わたし、二番目の彼女でいいから。9

第34話 再会 ①

 数カ月が経過していた。

 葉は青々と茂り、爽やかな日差しが照りつける。

 初夏だった。

 気温は上昇し、通りを歩く人は、その多くが半袖になっている。そんななか、俺はスーツを着て、オフィス街を足早に歩いていた。

 大学四回生になっていた。そしてこの時期になると、同学年のほとんどが、就職活動を終えている。

 早坂さんは関西の企業を中心に、複数社、内定を持っていた。

 京都の面々は、遠野が早々にバレーの実業団チームを持つ企業からオファーがきて入社が決まり、宮前も東京に本社がある、第一希望の会社から内定をもらった。福田くんはもともと大学院に進学するつもりだから就職活動はしていない。

 いまだ進路が決まっていないのは俺だけだった。

夏になり、みんなが卒業旅行や思い出づくりに励むなか、この時期にも募集のある企業に応募をつづけている。

 今日も面接を受け、共同生活をしているマンションの部屋へと戻る。

 ジャケットをハンガーにかけ、リビングのソファーに座ってノートパソコンを開き、メールをチェックすれば、先週、最終面接を受けた企業から、希望に添えない旨のメールが届いていた。

 ノートパソコンの画面をみながら息をついていると、早坂さんが声をかけてくれる。


「だ、大丈夫だよ。ほら、桐島くんの通う大学はあれでしょ? あえて就職しない、自由な人が多いんでしょ?」

「いや、それは偏見だ」


 多くの人がちゃんと就職する。偏屈が集うヤマメ荘の住人のなかには、無頼を気取って就職しないものも一定数いるが、大道寺さんいわく、卒業して一年もすれば正気に戻り、あせって就職して社会に戻っていくという。


「なにより、俺はちゃんと就職活動をしている。そのうえで、落ちているから手に負えない」

「晩ご飯つくらなきゃ」


 早坂さんは、ぴゅ~、っとキッチンにゆき、料理の下ごしらえをはじめる。

 やがて包丁の音が響きはじめ、俺はそれをききながら、気を取り直して、夏採用の募集をしている企業を探しはじめる。

 しかし、俺の就職活動には、どこか迷いのようなものがあった。

 橘さんは東京の芸大に通い、これからもずっと、東京を拠点に活動するだろう。

 一方、早坂さんは関西の企業を中心に内定を持っている。海辺の街で大学生活を送っていることもあり、そちらでの人間関係も発生し、卒業後も関西に残りそうな雰囲気があった。

 俺はふたりの意思を尊重したい。

 一方で、就職活動をするなかで、俺にも、やりたい仕事や入りたい会社というものが生まれている。けれど、今、それを決めてしまっていいものなのだろうか。内定をもらった会社が東京だった場合、もしくは関西だった場合、それは俺たちの関係になにかしらの影響を与えるだろうか。

 一度、俺が勤務する場所について、それとなくきいたとき、早坂さんはいった。


「まずは桐島くんのやりたいこと優先だよ。だって、これからの人生にかかわる、大事なことなんだから」


 橘さんもいった。


「司郎くんがやりたいこと、やってほしい。私、応援してるから」


 俺がふたりに対して思っているように、彼女たちもまた、俺の意思を尊重したいのだ。

 でも――。

 俺が志望する会社に就職したとして、この恋に決着がついたとき、仕事をする場所がバラバラになっていたらどうしよう、と考えてしまう。

 橘さんか早坂さん、そのどちらかと一緒になるときに、遠距離恋愛をするというのは、この恋のたどり着く場所として、なにかちがう気がするのだ。

 それで、どうしても、就職活動への踏み込みが、浅くなってしまう。

 そんなことを考え、気もそぞろになりながら、ノートパソコンの画面をスクロールさせているときだった。


「ただいま」


 玄関の扉が開く音がして、橘さんの声がきこえてくる。大学の講義が終わって、帰ってきたのだ。部屋に入ってきた橘さんは、手に袋を持っている。


「デパートで物産展やってたから、買って帰ってきた」


 袋を掲げてみせる。

 味噌カツ丼だった。


「就職活動に勝つ」


 得意げにいう橘さん。俺のために買ってきてくれたのだ。しかし、そこでキッチンをみる。

 早坂さんがオタマで鍋を混ぜているところだった。

 ふたりはフラットな表情で、数秒みつめあい――。

 すぐに、橘さんがいった。


「こういうの、賞味期限が多少過ぎても、平気だと思う」


 すると、早坂さんもいう。


「私の料理も、タッパーに入れて、保存できるから」


 じゃあ、じゃんけんしよっか、といって、ふたりはじゃんけんをした。橘さんがチョキをだして勝ち、味噌カツ丼を食べることになった。


「ちゃんと三つ買ってきてるから」

「えへへ、楽しみ」


 三人で食べているとき、ふたりは、美味しいね、といって笑っていた。

 俺は食べながら、部屋の隅に置かれた将棋盤に目をやる。

 ふたりが十番勝負のひとつとしてはじめた初心者将棋。

その盤面はこの数カ月、変わっていなかった。



 夕方、橘さんと川沿い、堤防の上を歩く。

 陸上部の高校生の集団が、俺たちを追い抜いていく。犬を散歩する人もいれば、河川敷でテニスをしている人たちの姿もみえる。


「お散歩いこうよ」


 部屋で就活サイトをずっと眺めていたら、橘さんに誘われた。


「気分転換になるし、歩くといいアイディアが浮かぶっていうよ」


 それで、スニーカーを履いて、外にでた。

 橘さんは散歩をするとき、特にコースを決めず、気の向くままに歩く。

 最初は、商店街をぶらぶらした。書店をのぞいて新刊をチェックしたり、雑貨店でお香の匂いをかいだりする。文房具店では、いっぱい試し書きをしたあと、流れるように書きやすい、といって、なんの変哲もないボールペンを一本買った。

 商店街だけでもそれなりに時間を使ったけれど、橘さんはまた歩きだし、市街地を抜け、堤防へとあがったのだった。

 踏切で電車の通過を待ったり、散歩中の犬をなでたりしながら、歩きつづけた。

 部屋に戻ると、早坂さんが待っていた。


「お帰り」


 早坂さんは笑顔でそういってくれる。

 その夜、俺は早坂さんのベッドで眠る日で、当然、くっつきたがりの早坂さんは親密に抱きついてくる。


「えへへ、大好きだよ、桐島くん」


そういって、しっとりとしたキスをしながら、体を押しつけてくるものだから、やはりそういう流れになる。早坂さんは手や口でしてくれて、俺も早坂さんの体をさわり、早坂さんは喘ぎながら何度も達する。

翌朝、俺たちが部屋からでると、橘さんがリビングにいる。


「おはよう」


 橘さんは涼しいかおでいう。


「コーヒー、淹れてあるよ」


橘さんが俺を連れだすことについて、早坂さんがなにかいうことはない。早坂さんが俺にくっつくことについて、橘さんがなにかいうこともない。

 ふたりは互いを許容しながら生活していた。


「今日、服買いにいこうと思ってるんだ」

「私もいく!」


 そういって、一緒におでかけしたりもする。

 ふたりは仲良しだった。

 十番勝負もつづけられたが、お菓子を投げあうような、ポップなものだった。

 公園でブランコに乗って靴を飛ばしたり、カラオケにいって採点したり。これで決着をつけるには、少し、ふたりの仲が良すぎるような気がした。

 ただ、勝負の代わりに、橘さんと早坂さんはよく話し合いをしていた。

 俺が寝たあと、こっそりリビングに集まるのだ。俺はついつい、耳を澄まして話の内容をきいてしまう。だいたい、こんな内容だった。


「橘さんは、これからもずっと東京だよね」

「そうなると思う」

「桐島くんも東京に実家があるし、東京のほうが仕事も多いし、橘さんと一緒になるほうが、桐島くんにとっていいこと多い気がする」


 早坂さんがいって、「そこはそうだね」と橘さんがいう。


「でも、私はきっと会社勤めしないから、司郎くんが働きだしたとき、悩みとかわかってあげられないかもしれない」

「その可能性はあるね」

「早坂さんだったら、そういうのわかるだろうから、そこは早坂さんのほうがいんだと思う。価値観が同じほうがいいって、SNSとかでもよくいわれてるし」


 どちらが俺と一緒になるのがいいか、互いに相手の良いところをあげていく。それがふたりの話し合いだった。

仕事、勤務地、金銭感覚、将来のビジョン。

夜ごと、様々なテーマでそれはおこなわれた。

 橘さんも早坂さんも、穏やかな流れのなかで、この恋の決着がつくように、いろいろと模索しているようだった。

 ただ、ある夜のことだ。

 俺は例のごとく、ベッドのなかでリビングからきこえてくる声をきいていた。その日のテーマは生活のリズムについてだった。橘さんは夜型、早坂さんは朝型で、どちらが俺とあうかどうかについて小一時間ほど話し合いがおこなわれた。

 そして、いつものように結論を持ち越したまま、お開きになろうとしたときだった。

橘さんが遠慮がちに切りだした。


「実は……ずっと、気になってたことがある」

「なに?」

「夏合宿、覚えてる?」


 高校生のときのことだ。ミス研の部室を守るため、活動実績をでっちあげようと、映像作品を撮った。生徒会長の牧が監督で、橘さんが犯人役だった。早坂さんにもキャストとして参加してもらった。


「あのとき、旅館で、早坂さんは私に司郎くんとのキスをみせた。それで、早坂さんは司郎くんのことを『練習』っていった」

「…………」

「あのころ、私はまだ恋のことを全然よくわかってなくて、司郎くんは私のことが好きなはずなのに、なんで早坂さんと付き合ってるんだろう、って戸惑ってた。早坂さんも別に好きな人がいるっていうのに、なんで、司郎くんで練習なんてするんだろうって」


 俺はベッドのなかで、ふたりの会話をきいている。

 扉一枚を隔てて、その向こう側の空気が張り詰めたのがわかった。


「でも、今ならわかる気がする」


 橘さんがいう。


「司郎くんと早坂さんが付き合ってたのってさ、練習じゃなくて――」


 しかし、次の瞬間だった。


「ごめん。今、その話したくない」


 早坂さんがその言葉をさえぎった。

 沈黙。

 少しして、橘さんがいった。


「私こそ、ごめん。今さら、きくことじゃなかったと思う」

「ううん、私がその話はしたくないってだけだから……」


 そこで、早坂さんがつとめて明るい声でいう。


「お詫びっていうわけじゃないけど、実は、デパートでケーキ買ってきたんだよね」

「ホント!?」

「冷蔵庫に入ってるよ。桐島くんの分も半分コして食べちゃおうよ!」

「私、コーヒー淹れる!」


 そして、「おいし~」とふたりでいいながら、仲良くその夜も終えたのだった。


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