わたし、二番目の彼女でいいから。9

第38話 普通の女の子 ②

 ◇

 

 翌日の昼間、俺は早坂さんの大学にきていた。

 敷地が広く、大きな校舎が何棟も整然と建てられている。曲線がきれいにデザインされた、シンボリスティックな建物もある。もしかしたら、卒業生のなかに、有名な建築家がいるのかもしれない。

 裏には山が広がっており、キャンパス内にも木々が植えられ、とても落ち着いた雰囲気の大学だった。

 なぜ、俺がここにいるかというと、朝、早坂さんがいったのだ。

 

「理想の恋人生活でしたいこと、いろいろ考えてたんだけど、桐島くんが風邪ひいて、お世話してるうちに全部忘れちゃった」

 

 謝る俺に、早坂さんは、「いいのいいの」と手をふった。

 

「私も、研究忙しくなっちゃってるし」

 

 それで、早坂さんがだしたアイディアが、これだった。

 

「学食いっしょに食べない?」

 

 ということで、早坂さんの通う大学にきていた。

 早坂さんの所属する研究室があるという棟の前のベンチでしばらく待っていると、やがて、白衣を着た早坂さんがでてきた。

 

「お待たせ、桐島くん」

「白衣、俺にみせるために着てるだろ」

「桐島くん、ちょっと黙ってよっか」

 

 知的にみせたい早坂さんは、白衣のポケットに手を突っ込んで歩く。

 一緒に学食にむかうあいだ、数人の学生が早坂さんをみつけて声をかけたり、手をあげたりした。

 

「私のこと、友だちいないと思ってたでしょ」

「そんなことはないけど、静かに暮らしてそうだったから」

「それはそうだけどね」

 

 早坂さんはいう。

 

「彼氏に自分の友だちを紹介したりしないだけ。もちろん、友だちにも彼氏自慢もしないし」

 

 早坂さんは、自分はその辺りをしっかり分けるタイプなのだといった。

 そんな話をしていると、また、お友だちらしき女の子が声をかけてくる。

 

「あかねちゃん、もしかして彼氏さん?」

「そうだよ」

「いいなあ。私の彼氏なんて、就職にむけて引っ越しとかいろいろ忙しいからって、全然会ってくれないんだよ。ほら、前に話したでしょ? すごく給料の高い外資系の会社にいくって。そちらの彼氏さんは?」

「まだ進路は決めてないよ」

 

 早坂さんがこたえる。無職とはいわないが、当然、伝わる。

 

「そうなんだ。だから、会えるんだね」

「桐島くんは忙しかったとしても、会いにきてくれるよ。あと、全然そうはみえないけど、頭いい大学通ってる。すごく頭いい。もう、ホントに」

「ふうん。でも就職決まってないんでしょ? いや、別にいいと思うけど。自由な彼氏ってかっこいいと思う。私の彼氏なんて、真面目すぎて困っちゃう。四月からファンドマネージャーなんだよね。ファンド。お金いっぱい。タワマンに住む。まちがいない。高層階すぎて、気圧の関係で米がおいしく炊けない。困った」

「桐島くんは将来すごく稼いでくれるよ。あと、ノーベル平和賞とかとると思う。うん、きっとそうなる。お金も、なんか、五兆円くらい稼ぐ。私にはみえる。住む場所はニューヨークのすごく高い感じのビル。エンパイアなんちゃら。なんかもう、高層すぎて、炊飯器なしで米炊けると思う」

 

 俺という弱い手札で、謎の戦いを繰り広げる早坂さん。

 

「彼氏自慢をしない早坂さんはどこに……」

 

 いずれにせよ、早坂さんはたくさんの人に声をかけられる、充実した大学生活を送っているようだった。

 学食でも手慣れた様子で、豚汁とネギトロ丼にサラダの小鉢を足していた。俺はカツ丼と豚汁にした。

 

「桐島くんと同じ大学に通ってたら、こんな感じだったんだろうね」

 

 早坂さんは楽しそうにそういった。

 学食で食べたあとは、広い芝生のスペースでフリスビーをして遊んだ。

 俺も早坂さんもまっすぐ投げられなくて、あっちこっちに走りまわることになった。

 ひと汗かいたところで、早坂さんが時計をみる。

 

「じゃあ、そろそろ研究室に戻るね」

 

 運動して、早坂さんの頬が赤くなっている。

 

「桐島くんは帰ってていいよ」

「わかった」

 

 俺は少し考えてからいった。

 

「晩ご飯をつくって待ってるよ」

 

 早坂さんと別れたあと、俺はアパートの近くにあるスーパーへと足を運んだ。野菜と魚を買って、部屋に戻る。

 調味料が台所にたくさんあって、俺は出汁をとって、鍋の下準備をした。魚を捌いたり包丁を使うのは、ヤマメ荘の生活で慣れたものだった。

 夕方になったところで、コタツの上にコンロをセットし、早坂さんの帰りを待った。

 

「ただいま~」

 

 帰ってきた早坂さんは鍋の準備ができているのをみて、にっこり笑った。

 

「さっすが桐島くん!」

 

 ふたりでコタツに入りながら鍋を食べる。早坂さんは俺のとなりに座って、くっついて離れなかった。少し狭かったけれど、そんなのは気にしないみたいだった。

 海辺の街での生活は、こんな感じの日々がつづいた。

 早坂さんが研究室へいく。俺はご飯をつくったり、掃除をしたりする。早坂さんがいないあいだ、海をみにいくこともあれば、シットアップをして体を鍛えることもある。

 もちろん、ふたりでどこかにいくこともあった。

 

「今日は料理めんどくさいよね~」

 

 早坂さんがそういって、国道沿いのファミレスにいってご飯を食べ、ドリンクバーでだらだらする。

 

「新しくできたラーメン屋さん、美味しいらしいよ」

 

 早坂さんが大学の友だちからそんな情報をきいて、ふたりで国道沿いのラーメン屋にいく。

 

「あの珈琲屋さん、すっごい大きいパンケーキがあるんだって!」

 

 それで、車を走らせて、国道沿いの珈琲店にいく。

 

「俺たち、なんか食べてばかりじゃないか?」

「…………桐島くん、いこう」

 

 深夜、連れだされた先は、国道沿いのバッティングセンター。ラーメンやパンケーキのカロリーを消滅させるべく、早坂さんは一心不乱にバットを振りつづけた。

 俺たちが行く場所が、常に国道沿いであることについて、早坂さんは胸を張った。

 

「桐島くん、ここは地方の大学なんだよ」

 

 そんな生活を送っていたわけだが、ふと、これでいいのだろうか、と思う。

 理想の恋人生活というのであれば、もっと、早坂さんの希望を実現するようなことを一緒にしたほうがいい気がしたのだ。

 俺たちがしているのは普通の大学生の日常といえるものであって、もう少し、なにか思い出になるようなことがあってもいいように思えた。

 だから、海辺の街にきて、残りの日数が折り返しを過ぎた夜、アパートの部屋で、あいかわらず机にむかって専門書を読んでいる早坂さんにいった。

 

「早坂さん、もし、なにかしたいことがあるなら、遠慮なくいってほしい」

「そうだね。これはそういう期間だもんね」

 

 早坂さんは本を置き、「う~ん」といって、考えこむ。

 

「いろいろと考えてることはあるけど、今はまだいいや。研究も、もうすぐ落ち着くし、それからで」

「わかった。俺はいつでもいいから。ここにきて、最初の一週間は寝込んでしまったし」

「そうだね。橘さんと雪のなかでロマンチックにすごして、体冷やして戻ってきて、私の部屋で熱だして寝込んだんだよね」

「…………」

「あ、そうだ」

 

 早坂さんは、にこっ、と笑っていう。

 

「一緒にお風呂入ろうよ。このあいだは病みあがりで湯船に浸からなかったでしょ? 私、彼氏とお風呂に入ったりしたいって思ってたんだ」

 

 ということになり、お風呂を沸かし、早坂さんと浴室へと向かった。

 このあいだは俺が一方的に洗ってもらったけど、今回は俺も洗う。つまり、洗いあいっこだ。

 お湯で髪や体を軽く流したあと、早坂さんがバスチェアに座り、湯けむりのなか、俺は後ろから早坂さんの髪を洗う。早坂さんの使っているシャンプーは、とてもいい香りがする。

 

「なんでだろうね」

 

 早坂さんがいう。

 

「自分でするよりも、誰かにしてもらうとすごく気持ちいいんだよね。髪を洗うのも、肩を揉んでもらったりするのも」

 

 俺は、指で早坂さんの頭をマッサージするようにして洗った。

 早坂さんも、同じように、とても丁寧に俺の髪を洗ってくれた。早坂さんの指先が、とても気持ちよかった。

 体も互いに洗いあいっこをして、湯船につかった。お湯で温められ、やわらかくなった早坂さんの体を抱きしめ、ふたりでじゃれあった。

 翌日からも、また同じ調子の日々だった。

 

「なにかしようか?」

 

 と、俺がきいても、

 

「まだいいや」

 

 と早坂さんがいって、なだらかな日常がつづいていく。

 

「じゃあさ、気になるパン屋さんがあるから、一緒にいこうよ」

 

 早坂さんのアパートの近くには手作りのベーカリーがあり、いつも行列ができていて、気にはなっていたが、いったことがないという。

 朝早く、俺たちはその列にならぶ。

 店のなかに入ってみると、美味しそうなパンがたくさん置かれている。

 

「うわ~、桐島くんはなににする? 私はカレーパンと、クリームパンと――」

 

 たくさん買って帰り、一緒に食べる。行列ができていた理由はすぐにわかる。

 

「すごい! クリームパンのクリームが凄い量!」

 

 カレーパンのカレーが本格的なカレーの味だったり、ウインナーパンのウインナーが本場の大きさだったりと、誰もが思う夢のパンが実現されていたのだった。

 俺が食べるおやきも、野沢菜がぱんぱんに詰められていた。

 早坂さんは幸せそうにそれらを頬張った。

 

「じゃあ、私は研究室にいくね」

 

 早坂さんは忙しいから、遠くにいくタイミングはなくて、研究室から帰ってきたあとに、大型スーパーに併設されている映画館に、レイトショーを観にいったりする。

 

「今日は割引の日だからさ」

 

 コーラとポップコーンを買って、ほとんど人のいないシアターで映画を観る。

 派手な、ハリウッドアクション。

 上映後、早坂さんは満足そうだ。

 

「建物とか車がいっぱいぶっ壊れて、爆発して、すっきりした!」

 

 そんな感じで、パンやら、ポップコーンやらを食べているから、また早坂さんはいろいろなことが気になりだす。

 

「桐島くん、いこう」

 

 日々のなかで、早坂さんはこのセリフを何度もいう。

 バッティングセンターだけでなく、国道沿いのさびれたボーリング場で、ごろごろ球を転がしたり、国道沿いのスポーツ複合施設で、バスケットゴールにむかってボールをぽいぽい投げたりする。

 俺は早坂さんが研究室にいっているあいだに、フィットネスを目的としたゲームをダウンロードし、コントローラーも買っておく。

 

「桐島くん……いい仕事するね!」

 

 俺たちはジャージに着替え、ばたばたと体を動かしながら一緒にゲームをして遊ぶ。

 

「手を抜いたらダメだよ、ゲームでも本気でやるんだから!」

 

 早坂さんは闘志とカロリーを燃やしたのだった。


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