わたし、二番目の彼女でいいから。8

第28話 背徳センセイ ②

 しかし――。


「桐島先生はひどい人です!」


 みゆきちゃんは泣きそうな顔で、その場に立ちすくむ。


「私は本気で好きなのに、先生と生徒だからとか、そんなことばかりいって。私の気持ち、ちゃんと考えてくれてないじゃないですか。そんなの世間の目を気にしてるだけじゃないですか!」

「いや、それだけじゃなくて……俺はみゆきちゃんのお姉ちゃんともいろいろと関係が……」

「その理由も納得できません」


 みゆきちゃんはいう。


「私は姉とよく似た顔立ちで、女子高生で、姉とちがって胸も……その……お、大きいんです!」

「それ、お姉ちゃんにシバキあげられるやつだからな!」


 いずれにせよ、みゆきちゃんは帰ってくれないようだった。


「どうすれば、納得してくれるんだ?」

「桐島先生が、私の気持ちにちゃんと向きあってくれたうえでだした結論なら、私も文句はいいません。でも、今のままじゃ……納得できません」

「わかった。なにができるか、考えてみよう」


 と、俺はいう。


「でも、俺が真剣に向きあったかどうかをどうやって判断するんだ?」

「だったらまず……これを一緒にやってください」


 そういって、みゆきちゃんがカバンからとりだしたのは――。


「恋愛ノート!」


 予想外のものの登場に、俺は気絶しそうになる。


「なんで!?」

「姉の部屋にありました」


 そんなもん大事に持っておくんじゃないよ、と思うが、橘さんのことだから思い出として大切にしているのかもしれない。いや、やっぱノートだけは、ただのイタズラ心で持っている気がする。


「このなかの、『不道徳RPG』を一緒にやってください!」

「その内容は知っているが……」


 不道徳RPGは、ロールプレイングゲームを本来の意味に戻したゲームだ。役(ロール)を演じる(プレイング)遊び(ゲーム)。

 そして恋愛ノートに収録されているゲームは男女が仲良くなることを目的としており、このゲームが盛りあがるコツとして、役割を不道徳な組みあわせにすることが推奨されている。

 俺と橘さんはかつて、犬と飼い主でロールプレイをした。


「みゆきちゃんは一体、どんなロールでやるつもりなんだ?」

「先生と生徒です」

「それは、今もそうだろう」


 そこで、みゆきちゃんは恥ずかしそうに、つま先をみながらいう。


「正確にいうと……『家に居場所がない女子生徒』と、『それを家にあげるイケナイ先生です』」

「急に不道徳になったな!」


 俺はみゆきちゃんの態度をみながらいう。


「いや、みゆきちゃんも恥ずかしがってるじゃないか。ロールプレイングは照れちゃできないんだ」

「だ、大丈夫です! やります!」


 みゆきちゃんはいう。


「桐島先生が、本当に私のことをなんとも思ってないなら、クールにやり遂げられるはずなんです。でももし、桐島先生が照れたり、私にドキドキしたりしたら、それは恋愛感情で、私に可能性があるってことなんです! 桐島先生がクールにやり遂げたら私は納得とともにあきらめます! でも、ドキドキしちゃったら、デートしてもらいます!」

「なんかすっごい強引な論法!」

「いいじゃないですか、桐島先生は大人で、生徒にはドキドキしないんですよね!?」


 俺は鉄の倫理観を持つ先生であり、十代の小娘に翻弄されるような軟弱な成人男性でもない。

 だがしかし――。


「やめておこう。恋愛ノートには変な力が宿っている。万が一があっては危ない」

「……そうやって、最後まで私の気持ちに向きあってくれないんですね」


 みゆきちゃんは哀しそうな顔になる。

 今にも泣きだしそうだ。

 その表情をみているだけで、胸が痛いし、なによりここで泣かれたらそれはそれで長居することになって、宮前が帰ってきてしまう。ならば――。

 俺はみゆきちゃんのあごを指でつまんで、くいっとあげる。


「俺の指導は厳しいぞ」

「先生!」


 みゆきちゃんの顔が明るくなる。


「ノリノリじゃないですか」

「ちょっとだけだからな」


 そう、これはあくまで教育的指導なのだ。教師と先生との恋愛など、鉄の自制心の前では有り得ないと示すための指導だ。


「先生がドキドキしたら、デートですからね」

「いいだろう」


 日々、成長している俺をなめてもらっては困る。恋愛ノートで頭がバカになっていたあの頃とはちがうのだ。小娘相手に俺が負けるわけがない。


「それじゃあ、やってみるか」

「やってみましょう」


 じゃあいきますよ、とみゆきちゃんがいう。


「三年二組!」

「背徳センセイ!」


 そういう流れになった。


 ◇


 俺のロールはあくまで『イケナイ先生』である。つまり、生徒にイケナイ感情を抱く先生ということだ。そしてそんな役を演じつつも、大人の余裕を持って、このゲームをやりきらなければいけない。

 本気でドキドキしてはいけない。あくまで、みゆきちゃんが楽しむため、シチュエーションづくりに手をかすということ。もしドキドキしてしまったらデートだ。


「じゃあ、最初からやりますね」

「最初から?」


 首をかしげていると、みゆきちゃんがいそいそと玄関にゆき、靴を履いて外にでていった。

 一瞬、間があってチャイムが鳴る。扉をあけると、暗い顔のみゆきちゃんがいた。


「先生、夜分にすいません」


 すがるような表情でいう。


「家に居場所がなくて……泊るところもなくて……」


 どうやらロールプレイがはじまっているらしい。俺がどうしようか考えているあいだも、みゆきちゃんは同じ表情をつづけている。演技派だ。

 これに付き合うためにはどうすればいいだろうか。

 そのとき、天啓のごとく脳裏によぎったのは、国語の教科書でおなじみ『山月記』を書き、三十三歳の若さでこの世を去った文豪、中島敦大先生だった。

 教科書に載るような倫理的な作品を書き、七三分けに丸いメガネという風貌から、真面目で、薄幸の天才といった印象を受けるが、執筆をしながら横浜高等女学校の教師をし、妻がいるにもかかわらず、複数の女子生徒に手をだしていたというのは有名な話だ。

 俺は今から――中島敦先生になることに決めた。

 それはある種、倫理から解き放たれた虎になるということだ。

 浜波なんぞはそんな俺をみていうかもしれない。


『まさかその声は、我が友・桐島司郎ではないか』


 それはさておき、俺が中島敦先生になることには狙いがある。

 みゆきちゃんはなんやかんやでうぶだ。ここで俺が当代に名を残す背徳センセイ、中島敦になることで、その耽美な世界に恐れおののかせ、この可憐な少女を撃退するのだ。

 ふぁみ~、と鳴き声をあげながら部屋をとびだしていくみゆきちゃんがみえる。

 そういえば橘さんも、恋愛ゲームをするたびに、ぎりぎりのところで恥ずかしくなって、ふみ~、といいながら逃げだしていた。今回も、そのパターンでいこう。


「先生……寒いです……」


 初夏なのにそんなことをいう、みゆきちゃん。

 そんな演技をしていられるのも今のうちだ。そう思いながら、俺は意識を中島敦先生に没入させていく。そして――。


「わかった。入りなさい」


 そういって、みゆきちゃんを部屋に招きいれた。みゆきちゃんが靴を脱いであがるとき、俺は、足元に気をつけて、といいながらみゆきちゃんの腰にそっとふれた。

 シャツと制服のスカートの境目、背中から下半身にかけての曲線に手をあてたのだ。

 壊れそうなほどに、華奢な腰つき。

 俺に手を添えられて、みゆきちゃんは一瞬、驚いたような、戸惑ったような顔をしたが――。


「はい……」


 目を伏せ、玄関をあがった。どこにもゆくあてのない少女が、これからこの部屋で起きることを受け入れたような、そんな表情だった。

 ……。

 …………みゆきちゃん、演技派だな。役に入りこむタイプか?

 それはさておき、俺はみゆきちゃんを座椅子に座らせ、コーヒーを淹れる。


「さあ、これを飲んで温まりなさい」

「……ありがとうございます」


 少女はマグカップを両手で持ち、口元に運ぶ。


「家に、居場所はないのか」

「はい……私にはどこにも居場所がありません……」


 この十代の少女の家庭には、なにかしらの事情があるのだろう。そして担任である俺を頼ってきた。この残酷な世の中で、すがりつける大人は俺しかいないのだ。

 だから、俺がみゆきちゃんになにをしても、彼女は流されるままになるしかない。

 俺の視線は自然とみゆきちゃんの体に注がれていた。

 なるほど、中島敦大先生の目を通してみれば、みゆきちゃんは日陰に咲く白い花のようだった。美しく、可憐であり、どこか……いじめたくなるような……。

 透明感のある白い肌、薄いくちびる、頼りない肩、シャツの胸のふくらみ、短いスカートからみえる、まっさらな太もも――。

 そんな俺の視線に気づき、みゆきちゃんは身をよじり、スカートの裾を指で引っ張った。

 そこで、気づく。

 俺は今、大人の視線で、まっ白な少女を汚そうとしたのだ。

 そして少女は、なけなしの力を振り絞って、手つかずの美しさを守った。


「私……ご飯つくりますね……先生に、迷惑ばかりかけていますから……」


 みゆきちゃんは俺の視線から逃げるように台所へと向かった。そして制服姿のまま、料理をしはじめる。押し黙ったまま野菜を洗い、まな板をだし、包丁を握り、切りはじめる。

 教室では凛とした優等生が、夜、男性教師の部屋で料理をしている。

 それは、この世でもっとも許されざる行為のようだった。そして、蠱惑的であった。

 私はもう、自分が桐島司郎であるのか、横浜高等女学校の背徳教師であるのか、わからなくなっていた。

 ただ、わかるのは、台所に立つ無垢な少女が、これから自分の身に起きることをわかっていて、それを受け入れようとしていることだけです。

 だから私は、彼女の後ろに立って、包丁を握る手を、上から握ります。


「包丁はこのように握りなさい」


 さらに野菜に添えている左手にも、私は自分の手を重ねます。


「せ、先生、これでは料理ができません……」


 喘ぐようにいう、みゆきちゃん。

 少女は包丁をまな板に落としてしまいます。


「わるい子だな」


 私はそういいながら、自分の指をみゆきちゃんの白くて細い指にからめます。


「先生、ダメです……こんな……」


 からみあう指はとても淫靡なものです。


「私、料理しないと……」


 みゆきちゃんはそういって、計量カップで水を測り、鍋に入れようとします。でも、後ろから私の体を押しあてられ、キッチンと挟まれて窮屈なせいもあり、手を滑らせて、水をこぼしてしまいます。

 水が、みゆきちゃんの胸元と、スカートを濡らします。

 黒いレースの下着が、濡れた白いシャツから透けていました。高校生とは思えない、とても大きな胸元です。


「まったく、手のかかる生徒だ」


 私はハンドタオルでみゆきちゃんの胸元をふいていきます。シャツと下着越しに、誰もふれることのない、その無垢なふくらみを感じます。


「思ったより濡れているな……」



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