わたし、二番目の彼女でいいから。6

第9話 平気だよ③


「ここ、ちょっと狭いね」

「混んでるから仕方ないな」


 早坂さんと入ったのは駅近くのビルに入っているカフェだった。夜の京都タワーがみえる窓際のカウンター席、ふたり横並びになっている。

 店が狭いこともあり席と席の間隔をあけられず、俺と早坂さんは完全に密着していた。

 右半身で、早坂さんの体を感じる。温かい体温とやわらかさ。いい香りだってする。

 足もしっかりあたっていて、俺は思わず早坂さんの太ももをみてしまう。ショートパンツとニーハイソックス、そのあいだにのぞく白い肌。

 早坂さんは京都の街でも人目を惹く女の子だった。かわいらしい雰囲気と、どことなく漂う色っぽさ。昼間も、道ゆく人はそれとなく早坂さんに視線を送っていた。


「……ま、いっか。桐島くんだし」


 早坂さんは俺に密着していることは気にしないことにしたようだ。

 そして、そのまま話しはじめる。


「私が京都にきたのは純粋に遠野さんと遊びたかったのと、福田くんがいい人だから。桐島くんに会いにきたわけじゃないんだよ」


 そこで早坂さんはすねた顔をする。


「なのに桐島くん、まるで私がまだ好きみたいな顔するんだもん。ヤんなっちゃうよね」

「足のすねがなんだか痛むんだけど」

「あんなの遊びだよ。桐島くんを困らせたかっただけ」


 たしかに早坂さんはそういう遊びをする女の子だ。

 そこで店員さんがコーヒーを運んでくる。カウンターに置きやすいように早坂さんが体をよけ、そのせいで、そのやわらかい体がまるで恋人のように寄り添ってくる。ニットで強調された、大きな胸元。

 店員さんがいったあとで、早坂さんは体を元に戻していう。


「桐島くん、今どこみてたの?」

「い、いや……」

「桐島くんは遠野さんがいるんだから、私とこれだけくっついても、なにも感じたりしないんだよね?」

「それ、どうこたえるのが正解なんだ~?」

「遠野さんさえいればいいんだよね?」

「そういうことにはなるが……」

「遠野さんに比べれば、私なんてなんの価値もない女の子だよね? 魅力なんてなにもないよね? 私なんかじゃそういう気持ちになれないんだよね?」

「よくないと思うなあ!」


 早坂さんはなにくわぬ顔でコーヒーを飲みはじめる。あのころは紅茶しか飲めなかった。でも、今ではコーヒーをブラックで飲める女の子だ。


「冗談はさておき、さっきいったとおり、私が京都にきたのは遠野さんたちと遊ぶため」


 そしてもうひとつは、と早坂さんはいう。


「橘さんのため」


 早坂さんは遠野とやりとりするなかで、遠野から橘さんの話をきいた。となりに引っ越してきた、ピアノを弾く言葉を話せない女の子。


「桐島くん、まだ橘さんと会ってないでしょ?」

「ああ。遠野の話だと、あの部屋を使うのはもうちょっと先らしい」

「驚きだよね。京都じゃなくて、東京の芸大生だったなんて」


 遠野は最初、橘さんのことを京都市内の芸大生だと推測していたし、俺もそう思っていた。

 しかし、それはちがっていた。

 遠野は橘さんと仲良くなって、すでに一度食事にいっている。そのときに教えてもらったのだという。

 橘さんが京都ではなく、東京の芸大の音楽科の学生であること。年齢より一年遅れて入学したこと。そして学生ながらすでにいくつも演奏の依頼があり、そのため関西の活動拠点が必要となって、桜ハイツの部屋を借りたということ。

 ちなみに橘さんは言葉を話せないので、首からさげたホワイトボードに文字を書いてそれらを語ったらしい。


「ヤマメ荘の向かいにきたのは偶然っぽいね」


 でも、と早坂さんはいう。


「大阪じゃなくて京都を拠点にしたのは桐島くんに会うためだよね?」

「ああ」


 橘さんは遠野にあれこれきかれ、ホワイトボードにこう書いたという。


『好きな人に会いにきた。私、謝らなくちゃいけない』


 そして、会いにきたのは俺だけじゃなかった。


『京都から少し遠いところに、私が傷つけた人もいる。会って、謝りたい』


 それはきっと早坂さんのこと。

 ただ、橘さんはしゅんとした様子で、こうも書いたらしい。


『ふたりに会うのが、少しこわい』


 遠野と食事をしたときの橘さんの様子をきいて、早坂さんは少しのあいだ、黙り込んだ。


「私、橘さんのこと、なんとなくわかるんだ」


 窓からみえる夜景を眺めながら、早坂さんはいう。


「橘さんは桐島くんが遠野さんと付きあってるって知っても、それをジャマしたりしないよ」


 でも、と早坂さんはつづける。


「深く傷つくと思う。だって、あの子、純粋なんだもん。私たちみたいに、新しい恋をしようとか、そんなこと考えたこともないと思う。あのころの好きって気持ちを、子供がビー玉を宝物みたいに扱うように大切に持ちつづけて、それが自分だけだって気づいて、ひどくショックを受けると思う」


 そのとき、声を失った橘さんは声をあげることができない。


「だからね、橘さんのとなりにいて、抱きしめてあげたいって思うんだ。私は橘さんの気持ちがわかるから」


 それが、早坂さんの京都にきた理由のひとつだった。


「これからちょくちょく京都にくるね。遠野さんに誘われてるし。それに──」


 そこで早坂さんは困ったような笑顔でいう。


「平気だから」


 俺と遠野がイチャイチャしててもなにも気にならない、と早坂さんはいう。


「だって、もう桐島くんのこと好きじゃないし、なにも思わないよ。ちょっとくらい、そういうフリして桐島くんを困らせて遊ぶことはしてもさ」

「そうだな」

「桐島くんこそ平気? 私が誰かと付きあっても。例えば、福田くんとか」


 中華料理店の、テーブルの下でのキック。たしかにあれは早坂さんなりのコミカルな遊びだったのだろうけど、それとはまた別の想いが含まれていることも知っている。それは海辺の街で、三年前のクリスマスにあげた指輪をしていたようなニュアンスのもの。

 でも俺たちは、言葉や態度にあらわすべきじゃないものや、自分のなかに湧きあがった感情を無視しなければいけない瞬間があることを知っている。

 だから俺はバスケットコートで早坂さんが福田くんと仲良くしているのをみたときの気持ちや、今まさに早坂さんの体温を感じながら自分のなかに湧きあがってくる想いには目をつむっていう。

 早坂さんが新たに誰かと付きあっても、それが福田くんでも──。



「平気だよ」

刊行シリーズ

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