わたし、二番目の彼女でいいから。9

第32話 ラスト桐島 ①

 じりじりと、夜が深まっていく。

 大学三回生の、冬だった。

 古びたアパートの一室に、麻雀牌の音が響く。

 大道寺さん、福田くん、俺、そして遠野と宮前の連合軍で、勝負をしていた。

 みな一様に半纏を着て、コタツに体をつっこみながら、牌をにらんでいる。

 緊張感が、あった。

 はじまるまえに、全員でお金をだしあったからだ。

下宿の大学生には痛い額。

 そして、一位になったものが、全員のお金を獲得するというルールで勝負をしていた。

なぜそんなことをしているかというと、大道寺さんがいったのだ。


「伝統は今を生きるものがつくる。俺たちのはじめたことが後輩たちに受け継がれ、やがてヤマメ荘チャレンジカップと呼ばれるようになり、一位総取りのひりつく勝負が毎年おこなわれるようになる」


 ということで、俺たちは、自分の懐からだした今月の食費を取り戻し、なおかつ遊ぶためのあぶく銭を手にするため、この寒い夜に、麻雀牌と熱くむきあっているのだった。

 大道寺さんのこめかみを汗がつたう。

 福田くんはあごに手をあてながら、皆の捨て牌を何度も確認している。

 遠野は深く考えこんでおり、その後ろから宮前が抱きつきながら手牌をにらんでいた。宮前の腕には力が入りすぎていて、遠野の首をぎゅうぎゅうとしめつけている。

 俺は煙管を吹かしながら、つとめて冷静な顔をしていた。

 福田くんが、そんな俺の顔をみていう。


「桐島くん、なにか大きな手を張っているね」

「そういう駆け引きをする福田くんは、手がないとみえる」


 遠野は鋭い勝負師の眼光で、そんな俺たちのやりとりをみている。

 ふと気づけば、宮前がこそこそと近づいてきて、背後から俺の手牌をのぞこうとしていた。

 俺は、ふぅ~、と煙管の白煙を口から吐く。


「わ~! 煙たい!」


 逃げていく宮前。

 俺は着流しだけでなく、煙管も吸うようになり、桐島京都スタイルちょっとアウトローエディションを完成させていたのだった。


「桐島のアホ~!!」


 宮前が遠野の背中に戻ったところで、大道寺さんが唸りながら、牌を捨てる。

 勝負から下りたことがわかる捨て牌だった。しかし――。


「ポン!」


 遠野が勢いよく牌をひろって、大事そうに三つそろえてならべる。

 大道寺さんも俺が大きな手を張っていることに気づいており、ただ自分があがることが難しいため、手の早そうな遠野を先にあがらせることに決めたようだった。

 ただでは勝負を下りない。さすが大道寺さん。


「ポンポンポンポンポ~ン!!」


 その意図をくみとって、牌を集めだす遠野。

俺より先にあがろうと、役づくりよりも速さを優先しはじめる。

 みんなの勘は正しい。

 俺の張っている手は勝負を終わらせる手だ。だから、他の三人が結託して、遠野を安い役であがらせてこの局を流し、次の局で仕切りなおすというのはとても合理的な判断だった。

 しかし――。

 本当の勝負の分かれ目は、そういったロジックや定石といったものの向こう側に存在する。

 理外の理。

 俺は我慢強く待ちつづける。福田くんも遠野が欲しそうな牌を捨てはじめ、遠野の手づくりが加速する。できあがっていく遠野の手を、俺はただみているしかない。

俺がひくことのできる牌の山が、どんどん減っていく。

大きな手を張っているものの、俺はどんどん追いつめられていく。

でも、そのうち遠野の勢いがとまる。

そう簡単に待っている牌が次から次にくるものではない。

 一方で、俺には予感があった。

 三対一になったこの局面、嵐のような時間を耐え忍べば、勝機は訪れる。

 分厚い雲を抜ければ、青い空。

我慢を重ねたものにだけもたらされる最後のピースを、俺は静かに待ちつづけた。

そして、そのときはきた。

俺にはそれがわかった。

山に、手を伸ばす。

 牌が、光ってみえた。

 硬く、つるつるとした表面に指先がふれ、その牌をひきいれる。

 四人が俺の裂帛の気迫に息をのむ。

 俺は煙管を天井にむかって投げる。

 くるくるとまわる煙管。


「――ツモ」


 俺は静かにいって、十四の牌を倒す。

そして、落ちてきた煙管をキャッチしていう。


「国士無双、十三面待ち」


俺は第一回ヤマメ荘チャレンジカップの賞金を手に、自室へと引きあげていった。

夜通し熱い戦いを繰り広げたため、つかれていたのだろう。

窓の外の白んだ空をみながら眠りにつき、起きたときには夕方になっていた。

浮世の垢を落とそうと思い、俺は近くの銭湯へとゆき、湯に浸かる。そして、さっぱりした気分でまた部屋へと戻り、旅支度を調える。麻雀の賞金は袖のなかに入れた。

ヤマメ荘の玄関をでてみれば、大きな月が、京都の山々を照らしていた。

冬の寒さを感じながら、一歩踏みだしたところで、声をかけられる。


「桐島」


 大道寺さんが、壁にもたれて腕を組んでいた。


「いくのか」

「ええ。路銀も手に入ったので、東京にいってきます」


 初夏、遠野が俺の愚かさを許し、京都は温かい場所に戻った。また一緒に魚を焼き、卓を囲んで麻雀をしている。宮前も友人として楽しそうで、いつも笑っている。

 よかったと、思う。

 そして、俺にはもうひとつ、最後に、決着をつけなければいけないことが残っていた。

 十代の青い衝動。

 純粋な恋。

 あのときたどり着けなかった結末に、今、俺は向かっていく。


「やれるのか」


 大道寺さんにきかれて、俺はうなずく。


「今まで、愛とはなにかと問いつづけてきました。心理学、哲学、その他いろいろ。あれやこれやと考えつづけ、己をエーリッヒ・フロムになぞらえたこともありました」


 しかし――。


「やっと、わかりました。俺は俺でしかなく、他の何者にもなれないのです。ですから俺は桐島として、素直にふたりの気持ちと向かいあい、結論をだすつもりです」

「そうか。きっと、今の桐島なら、できるのだろう」


 大道寺さんは重々しくうなずく。


「国士無双十三面待ちなど、よほどの覚悟と決意がなければ届かぬ至高の領域だ」

「はい。今の俺にはそれがあります」


 俺はこれまで、いろいろと考えては悩んできた。

 でも、もう、迷いはない。

 真っすぐ、俺のまま、自分自身のまま、ぶつかっていく。ストレートにいく。

 そして、橘さんか早坂さん、そのどちらかを選び、あの日の恋に決着をつける。


「これが最後なんです」


 いうなれば、俺は今、最後の選択をしようとしている桐島だ。

 つまり――。


「ラスト桐島、そう、呼んでください」



 麻雀の賞金で夜行バスの切符を買い、乗りこんでいく。

 窓際の席に座り、しばらくしたところでバスが出発する。

 乗客はまばらだった。サラリーマン風の男の人、若い女の人、年配の人。みな、それぞれの事情を抱えて、東京にむかっているのだろう。夜行バスは、新幹線や飛行機なんかよりもずっと、そういう個人の事情を連想させた。

 目的地があり、夜どおし、走りつづける。

 静かで、どこか寂しい雰囲気。

 高速道路に入ったところで、車内の明かりが暗くなる。

 俺は窓の外にみえる景色をながめつづけた。市街地を抜け、トンネルを何度かくぐったところで、周囲は真っ暗になった。

 なにもない場所を走っているみたいに感じられた。

 それでも、遠くにぽつりぽつりと街の明かりがみえる。

 それは地上に映された、星空のようでもあった。

 ふと、夜を巻き戻す、という言葉が浮かんだ。

 夜を、巻き戻す。

 そのとおりだった。俺は夜行バスに乗って、あの頃に戻ろうとしていた。

 胸を突きさすような痛み。

 やけつくような肌の熱さ。

 東京では、早坂さんも待っている。

 橘さんからメッセージが届いたのは、数日前だった。


「あのときのつづき、やろう」


 多くを語る必要はなかった。

 やるべきことは、ずっとわかっていたからだ。

 それで、俺は東京に向かっている。

 十代のとき、だせなかった結論。

いえなかった言葉。

 まだ、どうするかは決めていない。

 けれど、どうなるにせよ、それは苦しく、激しい痛みをともなうものになるだろう。

 俺は想った。

 十七歳のときの、橘さんの気持ち。

 ガラスのように繊細で透きとおっていた。

 早坂さんの気持ち。

 純粋で、どこまでもひたむきだった。

 俺は今からそれらに向きあうのだ。

 胸が、締めつけられる。

 シートに身を沈めながら、彼女たちの気持ちを考えつづけた。

 夜に溶けていくようだった。

 空が明るくなりはじめたころ、バスは到着した。俺はバスから降りて、硬くなった体を少し動かしたあと、バスターミナルからでて、橘さんの姿を探す。

 冬の朝の、澄んだ空気。

まださほど交通量のない道路に車が停められていて、その前に橘さんはいた。

 コートを着た橘さんは白い息を吐きながら、憂いをおびた表情で、どこか切なく、儚げにそこにたたずんでいる――。

 はずだった。

 俺の想像のなかでは。

 しかし現実の橘さんは、頭に犬耳のカチューシャをつけ、首からはポップコーンのバケツをさげた超ゴキゲンな格好で俺を待っていた。


「司郎くん、遅い」

「…………」

「私たちは開園前からならんで、ダッシュしなきゃいけない」


 浮かれポンチなビジュアルの橘さんがいう。

 さらに、停まっていた車の助手席から、早坂さんもでてくる。橘さんと同じく、頭にキャラクターのカチューシャをしていて、早坂さんは猫耳だった。

 そんな早坂さんは俺をみるなり、例の、圧のあるつくり笑いを浮かべていう。


「桐島くん、なんで着流しできてるの?」

「え?」


 俺は早坂さんの笑顔のプレッシャーをうけながらいう。


「これは以前、早坂さんがいった、京都の俺も本当の俺だというような言葉がとてもよかったからというか、なんというか」

「今日はさあ、そういうんじゃないよね」


 なんてやりとりをしていると、橘さんも眉間にしわを寄せていう。


「司郎くん、私、ちゃんと気持ちつくってきて、っていったよね?」

「ああ。だから夜行バスのなかで、かなりエモい感じの気持ちをつくりこんできたんだけど」


 俺がいうと、ふたりは顔をみあわせて、肩をすくめた。


「まあいいや」


 そういいながら、橘さんが俺の頭に虎の耳をつける。


「シッポはどうしよう? 帯のところかな?」


 早坂さんがきいて、橘さんが「着流しに穴あけちゃえばいいよ」と、お尻をちくっとやられつつ、シッポまでとりつけられる。


「もしかして――」

「うん」


 橘さんがうなずく。

どうやら、俺たちはこれから一緒にテーマパークにいくらしい。橘さんの愛車は本来、ツーシートの古いポンコツロードスターだが、路肩に停まっているのはボックスカーだ。きけば、三人で車に乗っていけるよう、わざわざ橘さんのお母さんから借りてきたという。


「えっと……あのときのつづきをやるっていうのは?」


 俺がきくと、早坂さんが「そうだよ」とこたえる。



刊行シリーズ

わたし、二番目の彼女でいいから。9の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。8の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。7の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。6の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。5の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。4の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。3の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。2の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。の書影