わたし、二番目の彼女でいいから。8

第24話 ちょっぴり大人 ②

 特に男子生徒たちは熱狂的で、教育実習期間のうちにダメもとで告白する、と息巻く声がたくさんきこえてきた。


「大丈夫か?」


 昼休み、早坂さんに声をかける。俺たちは職員室の机に横並びになって、小テストの採点をしていた。


「なにが?」

「いろいろと注目されて、つかれてないかなって」


 高校生のころ、早坂さんはみんなの理想の女の子で、多くの注目を集めていた。周りから清楚なイメージを押しつけられ、笑顔が曇っていたこともある。

 でも今は――。


「平気だよ。こういうものだってわかってるから」


 早坂さんは涼しい顔でいう。


「男の子たちが騒いでるのだって、お祭りみたいなものでしょ。そうやって、学校生活を楽しもうとしてるんだよ」


 いろいろとちょっかいをだされたり、質問攻めにされたりもしているが、それもかまわないという。


「いざとなったら彼氏がいるとかいって、落ち着かせることもできるしね」


 彼氏、といったあとで早坂さんは少し考えるような顔をする。でもすぐに、それについては、今は話さなくていいやとばかりに首をふった。


「それより、桐島くんのほうが心配だよ」

「そうか?」

「この学校、音楽科があるせいか女子のほうが人数多いんだよ」

「みたいだな」

「若い男の先生も全然いないし。だから桐島くんでもチヤホヤされちゃうんだよね」


 そういって早坂さんは後ろを振り返る。視線の先、職員室の扉の隙間から、女子生徒たちがこちらの様子をうかがっていた。俺がそちらをみると、きゃあっ、と声があがる。


「ちょっと蹴散らしてくる」


 早坂さんが立ちあがって彼女たちのほうに歩いていく。そして、「テストの採点してるから」といって扉を閉めた。ただ、戻ってくるとき、お皿を持っていた。


「はい、桐島先生」


 俺の机の上にそれを置く。手作りのクッキーがいっぱいのっていた。


「調理実習でつくったんだって」


 ひとつ食べてみる。


「おいしいな」

「ふうん……やっぱ女子高生につくってもらったクッキーはおいしいんだ」

「いや」

「そうだよね。大学生の女の子がつくる手料理よりも、女子高生のクッキーのほうがおいしいよね」

「なんて返すのが正解なのか……」

「冗談だよ」


 嫉妬なんかしないよ、と早坂さんはいう。


「本当に心配してるだけ。ほら、女子生徒と先生のよくないニュースっていろいろあるでしょ? 桐島くんにも、生徒の女の子たちにも、いい感じでいてほしいからさ」


 そういって、早坂さんもクッキーを食べる。

 俺は足下に置いてあった実験器具のビーカーとアルコールランプを使って、コーヒーを淹れる。早坂さんは、桐島くん、そういうとこあるよね! とあきれた顔をしていた。


「ちなみにクッキーつくってきた子たちのなかに、桐島先生に本気で惚れてるっぽい子いたよ」

「え?」

「昨日の放課後、補習に付き合ってあげたんでしょ?」


 小テストが赤点だったから、わかるようになるまで根気強く教えた子がいた。

 その子がクッキーをつくり、取り巻きの子たちがわあきゃあ騒ぎながら職員室まで持ってきたというのが早坂さんの見立てだった。


「まったく、すぐ好きになっちゃうんだから」


 早坂さんはいう。


「私が高校生のころは恋よりも勉強だったけどな」

「え?」

「ああいう惚れっぽい子をメンヘラっていうんだよね」

「あ、うん」

「ここは私が先生として健全な恋のしかたを教えてあげたほうがいいよね」

「…………」


 でもまあ、と早坂さんは遠い目でいう。


「この年代の子はやっぱり恋とかそういうのに心が動きやすいよね」

「まあな」


 十代だけがもつ脆さ、肌の熱さ、情熱。


「合唱部の部長くんが失敗しちゃったのも、わかる気がするなあ」


 早坂さんは懐かしい思い出の品をいとおしむようにいう。


「だって、ずっと一緒に部活をがんばって、近くにいたんでしょ?」

「やっぱ、そういう環境だと好きになっちゃうよな」

「いくら部活だけを真剣にやるべき場面だったとしても、そういう気持ちを一切なくすなんてムリだよね」


 でも、とそこで早坂さんは俺をみていう。


「こういうことを外からいえる私たちは、ちょっと大人になっちゃったね」


 早坂さんのいいたいことはわかる。

 俺たちは今、朝早くから授業の準備をして、放課後も翌日の準備をして、四六時中一緒にいる。同じ教育実習生として、しんどいことも、嬉しいことも共有している。

 互いの好意が深まったとしても、自然な状況だ。

 でも俺たちは門脇くんよりも少しだけ大人で、自制がきいている。

 いうまでもなく俺たちは恋愛という局面において、やらなければいけないことがある。でも、それは今、保留にしていた。


「まずは生徒のため」


 それが、早坂さんの実習への意気込みだった。


「私たちは先生で、生徒たちの手本にならなきゃいけないんだもん。桐島くんと一緒にいるからって、そういうこと考えてちゃダメなんだよ。仕事に真剣な、ちゃんとした大人としての振る舞いをしないと」


 実習がはじまるとき、早坂さんはそういったのだった。


「だから、教育実習が終わるまでは、自分たちのことは二の次で、生徒優先でいこうね」


 自分たちは黒子。

 主役は生徒。

 それが早坂さんのスタンスだった。

 だからこそ、かわいい先生として騒がれても、そのことでストレスをためたりはしない。


「表面上は楽しそうでも、みんな、進路とか、家のこととかで悩んだりしてる。だから私がしんどいとか、そんなこといってられないよ」


 俺たちは学校教育の現場で、しっかりとやるべきことに集中していた。

 これだけ長い時間一緒にいても、そばにいても、浮ついたことをしたりはしない。

 たしかにそこが門脇くんよりちょっぴり大人なところだった。

 肩と肩がふれあうような距離にいても、少し顔をみあわせて笑うことはあっても、すぐ作業に戻る。

 そんな感じで、クッキーをつまみながら、小テストの採点をつづけた。


「よし!」


 早坂さんが赤ペンを置いて伸びをする。どうやら採点が終わったようだ。そして、時計をみて立ちあがる。


「クラスの子たちから、昼休み一緒にバレーしよって誘われてたんだよね」


 俺が、がんばって、というと、早坂さんは、うん、といって、拳をぐっと握ってから職員室を駆け足で、でていった。

 それから少しして、俺も採点を終える。

 手持ち無沙汰になって、職員室からでて、なんとなく校舎のなかを歩いてみる。

 すれちがう生徒たちをみていると、彼らのことがとてもむじゃきにみえた。

 数年しかちがわないのに。

 あのときはあんなに自分のことが大人であるように感じていたのに。

 そんなことを考えながら、一階の渡り廊下までやってくる。グラウンドで、早坂さんが女子生徒たちとボールで遊んでいるのがみえた。トスして、地面に落とさないように、みんなでボールをまわしている。

 ぼんやりと彼女たちを眺める。

 ゆっくりとした時間だったが、にわかに学校全体が少し騒がしくなった。足早に下駄箱にいって外にでていく生徒もいれば、窓から顔をだす生徒もいる。


「なにかあったのか?」


 急ぎ足の男子生徒をつかまえてきくと、彼はいった。


「新しい先生がくるんだ」

「今ごろ?」

「正確にいうと先生っていうか、臨時の講師らしいんだけど」


 ではなぜ、彼らが浮足だっているかというと、そのやってくる講師というのが、早坂先生に負けず劣らずの美人であると、学年主任が口を滑らせてしまったらしい。


「そろそろくるって。桐島先生もみにいこうよ」


 生徒に促され、俺は校舎の外にでる。噂の駆け足は早いもので、早坂さんたちもグラウンドから下駄箱の前へとやってきていた。

 みながそわそわしながら待ち構えていると、一台の車が校門から入ってきた。

 マツダのコンパクトなスポーツカーだ。

 スポーツカーだけれど、スピードをだしていないせいか、颯爽とした雰囲気ではなく、ゆっくりで、どちらかというとコロコロと走ってくる、といった印象だった。

 車は下駄箱の前まできて、停車する。

 それからちょっと間があって、運転席からひとりの女の子がでてきた。

 長い黒髪に、冷静な横顔。

 学年主任の先生が、生徒たちに「散れ、散れ」というが、生徒たちは新しい先生への興味からその場を離れない。それで、学年主任がやむなくその女の子の紹介をする。


「音楽科の臨時講師としてきてくださった橘ひかり先生だ。ピアノ科を指導してくださる。芸大に在籍中でもあるから、いろいろ教えてもらうように」


 そう。その場にあらわれたのは、あの橘さんだったのだ。


「臨時のバイトするとはきいてたけど……」


 驚いた顔をする早坂さん。でもすぐに目を細める。


「なんだかなあ!」


 なんていっていると、橘さんが俺たちに目をとめる。そして俺たちのほうに近づいてこようとする。でも、数歩もいかないうちに、音楽科の女子生徒たちに囲まれた。

 コンクールに出場している橘さんは、その界隈ではそれなりに有名らしい。生徒たちに握手を求められる。

 橘さんは少し戸惑った表情をしたが、生徒たちと話し、さっそく仲良くなりはじめた。


「も~絶対わかってて講師に応募したでしょ~私が桐島くんと一緒だからって~」


 口をふくらます早坂さん。


「でも私たち、先生としてきてるんだからね。生徒優先だからね」

「ああ」


 そのときだった。

 窓から顔をだしていたお調子者の男子生徒が、橘さんにむかって、「先生付き合って~!」とウケ狙いの声をあげた。

 橘さんを囲んでいた女子生徒たちが、あんたそういうのやめなさいよ、と叱るような調子でいう。でも、当の橘さんは、どうということはない、という顔をしていた。

 そして、その男子生徒に、フラットなテンションでいった。


「私、彼氏いる」


 橘さんはそれから俺を指さした。


「私の彼氏」


 突然のカミングアウトに、わ~きゃ~と騒ぎだす生徒たち。テンションがあがった歓声のなかに、「橘先生ならもっと上狙えるよ!」という女子生徒の声や、「これならまだチャンスはある!」という男子生徒の声がまじっているが、どういう意味だろうか。

 でも、騒ぎはこれだけにとどまらなかった。

 早坂さんが、しれっとした顔でいったのだ。


「私も彼氏いるよ」


 一瞬、その場が静かになり、早坂さんに注目が集まる。


「おい」


 俺は小声でいう。


「ちょっぴり大人な俺たちは生徒優先でいくんじゃなかったのか?」


 主役は生徒、俺たちは黒子。目立つことなく、彼らの学生生活をサポートしていくというスタンスだったはずだ。であれば、先生同士の惚れたはれたなんて後回し、なんなら先生は教育者であり、自分たちはそんなの興味ありませんという顔をしたっていい。

 でも――。


「教えてあげようよ」


 早坂さんはにっこり笑っていう。


「先生も同じ人間だって、生徒たちに教えてあげよう」


 そして、俺のジャケットの袖をつかんで、みんなにきこえるようにいった。


「これ、私の彼氏だから」


刊行シリーズ

わたし、二番目の彼女でいいから。8の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。7の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。6の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。5の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。4の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。3の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。2の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。の書影