならうまくしゃべれるのにね」


 エスカレーターの二段前には先輩と橘さんがならんで立っている。すれちがう人にはちゃんとした恋人のようにみえるだろう。

 映画館に到着し、発券して、ポップコーンを買ってシートに座る。

 左から先輩、橘さん、俺、早坂さんの順で横ならびになって座った。ポップコーンは二つあって、やはり先輩と橘さんで一つ、俺と早坂さんでもう一つを共有した。暗黙のうちに、そういう組み合わせが完全にできあがっている。

 映画は青春を美しく描いたボーイミーツガールだった。

 青空の下、男の子が坂の上にいる女の子に向かって自転車立ちこぎで走っていく。

 そんなクライマックスのシーンを観ながら、やはり恋というのはこんなふうにさわやかにするのがいい、と思った。そのときだった。


『ちょ、早坂さん!』


 上映中だから、俺は声をださずに口を動かして伝える。

 早坂さんがひじ掛けのうえに置いていた俺の手を握ってきたのだ。


『暗いから大丈夫』


 早坂さんの口がそんなふうに動く。

 俺はちらりと左どなりをみる。

 橘さんも、その向こう側にいる先輩も、スクリーンに集中している。


「今日はいっぱいがんばったから、ご褒美ちょうだい」


 早坂さんが耳元でささやく。さすがにとなりに橘さんと先輩がいる状況ではな、と思って俺はいったん無視してスクリーンだけを観る。もうすぐ映画は終わる。

 でも、そうしていると早坂さんは耳に息を吹きかけてきたり、はむはむと耳を甘嚙みしはじめる。だんだん吐息が湿り気を帯びてきて、息づかいも荒い。やれやれ。

 仕方なく俺はその手を握り返した。すると早坂さんは暗い劇場でもすぐわかるくらい嬉しそうな顔になり、肩に頭を乗せて甘えてきた。早坂さんはくっつくのが好きなのだ。

 しばらく、そうしていた。

 しかしエンドロールが流れはじめたとき──。


「夏の合宿」


 ふいに早坂さんがつぶやいた。俺にだけきこえるような、小さな声で。


「私がでていったあと、あの部屋で橘さんとなにしてたの?」


 スクリーンの光に照らされるその顔はどこか虚ろだ。


「……なにもしてないんだよね?」


 感情のこもってない声でいわれて、俺は思わずうなずく。

 早坂さんの手に力がこもって、握られた俺の手は少し痛い。


「……橘さんとはなにもなかったんだよね?」

「…………ああ」


 俺がまたうなずくと、早坂さんの表情はみるみるうちに満面の笑みになり、そして「だと思った!」とでもいうような嬉しそうな顔で、腕にしがみついてくる。

 周りにきこえないよう、俺の服に顔を押しつけながらいう。


「うん、やっぱり桐島くんだ、最高の桐島くんだ、私だけの桐島くんだ、桐島くんが私を裏切るはずない、私バカだ、変なこと考えて、桐島くんは私を大切にしてくれる、桐島くんは私を受け入れてくれる、桐島くんは私を気持ちよくしてくれる──」


 早坂さんはずっと口のなかでつぶやきつづけていた。

 桐島くん、桐島くん、桐島くん、桐島くん、桐島くん…………。



 帰り道、俺は早坂さんをおんぶしていた。

 なぜこうなったのか。

 映画館の前で解散するとき、早坂さんは先輩に駆けよっていった。今日はありがとう、と伝えようとしたらしい。でも早坂さんはポンコツだから、だいぶ手前でずっこけ、さらには靴のヒールを折ってしまった。歩けなくなった早坂さんをみて、先輩はいった。


「桐島、頼んだぞ」


 体格からすると先輩が背負うのが一番なのだけど、橘さんがいる以上、先輩が早坂さんを背負うことはない。それに、先輩は俺と早坂さんをくっつけようとしている。


「じゃあな、俺はひかりちゃんを送っていくから」

「早坂さん、大丈夫?」


 橘さんがきいて、早坂さんが「うん」とうなずく。


「私ドジだから、こういうことけっこうあるんだ。平気だよ」

「それならいいけど。ねえ早坂さん、今度また一緒に遊ぼうよ」

「うん! 女の子だけで遊ぶの楽しいもん!」

「じゃあ、またね。部長もバイバイ」


 今日の橘さん、普段よりもさらに口数が少なかったな、と思う。

 そんな感じで解散となり、俺は今、早坂さんを背負って家路についているのだった。


「私、ほんとダメだぁぁぁ!」


 背中で早坂さんが声をあげる。


「暴れると落ちるぞ」

「うわあぁぁん!」


 両手両足を投げだしてジタバタする早坂さん。はずんだ胸が背中にリズミカルにあたるが、生地のしっかりした下着をつけているようで感触はそれほどでもない。どちらかというと、俺の体をはさみこむ太もものやわらかさに意識がいく。


「ちゃんとやろうとしたんだよ、先輩を振り向かせようとしたんだよ、ホントにホントに、がんばったんだよ!」

「わかってるって」


 早坂さんはぐずぐずと洟をすする。どさくさに紛れて俺の背中でふいているな。


「私は自分が情けないよ……」

「そんなことないって」


 なだめるようにゆらすと、早坂さんはだんだんと落ち着いてくる。

 夕暮れの街、今日という日の終わりを感じる。日が沈むのが早い。夏は完全に過ぎ去り、晩秋に向かっている。こうやって季節が移りかわるように、俺たちの関係も、俺たち自身も、ずっと同じではいられず、移りかわっていく。そう思った。


「ねえ、桐島くん」

「なに?」

「私、重くない?」

「別に」

「でも私、少し重い女の子だよね?」

「俺は大丈夫だから」

「えへへ」


早坂さんの腕に力がこもり、より強くしがみついてくる。街ゆく人たちが俺たちをみる。愛の重すぎるかわいいメンヘラ彼女を背負っている彼氏にみえているにちがいないが、事実そのとおりなのだから仕方ない。そして、それだけの好意を女の子から無条件に、大量に浴びせられるのはやはり嬉しい。

刊行シリーズ

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