わたし、二番目の彼女でいいから。9

第38話 普通の女の子 ③

 結局、俺がなにかしら爆裂ロマンチックなことができる機会をうかがったまま日々は過ぎ去り、期限の一カ月が訪れることとなった。

 その日も、俺は早坂さんの通う大学にいって、一緒に学食を食べた。そのあと、早坂さんが研究室からグローブとボールを持ってきて、キャッチボールをした。

 俺たちがしたことといえば、映画を観たり、カラオケにいったり、普通の大学生の学生生活だった。

 

「これでよかったの?」

 

 俺はきく。

 キャッチボールを終え、肩をならべて歩いているときのことだ。

 

「うん。これでいいんだよ」

 

 早坂さんは前を向いたままいう。

 

「本当は、最初から、なにか特別やりたいことなんてなかったんだと思う」

 

 理想の恋人生活をすると決めあと、早坂さんは俺と一緒になにをしようかいろいろと考えたらしい。でも思いつかなくて、いざ生活がはじまったあとも、俺になにかしようかときかれても、特になにも考えが浮かばなかったのだという。

 

「でも、なんとなく過ごしていたわけじゃないよ」

 

 俺たちは一緒に特別ではない日常を過ごした。

 

「私にとっては、いつもの場所で、いつものことをしてただけ。でもね、桐島くんがいるだけで、ひとりのときとはちがってたんだよ。なにげない時間も、ありきたりなことも、ふたりでいて、ふたりでするだけで、なんだか温かいものに感じられたんだ」

 

 早坂さんはいう。

 きっとね――。

 

「好きな人と一緒にいるだけでよかったんだよ。だって、それだけで、なんだか幸せなんだもん。私には、それ以上は必要なかったんだよ」

 

 ◇

 

 最終日の夕方、早坂さんと海をみにいった。

 浜辺につくと、ちょうど夕日が沈むところだった。

 寄せては返す波を眺めながら、しばらく海岸線を歩いた。

 

「少し、座ろっか」

 

 早坂さんがそういって、俺たちは砂浜に降りて、ならんで座った。もう夜の帳がおりて、辺りは真っ暗になっていた。

 遠くに、小さな漁火がみえる。

 濃紺の空に、星々が輝いていた。

 無数の、かすかな光。

 早坂さんは膝を抱え、星空をみながらいう。

 

「大学からアパートの部屋に帰ったとき、桐島くんがいる。それだけで、嬉しかったんだ」

 

 俺が風邪で寝ていても、それでよかったのだという。

 

「桐島くんのほっぺをつんつんして遊んでさ。バッティングセンターでバット振ってるときも、となりでみててくれて、そういうのだけで、ホントに十分だったんだ」

 

 早坂さんはとてもやさしい眼差しで語る。

 

「高校のときからさ、みんな、私のことかわいい女の子って、ちょっと特別扱いしてくれるでしょ? 早坂さんはそういうの求めてないとか、早坂さんはきっとこうだ、みたいなさ。きれいなイメージで包んでくれて、そういうきれいなものが相応しい、って感じで」

 

 でもね、と懐かしむようにいう。

 

「全然、そんなことないんだ。みんなが思ってるような特別な女の子じゃなくて、むしろ平凡で、なんなら、ちょっと安っぽいくらい。ありきたりなラブソングが好きだし、映画は話題作ばっかりみるしね。桐島くんは知ってると思うけど」

 

 早坂さんはやさしい表情で、海を眺めながらいう。

 

「恋愛だってそう。男の子と付き合いたいって思うし、それで付き合って、手をつないだりキスしたりしてるうちに、どんどん好きになって、その相手が別になんかすごかったり、かっこよかったりする必要なんてなくてさ。ただ一緒にいてくれて、ファミレスやカラオケにいくだけで楽しくなって、満足しちゃうような――」

 

 私は、そんな――。

 

「ありきたりな、普通の女の子なんだよ」

 

 それ以上、早坂さんはそれについてなにかを語ろうとしなかった。

 俺が夜空を眺めると、早坂さんがいう。

 

「運がいいと流れ星がみえるよ」

 

 砂浜に座って、空を眺める。

 流れ星をみつけて、流れ星がみえたよ、といいたかった。もし今夜、流れ星がみえたら、なんだか素敵だ。

 そうやって空に目をこらしていると、早坂さんが笑う。

 

「そんなにがんばらなくていいよ」

 

 そういって、俺の肩に頭をのせてくる。

 

「別にみえても、みえなくても、どっちでもいいんだから。流れ星なんてさ」

 

 そうやって、俺たちの一カ月は、波の音とともに終わりを告げた。

 

 ◇

 

 橘さんと早坂さん、ふたりそれぞれとの理想の恋人生活のあと、俺は京都に戻った。

 どちらと一緒になるか、俺が選ばなければいけない。

 卒業式が終わったあと、一緒になる相手のいる場所へ、俺がいくことになっていた。つまり、橘さんを選ぶときは東京にいくし、早坂さんを選ぶときは海辺の街へいく。

 考える時間はあった。

 二月から三月の卒業式まで、約二カ月弱の時間がある。

 ただ、海辺の街からヤマメ荘の自分の部屋に戻ってきて、俺は愕然とした。

 どうやって選べばいいか、まったくわからなかったからだ。

 橘さんも早坂さんも、どちらも俺にとって、大切な人になりすぎていた。

 まず最初に考えたのは、俺がどちらのほうが好きかということだった。

 とてもシンプルな問いかけ。

 けれど、そのこたえはでなかった。

 俺は橘さんの美しい横顔が好きだ。実はお茶目なところも、少女のような面影を残しているところも、一緒に過ごす静かだけれど、どこか親しみのある時間が好きだ。

 そして、同じように――。

 俺は早坂さんのかわいらしい笑顔が好きだ。少し不器用なところも、すごく甘えん坊なところも、そんな早坂さんを抱きしめて眠るのが好きだ。

 少し考えるだけで、ふたりの好きなところや、その思い出があふれてきて、俺は自分自身のことなのに、どちらのほうが好きか、まったく判断できなくなってしまう。

 そもそも、好きというのはどういうことなのだろうか。

 抱きしめたいと思えば、好きなのか。

 付き合いたいと思えば、好きなのか。

 結婚したいと思えば、好きなのか。

 好きということの判断基準がわからず、俺は思考の迷路に迷いこんでしまう。それに、どんな基準を持ちだしても、それは意味をなさなかった。どちらに対しても、そう思うからだ。抱きしめたいし、付き合いたいし、喜んで結婚できる。

 結局のところ、俺は橘さんのことも、早坂さんのことも、とても好きだった。

 苦し紛れに、世間でいわれているようなことについても考えた。

 恋人選びで大事なこと。

 誠実さ、一緒にいて楽、尊敬できる、価値観があう、やさしい――。

 やはり、それらも意味をなさなかった。

 どれもふたりにあてはまるし、あてはまらないものがあったとしても、そんなものはなにも気にならなかった。俺はふたりの全てを受け入れることができるからだ。

 俺はどちらかを選ぶために、ふたりが、俺自身が、納得できるようななにか、明確な基準や理由、説明のようなものを探し、考えながら、冬の京都を歩きつづけた。

 けれど、なにもみつからず、時間だけが過ぎていった。

 本当に、わからなかった。

 橘さんを選ぶ理由を、百個あげることができる。

 早坂さんを選ぶ理由も、百個あげることができる。

 橘さんを選ばない理由はなにも思いつかない。

 早坂さんを選ばない理由も、なにも思いつかない。

 なにをしながらも、ずっと考えつづけた。

 ヤマメ荘の部屋でじっとしながら考える。賀茂大橋を渡りながら考える。夜の三条木屋町を歩きながら考える。

 でもどこを探しても、俺の頭のなかにも、本や映画のなかにも、その手がかりさえみつけることができなかった。

 橘さんと一緒になったときの、幸せな未来が浮かぶ。

 早坂さんと一緒になったときの、幸せな未来も浮かぶ。

 俺は、自分がとてもわがままで、横暴で、独断的な男になったつもりで、考える。俺はなにものにもとらわれず、なにごとも意のままに決められる。

 そんな気持ちをつくってみても、いざ、どちらかを選択しようとすると、橘さんとの思い出が浮かび、早坂さんと過ごした時間が思いだされ、決めきれず、俺はどうしようもない自分の顔に戻ってしまう。

 ただ、時間だけが過ぎていく。

 考えれば考えるほど、思考は断片化し、散逸し、それを元に戻すために、最初に戻り、また袋小路へと入っていく。

 俺は祈る。

 なにかしらの天啓、ひらめき、直感、そういったものが訪れることを。

 橘さんに早坂さん、そして俺自身をも納得させるような、その瞬間がくることを。

 けれど、そんなものが訪れることはない。

 どこかから、もたらされることはない。

 すべては、俺たち三人のなかで起きたことだからだ。

 祈ることに意味はなく、想うことしかできない。

 俺は想う。

 橘さんのことを。

 早坂さんのことを。

 そして――。

 気づけば、春になっていた。


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