わたし、二番目の彼女でいいから。8

第27話 京都正常化交渉 ③

 彼女は近づいてくるなり、俺の腕をとった。

 それをみた早坂さんが張りついた笑顔を浮かべながらいう。


「橘さん、そういうのよくないよ。ここ学校だし、先生と生徒が周りに勘ちがいされるようなスキンシップは――」

「勘ちがいじゃないから大丈夫です」


 みゆきちゃんはそこで、早坂さんを、むっ、とにらむ。


「早坂先生、なにかと私と桐島先生のジャマしようとしますよね」

「私は橘さんの将来を思ってだね」

「桐島先生は私のこと若くてかわいいといってくれます」

「…………」


 沈黙の早坂さん。こりゃまずい。


「桐島先生は私のことが好きなんです。だから、早坂先生はさっさとあきらめてください。若い女子高生に、男子たちのお、おか、おかずになってるだけの早坂先生は勝てないんです!」


 俺は思う。若さってこわい。

 早坂さんは笑顔で俺にいう。


「桐島くん、先に私の車にいってて。私、この子にちょっと指導してからいくから」


 橘さん、いこっか。と、早坂さんは笑顔ながら、親指で生徒指導室をちょいちょいと指し示す。絶対、よくない指導をする気だ。でも、みゆきちゃんも強かった。


「いきません。だって私、桐島先生とデートしますから」

「あのね」


 早坂さんは眉をぴくぴくさせながらも、ぎりぎり笑顔を保ちながらいう。


「そういうことはできないんだよ。男の先生はね、女子生徒と極力ふたりきりにならないように指導されてるんだから。だから、桐島くんはそういうことしないよ」

「桐島くん?」

「あ、ごめん。つい普段の仲の良さがでちゃった。学校では同僚として振る舞わなきゃいけないのにね。しまったしまった」


 なんて、さらりとマウントをとろうとする早坂さん。

 でも、みゆきちゃんもひるまない。


「早坂先生がいくらとめようとしたって無駄です。私は桐島先生とふたりきりになる理由があります」


 そういってみゆきちゃんがだしたのは――。

 赤点のテスト用紙だった。


「私は小テストで赤点をとりました。つまり、補習を受けなきゃいけません。桐島先生の科目なので、桐島先生による補習です」

「それ、誰でも解ける簡単なテストだよね?」

「でも、私は赤点をとったんです。このテストで赤点を取るのは私だけだと思いますが、仕方ありません。ということなので――」


 みゆきちゃんは俺の腕をつかんで、頬を赤らめる。


「じゃあ桐島先生……私を指導してください……」


 そういって教室に向かって歩きだす。


「桐島くん、ちゃんと教えてあげてね。先生として、大人として」

「あ、ああ」


 早坂さんの圧のある笑顔を背に、俺はみゆきちゃんに教室へと連れていかれたのだった。

 教室に入る前に、俺は先生としていう。


「よくないぞ、早坂先生にああいう態度」

「早坂先生がわるいんです。なんか、桐島先生のことならなんでもわかってますって顔するから……でも、これでふたりきりですね……」


 そこで、みゆきちゃんは恥ずかしそうに、もじもじする。


「私と桐島先生、放課後の教室でふたりきりになっちゃうんだ……」

「補習するだけだからな」


 俺はいうんだけど、みゆきちゃんは顔をあげていう。


「今日という今日は私の気持ちを受け止めてもらいます。私は本気なんです。生徒だからとか、先生だからとかいって、逃げないでください」


 でも、教室の扉をあけた瞬間、みゆきちゃんは戸惑いの声をあげる。


「え?」


 簡単なテスト、赤点をとるのはみゆきちゃんだけのはずだった。

 でも、先にもうひとり、教科書を開いて、姿勢よく座っている生徒がいたからだ。

 門脇くんだ。

 そう、みゆきちゃんが副部長をしている、合唱部の部長。


「なんで……」

「門脇くんも赤点をとったからな」

「あんなテスト、誰でも満点とれるのに……」


 そこで、みゆきちゃんが、むすっ、とした顔で俺をみる。

 そう、俺があえて門脇くんに赤点をつけたのだ。

 俺は熱血教師、桐島だ。

 周囲の状況に流されるだけではない。

 当然、生徒のお悩みだって解決する。京都正常化交渉をおこないつつ、宮前をソフトランディングさせつつ、さらに合唱部の男女戦争だって解決してみせる。そのために、しっかりいろいろと考えているのだ。

 今回の桐島司郎は、一味ちがう。


 ◇


 放課後の教室、みゆきちゃんと門脇くん、ふたりの補習がはじまる。

 これは三正面作戦のひとつ、合唱部問題だ。

 合唱部は男女間のいざこざから決裂し、部長の門脇くんと副部長のみゆきちゃんがそれを修復しようとしていたが、門脇くんがみゆきちゃんに恋心を抱いたせいで、みゆきちゃんが部にこなくなり、男女間の溝は埋まらず、コンクールへの出場が危ぶまれている。

 俺は教師の立場から、部長と副部長の関係を修復しようと一計を案じたのだった。

 だから――。


「今日の補習は互いに教えあいっこをしてもらう」


 俺はいう。


「教えることで理解も深まるからな。門脇くんは先にきて予習していたようだし、まずは門脇くんが橘さんに教えてみようか」


 橘さんが不機嫌そうな表情をして、門脇くんが苦笑いする。門脇くんの気持ちもわかるが、ここを乗り越えなければいけない。

 俺が目でうながすと、「じゃ、じゃあ……」と、門脇くんはおずおずとみゆきちゃんの席に近づいて教えはじまる。次の瞬間――。


「おいぃぃぃ~!」


 俺は思わずツッコミを入れていた。みゆきちゃんが、門脇くんの話をききながらも、体を倒して、門脇くんと距離を取るような姿勢をしたからだ。


「男子が女子にやられて一番傷つくことするんじゃないよ! 教室に入ったときのあれもよくないからな!」


 みゆきちゃんが教室に入っていったとき、門脇くんは、「やあ」と手をあげて挨拶をした。でも、みゆきちゃんはなにもきこえていないように席についた。


「ああいうのダメ! 男子にはトラウマになるから!」


 つん、とした顔のまま、みゆきちゃんはなにもこたえない。


「先生、俺がわるいから……」


 門脇くんはそういうのだった。

 結局、みゆきちゃんは門脇くんから不自然に体を離した状態で、教えあいっこをした。もともと簡単なテストということもあって、それは一瞬で終わった。


「じゃあ、もう帰っていいですか?」


 みゆきちゃんがカバンに筆箱をしまおうとする。


「ダメだ」


 俺はいう。


「赤点をとったんだ。補習はちゃんと一時間やるからな」

「でも、なにをするんですか」

「これだ」


 俺は超難関大学の過去問が書かれた紙を、一枚だけみゆきちゃんに渡す。一の矢がダメなら、二の矢がある。


「この問題を協力して解いてもらう」


 さらに俺はふたりの机を無理やりくっつける。


「ちゃんと話しあって解くんだぞ」


 しかし――。

 結論からいうと、この二の矢も失敗だった。


「じゃあ、門脇さんがまず十分間、問題をみて、思いついたことを書いてください。私はそのあと十分間考えて、また問題を門脇さんに戻します」


 みゆきちゃんはそういうのだ。

 俺は門脇くんにきいた。


「門脇さんって呼ばれてるの?」

「前は『部長』って呼ばれてたんだけど……敬語でもなかったし……」

「ホントに仲良かったのか?」

「僕の過去の記憶は捏造されたものだったのかもしれない……」


 門脇くんは超弱気だった。

 そんなふたりをしばらくみていたが、みゆきちゃんのツンツンモードはいっこうに解けなさそうなので、俺は最後、三の矢を放つことにした。


「アイスブレイクタ~イム! 頭を休める休憩がてら、ちょっとゲームをしよう!」


 俺は教育実習にあたり、なにも勉強の知識だけをひっさげて乗り込んできたわけではない。

 授業をするにあたっては、生徒をリラックスさせたりしてモチベーションを保たせることも先生の役目となる。その技術のひとつとして重要となるのがアイスブレイクだ。

 ひらたくいうと課題の途中で、肩の力を抜く瞬間をつくるということだ。そして、そのときにはゲームをすることが推奨されている。なぜゲームかというと、リラックス効果だけでなく、みんなでゲームをすることで、チームワークも高められるからだ。だから――。


「ふたりには今からジェスチャーゲームをやってもらう」

「ジェスチャーゲーム?」


 首をかしげるみゆきちゃん。


「俺がお題をだすから、ひとりがそれをジェスチャーで伝えて、もうひとりがそれを答えるんだ。例えば、俺が『映画のタイトル』というお題をだしたとする」


 俺は頭の上に両手を伸ばして三角をつくり、体をくねくね動かす。


「なんの映画だと思う?」


 みゆきちゃんは少し考えてからいう。


「不審者の盆踊り?」

「そんな映画ないだろ。ジョーズだよ、ジョーズ」


 みゆきちゃんが同情するような目で俺をみる。この子、本当に俺のことが好きなのだろうか。


「……俺のジェスチャーの評価はとりあえずおいておこう」


 これは門脇くんとみゆきちゃんの凍りついた関係を、まさにアイスブレイクしようという試みなのだ。


「じゃあ最初のお題は『直近、観たスポーツ中継』だ。まず、みゆきちゃんがジェスチャーをやってみよう」


 みゆきちゃんはちょっと不満そうな顔をしていたが、やはり真面目なので、俺のいうことをちゃんときき、その場で立って、くるくると回った。


「フィギュアスケート?」


 門脇くんがいって、みゆきちゃんが、「……正解」という。


「すごいじゃないか」


 俺はいう。


「じゃあ、次いってみよう。お題は『得意な料理』だ。今度は門脇くんがジェスチャーをやるんだ」

「えっと……」


 門脇くんは前後に大きく腕を振りはじめる。


「チャーハン?」


 みゆきちゃんがいって、これも正解。


「よし、どんどんいこう」


 いくつものお題をだして、これを繰り返していく。歴史上の偉人、ハマってるテレビゲーム、読んでいるマンガ、旅行でいきたい場所、エトセトラ、エトセトラ。

 なんてことはないコミュニケーションだけど、こういうことの繰り返しが重要なのだ。

 断絶からの、橋渡し。

 みゆきちゃんも最初はイヤイヤやっているという顔をしていたけど、だんだんゲームのほうに意識が向いて、門脇くんに対して普通に接するようになる。そして――。

 俺が『今したいこと』というお題をだして、門脇くんがジェスチャーをする番がくる。

 門脇くんはおもむろに立ちあがると、口を動かしはじめた。その立っている姿勢で、みゆきちゃんはそれがなにかすぐに察したようだった。

 しかし、みゆきちゃんはなにもいわない。

 ただじっと、門脇くんをみつめつづける。

 門脇くんのジェスチャーはそれまでの遊びとはちがって、真摯なものだった。

 だから俺はきいた。


「門脇くん、そのジェスチャーの正解を教えてくれないか」

「…………合唱です」


 門脇くんは目を伏せていう。


「僕は今、合唱がしたい。部のみんなと、今までみたいに歌いたいんだ」


 門脇くんは本当に合唱が好きみたいだった。



刊行シリーズ

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