わたし、二番目の彼女でいいから。9
第32話 ラスト桐島 ④
「なかに入れば、早坂さんはもっと司郎くんのことを好きになるのにね。司郎くんも、気持ちよくなれるのにね」
でも、俺はそれをしてはいけない。なぜなら――。
「司郎くんは私のことが好き。でも、早坂さんのことも好き。ふたりのことを好きになってしまったから」
そのとおりだった。
俺は橘さんが好きで、でも、まちがいなく早坂さんのことも好きで、今だって、橘さんを愛おしく抱きしめたあとに早坂さんを抱きしめれば、やはり早坂さんのことが愛おしくなるし、そのあとで橘さんを抱きしめれば、そうなるのだ。
結局、俺は一晩中、最後までは思いどおりにはならないなかで、ふたりの体に、好意に溺れつづけた。
愛と苦しみ。
ふたりを好きだという衝動と、ふたりに好かれる快感と、自分の弱さとずるさ。
それはまさに――。
十代のときと同じだった。
俺はあのころの気持ちを、完全に思いだしていた。
◇
朝、自分の部屋をチェックアウトし、ロビーへと向かう。
しばらく待っていると、橘さんと早坂さんがやってくる。
きちんと身支度しているけれど、俺は明け方の、彼女たちの姿を思い出す。
申し訳程度に足に引っかかっていた下着、弛緩した白い体、乱れたシーツ、けだるげに俺を抱きしめようと伸ばす腕。
今の、かわいらしい姿からは想像もできない光景。
橘さんと早坂さんも、俺の顔をみて、恥ずかしそうに目を伏せる。
でも――。
「もう、いい」
橘さんはそういって、近づいてくる。
「私は司郎くんのこと好きだから」
そして、朝とは思えないほどの、湿度の高いキスをしてきた。昨日の夜のつづきのように、体を押しつけ、俺の舌を吸う。口を離したとき、唾液が糸をひいた。
「司郎くんとちゃんと恋人する。それで、私しかいないって教えてあげる。わからせて、私に、溺れさせてあげる」
そうしていると、今度は早坂さんが近づいてきて、俺と橘さんのあいだに割って入る。
「私だって、なにも恥ずかしくないよ」
早坂さんはそういって、キスをする。橘さんのキスを上書きするように、俺の口のなかに舌を入れて、一生懸命に動かす。
口を離したあとで、「えへへ」と笑う早坂さん。
「これからは、もっとしてあげるからね。桐島くんが気持ちいいこと、いっぱいしてあげる。だって、恋人だもん。桐島くんにはね、私しかいないんだよ。私が、桐島くんのこと一番わかってるんだよ」
そんなことをやったあとで、俺たちはまたテーマパークをまわった。
昨日とちがって、アトラクションに乗るごとに、ふたりは俺のとなりを入れ替わった。交互に彼女をするということなのだろう。
橘さんが俺のとなりにいるとき、俺と橘さんはまちがいなく彼氏彼女だった。橘さんは静かに俺の手を握って歩き、様々な場所で、俺と一緒に写った自撮りをたくさん撮った。
早坂さんがとなりにいるとき、俺と早坂さんも、ちゃんと彼氏彼女だった。早坂さんは俺の腕を抱いて歩き、アトラクションを待っているとき、「これ美味しいよ~」と、俺の口に、楽しそうにポップコーンを放りこんだ。
瞬間を切り取れば、テーマパークで遊ぶ、とても幸せそうな恋人たちにみえただろう。
しかし――。
俺と橘さんが手をつないでいるとき、早坂さんは、とても哀しそうな顔をしていた。
早坂さんが俺の腕を抱いているとき、橘さんはひどく傷ついた顔をしていた。
◇
夜の海沿いの道を、車が走る。
等間隔にならんだ街灯。
車のなかは、行きとちがって、とても静かだった。
テーマパークで遊ぶ時間は完全に終わっていた。
「ずっとこのままじゃいられない」
ハンドルを握る橘さんがいう。
車はただ、遥か先までつづく道を走りつづける。
「そうだね」
しばらくしたところで、助手席に座る早坂さんがいう。
「あのころ私は、好きになった人に、私だけをみていてほしかった」
そして――。
「それは今も変わってない。昨日の夜、桐島くんと抱きあってわかった。私の気持ちは、あの頃のままで、ずっとそこにある」
「私も」
街灯の光が、橘さんの冷静な横顔を照らす。
「好きな人には私だけをみていてほしいし、私も、そうしていたい」
だから、このままではいられない。この共有関係はつづけられない。
橘さんも早坂さんも、ただひとりの恋人と、ふたりきりでいたい。
その気持ちは、高校時代も同じだった。
でも今、こうして三人でいるのは――。
橘さんはいう。
「きっと、臆病だったから」
俺に、どちらかを選ぶようせまれなかった。橘さんも、早坂さんも、自分が選ばれない可能性を考えて、なし崩し的に、共有というモラトリアムをつくった。
でも――。
「私たちは勇気をだして前に進まなくちゃいけない」
それは俺も同じだった。
あのとき、俺が一番、勇気がなかった。
ふたりが、本当は自分だけをみてほしいと思っていることは、ずっとわかっていた。
なのに、選べなかった。
橘さんのことが好きで、早坂さんのことも好きで、ふたりの好意が嬉しくて、それを手離すことができなかった。ぎりぎりになっても、選ばれなかったひとりを深く傷つけることがこわくて、橘さんの、早坂さんの、悲しむ顔がみたくなくて、足がすくんでしまった。
それが、十代だったあの頃の出来事。
だから、橘さんのいうとおり、俺たちは勇気を持って前に進まなければならない。
それが、どういう結末をもたらすにしても。
あのときやれなかったことをするというのは、そういうことだ。
今まさに、そのつづきがはじまったのだ。
終わりに、むかって。
俺も、その決意を表明しようと、そう思ったそのときだった。
「でもさあ」
早坂さんが、むすっ、とした声でいう。
「これでいいのかな?」
「どういうこと?」
橘さんがきいて、早坂さんがこたえる。
「このままいくとさ、私と橘さんが、桐島くんに、私のほうがいいでしょ、っていろいろ競っていく感じになるでしょ?」
「そうなるね」
「それってさ、いい恋人アピールもするけど、その、ほら……けっこう過激な感じにもなっちゃうと思うんだよね」
そういわれて、橘さんが少し顔を赤くしながらいう。
「まあ……恋人だし、私だって……好きな人と、そういうことしたい気持ちはあるし……それで、そこでも、早坂さんより私のほうがいいでしょ、ってなっちゃうと思う……」
「でもさ、それだとさ――」
早坂さんは、そこで、ぐっ、と力を入れていう。
「なんか、桐島くんばっかり、いい思いしてない!?」
「たしかに――」
橘さんもきれいな眉間にしわをよせていう。
「司郎くんばっかり気持ちよくなってる」
俺はふたりの会話をききながら、なんか、流れ変わってきたな、と思う。
橘さんは少し考えるような間をとったあとでいう。
「司郎くんは、私と早坂さんのふたりと付き合いながら、最後にひとりを自分のものにすることができる」
「そうなんだよ。それってさ、贅沢すぎじゃない? 私と橘さんだよ?」
自分の魅力に自覚的な早坂さんはいう。
「私たちみたいなかわいい女の子をさ、交互に好き放題したあとでさ、最後はなんか、すごく悩んで決めます、みたいな感じになって選ぶんだよ!?」
「そういえば――」
橘さんは、思い返すような顔をしていう。
「バスターミナルからでてきたとき、司郎くん、なんか勝手にエモ顔してた」
「あれ、夜行バスのなかで、ひとりでエモくなってたんだと思うんだよね」
「うん。あのエモ顔は、まちがいなく、ひとりで気持ちよくなってた。エモってた」
エモ顔ってなに? って感じだけど、ふたりのあいだではしっかり通じているらしい。
「だから、このままじゃダメだよ」
「うん。これ以上、司郎くんにだけいい思いさせちゃダメだと思う」
では、どうやってこの恋に決着をつけるのか。
橘さんと早坂さんは、あれこれ話しあう。
そして、ふたりがだした結論は――。
「私たちで決めよう!」
というものだった。
橘さんが、後部座席にいる俺にむかって、それを告げる。
「司郎くんがどっちと付き合うかは、私と早坂さんで決めるから」
「え? 俺の意思は?」
「別にいいでしょ」
早坂さんがいう。
「桐島くんは私たちが決めかねているあいだは、私たちをふたりを彼女にして楽しめるし、最後は、どっちかのかわいい女の子と付き合えるんだし」
「言葉にすると本当にそのとおりなんだが……」
それでも俺が、それはどうなのか、俺の意思はまったくなくてもいいのか、と、もにょもにょしていると、ふたりは、「むっ」という顔をして、声をそろえていった。
「桐島くん、私たちのいうことは?」
いろいろといいたいことはあるが、こうなっては仕方がない。
ふたりはとても魅力的だけれど、頑固な女の子でもあるのだ。
それで俺は観念していう。
橘さんと早坂さんのいうことは――。
「絶対!!」



