わたし、二番目の彼女でいいから。6
第10話 ダメな女の子①
「早坂先輩が大人!」
浜波が絶叫する。声を張っているのはツッコミテンションというわけではなく、居酒屋でお酒が入っているのと、周りもうるさいからだ。
授業が終わったあと、俺は大学祭のステージのために構内の練習場に集まり、有志のみんなと一緒に和太鼓の練習をした。そして実行委員が当日の衣装である法被を人数分持ってきたのだが、そのなかに浜波がいたのだ。
浜波は高校でも文化祭の実行委員をやっていて、大学でもやっていることになる。
「お祭り女だなあ」
「法被を着て和太鼓叩く人がなにいってるんですか」
そんなやりとりをして、とりあえず飲みにいきましょうかという流れになり、大学近くの沖縄料理の居酒屋に入って会話をしているのだった。
「つまり早坂先輩は、桐島先輩と遠野さんが恋人であることを祝福する。そのことにショックを受けるであろう橘先輩のフォローもする。そして自分は新しい恋をするわけですね」
「早坂さんはそれを『早坂プラン』と呼んでいた」
「う~ん」
浜波が海ブドウを食べながら難しい顔をする。
「高校のときなら、『早坂先輩のポンコツプランなんて絶対失敗しますよ!』と声を荒らげていたところですが、たしかに海で出会ったときの早坂先輩は大人になられていましたし、プランどおりになる未来もあるのか……いや、色気がでちゃってるぶんそれがどう働くかは……」
うんうんと唸りながら、意外と丸く収まるかもしれませんね、と浜波はいう。
「橘先輩もしっかり大学生やってるみたいですし」
そういってスマホの画面をみせてくる。映しだされているのは橘さんのSNSだった。
同じ芸大の映像科が主催する上映会に参加したときの風景とか、謎のオブジェとか、思い立って学友たちと海にいったときの画像なんかがあげられている。
「芸大生って感じだな~」
音楽科の仲間と思われる五人くらいと橘さんが一緒に映っている画像が多かった。橘さんはいつも端っこにいて、しれっとした顔でピースサインしている。
「橘さんも成長してるんだな」
高校のころはどちらかというと孤高の女の子だった。でも今は友だちがいて、楽しそうな大学生活を送っている。
「橘先輩が、がんばろうって自分で決意したんですよ」
浜波がSNSの日付けをさかのぼっていく。どうやら橘さんは高校を中退したころにこのSNSを開始したようだった。そして、中退後の橘さんは意外とお茶目だった。
最初の書き込みはこれだ。
『リビングで死んだふりをしていたら、お母さんがゲームを買ってくれた。ポテチを食べ、コーラを飲みながら朝まで遊んだ。妹に怒られた』
そこからは橘さんの自堕落な生活の日記になっていた。おやつを食べ、ゲームをする。
アップされる画像はゲームの画面ばかりだった。プレイヤーの腕前のランクがどんどん上がっていく。でも、ひと月ほどしたところで、ちょっとだけ状況が変わる。
『試験を受ければ高校を卒業したのと同じになって、大学にいけるらしい。お母さんがとぼけたふりして資料を机の上に置いていった。ニートを楽しんでいるのがバレてしまったようだ』
そこから、勉強しようとする書き込みがつづく。
『妹が参考書をいっぱい買ってきた。家族で私を包囲する気だ』
『今日はがんばって一時間も勉強した。ゲームは七時間した』
『天才だ。とても難しい問題を解いた。私の時代がきている』
『どうやら昨日解いた問題は高校一年レベルらしい。習った記憶がない』
橘さんは相変わらず、勉強がキライな女の子だった。勉強以外のことを模索した気配もある。
『料理と掃除をがんばった。家事ができれば将来、妹が養ってくれるかもしれない。それをいうと、妹は本気でおびえていた』
『ピアノを弾く動画配信なんかはどうだろうか。コスプレをして、胸を強調しながら弾いている人の再生数がすごいことになっている』
『やっぱりピアノ配信はやめておこう……私の胸はとても大きいけれど、世間の人たちはみる目がないから、再生数が伸びないかもしれない』
そんなコミカルな書き込みがつづくが、ある時点で流れが変わる。
『このままじゃダメだ。やっぱりちゃんと大学で音楽を学びたい』
『私は人を傷つけた』
『大学にいって、ちゃんとした女の子になる。それで、会いにいく。会ってどうなるかはわからないけど、傷つけた人たちに謝りたい』
そこから橘さんはしっかり勉強をして、大検に合格して、一年遅れで芸大に入学した。
そして感性を磨き、仲間をつくり、関西で活動拠点を持つまでになったのだ。
「どんな音楽活動をしているかはSNSではわかりません。みつけられなかったので、きっと本名の活動ではないんでしょう」
いずれにせよ、と浜波はシークワーサーサワーをちびちび飲みながらいう。
「言葉を失っているときいたときは驚きましたが、それなりに楽しくやっているようです」
「ニート生活も満喫したみたいだしな」
「橘先輩も大人になっている印象です。だから、桐島先輩に新しい恋人がいると知れば、身を引くような気がします」
でも、と浜波はつづける。
「早坂先輩のいうとおり、ひどく傷つくと思います。橘さんがちゃんとした女の子になろうと思ったのは、桐島さんと早坂さんに会うためなんですから」
このままいけば、俺は遠野を介して近いうちに橘さんに会うことになる。そのとき、俺はどんな言葉を口にすればいいのだろう。
「そんな橘さんに寄り添うための早坂プランというのは、なかなか説得力があるように感じますね……」
「ああ。それで、きっとうまくいくんだろう。浜波のツッコミも必要なくなるな」
「もう浜波警察しなくていいんですね」
「俺たちは大人になったんだ」
「少し寂しい気もしますが、そのほうが絶対いい──」
そこで浜波の言葉が途切れる。
「どうした?」
「いってるそばから浜波レーダーが反応しています! 美人指数カウントストップ、めんどくさい係数インフィニティ! これは浜波警察出番の気配! でも早坂先輩は海辺の街に戻ってますし、橘先輩はまだ東京にいるはずで、一体どこに──」
浜波はきょろきょろと顔を動かす。そして。
「いたー! 大人になってないダメ女いたー!」
指さしたのは同じ居酒屋のなかのテーブル席。
みれば、色素の薄い美人な女の子が男に囲まれ、大量のお酒を飲まされている。金髪に青い瞳、整った顔つきとは裏腹に、かわいらしい雰囲気のある表情。
宮前しおりだった。
◇
夏にみんなで海にいった。宮前はそのあと一眼レフカメラを買って、一時期所属していた写真サークルに復帰した。かつて、部長が同じサークル内にいた彼女をふって宮前にアプローチしたことからいづらくなって辞めたが、部長がいなくなったので戻ったのだ。
「私もちゃんと人とつながれるようにならないといけないしさ」
でも、宮前はその容姿のせいで、周囲からはいつも恋愛対象として扱われてしまう女の子だ。
今回だってそうなる可能性は高い。
「なんとかする。でないと前と同じ繰り返しだし」
それに恋愛対象としてみられてもいい、と宮前はいった。
「彼氏つくらなきゃだもん。桐島は遠野のものだし」
あの夏、宮前は俺に対してほのかな恋心を抱いていた。一緒に九州にいって、宮前を育てたおばあちゃんにも会った。でも遠野が俺のことを好きと知っていたから、遠野にはその気持ちを隠しとおし、俺にも遠野と付きあえといった。
「桐島は友だちだから。ずっと友だちでいてくれたら、それでいいんだ」
そんな感じで新しい自分になるべく、宮前は活動をはじめた。彼氏つくらなきゃという言葉に噓はなく、合コンなんかにも顔をだしている。
その宮前が、俺と浜波のいる居酒屋で、男たちから酒をいっぱい飲まされていた。
「合コンの二次会って感じですね」
浜波がいう。
「宮前さん目当ての男たちが、彼女だけを連れだしたんでしょう。しかし大丈夫ですかね」
オシャレで今風な男が三人、宮前の左右と正面を囲みながら、ひっきりなしにジョッキを差しだしている。
「さっきお手洗いにいったとき、あのテーブルの男たちがしゃべってた」
「なんかいってました?」
「あんな美人なかなかいない、絶対持って帰るぞ、めちゃくちゃにしてやろうぜ、って」
うわあ、見た目は好青年風なのに、とドン引きする浜波。
「宮前さん、変な男に引っかかるタイプだとは思ってましたが、想像以上ですね。とりあえず助けますか?」
「いや、もう少しだけ様子をみよう。自分でなんとかするかもしれないし」
「もしかして、こういうことって何度もあります?」
「まあ、これで四、五回目ってとこ」
宮前から直接迎えにきてと着信があったこともあるし、飲み会に一緒にでた女の子からヤマメ荘のボロボロの固定電話に宮前ピンチの報せがくることもある。
「自分でなんとかできるようにならないとな。俺がいつまでもそばにいれるわけでもないし」
「ですね」
ということで、宮前の様子を見守る。
「今から俺の家こない? ゆっくりソファーに座って飲もうよ」
男のひとりがいう。でも宮前は酔った顔をしながらも首を横にふる。
「いかないよ~」
「なんで?」
「簡単に男の人の部屋にいっちゃいけない、って友だちにいわれてるんだあ」
事前に宮前に釘を刺しておいたのだ。
いいぞ宮前、よくわかってるじゃないか。
「そっかあ。俺の飼ってる犬、めっちゃかわいいから宮前ちゃんにみせたかったんだけどなあ」
「犬? みたい! 部屋いく!」
おい、チョロすぎるだろ、と俺は思う。
しかし──。
「ううん、ダメ。やっぱいかない」
宮前はまた首を横にふる。
「桐島と約束したもん。だから酔ってるときに男の人の部屋にはいかない」
宮前の成長に、俺は胸がじんとなる。
いいぞ、がんばれ。そのまましっかりした女の子になるための第一歩を踏みだすんだ、と心の中でエールを送る。だけど──。
「宮前ちゃん、飲み比べしようよ」
「そういう飲みかたよくないんだよ~」
「でも、宮前ちゃん、友だちいっぱいつくりたいんだよね?」
「そだよ~」
「これ、友だちになるための一番いい方法なんだよ?」
「え、そうなの?」
「みんな飲み比べをして友だちになってるんだよ? 知らないの?」
「そうだったんだ……私だけ知らなかったんだ……じゃ、じゃあ私もする!」
おい~!! そんなわけないだろ! という俺の心の叫びが届くはずもなく、飲み比べがはじまってしまう。
宮前はお酒に強い。しかし男たちが飲んでいるのはジョッキに入れたただの水だった。
「俺、けっこう酔ってきちゃったよ~」
「負けちゃいそ~」
しらじらしくそんなことをいう男たち。しかしポンコツ宮前はそれに気づかず飲みつづける。
ほどなくして、宮前はふらふらになった。
「友だち~ちゃんとつくる~」
そんなことをいいながら、頭をゆらしている。
今日は気温が高かったから、宮前は薄着だ。Tシャツ一枚にショートパンツのサロペットという格好で、白い太ももと二の腕が露出している。
酔ってなにもわからなくなった宮前に、男たちが顔を近づける。
「えっろ」
「一度ヤったらなんでもいうことききそうだよなあ」
「この顔たまんね~」
男たちが生唾を飲み込む音がきこえてきそうだった。宮前の体をさわろうとしている。
「桐島先輩、これはもうダメです。ポンコツゲームセットです。助けにいきましょう!」
浜波がいって、「そうだな」と俺は席を立つ。
宮前……。
「いつもどおりの平常運転だな!」