わたし、二番目の彼女でいいから。9

第32話 ラスト桐島 ④

「なかに入れば、早坂さんはもっと司郎くんのことを好きになるのにね。司郎くんも、気持ちよくなれるのにね」


 でも、俺はそれをしてはいけない。なぜなら――。


「司郎くんは私のことが好き。でも、早坂さんのことも好き。ふたりのことを好きになってしまったから」


 そのとおりだった。

俺は橘さんが好きで、でも、まちがいなく早坂さんのことも好きで、今だって、橘さんを愛おしく抱きしめたあとに早坂さんを抱きしめれば、やはり早坂さんのことが愛おしくなるし、そのあとで橘さんを抱きしめれば、そうなるのだ。

 結局、俺は一晩中、最後までは思いどおりにはならないなかで、ふたりの体に、好意に溺れつづけた。

 愛と苦しみ。

 ふたりを好きだという衝動と、ふたりに好かれる快感と、自分の弱さとずるさ。

それはまさに――。

 十代のときと同じだった。

俺はあのころの気持ちを、完全に思いだしていた。



 朝、自分の部屋をチェックアウトし、ロビーへと向かう。

 しばらく待っていると、橘さんと早坂さんがやってくる。

 きちんと身支度しているけれど、俺は明け方の、彼女たちの姿を思い出す。

 申し訳程度に足に引っかかっていた下着、弛緩した白い体、乱れたシーツ、けだるげに俺を抱きしめようと伸ばす腕。

 今の、かわいらしい姿からは想像もできない光景。

 橘さんと早坂さんも、俺の顔をみて、恥ずかしそうに目を伏せる。

 でも――。


「もう、いい」


 橘さんはそういって、近づいてくる。


「私は司郎くんのこと好きだから」


 そして、朝とは思えないほどの、湿度の高いキスをしてきた。昨日の夜のつづきのように、体を押しつけ、俺の舌を吸う。口を離したとき、唾液が糸をひいた。


「司郎くんとちゃんと恋人する。それで、私しかいないって教えてあげる。わからせて、私に、溺れさせてあげる」


 そうしていると、今度は早坂さんが近づいてきて、俺と橘さんのあいだに割って入る。


「私だって、なにも恥ずかしくないよ」


 早坂さんはそういって、キスをする。橘さんのキスを上書きするように、俺の口のなかに舌を入れて、一生懸命に動かす。

 口を離したあとで、「えへへ」と笑う早坂さん。


「これからは、もっとしてあげるからね。桐島くんが気持ちいいこと、いっぱいしてあげる。だって、恋人だもん。桐島くんにはね、私しかいないんだよ。私が、桐島くんのこと一番わかってるんだよ」


 そんなことをやったあとで、俺たちはまたテーマパークをまわった。

 昨日とちがって、アトラクションに乗るごとに、ふたりは俺のとなりを入れ替わった。交互に彼女をするということなのだろう。

 橘さんが俺のとなりにいるとき、俺と橘さんはまちがいなく彼氏彼女だった。橘さんは静かに俺の手を握って歩き、様々な場所で、俺と一緒に写った自撮りをたくさん撮った。

 早坂さんがとなりにいるとき、俺と早坂さんも、ちゃんと彼氏彼女だった。早坂さんは俺の腕を抱いて歩き、アトラクションを待っているとき、「これ美味しいよ~」と、俺の口に、楽しそうにポップコーンを放りこんだ。

 瞬間を切り取れば、テーマパークで遊ぶ、とても幸せそうな恋人たちにみえただろう。

 しかし――。

 俺と橘さんが手をつないでいるとき、早坂さんは、とても哀しそうな顔をしていた。

 早坂さんが俺の腕を抱いているとき、橘さんはひどく傷ついた顔をしていた。



 夜の海沿いの道を、車が走る。

等間隔にならんだ街灯。

車のなかは、行きとちがって、とても静かだった。

 テーマパークで遊ぶ時間は完全に終わっていた。


「ずっとこのままじゃいられない」


 ハンドルを握る橘さんがいう。

 車はただ、遥か先までつづく道を走りつづける。


「そうだね」


 しばらくしたところで、助手席に座る早坂さんがいう。


「あのころ私は、好きになった人に、私だけをみていてほしかった」


 そして――。


「それは今も変わってない。昨日の夜、桐島くんと抱きあってわかった。私の気持ちは、あの頃のままで、ずっとそこにある」

「私も」


 街灯の光が、橘さんの冷静な横顔を照らす。


「好きな人には私だけをみていてほしいし、私も、そうしていたい」


 だから、このままではいられない。この共有関係はつづけられない。

 橘さんも早坂さんも、ただひとりの恋人と、ふたりきりでいたい。

 その気持ちは、高校時代も同じだった。

 でも今、こうして三人でいるのは――。

 橘さんはいう。


「きっと、臆病だったから」


 俺に、どちらかを選ぶようせまれなかった。橘さんも、早坂さんも、自分が選ばれない可能性を考えて、なし崩し的に、共有というモラトリアムをつくった。

でも――。


「私たちは勇気をだして前に進まなくちゃいけない」


 それは俺も同じだった。

 あのとき、俺が一番、勇気がなかった。

 ふたりが、本当は自分だけをみてほしいと思っていることは、ずっとわかっていた。

 なのに、選べなかった。

 橘さんのことが好きで、早坂さんのことも好きで、ふたりの好意が嬉しくて、それを手離すことができなかった。ぎりぎりになっても、選ばれなかったひとりを深く傷つけることがこわくて、橘さんの、早坂さんの、悲しむ顔がみたくなくて、足がすくんでしまった。

 それが、十代だったあの頃の出来事。

 だから、橘さんのいうとおり、俺たちは勇気を持って前に進まなければならない。

 それが、どういう結末をもたらすにしても。

 あのときやれなかったことをするというのは、そういうことだ。

 今まさに、そのつづきがはじまったのだ。

 終わりに、むかって。

 俺も、その決意を表明しようと、そう思ったそのときだった。


「でもさあ」


 早坂さんが、むすっ、とした声でいう。


「これでいいのかな?」

「どういうこと?」


 橘さんがきいて、早坂さんがこたえる。


「このままいくとさ、私と橘さんが、桐島くんに、私のほうがいいでしょ、っていろいろ競っていく感じになるでしょ?」

「そうなるね」

「それってさ、いい恋人アピールもするけど、その、ほら……けっこう過激な感じにもなっちゃうと思うんだよね」


 そういわれて、橘さんが少し顔を赤くしながらいう。


「まあ……恋人だし、私だって……好きな人と、そういうことしたい気持ちはあるし……それで、そこでも、早坂さんより私のほうがいいでしょ、ってなっちゃうと思う……」

「でもさ、それだとさ――」


 早坂さんは、そこで、ぐっ、と力を入れていう。


「なんか、桐島くんばっかり、いい思いしてない!?」


「たしかに――」


 橘さんもきれいな眉間にしわをよせていう。


「司郎くんばっかり気持ちよくなってる」


 俺はふたりの会話をききながら、なんか、流れ変わってきたな、と思う。

 橘さんは少し考えるような間をとったあとでいう。


「司郎くんは、私と早坂さんのふたりと付き合いながら、最後にひとりを自分のものにすることができる」

「そうなんだよ。それってさ、贅沢すぎじゃない? 私と橘さんだよ?」


 自分の魅力に自覚的な早坂さんはいう。


「私たちみたいなかわいい女の子をさ、交互に好き放題したあとでさ、最後はなんか、すごく悩んで決めます、みたいな感じになって選ぶんだよ!?」

「そういえば――」


 橘さんは、思い返すような顔をしていう。


「バスターミナルからでてきたとき、司郎くん、なんか勝手にエモ顔してた」

「あれ、夜行バスのなかで、ひとりでエモくなってたんだと思うんだよね」

「うん。あのエモ顔は、まちがいなく、ひとりで気持ちよくなってた。エモってた」


 エモ顔ってなに? って感じだけど、ふたりのあいだではしっかり通じているらしい。


「だから、このままじゃダメだよ」

「うん。これ以上、司郎くんにだけいい思いさせちゃダメだと思う」


 では、どうやってこの恋に決着をつけるのか。

 橘さんと早坂さんは、あれこれ話しあう。

 そして、ふたりがだした結論は――。


「私たちで決めよう!」


 というものだった。

 橘さんが、後部座席にいる俺にむかって、それを告げる。


「司郎くんがどっちと付き合うかは、私と早坂さんで決めるから」

「え? 俺の意思は?」

「別にいいでしょ」


 早坂さんがいう。


「桐島くんは私たちが決めかねているあいだは、私たちをふたりを彼女にして楽しめるし、最後は、どっちかのかわいい女の子と付き合えるんだし」

「言葉にすると本当にそのとおりなんだが……」


 それでも俺が、それはどうなのか、俺の意思はまったくなくてもいいのか、と、もにょもにょしていると、ふたりは、「むっ」という顔をして、声をそろえていった。


「桐島くん、私たちのいうことは?」


 いろいろといいたいことはあるが、こうなっては仕方がない。

 ふたりはとても魅力的だけれど、頑固な女の子でもあるのだ。

 それで俺は観念していう。

 橘さんと早坂さんのいうことは――。


「絶対!!」

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