わたし、二番目の彼女でいいから。9

第33話 恋の十番勝負 ②

 俺がソファーで膝にノートパソコンをのせ、就職活動のエントリーシートを作成していると、パジャマ姿の橘さんがリビングに入ってくる。

 橘さんは早坂さんよりも先にお風呂を終えていて、髪がまだ乾ききっていおらず、少し濡れている。パジャマの薄い生地に下着のラインが浮いていて、少し色っぽい。

 そんな俺の視線に気づくと、橘さんは近づいてきて、少し恥ずかしそうにしながらいう。


「いいよ」


 橘さんは俺の膝の上にあるノートパソコンを脇にどける。


「司郎くん、このあいだは、ずっと我慢してたもんね……今回は、私がしてあげる……」


 俺が座るソファーの前にかがみこむ。そして、早坂さんがしてくれたのと同じように、少し恥ずかしそうに頬を赤らめたあとで、ゆっくりと俺のそれを口に入れた。

 橘さんの小さな口と、舌を感じる。

 お風呂上がりの濡れた髪のままの橘さん。

透明感のある美しい女の子が、唾液の音を立て、下着のラインをパジャマ越しに浮かせてみせながら、それをしてくれている。

俺はすでに、せりあがってくる快感が我慢できない。

でも、そのときだった。


「気持ちよかった~」


 お風呂からあがった早坂さんが、リビングに入ってくる。


「のど乾いちゃった」


 そういいながら、そのままキッチンへいき、冷蔵庫を開ける。そして、こちらをみて――。


「あれ、橘さんは?」


 早坂さんの角度からは、俺はみえても、四つん這いになっている橘さんはみえていないのだった。


「部屋でマンガでも読んでるんじゃないかな」


 俺はそういって、橘さんを部屋に帰らせようとする。しかし――。

橘さんはとても静かに、だけど情熱的に、舌と口を激しく動かしはじめたのだった。

 俺は思わずうめき声をあげてしまう。


「桐島くん、どうかした?」


 早坂さんがコップに水を入れながらいって、「な、なんでもない」と俺はこたえる。そのあいだも、橘さんは口を動かしつづける。


「それで、桐島くん、エントリーシートはできた?」

「いや、ちょっと煮詰まってて――」


 とてつもない状況だった。

 ひとりのかわいらしい女の子と会話をしながら、隠れて、別の美しい女の子に口でしてもらっている。


「ねえ、桐島くん」


 早坂さんはにっこり笑っていう。

 その瞬間だった。

 橘さんが俺のそれを、口の奥へと迎えいれた。俺はその快感に思わず達してしまう。


「私、応援してるからね」

「あ、ああ」

「就活、がんばってね」


 髪乾かさなくちゃ、といって洗面所へと戻っていく早坂さん。

橘さんはそれを見計らって口を離し、俺をみあげながらいった。


「司郎くんには私がいるよ?」


 さらに――。


「司郎くんはいつでも私を抱きしめたり、キスしたりしていいからね。それ以上のことも、していいよ。我慢できなくなったら……今みたいにしてあげるから」


東京での三人の共同生活のはじまりは、こんな感じだった。


「桐島くん、好き」

「司郎くん、好きだよ」


 橘さんと早坂さんにいわれ、なにかあるたびに抱きあい、キスをする。かわいらしい早坂さんの感触、橘さんの美しい感触。

寝起きの早坂さん、ソファーに転がってマンガを読む橘さん、生活のなかで、ふたりの様々な表情をみる。

夜になれば、自分の部屋がない俺は、交互にふたりの部屋にゆき、ベッドで抱きあって眠る。

ルールの範囲のなかで、愛しあう。

とろけるような、甘い生活。

ずっとつづけばいいのに、とすら思うような楽園。

 しかし、当然のように、そこには修正が入る。

 橘さんも早坂さんも、甘いだけの女の子ではないからだ。


「決着がつくまでとはいえさ、やっぱり、桐島くんが幸せすぎじゃない?」

「うん、私もそう思う」


 リビングで、橘さんと早坂さんが会議をはじめる。俺はなぜかそのそばで立たされ、おとなしくふたりの会話をきいているよう命じられている。


「でも、今さら私たちが司郎くんに冷たくしたりするのもちがうと思う」

「そうなんだよね。好きって気持ちをセーブするのはイヤなんだよね」


 じゃあ、どうしよっか、と難しい顔で考えこむふたり。

俺は立ったまま、成り行きをみまもる。


「司郎くんにも、私たちと同じになってもらうってのは?」

「どういうこと?」

「私と早坂さんはとてもかわいい女の子」

「うん」

「はっきりいって、完璧な彼女だと思う」

「だね、まちがいない。絶対」

「だから、司郎くんも完璧な彼氏になるべき」


 つまり――。


「私と早坂さんが思い描く、彼氏にはこうなってほしい、こういうことをしてほしい、って思うことを全部やってもらう」

「なるほど、それはいいね!」


 さっそく、早坂さんがノートを広げ、なにやら書き込みはじめる。


「おはよう、おやすみ、いってらっしゃい、のキスは絶対してほしい。桐島くんのほうから、すすんで、自主的に」

「私は一日に百回は『好きだよ』っていわれてハグされたい。司郎くんがもう私を愛しすぎて我慢できない、っていう様子で」


 理想の彼氏として、俺がやらなければならないことが、次々とリストアップされていく。


「部屋にいるときは、なにげない瞬間に頭をなでられたい。これは一日、十回くらいかな」

「テレビにきれいな女の人が映ったら、『橘さんのほうがきれいだけどな』って必ずいってほしい。とても自然に」

「あ、それ私も」


 どんどん項目が増えていく。


「寝るときは私が反対側を向くから、司郎くんが私のことを一方的に好きって感じになるように、ずっと背中から抱きしめていてほしい。一晩中、離れるの禁止」

「え、俺、寝返りも打てないの?」

「私は桐島くんに腕枕されて眠りたいな。もちろん、一晩中、腕抜くの禁止」

「俺の腕、しぬな……」


 結局、ふたりが書き込んだ項目は、膨大な量となった。


「いいんだけどさ」


 俺はびっしりと文字で埋め尽くされたノートを手渡され、ぱらぱらとめくりながらいう。


「三人で集まった目的、忘れてない?」


 ふたりは視線を天井に向けて、すっとぼけた顔をする。そして、あれをしなきゃ、これをしなきゃといいながら、自分の部屋へと戻っていった。

 俺はノートを片手にその場に立ち尽くし、頭をかきながら、まあ、こうなったらふたりが俺のいうことをきくはずもないし、いつものように流れに身を任せるしかないか、と思う。

 でも――。

 橘さんも、早坂さんも、本当はよくわかっていた。

 この恋に、それほど時間が残されていないことを。

 俺なんかよりも、ずっと。





 集団面接を終え、一緒に面接を受けていた人たちが情報交換をしようと盛りあがり、なぜか俺だけを残して去っていったあとのことだ。

 同じく、他の会社の面接を終えた早坂さんから、『お茶しない?』という誘いがきて、オフィス街にあるカフェへと足早に向かう。

 俺はなにがあっても、三十分以内にそこへ駆けつけなければいけなかった。

理想の彼氏ノートのなかにその項目があるのだ。


『呼ばれたらどこにいても、なにをしていても、三十分以内に駆けつける』


 そこには、お風呂に入っていても、北海道にいても、という注釈がつけられている。

 俺はスマホで最短ルートを調べ、地下鉄に駆けこんで一駅だけ乗り、改札をでてまた走る。

そして指定されたカフェに到着してみれば、テラス席に男女六人のリクルートスーツの集団がいて、そのなかに早坂さんがいた。


「桐島くん! こっち、こっち」


 早坂さんが笑顔で手をあげる。俺が近づいていくと、早坂さんは椅子から立ちあがった。


「じゃあ、彼氏が迎えにきてくれたから。私のこと好きすぎて、嫉妬深くて困るんだよね」

「そういう設定でいくんだ」

「みんな、ごめんね。彼氏が突撃してきちゃって。男の子と一緒にいると、気が気じゃないみたい。このあと大変だなぁ。俺以外の男としゃべるなよ、とかいわれて、怒られちゃうんだろうなぁ。いっぱいご機嫌とってあげなきゃ」


 そういいながら、早坂さんが、ぴょこっ、と手を動かす。俺は嫉妬深い、束縛する彼氏として早坂さんの手をとり、その場を後にしたのだった。


「俺、やばい彼氏って思われただろうな」

「なんか、お腹減ったね」


 しばらく歩いたところで、通り沿いにケーキ屋さんがあり、早坂さんが足をとめ、店内のケーキに熱い視線を注ぎながらいう。


「就職活動する自分にご褒美あげなきゃ!」


 ということで店内に入り、窓際の席にむかいあって座る。ケーキセットを注文したところで、早坂さんは息をつき、表情をゆるめた。


「東京に部屋借りて正解だったね」

「そうだな」


 説明会はWebで参加可能だが、面接になると、対面で実施する企業が多い。そして、企業の多くが、東京に本社があったりするのだった。

 ちなみに、俺も早坂さんも教育実習をしたが、教師になることは今のところ考えていない。

浜波と通話していたとき、「教師にはならないんですか?」と理由をきかれたが、俺はこうこたえた。


『虎に、なってしまう可能性があるからな……山月記、横浜高等女学校……』

『?』


 浜波はスマホの向こうで、よくわかりませんが、というリアクションをしていた。

 早坂さんが教師になることを保留しているのは、男子生徒のテンションがあがりすぎるからというのと、就職活動もやってみて決めればいいという考えだからだ。

 そしていざやってみると――。

 ゆっくりとした音楽の流れる店内、ケーキが運ばれてきたところで、早坂さんはいった。


「私たち、大人になるんだね」


 さっきまでのテンションとはちがい、早坂さんはすっかり落ち着いていた。

静かな瞳が、波の立たない、森の奥の澄んだ湖を連想させる。


「なにかあった?」


 俺がきいて、早坂さんは首を横にふる。


「ううん。特別なことはなにも。でもね、このあいだSNSをみてたんだ」


大学の友人たちの様子が流れてくるらしい。


「金髪だった男の子が、髪を短くして黒くしてたり、派手なネイルをしていた女の子も、元に戻してるんだよね」


 就職活動がはじめると、基本的に、みんな、そういう動きになる。


「これが最後かもしれないから、って、海外旅行とか、みんなで旅行にいく計画を立てたりもするでしょ?」


 大人になったら、忙しくて、まとまった休みをとったり、なにかに腰を据えてチャレンジすることが難しくなる。だから、この時期に、学生のあいだにやっておきたいことはやっておこうという話はあちこちで耳にする。


「社会人になってみたら意外とそうじゃなかったってこともあると思う。でも、本当にここが最後っていう物事はあると思う」


 早坂さんは、就職活動で、感じたことがあるという。


「就職活動ってさ、なんだか受験みたいにみえるけど、実は全然ちがうと思うんだ」


 早坂さんは紅茶に口をつけてからいう。


「ほら、点数じゃないでしょ?」



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