わたし、二番目の彼女でいいから。8

第25話 ヒロインレース ①

 みゆきちゃんと初めて出会ったのは、彼女が中学生のときだ。

 まさに思春期まっただなかって感じで、それまで一緒に遊んでいた男子たちがいきなり告白してきたことに悩んでいた。私は友だちだと思っていたのに、と。

 ボーイッシュだった子が、ちょうどきれいな女の子に変化するそのときだったのだ。

 彼女は中学を卒業したあと、一年間、海外の語学学校へ通ったらしい。まだ自分というものが固まってしまう前に、広い世界をみておきたかったんだという。

 そして一年後帰国して、高校に入学した。それから時が経ち、高校三年生になった。

 みんなより一つ年上だから、それでちょっとだけお姉さんとして、合唱部でも女子たちのまとめ役だった。

 女子たちの評判はこんな感じだ。


「橘さん? かっこいい感じかな」

「しっかりもので、私もああなりたいって思ってますよ」

「足も速いんだよね~」

「クールだけど、ゆるキャラ集めてたりして、とっつきやすいよ」


 ちなみに橘姉のほうも女子生徒たちになつかれていた。

 一緒に廊下を歩いていると、通りすがりの女子生徒が次々に声をかけてくる。


「橘先生、おはようございます!」

「橘先生、今日もかわいい!」

「橘先生、おしゃれでいいな~」

「橘先生、胸おっきくて素敵!」


 となりにいた俺は橘さんにいった。


「最後のはいわせてるだろ」

「私にはたくさんの従順な子分ができた」


 橘さんは胸をはっていた。

 それはさておき、妹のみゆきちゃんはクールで折り目正しい女の子というイメージでとおっているようだった。

 たしかに髪はきれいに切りそろえられているし、シャツやスカートもぴしっとしている。

 俺も最初はそういう凛とした女の子という印象だった。

 しかし――。


「先生、授業で使う資料、運ぶの手伝います」


 朝のホームルームより前、職員室にやってきて、みゆきちゃんはいった。

 そして俺がその資料を手渡したときだった。

 指先と指先がふれる。すると――。

 みゆきちゃんはフリーズした。そして目を伏せ、顔を赤らめる。


「橘さん?」


 俺がきいても、反応しない。

 ふれあった指と指をみつめ、やがて――。


「な、なんでもありません。失礼します!」


 そういって急ぎ足で職員室をでていった。

 まさか、と思ったのは授業の後半、小テストをしているときだった。

 みゆきちゃんが、控えめな声で手をあげた。


「先生、消しゴムを落としてしまいました」


 俺はみゆきちゃんの席の近くまでいって、消しゴムを拾い、机のうえに置く。


「ありがとうございます」


 みゆきちゃんは俺の手から消しゴムを受け取る。

 俺はそのまま教卓のところに戻ろうかと思ったが、一応いっておくことにした。


「橘さん、これで三回目だが……」


 瞬間、みゆきちゃんの顔が真っ赤になる。


「す、すいません」


 みゆきちゃんが消しゴムを落とすのは、この小テストのあいだでも三回目だった。

 そして、俺はみていた。

 一回目に消しゴムを落としたのは偶然だったと思う。それを拾って渡したとき、なにやらもにょもにょしていた。

 二回目と三回目は、落とすか落とすまいか迷ってから、緊張した手つきで、自分から落としていた。明らかに、俺に拾わせるために落としたのだ。


「テスト中だから、気をつけるように」

「はい……」


 そして今度こそ教卓のところに戻ろうとしたときだった。ふと、みゆきちゃんのテスト用紙の余白に目がいく。

 相合傘の落書きが書かれている。傘の下の名前は――。

 桐島先生と、橘みゆき。


「………」


 リアクションに困る俺。

 そんな俺の視線に気づき、みゆきちゃんは、急いでその落書きのうえに手をかぶせた。


「も、もう大丈夫ですから」

「ああ……」


 クールで凛とした女子高生。

 しかし、ある分野においては少女漫画的。

 高校のときの橘さんを思いだす。

 みゆきちゃんはやはり橘さんの妹であるようだった。

 そして、昼休みのことだ。

 球技大会が近いうちにあるということで、その練習がおこなわれていた。俺はちょうど空き時間だったので、生徒との交流を深めるべく、そこに参加した。

 クラスのなかで男女混合、二つのチームに分かれてサッカーをする。

 俺はキーパーだった。

 年上だから、大人だからといって、元気な高校生たちのシュートをそう簡単に止められるものでもない。しっかり、大量得点された。

 やがて昼休みが終わりに近づき、そろそろ教室に戻ろうとなり、みんなが校舎に引きあげはじめる。


「先生、もうちょっとがんばりなよ!」

「おう」


 なんてやりとりを生徒たちとしていると、ひとりの生徒が目についた。みゆきちゃんだ。

 みゆきちゃんは、とてもゆっくりと歩いている。

 俺はやはりどうしようかと迷ったけれど、彼女のところにいって声をかけた。


「大丈夫か?」

「え?」

「足、痛めたんだろ」


 みゆきちゃんは足をとめ、うつむいてうなずく。


「ちょっと、ひねってしまいました」


 試合の途中から、足の速いみゆきちゃんの動きがわるくなったことには気づいていた。


「抜ければよかったのに」

「参加してる人数、ぴったりしかいなかったから……私いないと練習が……」


 みゆきちゃんはやはり真面目で、みんなのためにがんばる女の子だった。


「歩ける?」

「そのくらいは……」


 そこでみゆきちゃんは少し考えるような顔をしたあとで、いった。


「……ちょっと、難しいかもしれません」

「そうか……」


 もうグラウンドにいた生徒たちは引きあげてしまっている。だから――。

 俺は膝をついて、背中をみゆきちゃんに向けた。


「保健室までつれてくよ」


 そして、いう。


「俺、先生だからさ」

「……そういういいかた、するんですね」


 みゆきちゃんは、しばらく動かなかった。でもやっぱり歩けないのか、やがて俺の背中にのってきた。みゆきちゃんを背負って、歩く。半袖のTシャツとハーフパンツの体操服越しに、みゆきちゃんの体温と、華奢な体を感じた。


「……桐島先生」


 心なしか、みゆきちゃんが強くしがみついてきたような気がした。

 保健室についてみると、保健の先生は不在だった。

 とりあえずみゆきちゃんを椅子に座らせ、棚から湿布をとりだした。


「湿布、自分じゃ貼れません……」


 みゆきちゃんが伏し目がちにいう。


「靴下も、自分じゃ脱げません……」

「…………」


 俺はしゃがみこみ、みゆきちゃんのソックスを脱がせる。脱がせたソックスは、とても小さく感じられた。女の子なのだ。

 ハーフパンツから伸びる、白い足。

 みゆきちゃんは相変わらず、恥じらうように目を伏せている。

 俺はその足首に、湿布を貼った。

 なんとなくこの雰囲気はいけないと思い、俺はみゆきちゃんにちゃんといっておこうとする。


「あの、みゆきちゃん――」


 でも、それよりもはやく、みゆきちゃんがいった。


「私、本気ですから」


 俺を強い眼差しでみつめていう。


「桐島先生と付き合いたいって気持ち、本気です」

「いや、それは――」

「お姉ちゃんと今、付き合ってないってのはわかってますから」


 みゆきちゃんはいう。


「お姉ちゃんは高校をやめたあと、ぐうたらニート生活をしてました。明らかに、彼氏がいない生活です。そして桐島先生は京都の大学に通ってる。ふたりのあいだになにがあったかは知りませんが、付き合ってないんです」


 だから、とみゆきちゃんはいう。


「私にも、チャンスはあるはずです」


 しかし――。


「俺、先生だからさ」

「……そういうなら、私は合唱部には復帰しません」


 そうなのだ。みゆきちゃんは俺の合唱部に復帰してはどうかという説得に対して、付き合ってくれるなら復帰すると条件をつけてきたのだ。


「俺のことはおいておいて、合唱部には復帰してもいいんじゃないか」

「イヤです」


 みゆきちゃんはいう。やっぱり、男子がもうイヤになったらしい。


「男子はみんなサルです。騒いで、女子とそういうことしたいみたいなことしか考えてないし。一生懸命やってると思ってた部長ですら、そうだったんですから」

「門脇くんはいい子だよ」

「全然です。だって、あんなに一緒に部をよくしようっていってたのに、結局、他の男子と同じだったんです。すぐに好きだとかいって……」


 みゆきちゃんは、部が分裂するかどうかの状況で、門脇くんが告白してきたのがどうしても許せないらしい。


「学校は勉強するところで、合唱部は歌うところです。それなのに誰それがかわいいとか、付き合いたいとか、好きだとか、そんなことばっかりで、そんなの頭ハッピーセットです」


 みゆきちゃんはそういったあとで、壁にかかった時計をみる。

 もう、授業がはじまっている。


「あの、桐島先生……」


 みゆきちゃんはそこで、乙女のように恥じらいながらいう。


「足、まだ動きません……教室まで連れていってください……その……さっきみたいに、おんぶして……」

「…………」

「あと、授業で他の女の子をあてるのやめてください。それだけで……なぜか私の胸の奥が痛くなるんです」

「学校は勉強するところで、恋にうつつを抜かすのは頭ハッピーセットと今しがたきいた気がするが……」

「桐島先生、お願いですから他の女の子に目移りしないでください」

「え、きこえてない?」

「私、桐島先生のこと、中学のときから好きだったんですから!」


 みゆきちゃんは顔を真っ赤にしながらいう。


「中学のときのあれは、デートです! まちがいなく!」


 みゆきちゃんが中学のとき、やってみたい格好があるというので、浜波と一緒にお手伝いをした。ロリータファッションをしたあれだ。

 みゆきちゃんはそのときの思い出を、かなり大切にしていた。


「あのとき、私、本当に嬉しかったんです。私の気持ちをちゃんと考えてくれて、大事にしてくれて……」


 だから、とみゆきちゃんは椅子のうえで、膝を抱えていう。


「桐島先生は……私の王子様なんです……」

「王子様……」


 なんてやりとりをしているときだった。

 保健室に、ひとりの女の子が入ってきた。

 橘さんだ。


「みゆき、大丈夫?」


 どうやら、授業にでていないので、心配してさがして、保健室までやってきたらしい。

 橘さんは膝を抱えているみゆきちゃんをみて首をかしげた。


「みゆき、どうかした?」


 でも、みゆきちゃんはこたえない。

橘さんはちょっと困ったような顔をしながらも、俺に向きなおっていう。


「司郎くん、授業の準備あるんでしょ? 戻っていいよ。みゆきのお世話は私がしとくから」


 みゆきちゃんは少し不服そうだ。

 首をかしげる橘さん。


「じゃ、じゃあ俺はこれで」


 俺はそういって、保健室からでていこうとする。そのときだった。

 みゆきちゃんが、ハンカチを床に落とした。


「足が痛くて拾えません」


 みゆきちゃんが、すねたような表情でいう。


「桐島先生、拾ってください……」



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