わたし、二番目の彼女でいいから。2

第9話 門限破り②

 遊園地についてすぐ、橘さんはいう。噴水のある広場で記念撮影をすることもなければ、ショップでかぶり物を買うこともない。

 お化け屋敷を目指して、足早に歩く。とても事務的だ。


「そういえば橘さんのクラスはお化け屋敷だっけ?」

「まあ、そんな感じ」

「橘さんなにやるの?」

「お化け」


 白いワンピースを着て、長い髪を顔の前に垂らすらしい。


「似合うな」

「その勉強もする」


 言葉のとおり、橘さんはお化け屋敷に入るなり、じっくりと観察するように周囲をみまわしはじめた。古民家をモチーフにしたジャパニーズホラーだった。暗いし、おどろおどろしい音楽が流れている。でも、橘さんは平然としていた。


「橘さん、こういうの恐くないのか?」

「全然」


 特殊メイクをした和服の女の人が脅かしてきても、橘さんは逃げることなく、むしろ近づいてじっくり眺めたりする。


「ちょっとは驚いてあげろよ。お化けの人、困ってるじゃん」

「きゃー」

「棒読みなんだよなあ」

「それより部長、なんか腰引けてない?」

「そうか? 最近ちょっと姿勢がわるいからかな」

「さっきからずっと悲鳴あげてるし」

「発声練習だよ。のどの調子がわるくてさ」

「出口まで手引いてあげようか?」

「俺はそんなに情けなくないよ!」


 お化け屋敷は何事もなく終わった。女の子と自然にくっつける定番スポットなわけだけど、橘さんはホラー耐性強すぎるし、俺が手を引かれるのもなにかちがう。

 次の目的地であるイベントホールを目指して歩く。


「どうかした?」


 よそ見をしていると、橘さんがきいてくる。

 俺の視線の先にはアイスクリームの店があった。


「橘さん、ああいうの食べたくないかなって思ってさ。好きだろ、アイス」

「別にいいよ。遊びにきたわけじゃないし」

「そっか。そうだよな」


 次に向かったのは期間限定でおこなわれている脱出ゲームだった。

 俺たちが参加するゲームは、爆弾が仕掛けられた部屋に閉じ込められたという設定だった。

 用意された謎を解いていくと、部屋のロックを解除する番号がわかるというものだ。


「脱出成功率は十七%だってさ」

「難しいんだね」

「でも俺たちミステリー研究部だ」

「余裕だね」


 部屋に入り、着席する。司会の人の説明をきき、合図とともに謎解きを開始する。

 机の上に置かれたクロスワードの紙をみるなり、橘さんは瞬時に投げだした。


「私、こういうテストみたいなのはちょっと……アレルギーが……」

「仕方ないなあ」


 最後の解答にたどり着くまでには、いくつもの謎を解かなければいけない。他のチームがみんなで協力して最初のクロスワードを解くなか、俺はそれをひとりでやる。


「なんかクロスワードを解いたら、『カベヲミロ』って言葉がでてきたけど」

「ああ、あれじゃない?」


 橘さんが部屋の壁を指さす。

 派手な壁の模様のなかに、一つだけ数字がまじっていた。壁は広いのに、一瞬でたった一つの数字をみつけるんだから、やっぱり橘さんの観察眼はすごい。

 そうやって解錠するための数字をいくつも集めなければいけないのだが、すぐにタイムアップになった。


「惜しかったね」

「最終解答の十桁のうち、三つしか数字わかってなかったけどな」


 橘さんが謎解きの選り好みをするものだから、ほとんど進まなかった。

 それはそうとして、イベントホールから外にでたところで、俺は空をみていう。


「もう、日が暮れてしまったな」

「出発したとき昼過ぎてたしね」

「他になにかみるか?」

「帰る。私、門限あるし」


 ライトアップされた園内、恋人たちが手をつないで歩いている。そんななか、俺たちはジェットコースターにも観覧車にも目もくれず、出口に向かう。

 俺と橘さんのあいだには人ひとりぶんの間隔が空いている。


「生徒会長は文化祭で脱出ゲームでも企画しろっていってたけど、あんなのムリだよね」

「だな」

「やっつけの展示でもしてごまかそうよ」

「おすすめミステリー一覧とかつくって本でもならべとくか」

「ラインナップ考えたらメッセージで送ってよ。私、ポップつくる」


 事務的な話をしているうちに、俺たちは遊園地の外にでていた。

 駅に向かって、海岸線につくられた遊歩道を歩く。

 街灯に明かりがともって、海からの風が少し冷たい。


『門限あるし』


 言葉のとおり、橘さんは少し足早に俺の前をゆく。

 こういう曖昧な関係をずっとつづけていくのだと思った。

 橘さんとは部長と部員で、早坂さんともなあなあで、柳先輩とも今までどおり。

 それでいいと思う。やっぱり俺は先輩を裏切れないし、橘さんの今の家の状況を壊したくないし、なにより、俺は早坂さんをどうしていいかわからない。

 当初は、一番好きな相手と上手くいくときは俺と早坂さんの関係は解消するという約束だった。でも今、ドライにそれを実行できるかといわれたら──。

 そう考えると現状維持に着地する。

 橘さんのことは今でも一番好きだ。でも、もともと一番の女の子とは付き合えないというのが俺の哲学なわけだし、こうやって近くでみれるだけで十分だ。

 誰も傷つけず、橘さんとは適切な距離を保ったまま生活しよう。そう、思った。

 でも──。


「つまらないな、つまらないよ」


 橘さんがそういって、足を止める。そして振り返っていう。


「やっぱムリだよ、こんな三文芝居」


 さっきまでの気だるげで事務的な雰囲気とはうってかわっている。

 ドラマチックで、激しさと鋭さと、美しさを持つ女の子に戻っている。


「司郎くん、これ、デートだよね?」


 射貫くような視線で俺をみつめながらいう。


「いや、これはミス研が文化祭でなにをやるか考えるための視察って話だろ」

「めんどくさいよ、そういうの」


 だって、と橘さんはつづける。


「最初からミス研で活動できないってわかってるでしょ?」

「それは……」

「司郎くん、文化祭の実行委員なんだしさ」


 そうだ。

 後夜祭のステージ設営を担当している。それに、橘さんがクラスの企画のお化け役で忙しいことも知っていた。だから、文化祭で部の活動なんかできるはずがないことはわかっていた。


「それでも遊園地のチケットを手にとったのは、二人でお出かけしたかったからじゃないの?」


 橘さんの瞳がうっすらと濡れている。

 そして彼女はひどく感情的になっていう。



「私はさ、デートのつもりだったよ」



 芝居の時間が終わった瞬間だった。

 俺がみないようにしていたもの、気づかないふりをしていたものが、凜とした立ち姿の、しかしどこか儚げな橘さんによって、明らかにされていく。

 それは今日一日、橘さんがずっと胸に秘めていた言葉や、もしくは最後まで胸に隠しておこうとしていたはずの感情だ。


「本当は朝からきたかった。入り口で一緒に記念撮影したかった。おそろいのかぶり物して園内をまわりたかった。アイスも一緒に食べたかった。ジェットコースターにも観覧車にも、一緒に乗りたかった。でも司郎くんが部長と部員でいたがってたから、気のないふりしてた」

「橘さん……」

「ねえ、司郎くんは今日どういうつもりだった?」


 橘さんの瞳の奥にひどく寂しそうな、まるで少女のような不安がみてとれて、俺は思わずいってしまう。


「──デートだと思ってたよ」

「私が演技してることにも気づいてたよね? 私がデートのつもりできたって、最初からわかってたよね?」


 わかっていた。

 待ち合わせの場所に橘さんがあらわれたときから、そんなことはずっとわかっていた。

 先日、みんなで映画館にいったとき、橘さんはアホ毛が立っているのをキャップで隠して、ボーイッシュとはいえるけど、完全に手抜きした格好だった。

 でも今日、改札の前にやってきた橘さんはちがっていた。

 フリルのついたオフホワイトのブラウスにジャケット、リボンタイ、そしてスカート。どれも高級そうな生地で、よそ行きのお嬢様といった雰囲気だった。わかりやすいくらいに女の子で、髪も巻いているし、うっすらと化粧もしていた。


「なのに知らないふりするんだから、ひどいよね」

「……ごめん」


 俺だって、デートとして振る舞いたかった。

 でも気づかないふりをするしかなかった。俺と橘さんが感情のままに突っ走ってしまったら、必ず傷つく人がいる。俺の手には早坂さんの感触が残っているし、柳先輩との思い出だって心のなかにたくさんある。

 だから俺と橘さんの関係は曖昧なままにしておきたかった。でも──。


『別にいいけど』


 いつもならそういう橘さんが今、ひどく傷ついている。

 彼女の瞳からは、今にも涙があふれだしそうだ。


「昨日は寝れなかった」


 橘さんはいう。


「どうしたら司郎くんにかわいいっていってもらえるか、ずっと考えてた。クローゼットから服をいっぱい引っ張りだして、鏡の前で悩んで。動画で勉強して、ヘアアイロンも使った」

「橘さん……」

「これ全部なかったことにされるの──ちょっとつらい」


 俺たち四人のことを考えたら、いうべきじゃない。

 でも、とうとう橘さんの頰にひとすじの涙が流れて、だから俺は昼に集合したとき、駅の改札前でいえなかったことをいってしまう。


「今日の橘さん、すごく素敵だ。普段も素敵だけど、いつもより、きれいだ」

「司郎くん……」


 橘さんの表情が明るくなって、俺はやっぱり一番の女の子の笑顔がみたくて、橘さんと同じように今日一日いえなかったことをいってしまう。


「俺も朝からきたかったし写真も撮りたかった。かぶり物は少し恥ずかしいけど一緒にアイスも食べたいしジェットコースターも観覧車も乗りたかった。橘さんと一緒なら退屈なコーヒーカップだってかまわない」

「……コーヒーカップは退屈じゃないよ」

「それくらいデートしたかったってこと」

「だったらさ……」


 橘さんは目元をぬぐうと、照れたようにそっぽを向きながら、手を差しだしてくる。


「……手くらいつなごうよ」


 橘さんの手をとった瞬間、景色の解像度がいっきにあがった。

 世界に色がついたようだった。色彩のある世界。

 夕暮れ、海岸通りの道、等間隔にならぶ街灯。

 俺たちは嬉しい気持ちと、どこか物悲しい気持ちを抱えながら手をつないで歩いた。

 風が吹いて、橘さんは髪を押さえながらいう。


「とぼけたふりするのは好き。すべてを言葉にする必要もない。でも、これだけは、はっきりさせときたい」

「なにを?」

「私と付き合うかどうか」


 もうぼかさないで、と橘さんはいう。


「今、決めてよ」

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