わたし、二番目の彼女でいいから。9
34・5話 浜波通信 その2
真っ暗な部屋のなかで、横になっていた。
古い日本家屋の香り。障子の外からは、蛙と虫の鳴き声がきこえてくる。
畳敷きの、和室だった。
一日中歩いたあと、この宿坊にたどり着いた。部屋にはいくつもの布団セットが積みあげられていて、その一枚を敷いて、横になっているのだ。
本来は数人が雑魚寝して宿泊する施設なのだが、今夜は俺ひとりしかいない。
「え? 桐島先輩、どこにいるんですか?」
枕元に置いたスマホが青白い光をはなっていて、そこから声がきこえてくる。
浜波だ。
「虫の音もきこえますね」
「田舎にいる」
俺はこたえる。
「昼、歩いているときは、遠くに山がみえ、周りは青々とした田んぼしかなかった。あぜ道はずっと先までつづいていた。そういう意味では、山頭火の世界といえる。桐島山頭火。歩いても歩いても青い田んぼ。なにをしてもひとり」
「…………」
浜波は、スピーカーの向こうでしばらく沈黙したあと、いう。
「そもそも先輩、姿を消した早坂さんを探しているんじゃありませんでしたっけ?」
「そのとおりだ」
早坂さんは『ごめん』という、ただそれだけのメッセージを残して姿を消した。
あの日から、俺は早坂さんを探しつづけていた。
「そして、この地にたどりついた」
「なるほど、放浪しているうちに山頭火をきどりはじめたわけですか。アホのひとつ覚えとはこのことですね」
ていうか、と浜波はいう。
「なんでまた私に電話してくるんですか? 別に私に話したところで、なにも進展しないですよ?」
「だって――」
俺は薄い布団のうえで、ぐったり横になりながらいう。
「ここはとても暗いんだ。ひとりでとても寂しい……」
田舎であるため、窓をあけたとしても、街の明かりが遠い。
昼、歩いているときも、あまり人とすれちがわなかった。
夜ともなれば、まさに世界にひとりぼっちという雰囲気で、電気を消して横になれば、そのまま闇に溶けてしまいそうだった。
「孤独なんだ……」
「…………」
「なにかいってくれ、浜波……声をきかせてくれ……俺を、励ましてくれ……」
「なにもいいませんよ。ここで元気にツッコミをいれたら、先輩の思うつぼですからね。そこで、ひとりでしおしおになっていてください」
「頼む……浜波……」
「私は桐島先輩を元気づける命の電話ではありませんよ。他をあたってください」
「夏なのに、ひどく寒いんだ……」
「死にかけのセントバーナード犬みたいな声だしても無駄です。桐島先輩に同情してよかった試しがありませんからね」
それにしても、と浜波はいう。
「本当に、いったいどこにいるんですか? それだけは少し気になります」
「よくぞきいてくれた」
俺はむくりと起きあがる。
「俺は今、『宿坊』に泊っている」
「しゅくぼう? お寺とかに併設されている、参拝客が泊まるための宿ですか?」
「ああ。そして俺はいつもの着流しをきていない。とはいえ、洋服も着ているわけでもない。なぜだかわかるか?」
「なんか腹立ちますね~!!」
さっさといってください、と浜波が急かしてくる。それで、俺はいう。
「昼は菅笠をかぶり、白衣を着て、左手には念珠、右手には金剛杖を持って歩きつづけている」
「ま、まさか――」
スピーカーごしに、浜波が目を見開いているのがわかった。
「宿坊、白衣、そこにつづくのは、まさか、八十八か所、御朱印――」
「さすが浜波、慧眼だな」
そのとおり。
「俺は今、四国にいて、お遍路をしている!」
次の瞬間だった。
浜波が声に詰まりながら、なにかいおうとする。
「お、お、お、お、お」
「浜波、どうした? ニワトリか?」
「お~! お~! お~!」
浜波は、お、お、お、と、たっぷりためたあとで――。
「お前、なにやってんだぁ~!! お前~!!」
と、絶叫した。
「早坂先輩が失踪したのに!? 早坂先輩を探さなきゃいけないのに!? お遍路!? 霊場まわれば願いが叶って早坂先輩があらわれるとでも!? そういうんじゃないんですよ! 早坂先輩に謝れ! お遍路にも謝れ! 世界に謝れ、桐島!」
どうどう、と俺は浜波をなだめる。
たしかに、俺のやっていることは、救いようのない阿呆のようにみえるかもしれない。
しかし、これには深い理由と、ある種の確信があるのだった。



