わたし、二番目の彼女でいいから。7

第18話 全力彼氏生活 ④

「さっき焼き肉店の前をとおったときかな?」

「お昼はかつ丼にしよっか」


 俺はかつ丼も食べた。

 そんな感じでぐるぐるやっていたわけだが、お昼を食べすぎて動きがにぶったせいか、はたまた三人と一日中ふたりきりでデートするというコンセプトに無理があったか、スケジュールは後ろに押しまくり、夕方になるころには女子たちから不満の声があがりはじめた。


「桐島~、いなくならないでよ~!」


 涙目ですがりついてくる宮前。


「司郎くんが私をないがしろにする……」


 口をとがらせる橘さん。


「桐島くん、私が楽しいからにこにこしてると思ってる?」


 爆発三秒前といった空気の早坂さん。

 かなりピンチな状況だ。でも、俺は全力彼氏としてやり遂げなければいけない。

 しかしどうやって? いろいろ考えていたそのときだった。


「仕方がないなあ」


 早坂さんがいった。大型書店にいるときのことだ。ほしい本があるというので立ちよったのだが、買った小説をすぐに読みたい気分だという。


「楽しみにしてたからさ。ちょっと読書していい?」


 その書店にはカフェも併設されている。


「あそこで読んでるね。そのあいだ桐島くんヒマになっちゃうから、どこかいっててもいいよ」

「早坂さん……その、ありがとう……」

「一冊読み終わるまでには戻ってきてよね。それで晩御飯はちゃんと一緒に食べよ?」

「ああ」


 早坂さんのおかげでみえた一筋の光明。

 俺はこの無理難題と思われたトリプルブッキングデートを成功させるべく、京の街へと躍りでた。

 


「もうマッサージいらない! 体軽くなりすぎてどこもわるいとこない!」


 整体の店に迎えにいったところ、健康になりすぎた宮前が腕にしがみついてくる。

 このトリプルブッキングにおいて、個別にサービスを受けるマッサージ系はこっそり席を外すのに都合がいい。それゆえ、ヘッドスパだけでなく整体やら鍼やらを宮前に使いすぎたのだった。


「もう桐島から離れないから!」


 宮前は一歩も動かないぞという幼児の構えをとる。

 早坂さんのいうとおりで、デートをするからには同じ場所で同じ時間を過ごすことが大事なのだ。それをできていなかったのだから、本当に申し訳ないと思う。


「宮前、最後にいきたい場所があるんだ」

「いかない! どうせ私をひとりにするんでしょ! やだ!」

「宮前の部屋には、俺の箸がないだろ?」

「うん……」


 そこで宮前が表情を明るくする。


「わかった! 私がそれを買ってあげればいいんだ!」

「ちがうって」


 俺は、マッサージを受けすぎて肌がつるつるになっている宮前の額にデコピンする。


「今回は、俺にプレゼントさせてくれ」


 向かったのは少し高級なお箸を販売しているお店だった。細工が精巧で、塗りがきれいなオーダーメイドのお箸もつくっている。

 箸は事前に注文しておいた。


「プレゼントだから宮前のもあるぞ」


 店員さんから受け取った紙袋を、宮前に渡す。


「あけていい?」

「もちろん」


 宮前は丁寧に包装をとき、箱をあける。なかには男用の大きな箸と、女用の少し小さな箸が入っている。そしてそれぞれの箸に、『Shiori』と『Shirou』という、ふたりの名前が彫られていた。

 どちらかというと京都の観光にきた外国人向けの商品だったりする。でも宮前は――。


「うわあぁあ、うわぁぁぁ!」


 と、感激の声をあげてくれた。


「桐島、ありがとう! 最高の贈り物ばい!」


 おそろい大好きの宮前の機嫌はそれですっかりよくなった。

 それから俺は、るんるんになった宮前と一緒に晩ご飯を食べ、宮前を桜ハイツの部屋まで送り届けた。中盤以降はどうなるかという感じだったが、最後に宮前は幸せそうに笑っていたから、宮前とのデートは成功したといえるだろう。

 別れ際、宮前がいう。


「私、桐島が安心できるしっかりした女の子になるからね」

「ああ。期待しているぞ」


 そして俺はまた京の街へと舞い戻るのだった。

 

 

 橘さんはハリネズミカフェで手にハリネズミをのせていた。


「動物は好きだけど、周りがみえなくなるほどじゃないよ」


 息を切らして戻ってきた俺をみて、橘さんはいう。


「動物園だって、講義さぼるときにちょうどいい場所だからいってるだけだし」

「うん、それは知ってる」


 橘さんはぷいと俺から顔をそらす。そしてハリネズミのおなかを指先でこちょこちょする。

 ハリネズミは小さな手で橘さんの指をぽんぽんする。


「お前はいい子ね。誰かさんとちがって、ちゃんと私と遊んでくれるもんね」

「……その、ごめん」

「今日はもうこの子たちと遊んでよっかな」


 俺が席を外しまくったわけだけど、橘さんは怒っている感じではない。

 ただ、そのクールな横顔がとても寂しそうだった。

 だから、俺はカバンからケースをとりだし、そのケースのなかに入っていたメガネをかける。

 橘さんが買ってくれた、あの縁の丸いロイドメガネだ。トルーマン・カポーティも愛用したというメーカーのメガネ。


「どうだろうか」


 俺がきくと、橘さんは表情ひとつ変えず、無言で近づいてきて俺の手をとった。


「いこっか」


 新京極通をぶらぶらと歩く。橘さんはメガネをかけた俺の顔をみていう。


「やっと司郎くんが本物になった」


 それから俺たちは晩ご飯を一緒に食べ、京都駅まで橘さんを送ることになった。橘さんは桜ハイツの部屋ではなく、東京に帰る。

 文化祭シーズンも終わり、きっと、もう橘さんには桜ハイツの部屋は必要ない。それでも部屋をそのままにして、こうして京都に通っているのは、ここに俺がいるからなのだろう。

 橘さんはそのことについてふれることなく、ただ静かに俺のとなりにいてくれる。


「じゃあね」


 改札の前まできたところで、橘さんはいう。


「新幹線のところまで一緒にいくよ」


 俺は生まれて初めてホームへの入場券を買った。入場券のボタンは券売機のボタンのなかでも外れたところにあった。どこにも向かわない、人を見送るためだけの切符。

 ホームのベンチに横並びで座りながら新幹線を待っているとき、俺はなんともなしにいった。


「橘さんとの思い出、ひとつも忘れてないよ」

「うん」


 橘さんがうなずいたところで、新幹線がホームに入ってきた。扉が開いて、橘さんが乗り込んでいく。


「いいたいことがないわけじゃないけど」


 橘さんはプイと横を向いていう。


「今日はありがとう」


 そういって新幹線のなかから手を差しだしてくる。俺はその少し冷たい手を握って、握手をした。

 発車のベルが鳴って、俺は手を離して車両から一歩さがる。


「司郎くんはうかつだね」


 橘さんしれっとした顔でいう。


「次は引っ張りこむから」


 そういって少しだけ笑うのだった。

 俺は新幹線がみえなくなるまで、ホームに立って見送った。

 橘さんの笑顔、差しだされた手。

 次は引っ張りこむから。

 冗談めかしていたけれど、手を握ったとき、橘さんはそうすることを想像したんじゃないだろうか。そうしたかったんじゃないだろうか。

 でも今はそれより――。

 俺は急いで京都駅からでて、大型書店へと向かう。

 店内に駆けこむと、すでに閉店間際で、人は全然いなくなっていた。エスカレーターを早足でのぼり、ブックカフェのある階にいく。

 最後のひとりの客として、早坂さんはそこに座っていた。

 頬杖をつきながら、俺をみて、「桐島くんは仕方ないなあ」という笑顔を浮かべている。

 テーブルの上の小説は三冊になっていた。

 ごめん、と俺がいうよりも先に、早坂さんが口をひらいた。


「一緒にいるのがデートっていったけどさ」


 早坂さんはいう。

 


「待ってる時間もデートのうち、っていう名言もあった気がする」


 

 早坂さんは京都まで車できていて、俺はその助手席に乗った。

 国道沿いの夜の風景が、前から後ろに流れていく。

 海辺の街へ向かっていた。

 俺はこの全力彼氏生活のなかで、宮前の部屋や橘さんの部屋に一定間隔のローテーションで泊まっていた。そして今夜は早坂さんの部屋の番だった。


「ちょっと寄るね。私、なにも食べてないからさ」


 早坂さんの愛車のスバルが、ラーメン店の駐車場に入っていく。夜も遅めなので、こぢんまりとした店のなかに客は誰もいなかった。

 俺と早坂さんはカウンター席に横並びで座る。


「桐島くんは水でも飲んでなよ。お腹いっぱいなんでしょ」

「ありがとう、助かるよ」

「晩ご飯、なに食べたの?」

「トンカツとちゃんこ鍋」

「そうしたくなる気持ちはわかる」


 早坂さんは笑った。

 ほどなくしてラーメンがだされる。たくさんニラがのった台湾ラーメンだった。

 早坂さんはふうふうしてから食べはじめる。幸せそうな表情。


「私ね、大学生になったらこういう店に恋人ときたいな、って思ってたんだ」

「そしてカウンターで一緒にラーメンを食べる」

「そういうこと」


 俺は少し考えたあと、厨房に向かって手をあげて、同じ台湾ラーメンを注文した。


「無理しなくてもいいのに」

「無理ではない」


 そういいながらも、俺が食べ終わったのは早坂さんよりもだいぶ遅れてだった。でも、水を何杯も飲みながら、なんとかすべて食べ切った。

 それをみて早坂さんはあの困ったような笑顔でいった。

 


「バカ」


 

 日付が変わる前に海の街についた。

 早坂さんのアパートの部屋が相変わらず小ぎれいで、本棚には大学の講義で使う本がならび、かわいらしい小物類が棚や机の上にならんでいた。

 俺たちは交互にシャワーを浴び、寝る準備を整えた。俺はお泊り道具として持ってきたジャージに着替えた。

 電気を消して、一緒にベッドに入る。枕もとに置かれたリモコンで暖房を切ると、部屋はいっきに寒くなった。でも、そのぶん布団のなかの早坂さんの体温をより一層強く感じることができる。


「布団からでちゃってない?」

「大丈夫だ」


 冬の夜、小さなベッドで体を寄せあう。互いを温めるように、俺たちは抱きあった。そうしていると、やっぱり早坂さんのやわらかい体を意識してしまう。早坂さんのパジャマは生地が薄くて、その輪郭がしっかりとわかるし、下着の感触も手に伝わってきてしまう。

 湿った吐息が、俺の胸にあたって熱がこもる。

 早坂さんはそれに気づき、さらに口を押しあてて息をいっぱい吐き、その部分を熱くする、いたずらっ子のようなことをした。

 えへへ、と顔をあげて笑う早坂さん。

 でもそんな冗談めかしたことも、互いの体の近さを再認識することにしかならなかった。

 早坂さんとこんなふうにしていると、やはり高校のときの感覚がすぐに戻ってきてしまう。

 俺が強く抱きしめると、早坂さんは「あ」と甘い息を漏らす。

 手を背中の輪郭に沿って滑らせる。なめらかな婉曲、そこから腰、下着の浮いたライン、太もも。

刊行シリーズ

わたし、二番目の彼女でいいから。7の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。6の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。5の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。4の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。3の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。2の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。の書影