わたし、二番目の彼女でいいから。8

第27話 京都正常化交渉 ①

 日曜日、俺は始発の新幹線に乗って、京都へと発った。

 京都に着いたあとは、山科のアパートに向かう。

 冬に遠野をふったあと、借りた部屋だ。

 ヤマメ荘と同じくらい古くて狭い。立地が山科ということで、家賃はヤマメ荘よりもさらに安かった。そしてヤマメ荘とちがって、他の部屋はほとんどが空室だった。つまり、仲間はおらず、孤独な場所だった。

 木造アパートの、畳の部屋。

 俺は部屋に荷物を置くと、釣り竿を手に、また外にでた。そして滋賀へとつづく山道へと入っていく。

 しばらく山菜をとって歩き、そのあとは渓流で釣りをした。ある程度の山菜が集まり、魚が釣れたところで、山をおりる。まだ、昼前だった。

 アパートに戻ったあとは釣り竿を部屋に置いて、山菜を袋に、魚をクーラーボックスに入れて、自転車で東山へと向かった。

 ヤマメ荘につき、駐輪場に自転車を停める。

 自分の部屋に入ってみれば、がらんとしていた。

 窓から射しこむ陽光が、ほこりをきらきらと輝かせる。

 かつてそこにあったコタツや将棋盤、集めたガラクタの数々はなにもなかった。生活に必要なものは山科の部屋に移し、必要のないものは捨てたからだ。

 俺は畳の上に大の字になってみる。

 温かい思い出が、よみがえってきた。

 マージャン、釣り、胡弓の音色、宵山。

 俺はたしかにみんなに愛され、そして俺もみんなを愛した。面白おかしい、楽しい日々。

 部屋の解約をまだしていないのは、俺のなかにまだ未練が残っているからかもしれない。

 でも――。

 俺はたしかに別れを告げたのだ。

 北海道から戻ったとき、俺は福田くんに真実を話した。早坂さんと橘さんのふたりと、高校時代にいろいろあり、そのつづきをすると決めたこと。だから遠野とは一緒にいられなかったと。ずっと黙っていて、申し訳なかったと、頭を下げて謝った。

 福田くんの部屋の、玄関先での出来事だった。

 話をきいたあと、福田くんはいった。


「君は、ひどい奴だ」


 福田くんは笑っているような、泣いているような、そんな表情をしていた。


「正直、僕はどうしていいかわからない。君みたいな人と、どう接すればいいのか、見当もつかないんだ」


 その言葉は感情のままに怒られるよりも、つらいことだった。そして福田くんのような人に、そういわせてしまった自分にひどく失望した。


「なにを話していいか、わからない。わるいけど」


 そういって、福田くんは扉をゆっくりと閉めた。

 俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 遠野に至っては、京都に戻ってから、しばらく部屋からでてこなくなり、宮前からの連絡にもでなかった。部活の練習にもいかなかったため、事情をきいたバレー部の女子たちに俺はヤマメ荘の前で囲まれた。俺は彼女たちに謝った。

 そして全て俺のせいなんだけど、遠野にはちゃんと日常生活を送ってほしいと思い、おせっかいながら、声をかけようとした。

 でも、インターフォンを鳴らしても遠野はでないし、スマホでメッセージを送っても、いつまでたっても既読にはならなかった。

 俺はヤマメ荘を去ることを決めた。俺がいたら、彼らは笑うことができないだろうと思ったからだ。それで、山科に部屋を借りて荷物を運びだした。

 そして空き部屋だらけの山科のアパートで、俺はひとりぼっちになりながら考えた。大学を去ること、京都からいなくなること。

 ある種の禊として、そういうことが必要に思えたのだ。

 そんななか、浜波から連絡があった。

 遠野は部屋からでて部活にいくようになったが、絶不調であること。福田くんが授業にでない日が増えていること。

 俺はその報せをきいて、ただ彼らの元から去るだけが謝罪といえるのか、せめてもの償いといえるのかを考えた。

 遠野や福田くんがなにを求めているかはわからない。

 それでも俺は彼らに元気になってほしかった。俺を恨んでも、嫌ってくれてもいい。ただ、彼らの未来に祝福があってほしいと思ったのだ。

 そのために、俺にできることはあるのか。なにをすればいいのか。

 考えたすえ――。

 場面は再び、現在の、家具のなくなったヤマメ荘の部屋に戻る。

 畳の上で寝転がっていた俺は、体を起こして、クーラーボックスを開けて魚をとりだす。そして竹かごに笹の葉を敷いて、その上に魚と、今朝とってきた山菜を載せる。

 そして部屋をでて、それを福田くんの部屋の扉の前に置いた。

 アホみたいに思うかもしれない。

 でも、俺にできることはこれくらいしかなかったのだ。それでも――。

 俺は自分が去ってしまう前に、彼らをなんとかしたかった。みんなに日常を取り戻してほしかった。

 そう思い、俺はこういうことを毎週末している。

 そのために今朝も東京から京都までやってきたのだ。

 山菜と魚をのせた竹かごは三セットある。ひとつは福田くん、もうひとつは大道寺さん、最後は遠野のぶんだ。

 そして福田くんの部屋の前に置いたあと、上の階にあがって、大道寺さんの部屋の前にも竹かごを置こうとしたときだった。


「桐島、よくきたな」


 扉が開いて、大道寺さんが顔をだした。


「そろそろ来る頃だと思っていた。あがっていくといい」


 大道寺さんの部屋は相変わらずごちゃごちゃしていた。天体望遠鏡や、ロケットの模型、謎の民族楽器が山のように積まれている。その部屋の真ん中に七輪が置かれていた。


「まあ、座れ」


 俺が座椅子に座ると、大道寺さんは窓を開けて、七輪で魚を焼きはじめた。

 丁寧に、大根おろしとポン酢まで用意されている。


「私道で焼くことはないそうですね」

「人が集まらないからな。最後にやったときは俺と宮前だけだった。宮前はひどく寂しそうにしていた」


 七輪が、ぱちぱちと音を立てる。


「桐島は魚を焼く会のためにドアの前に魚を置いているんだろうが、再開にはまだ時間がかかるだろう」


 大道寺さんは七輪で焼かれている魚をじっくりとみながらいう。皮の表面の色が変わりはじめていた。


「福田の部屋の前には、ノートを置いたりもしているそうじゃないか」

「はい……」


 俺のせいで福田くんは落ち込み、授業にでない日が発生してしまっている。だから俺は授業にでて内容を書きとめ、福田くんの部屋の扉の前に置いているのだ。

 大学一回生のとき、福田くんが俺にしてくれたことだ。

 俺はみんなから多くを与えられた。今は少しでもそれを返したかった。京都のみんなを元に戻し、宮前の帰る場所をつくって、禊をしてから京都を去る。


「それが、桐島の本懐というわけか」

「はい」

「さしづめ京都正常化交渉といったところだな」

「でも……俺はもうなにもしないほうがいいんじゃないかとも思うんです」

「どうしてそう思う?」

「俺がみんなを傷つけたんです。そんな俺がみんなに元気になってほしいと願うなんて、おこがましいというか、卑怯というか、ただ自分が許されたいだけなんじゃないかって、考えてしまって……」


 だから、ただ去ったほうがいいのではないか、とも思うのだ。

 でも、大道寺さんは首を横にふった。


「自分の心のなかでなにを思っても意味はない。他人に働きかけるには、アクションしかないんだ。できることが思いつくのなら、行動してみるべきだろう」


 ライツ・カメラ・アクション。

 そういって、大道寺さんは映画監督が撮影のときに使う、あのボードをカチンと鳴らした。


「なんでそんなもんが部屋にあるんですか」

「俺は宇宙の研究をしていなければ、映画監督になっていた」


 ちなみに、音を鳴らすボードはカチンコというらしい。


「いずれにせよ――」


 大道寺さんはいう。


「人間関係というのは多かれ少なかれそういうものだろう。家族、恋人、友人、どんな関係においても、時として相手を傷つけたり裏切ったりする瞬間はある。それをまた傷つけた本人がフォローしようとするのは普通のことだ」


 他者に対して常にプラスのことしかしないという前提で話をするのは、とても幼く、ある種傲慢なことだと大道寺さんは語る。


「だから、桐島がやろうとしていることは格好わるいだけで、卑怯でも間違いでもないと思う」


 もちろん、俺が行動を起こすことでいい結果になるかどうかはわからない。


「でも、いいじゃないか、京都正常化交渉。やれるだけ、やってみるといい」


 大道寺さんはそういうのだった。


「……ありがとうございます」

「しかし、難しいことではあるだろうな」


 大道寺さんは窓の外をみる。桜ハイツの建物がみえる。


「遠野は大学、部活にいく以外は部屋からでてこない。まさに鉄のカーテンだ」


 一体どうすればいいのだろうか。

 考えていると、大道寺さんは焼けた魚をポン酢につけながらいった。


「来週、静岡でバレーの大事な試合があるそうだ」

「静岡ですか」

「東京からなら、そこまで遠くないだろう」


 俺は大道寺さんに礼をいって部屋を辞した。

 来週、静岡に応援にいったとして、遠野は俺を受け入れてくれるだろうか。

 そもそも、俺がいって応援になるのだろうか。

 とはいえ、遠野は最近、絶不調だという。だから、少しでも力になりたかった。

 俺が謝ることで遠野が元気になるのなら、いくらでもそうする。

 去れといわれれば、去る。

 そんなことを考えながら、ヤマメ荘から桜ハイツにゆき、遠野の部屋の前までやってくる。

 例のごとく魚と山菜のセットを扉の前に置き、その場から立ち去ろうとしたときだった。

 扉の開く音がする。

 振り返ってみると、遠野が顔をだしていた。

 魚と山菜のセットに目をやっていう。


「こんなことしても無駄です」

「俺はただ、遠野に元気に――」

「ごんぎつねじゃないんですよ」


 遠野はいう。


「いくら食べ物を運んできても、なにも起きません……起きるわけないじゃないですか」


 そういわれて、俺は返す言葉もなかった。

 まったく、そのとおりだったからだ。


 ◇


 立ち話もなんですから。

 遠野はそういって俺を部屋に招きいれた。表情は硬く、不機嫌そうな口調だった。俺がなかに入ると、遠野は背中を向けて部屋の奥に引っ込んでいった。そして、床に置かれた大きなクッションに座り、膝を抱えて顔を伏せる。


「一体なにしにきたんですか」

「俺は自分にできることを……」


 そういって、台所に魚と山菜ののった竹かごを置く。


「それ、いらないです」


 遠野がいう。


「お腹減ってないんで」

「こういうの、もう持ってこないほうがいいかな」

「……好きにすればいいですけど、大道寺さんに渡すだけです」


 遠野は膝を抱え、顔を伏せたままいう。

 数カ月ぶりに入った遠野の部屋は、以前よりも少し散らかっていた。シンクのなかに洗い物が残っており、床には脱ぎっぱなしの服が散らばっている。

 俺は台所に立って、洗い物をして、さらに服をたたんでいく。


「ふった恋人のためにそんなことする必要ないですよ。普通、ほっとくもんです」

「しかし……悪いのは俺だから……」



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