わたし、二番目の彼女でいいから。6
第9話 平気だよ②
最初からわかったうえで、遠野の誘いを受けたという。
「福田くんいい人だし、桐島くんがいるからって遊ばないのも変だもん。私だっていつまでも彼氏がいないってのもどうかと思うし。出会いを大切にするのが普通じゃない?」
つまり、早坂さんは俺に会いにきたわけではない、といっているのだ。
「だから桐島くんは遠野さんと仲良くしていいんだよ。変に気を使わなくていいからね。そういうほうがヤだもん。だって私、桐島くんのこともうなんとも思ってないし」
俺たちが入った中華料理店は大学生がよくくる、いわゆる街中華と呼ばれるリーズナブルな店だった。
「福田くんはこういうお店によくくるんだね」
早坂さんがいって、福田くんは恥ずかしそうにうつむく。
「うん。桐島くんが教えてくれたんだ。あまりお金がなくて、他に店を知らなくて……」
「すごくいいと思う。私、こういうお店に入ってみたかったんだ」
そういいながら早坂さんが視線を送ってくる。『私が褒めたのは福田くんのセンスであって、桐島くんじゃないからね』というメッセージ。わかってる、と俺はうなずく。
テーブルに座り、食事をしながら会話をする。
福田くんはかなり緊張していて、言葉に詰まりがちだった。そこで遠野が助け舟をだすというパターンで和やかに進んでいく。
「福田さんは花を育てるのがうまいんです。ヤマメ荘の前の花壇はとてもきれいで、福田さんの心がやさしいからお花もすくすく育つんです!」
いったあとで、遠野がなにやら閃いた顔をする。
「やさしいといえば、やっぱり彼氏にするならそういう人がいいですよね~」
早坂さんの顔をみながらそんなことをいう。
おいおいそれは強引すぎだろって感じだが、遠野はチームがピンチのときに無理やりスパイクを叩き込んで局面を打開するタイプのプレイヤーだった。
「そうだね~やさしい人がいいね~」
お茶を飲みながらうなずく早坂さん。遠野は、「よし!」という顔になる。
「早坂さんは彼氏とか欲しくないんですか?」
「いてくれたらよかったのに、って思うことは多いよ」
「か、彼氏はいいですよ!」
そういいながら、遠野がまた俺にくっついてくる。となりの芝生宇宙作戦だ。
早坂さんはにこにこした顔でそれをみている。
「一緒にいて楽しいですし、なんだか心があったかくなりますし、好きって気持ちが通じあって……」
遠野はいいながら自分で照れて、もにょもにょする。
「桐島くんのことが好きなんだね」
早坂さんがいって、遠野が、「はい」と顔を赤くしながらこたえる。
「自分で料理とかするのめんどくさいって思ってたんですけど、桐島さんのためだと思うと、やる気が湧いてくるんです」
そこで遠野が俺をみる。となりの芝生イチャイチャ宇宙作戦をやれといっているのだ。だから俺はいう。
「遠野の料理はとても美味しい。毎日食べたいくらいだ」
「桐島くんは遠野さんの料理が好きなんだね」
早坂さんがふんわりとした笑顔を俺に向けてくる。
「やっぱり一番美味しい?」
「ああ」
「今まで食べた手料理のなかで?」
「あ、うん……」
「今までっていうのは、高校生のときも含んでいるんだけど、それでも?」
「え? それはえっと……」
「ふうん、あ、料理きたね。私が取り分けるよ」
早坂さんは手際よく麻婆豆腐を小皿に取り分けていく。そしてひとつの小皿に、テーブルの上にあった真っ赤な豆板醬をもりもり入れる。その激辛麻婆豆腐の小皿が置かれたのは当然、俺の前だった。
「はい、桐島くん」
「あ、ありがとう」
俺はくちびるを腫らしながら食べる。そのとなりで、遠野はしっかりと大道寺さんから授けられた策を実行する。
「今はまだ秋になったばかりですが、冬になればクリスマスですね~」
そう。クリスマスまでには彼氏をつくっておきたいという世間でよくいわれる心理を煽る作戦だ。クリスマスに恋人と過ごしたいなら、この大学祭のある秋のシーズンから動きだす必要がある。
「遠野さんは桐島くんと過ごすんだよね?」
早坂さんがきいて、遠野が、「はい!」とこたえる。
「私は初めて恋人と一緒にクリスマスを過ごします。きっと、人生で一番素敵なクリスマスになると思います! ね、桐島さん!」
遠野がテーブルの下で俺の太ももをつつく。さすがに遠野の手前、作戦を実行しないわけにはいかず、俺はまたこたえる。
「ああ、とても素敵なクリスマスになると思う」
そこで早坂さんが俺にたずねてくる。
「桐島くんも遠野さんと同じで、次のクリスマスが人生で一番素敵なクリスマスになると思う?」
早坂さんの笑顔にプレッシャーを感じるのは気のせいだろうか。
「人生っていうのはさ、当然高校時代も含まれるわけだけど?」
「えっと、まあ、うん……」
「ふうん。あ、また料理きたね。チンジャオロース美味しそ~」
そういって、また小皿に取り分けてくれる。俺の前に置かれた小皿にはピーマンがひと欠けらあるだけだった。
遠野と早坂さんの会話はつづく。
「早坂さんも彼氏ができれば、絶対楽しいですよ!」
「好きな人と一緒にいるってのはそういうことだよね」
「はい。桐島さんは今まで出会ってきた人のなかで一番好きな人です!」
「一番かあ」
そこで早坂さんがまた俺に話をふってくる。
「桐島くんも遠野さんが一番好き? 今まで出会ってきた人のなかで」
「いや……」
さっきから俺を追い込もうとしてない? 自分から迎えにいってない?
いずれにせよ俺は遠野の恋人で、イチャイチャ作戦中でもあるし、なにより早坂さんも変に気を使わないでといっていたから、俺はいうべき言葉を口にする。
「遠野が好きだよ。今まで出会ってきた人のなかでいち──イタッ!」
言葉の途中で、俺は悶絶する。テーブルの下、足のすねに衝撃が走ったのだ。
「ごめんごめん」
早坂さんはやはり天使のような笑顔でいう。
「足、あたっちゃった。大丈夫?」
「ああ……大丈夫……だ!」
俺がデザートのゴマ団子を食べることはなかった。
「桐島くんいらないってさ。福田くんが食べなよ」
早坂さんがそういって皿を移動させる。
その様子をみて遠野はガッツポーズした。
「福田さんにゴマ団子を多くわたしている。これは……好感度が上がっている証拠です! 作戦は成功しています!」
◇
夕方、ヤマメ荘に向かって歩いていた。
『明日の授業の準備があるから』
早坂さんはそういって、電車で海辺の街へと帰っていった。
「早坂さん、ちゃんと楽しんでくれましたよね?」
遠野がいって、「そうだな」と俺はこたえる。
作戦が成功したかはわからない。けれど、早坂さんが福田くんに対して恋愛感情とはいかないまでも、好意的な感情を抱いていることはまちがいなかった。
中華料理店で食事をしたあと、俺たちはいろいろなスポーツが手軽にできるアミューズメント施設にいって、バスケットコートで二対二をして遊んだ。当然、チーム分けは俺と遠野、早坂さんと福田くんだ。
俺が遠野に背中を押されながらストレッチをしているのをみて、福田くんは少し戸惑っていた。チームメイトとするのが自然な流れだが、早坂さんにさわっていいかわからなかったのだ。
そのとき、早坂さんはいった。
『背中、押そうか?』
そして福田くんがコートに座り、早坂さんが背中を押した。福田くんは明らかに緊張していた。多分、特に意味もなく息を止めていたと思う。交替して早坂さんの背中を押しているときは手が震えていた。
「桐島さんは『痛い、痛い!』ってうるさかったですね~」
「なんのことだろうか」
「体かたすぎです!」
俺のストレッチ事情はともかく、試合も盛りあがった。着流しの俺が足を引っ張りまくっても、遠野が点を決めまくる。早坂さんは意外と負けずぎらいなので、『も~オコッタ!』とがんばりはじめる。点が決まると、早坂さんは福田くんとハイタッチして大喜びしていた。
「なにも意識していなかった幼いころをのぞけば──」
夕暮れに染まった帰り道、福田くんはいう。
「僕は初めて女の子にさわったかもしれない」
彼は男ばかりの農業高校で女の子と無縁の生活を送ってきた。大学に入っても住んでる場所はヤマメ荘、遠野や宮前と狭い部屋で遊ぶときも体があたらないように遠慮していた。
「福田くんは奥ゆかしいからな」
「好きな人とふれあうっていうのはとても素敵なことだ。よくわかったよ」
でも、と福田くんは不安そうな顔をする。
「早坂さんはイヤじゃなかっただろうか……僕はたしかに早坂さんのことが好きだけれど、そのことで彼女の迷惑にはなりたくないんだ」
どこまでも控えめな福田くん。
「大丈夫ですよ」
遠野がいう。
「早坂さんが少しでもイヤそうだったら、私はいかに福田さんのためとはいえ、この作戦を中止していました。でも私がみる限り、早坂さんは本当に楽しそうでした」
「俺もそう思う」
早坂さんはあのころより大人で、多分、自分がイヤだと思う男からうまく逃げるやりかたをちゃんと身につけている。
「早坂さんはすごくガードのかたい人です。そんな人があれだけ楽しそうにするんです。恋愛感情があるかまではわかりません。でも、少なくとも友だちとしては千点満点で受け入れられているはずです!」
福田くんは、「それならいいんだ」と照れたようにはにかんだ。
それから俺たちはいつも魚を焼いている私道まで帰ってくる。遠野は手をふって小ぎれいなマンションの北白川桜ハイツの自室へと帰ってゆき、俺と福田くんはその向かいにある貧乏アパートに入っていく。
「桐島くんありがとう」
となり同士の、それぞれの部屋に入ろうとしたところで福田くんがいう。
「僕のためにいろいろしてくれて」
「福田くんが俺にしてくれたことを思えば、まだなにもしてないのと同じだ」
「それでも、ありがとう。桐島くんは最高の友だちだよ」
こういうことを素直にいえてしまうところが、福田くんのすごいところだ。
「じゃあ」
俺は自分の部屋に戻り、豆を挽いてコーヒーをいれる。読みかけの本があったので、それを読みながらコーヒーを飲む。少しお腹がすいて、部屋にあったカステラを食べた。
二時間かけて本を読み切ると、窓の外はもう真っ暗になっていた。時計をみて、ヤマメ荘の外にでる。下駄に着流しでは少し寒い。そろそろ羽織が必要かもしれない。そんなことを考えながら、俺はそのままバス停にゆき、バスに乗る。
夜のバスには独特の空気がある。どことなく物悲しく、孤独で、でもそれを許してくれるような雰囲気。窓の外を京都の夜の風景が流れていく。人々は家に帰り、旅人は観光を終える。
終点の京都駅でバスを降りる。
駅ビルの階段の前で、その女の子は俺を待っていた。
「遅刻じゃない?」
「バスは時間が読みにくいんだ」
早坂さんだった。昼間と変わらない姿でそこに立っている。
「じゃあ、話そっか」
早坂さんはさっぱりした表情でいう。
「橘さんについて」