わたし、二番目の彼女でいいから。8

第24話 ちょっぴり大人 ①

「もうこうするしかないんだ~!!」


 教室で騒ぎが起きていた。

 男子生徒の門脇くんが、窓を開けて窓枠を乗り越え、校舎の外側に立っているのだ。


「落ち着いて!」


 女の先生が叫ぶ。


「大丈夫よ、私は味方だから」

「うわぁぁ~! どうせ、どうせみんな僕のことをバカにしてるんだ~!」


 今にも飛び降りそうな門脇くん。それをみて、女子生徒たちが小さく悲鳴をあげ、男子生徒たちは口々に、やめろ、という。

 騒然とする教室内。

 そこにスーツ姿の、ひとりの男が颯爽と入ってくる。

 そう、俺、桐島司郎だ。


「桐島先生」「桐島先生!」


 生徒たちが口々に俺の名を呼び、道をあける。俺はその花道を歩いて、門脇くんに近づいていく。


「こ、こないで! 飛び降りるよ! 僕は本気だ!」

「そっか。じゃあ、俺も一緒に飛び降りようか」

「え?」

「ちょうど俺も、いろいろとイヤになってきたところなんだ」

「えっと、ちょ、きりしません――」


 門脇くんが戸惑っているあいだに、俺は窓枠を乗り越え、校舎の外側、門脇くんのとなりに立つ。

 俺は足下をみる。中庭の地面が遠い。


「なるほど、これはちょっとこわい」

「桐島先生、僕を説得しようったって無駄だよ。僕はもうダメなんだ。もう、ホントに、消えてしまいたいんだ」

「理由をきくなんてそんな無粋なこと、俺はやらないよ。ただ、君のとなりにいてあげたい。そう思うんだ」


 といいつつ、俺は門脇くんのいる方とは反対側の窓に目をやる。女子生徒がひとり、興味津々といった表情で、窓から顔をだしていた。

 小声で、その女の子にきく。


「(門脇くんって、なんで飛び降りようとしてんの?)」

「(女の子に告白してふられたらしいですよ)」

「(あ~そういう系か~)」

「きこえてるよ!」


 顔を真っ赤にする門脇くん。


「うわ~! やっぱりみんな僕をバカにするんだ~!」

「いや、そんなことはない、むしろ共感する! 恥ずかしがることはない。まあ、とりあえず落ち着きたまえ」


 そんな感じで、門脇くんを落ち着かせ、俺たちは校舎の外側の段になっているところにふたりならんで腰かける。

 俺は野次馬たちに、教室の外にでているようにいう。

 みんながいなくなったところで、門脇くんは語りはじめた。


「僕が消えてしまいたいのは、別にふられたからってわけじゃないんだ」

「じゃあ、一体どういう理由なんだろうか」

「合唱部のことなんだ」


 門脇くんは合唱部の部長をしている。


「夏にコンクールの地区予選があるんだ。そこで僕たちは全国大会を目指して歌う」


 野球部における甲子園みたいなものがあるらしい。


「このコンクールのために毎日ランニングや腹筋をして声量をあげ、練習に励んできた」

「この学校は、全国大会に何度かでている名門らしいね」

「僕たちの高校は吹奏楽や合唱部なんかの、音楽に力を入れてるんだ」


 つまり、そのコンクールが門脇くんたちの集大成、晴れ舞台というわけだ。でも――。


「僕たちはもうダメだ。ダメになってしまったんだ……」

「どうしてそう思うんだ?」


 俺はきく。


「夏まではまだ時間があるじゃないか」

「いや、ダメなんだ。もう立て直せない。部員たちの気持ちがバラバラになってしまったんだ」

「なにかあったのかい?」

「最初は、ちょっとしたことだった」


 男子部員と女子部員の対立があったらしい。男子が練習中にふざけて、女子が真面目にやりなさいよ、って怒る。そういうことが何度か起きたらしい。


「そういうのはよくある話で、いつもなんとなく起きて、なんとなく終息していく。でも今回は、立てつづけによくないことが重なった。タイミングが悪かったんだ」


 男子たちが、別の教室でパート練習をするべきときのことだ。彼らは練習をサボり、だらだらしながら、おしゃべりをしていた。おしゃべりの内容は、合唱部女子を付き合いたい順にランキング形式にならべるというものだった。


「歌声がきこえないから、数人の女子が注意しにいったんだ」

「そこで会話の内容をきかれてしまったわけか」

「大変だったよ」


 男子サイテー。

 そんなこと考えてたの!?

 真面目な女子たちはかなりヒートアップした。

 もしかしてアンタたち、そういう目的で、女子のいる部活に入ったんじゃないでしょうね。


「そこでお調子者のひとりの男子が、売り言葉に買い言葉でいってしまったんだ」


 そうだよそうだよ、俺は彼女がほしくて女子目当てに合唱部に入ったんだ。


「そして、その場にいた大人しい感じの女子に、好きだ好きだと告白しだした」

「女子はそういうのイヤがりそうだな」

「その大人しい女の子が泣いてしまって、女の子たちの態度は完全に戦闘モードになってしまったんだ。そして、コンクールは女子だけで出場するといいだした。コンクールには女子だけでもでれるからね」


 女子校や男子部員がいない学校の合唱部はソプラノ、メゾソプラノ、アルトの構成でコンクールに出場する。門脇くんたちの部はちゃんと男子がいるにもかかわらず、その女子校の構成で出場するといっているのだ。


「とても深い分断だった」


 でも、そのときはまだ希望があったという。


「女子のなかにひとり、なんとか男子と女子を和解させようとする子がいた。副部長だ。彼女は女子たちからも人望があったし、男子にも好かれていた」


 それで、部長である門脇くんは、その副部長と放課後に何度もファミレスで話し合いをし、仲直りさせる方法を考えた。また、パート練習はつづけていたから、男子と女子の練習の進み具合を互いに報告しあった。


「かなり大事な局面だった」

「勝負どころの真剣な場面って感じがするな」

「なのに僕は、あろうことか――」


 門脇くんはうつむきながらいう。


「一緒にいるうちに、その女の子のことを好きになって、告白してしまったんだ」

「あちゃ~」

「『部長も他の男子と同じだったんだね』って、軽蔑の目でみられた」

「流れ的に、そういわれても仕方ないな」

「キモチワルイから退部する、とさえいわれてしまった」


 副部長はピアノ伴奏をつとめる予定だったこともあり、このままだと部自体がコンクールに出場できなくなってしまうという。


「僕のせいで、伝統の合唱部を……こんなことに……」


 それで、彼は部への責任感や、副部長の女の子に自分がしてしまったことを悔いて、校舎から飛び降りようとしているのだった。


「消えたくなる気持ちはわかる。でも自暴自棄になって、こんなふうに自分を傷つけるべきじゃない」


 俺は門脇くんの肩に手を置いていう。


「まだ、やりなおせる」

「……ムリだよ。もう、誰にも顔向けできない」

「たしかに門脇くんのやったことはとても恥ずかしいことだ。部の危機を一緒になんとかしようといっていた女の子に、いきなり告白するなんて、明らかにタイミングじゃない。部活の危機を言い訳に、結局、お前も女子に近づきたかっただけか、この頭ピンク野郎! と思われても仕方ない。本当に、恥ずかしいことだ。これから数年、思いだしては布団のなかで悶えるだろう」

「僕のこと励ます気ある?」

「恥をかいたうえに、しかも好きになった女の子に嫌われてしまっている。普通、好きな子にキモチワルイなんていわれたら立ち直れない」

「飛び降りろっていってる?」

「でも、大丈夫だ」


 俺はいう。


「門脇くんならやれる」

「ありがとう。でも、それは根拠のない言葉だよ」

「根拠ならある。俺はやさしいだけの言葉はいわない」


 そういって、俺はジャケットの懐に隠していたそれをとりだして渡した。

 楽譜だった。

 門脇くんの楽譜だ。練習中に気づいたことが、赤ペンでいっぱい書き込まれている。どんなふうに歌えばよくなるかとか、良かったところとか。


「門脇くんには情熱がある。きっと、やれる。だって、これまでずっと真剣だったんだから。一度の失敗で、それが全て終わりになるとは思わない」


 門脇くんはしばらくその楽譜を握り、みつめていた。

 これまでの、部員たちと過ごした練習の日々を思いだしていたのかもしれない。

 やがて、目を伏せながら、ぽつりという。


「やれるかな」

「やれるさ。絶対にうまくいくとはいえないけど、やってみる価値はある。だから、いったん教室に戻ろう」


 うなずいて、門脇くんは立ちあがり、窓枠に足をかけて教室のなかに戻ろうとする。

 でも、立眩みでもしたのか、バランスを崩して、後ろに向かって倒れてしまう。


「あ」


 驚いた顔をする門脇くん。

 俺は迷わず、彼を助けようと跳んでいた。門脇くんの体を抱えたまま、校舎から落ちていく。


「ぐえっ!」


 俺は地面と門脇くんに挟まれて変な声をだす。


「先生、大丈夫!?」


 起きあがった門脇くんが、焦った様子で声をかけてくる。


「大丈夫だ」


 俺は門脇くんを安心させるため、笑いながらいう。


「落ちたといっても、二階からだからな」


 そうなのだ。俺たちは大騒ぎしていたけど、校舎の二階でやっていたのだ。


「それに――」

 俺は背中を指さしていう。


「こいつもあったからさ」


 体育館にある分厚いマットレスだ。

 俺と門脇くんが話しこんでいるあいだに、いそいそと下に敷いてくれたのだ。

 その作業をやってくれた先生が、俺の顔をのぞきこみながらいう。


「ムチャしすぎだよ、桐島先生」

「そうだな。でも、助かったよ」


 俺はお礼をいう。


「ありがとう、早坂先生」


 そう、あの早坂さんだ。白いシャツに黒いパンツスーツ。先生スタイルの早坂さん。


「ほら、授業はじまるよ。教室もどってもどって」


 早坂さんにいわれ、俺は立ちあがり、校舎のなかに入っていこうとする。

 門脇くんは、まだそこに立ち尽くしていた。


「どうして……どうして僕なんかのために、そこまでしてくれるんですか」

「当然だ」


 俺は親指を立てて、いう。


「教師だからな」


 そんな俺と門脇くんの熱いやりとりを横でみながら、早坂さんがボソッという。


「教育実習生だけどね」


 ◇


 大学三回生の五月、俺は教育実習のため東京の高校にきていた。

 普通、教育実習は四回生だが、中学と高校、二つの教員免許を取ろうとすると、三回生のときに一つ教育実習を済ませてしまうこのパターンが発生するらしい。

 ちなみに実習先は自分が卒業した高校ではない。

 今年はすでに定員いっぱいだったらしく、都内の別の高校を紹介された。

 実習にきて驚いたのは、早坂さんもいたことだ。


「私も桐島くんと同じ」


 早坂さんはそういって笑った。小学校と高校、二つの教員免許を取ろうとして、やはり高校の実習が三回生にまわったらしい。


「一緒にがんばろうね」


 そうして、俺たちの教育実習はスタートした。

 早坂先生の人気はすごかった。スバルの軽に乗って学校にやってきて、授業をする。それだけで、みんな、かわいいかわいいと大騒ぎだった。


刊行シリーズ

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