わたし、二番目の彼女でいいから。4

第29話 健全早坂さん①

 俺たちの通う高校は進学に力を入れている。だから三年生は三学期になると週に一回の登校日の他は学校にやってこない。だから年が明けると学校が静かになる。


「私は特に思い入れのある先輩とかいないけど」


 閑散とした中庭をみながら、酒井がいう。


「それでも少し寂しいね」


 放課後、教室でのことだ。

 掃除当番で、机を拭いていた。他にも当番の生徒はいるが、廊下を雑巾がけしたり、ゴミ捨てにいったりして、教室にいるのは俺と酒井だけだった。


「次は私たちが三年生だね。進路希望書いた?」

「文系ってとこまでだけ」

「将来のイメージとかある?」

「難しい」


 昼休み、生徒会長の牧翔太が、教室で送辞の原稿をつくっていた。在校生が、卒業生に贈る言葉。牧の筆は『夢に向かってがんばってください』と書いたところで止まっていた。

 そして、いつになく感傷的にいったのだ。


『もう小学生の頃みたいにデカい夢語るのもリアリティないよな。そこまで子供じゃないし。かといって現実に妥協するにはまだ若い気もする』


 そのとおりだ。

 十七歳の俺たちはそろそろ将来のことを考えなくちゃいけなくて、でも大人になりきれなくて、いろいろ難しい。


「将来の目標を定めて、そこから志望学部を決めるのがいいんだろうけど、地に足をつけた実現可能そうな目標を賢く選ぶ感じになりそうで、それもどうなのかなって」

「ふうん、いろいろ考えてるんだね。でも今、本当に大事なのはさ──」


 酒井はとても真面目なトーンでいう。


「やっぱ恋愛でしょ」

「ストレートにきたな」

「恋のほうが絶対大事だって」


 酒井は、学校ではメガネをかけて前髪をおろし、地味な女の子を装っている。しかし本当は恋多き女の子で、とても自由な恋愛をしている。


「あかね、完全に桐島の彼女になったって思い込んでるね。そう考えないと、受け止められないんだろうね」


 早坂さんの認識は歪んでいる。

 俺は、抜け駆けしたほうが俺と別れるという早坂さんと橘さんのあいだで決めたルールを知らなかった。でも早坂さんのなかでは、俺がそのルールを知ったうえで橘さんとそれをしたということになっていた。

 ルールを知ったうえで橘さんとしたということは、橘さんと別れ、早坂さんを選んだということになる。

 それはどこまでいっても、早坂さんだけが信じる現実でしかない。でも──。


「今のあかね、かわいいでしょ?」


 酒井がいう。


「ちゃんとした彼女だったら、ああいう感じってことだよ」


 酒井のいうとおり、普通の彼女になったと信じる早坂さんは明るくて、屈託がなくて、かわいかった。

 授業中に目が合えば「えへへ」と笑うし、廊下ですれちがうときは女子の集団のなかから小さくピースサインをする。移動教室のときは、追い越しざまに「ど~ん!」といって軽くぶつかってきたりする。

 照れた感じで、控えめで、でも、小さな仕草のなかに特別な親しみがある。周囲にアピールすることもなければ、過剰なところもない。

 俺と早坂さんが普通に付き合っていればありえたかもしれない未来があった。


「あかねにホントのこといえる?」

「何度かいおうとした」


 でも、いえなかった。幸せそうな顔をしている早坂さんに「それ、まちがってるよ」とはいえなかったのだ。


「本人も心の奥底ではわかってるとは思うけどね」


 酒井はいう。


「あと、あかねの評判、ちょっとわるくなってるよ」


 文化祭の一件で、俺と橘さんは全校生徒公認の恋人になっている。

 今の早坂さんは、彼女持ちの男子に色目を使う女の子に映ってしまっている。


「前とちがって、やりすぎないところに妙なリアリティがでちゃってるんだよね。まあ、本人は自分が桐島の彼女って思ってるから当然なんだけど、ほら、女子って他人の男にちょっかいかける女子のこと好きじゃないからさ。それに橘さん、女子人気高くなったでしょ? みんな橘さんの味方したいんだよね」


 早坂さんの態度に対して、首をかしげる女の子たちがでてきているらしい。

 また、早坂さんは清楚なアイコンとして扱われているから、現状を知られたら、幻想を抱いていた多くの男子たちもその反動でなにをいうかわからない。

 今のところ、休み時間に俺とベタベタしすぎる空気になると、酒井がやってきて、早坂さんの襟をつかんでずるずると引きずってどこかへと連れ去ってくれる。

 そのときの早坂さんは、「なんで~? あやちゃん、なんで~?」とジタバタしながら、本当にわからないという顔をしている。


「で、どうするわけ?」


 酒井がいう。


「橘さんは初めて捧げて絶対引かない。あかねは現実曲げて、自分の評判落としながらも彼女になったつもりでいる。けっこうまずいと思うけど」


 そのとおりだ。でも俺だって無策というわけではない。


「桐島ソフトランディングプランを実行する」

「ん? もう一回いってみて」

「桐島ソフトランディングプラン」


 この恋を軟着陸させるための計画。


「それ、具体的になにすんの?」

「ふたりに冷たくする。嫌われるように」

「恋の熱が冷めて、修羅場にならないって計算?」


 ちなみにこの計画は、病室で浜波にも説明済みだ。


『学びがない!』


 浜波は絶叫していた。


『先輩の計画が上手くいったことなんてないでしょ!』


 酒井もかわいそうな子をみるような目で俺をみる。


「そのIQゼロの計画、ホントにやるの? 結果、先に教えてあげようか?」


 でも酒井は俺の本当の意図を察したようだった。

 神妙な顔つきになり、あごに手をあてて、少し考えてからいう。



「もしかして、それ、別れの予行演習?」



 誰にも語っていない東京駅での真実がある。

 それを考えれば、俺たちの恋はもういきつくところまでいってしまっていた。

 だから俺は退院して、登校してからすぐ、ふたりを別々の場所に呼びだしていった。


「俺、ちゃんと選ぶよ。クリスマスにいったみたいに」


 でも、彼女たちは話を全然きかなかった。


「桐島くんはちゃんと私を選んでくれたよ?」


 ありがとね、と早坂さんは幸せそうに笑った。

 橘さんは、話の途中で抱きついてきた。


「私、もう司郎くんの女の子だよ。選ぶ以上のこと、司郎くんはしてくれたんだよ」


 結局のところ、俺がどちらかをめちゃくちゃに傷つけて、切り捨てて、そうすることでしかこの恋の結末は訪れないのだと思った。

 相手に冷たくするという桐島ソフトランディングプランは、別れに向けた準備だった。俺の好感度が下がっていれば、ふられてもさほどショックを受けないかもしれない。

 そしてこれは、俺が女の子を傷つけるための予行演習でもあった。


「そんなこといって、ずるずるいっちゃうんじゃないの?」


 あの日、放課後の教室でプランについて説明したあと、酒井にそういわれた。だから俺は、期限を決めた。


「スキー学習をリミットにする」


 俺たちの高校では受験に集中するため、三年生に学校行事はほとんどない。二年生の三月初旬にあるスキー学習が最後のイベントになっている。


「なるほどね、ふたりの将来を思えばこそ、か」


 早坂さんの学力からいえば難関大学が視野だし、橘さんに至っては入るのが最も難しいとされる芸大で、ピアノの実技試験まである。

 三年生になる前に、決着をつけるべきだ。ふたりの未来が幸せであってほしい。


「どんな状況でもスキー学習の最後の夜には選ぶつもりだ」

「選ばれなかったほうをめちゃくちゃ傷つけることになったとしても?」

「ああ」


 誰も選ばず、全員バラバラになることも考えた。でも誰かが不幸になるならみんなで不幸になりましょうというのは、ひどく欺瞞的に思えたし、これまでの彼女たちの感情をないがしろにするものでしかない気がした。


「どっちを選ぶつもり? どっちを傷つける?」

「それは──」


 とても難しい問題で、ふたりに冷たくしてソフトランディングプランを実行しながら決めるつもりだった。どちらかひとりが俺のことを嫌いになって離れていく場合もあるだろうし、プランが効きすぎてふたりともいなくなる可能性すらあった。でも、それでもかまわなかった。

 これ以上、この現状をつづけることはできない。


「桐島、ホントに終わらせる決意したんだね」

「ああ」

「まあ軟着陸できるかがんばってみなよ」


 酒井がいう。


「どうせ最後はハードランディングになると思うけどさ」



 俺はさっそく桐島ソフトランディングプランを実行に移すことにした。別れに向けて相手に冷たくするという大変ひどいアクションではあるが、決めたからには暗い気持ちでやっても仕方がない。とても前向きに、ポジティブに実行するべきだ。


「桐島くん、お弁当つくってきたよ~」


 昼休み、早坂さんがランチボックスを持って俺の席にやってくる。早坂さんは自分が彼女だと思い込んでいるので、怪訝な顔をするクラスメートたちのことなんか気にしない。

 いつもなら早坂さんの手を引いて人目のない場所に逃げるところだが、そういうことをするからずるずるいってしまう。だから俺は毅然とした態度でいう。


「俺、購買のパン食べたいから」


 早坂さんの目の前で立ちあがり、購買へいく。パンを買って戻ってきてみれば、早坂さんは自分の席で机の上に置いたランチボックスを悲しそうな目でみつめていた。教室に戻ってきた俺をみると、表情を明るく切り替えて、けなげにいう。


「桐島くんに美味しいって思ってもらえるよう、明日からもっとがんばるね!」


 俺の体は勝手に動いていた。

 早坂さんの席へいって、ランチボックスをピックアップする。


「晩ご飯に食べていい?」

「……えへへ、ありがと」


 やっぱり早坂さんは笑ってるほうがいい。


「みて~桐島くん、買ったの~」


 ある朝、通学路で早坂さんが話しかけてきた。みれば、カバンにかわいらしいぬいぐるみのキーホルダーをつけている。


「私、このキャラ好きなんだ~」

「俺は嫌いだな」


 とても冷たくいいはなつと、翌日から早坂さんはキーホルダーをつけてこなくなった。

 教室で俺がその寂しくなったカバンに目をやると、早坂さんはなんともいえない無理やりつくった笑みを浮かべた。

 その次の日、俺は気づけば、早坂さんが好きといったキャラクターのぬいぐるみキーホルダーを二色用意していた。一つを自分のカバンにつけ、もう一つを早坂さんに手渡す。

 人気のない帰り道でのことだったから、早坂さんは感情を爆発させて俺に抱きついてきた。


「ありがとう! 一生大切にするね!」


 俺は軟弱野郎だ。まったく早坂さんに冷たくできない。一瞬できたとしても、すぐにフォローしようと体が勝手に動いてしまう。

 ダメだ。もし橘さんを選ぶことになれば、もっとひどく早坂さんを傷つけるのだ。けれど、俺はもう早坂さんに冷たくすることはできないんじゃないか。そう確信してしまう出来事が起きる。

 ある日、電車で一緒に帰っていたときのことだ。

刊行シリーズ

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