わたし、二番目の彼女でいいから。9
第39話 桜の森の満開の下 ~手紙~ ②
◇
宛名のない手紙
橘さんへ
時計の針は零時をまわり、この手紙を書いています。
橘さんは東京へとむかうバスに乗っていることでしょう。
まちがいなく、俺は橘さんを愛していました。
橘さんが待つバスターミナルに走っていきたかった。橘さんを哀しませるようなことはしたくなかった。
となりに誰もいない夜行バスの席で、ひとり窓の外の明かりをみつめる橘さんの気持ちを想うと、今すぐにでも、そこへ駆けつけて、今までのように手をつなぎ、抱きしめたいと、そんな気持ちになります。
全て俺が選んだことだというのに、身勝手なことに、そう思うのです。
なぜ、橘さんの待つ場所へいかなかったのか。
自分でも、その理由をうまく説明することができません。
これからも、ずっとそうでしょう。
ただわかっているのは、もし橘さんが待つバスターミナルにいけば、橘さんは喜んでくれて、俺はその顔をみて、とても嬉しい気持ちになったということです。
橘さんと一緒にいけば、幸せになれた。
橘さんをずっと愛しつづけることができた。
橘さんが、俺を愛しつづけてくれることもわかっていた。
全て、わかっていた。
俺は橘さんのことが本当に好きだった。
体温の低そうな横顔も、心の内はとてもあたたかいところも、その全てが愛おしかった。
高校の教室で窓の外を眺めているときも、ピアノを弾いているときも、満開の桜の下を歩いているときも、あなたはいつも美しかった。
初恋だった。
一番、好きだった。
きっと、これからの人生のなかで、橘さんほど美しく、魅力的な人と出会うことはないと思う。でも――。
俺はバカだ。
こんなことを書き連ねても、きっと、なんの意味もない。
俺がどれだけ橘さんを好きだったか、ふたりの思い出がいかに美しかったかを語っても、そんなの、なにも意味はない。
だって、橘さんが欲しかったものは、言葉なんかじゃないから。
だから、この手紙はどこにもいかない。
でも、俺はこの手紙をずっと持っておく。
橘さんを愛したこと、橘さんがくれた思い出、それらと一緒に、ずっと持っておく。
きっと、俺は手紙をみるたび、橘さんの待つ場所へいかなかったことを後悔し、橘さんを傷つけた自分を責める。橘さんとの、あり得たかもしれない未来を想像し、そうすればよかったなんて、そんな情けないことを考える。
それでも俺は、この宛名のない手紙を心の奥にしまって生きていく。
橘さんとの記憶と、そこに生じた感情を忘れたくないから。
あなたを愛していた。
こんな俺を愛してくれてありがとう。
あなたに愛してもらえて、俺は幸せでした。
桐島司郎
◇
机にむかい、座っているうちに、窓の外が白みはじめた。
俺は立ちあがり、シャワーを浴びて着替えると、そのまま部屋をでて、駅へと向かった。
外はまだ暗かった。
改札を抜け、ホームに降り、始発列車に乗る。
乗客はまばらだった。時折、人が乗り、また降りていく。
列車が進むにつれ、地下鉄を抜け、地上にでて、窓からみえる風景が変わっていく。建物がだんだん少なくなっていく。
そして、街中を完全に抜けたとき、朝陽が光り輝いていた。
それをみながら、思った。
俺は人を愛すことができる。
俺は、人を愛すことができる。
性別を超えて、年代を超えて、地球の裏側にいる人だって、愛すことができる。
そして――。
誰しもが、あらゆる人を好きになり、深く愛することができる。
俺たちは、きっと、そうなのだ。
◇
列車が目的の駅に着いたのは、まだ、朝と表現できる時間だった。
静かな街を、朝陽が照らしている。
改札をでれば、波の音がきこえてきた。
俺は海沿いの道を歩き、砂浜へとでる。
早坂さんが座って、青い海を眺めていた。
近づいていくと、早坂さんは俺に気づき、立ちあがった。
早坂さんは一瞬、嬉しそうな顔をしたけれど、それはすぐに、トーンダウンした。
「バカだね、桐島くんは」
いつもの、あの困ったような笑顔で早坂さんはいう。
「大バカ野郎だよ」
「ああ、そうだな」
早坂さんと波打ち際を歩く。
自然と手をつないでいる。
そして、俺は早坂さんの手を少し強く握って、いった。
「俺、早坂さんのこと、ちゃんと好きだよ」
「二番目にね」
「二番目に好きって、それ、かなり好きってことだよ」
「だね」



