境界線上のホライゾン きみとあさまでGTA Ⅳ
第三章『教室の直撃者(被弾)』
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武蔵アリアダスト教導院の朝は、八時半から始まる。
点呼の上で軽いHRがあり、八時五十分から授業だ。後は五十分授業の十分休みが連続していくが、
「ハイ、今日でテストは終了になるから、気を抜かずに走り抜けるのよー」
三年梅組。全員が揃った教室内に、担任の声が響く。
ジャージ姿の彼女は、答案用紙を教壇に置き、身をかがめて皆を見た。
「じゃ、今日の初手は、保健体育から」
「教師オリオトライ。少し、いいですか」
と、手を挙げたのは、最前列にいる長身だ。彼は手を下げずに、
「金で答えは買えますか?」
「シロジロ? ストレートに言ったから赦すけど、これ先生が作ったやつじゃないから」
「先生が作った場合は、金でどうにかなるということですか?」
「世渡りのテストだったらそれでいいかと思うわよ?」
Jud.、とシロジロが手を下ろした。
「憶えておきます」
本気だ……、という皆の引き気味の声に、しかし担任は小さく笑った。
「ま、今日は保健体育に古文だから、どっちかっていうと楽な方でしょ。あ、ただ、今回は作図もあるから、保健体育の方、通神帯に接続していいから」
「いいんですの?」
「何よミトツダイラ、テスト難しくしたいの?」
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あ、いえ、とミトツダイラは首を横に振った。
別に、テストが楽になる事に抵抗はない。
ただ、
「随分と大サービスですのね」
意外、という感覚を問う言葉に、オリオトライが頷いた。
「うーん、ちょっと先急ぎすぎ、って内容になっちゃったみたいでね」
成程と思うこちらの視界の左奥。
一つの動きが入って来た。
席順では一番前の窓際に座るアデーレが、こちらに手振りで、
……伸ばしてくださあーい!
アデーレは旧派だ。
表示枠は武蔵の通神帯に接続可能ではあるが、細かい部分の設定があるのだろう。
同じように正純が、こちらはまっすぐ手を挙げた。
彼女は表示枠自体を契約していない。
だからというように浅間が即座の手を挙げた。
「正純には私が来賓用のを出しますから、それで。
──最初の表記場所に名前書いて下さい」
柏手一つ。
ハナミのトスする動きで、正純の眼前に表示枠が出る。
問いかけの言葉は、
《誰ですか貴女》
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正純は、
「…………」
無言で浅間を見た。
すると、浅間と一緒にミトツダイラが頷き、
「とりあえず、名前ですのよ?」
己は、言われたとおりに人差し指でタイプする。
変換を、やや迷った上で行い、
『本多・正純』
入力した。すると、
《……ふうん、……どんな用です?》
「通神! 通神です正純!」
『通神』
《ほほう、うちの子に会わせろとか、そういうのではなく》
何だよコレ、と思った瞬間。
浅間の声が飛んできた。
「あっ、すみません、対ストーカー用の設定のもの送っちゃいました。
平安時代の頃から、門の前で泣き濡れたり会えないだけで死にかけるのが多いので、設定厳しいんですよね」
「初心者にはまともなのをくれ……!!」
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正純の意見に、ミトツダイラは超同意した。
だが、時間は大いに稼げたらしい。
アデーレがこちらと浅間に右の親指を上げるが、表情から見るに浅間は意味が解っていない。
頷きながらも首を小さく傾げている浅間に、自分は小さく笑う。
するとテストの答案用紙が配られてきた。
保健体育。
これと古文を終えたら、もう春期学園祭に向かうだけなのだ。
皆が、直前まで行っていたテスト準備の参考書をしまい、表示枠を閉じるのを見て、己はふと思う。
……ある意味、二年の状況が、これで始まるんですわね……。
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自分は、答案用紙を裏返しにした。
オリオトライの”はじめ”の合図を待つだけだが、周囲の身動きは有り、
……どうなるんでしょうね。
中間テストは、成績の評価に密接なものだ。
学生である自分達の区切りとして考えた場合、行事としては重要なものとなる。
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学生の”時間”とは、正式な記録の積み重ねとして見た場合、テストの結果によって形作られていくのだ。
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……無論、部活動や委員会活動、生徒会や総長連合に入れば、自分に対する記録の種類は増えますわね。
しかし、学生の全てが関わる”記録”は、やはり成績であり、それを形作る定期テストだ。
今日、二年のスタートとなる一学期中間テストが終了する。
それは雅楽祭に向かう春期学園祭の始まりであり、
……時間が進んでしまいますのね。
昔はそれを望んでいた気もする。
早く大人になりたいとか、早く今の自分を払拭したいとか。
だが、ここ最近は、少々違う。
早く”動き”が欲しいと、そう思うのだ。
「……ええ」
王様と騎士。
王はしかし、動いていない。
動くとしても、あの青雷亭の自動人形が気になっているとか。
その理由は後ろ向きではなく、前向きなものとして察せられるものではあるが、
……私との約束、忘れてますの?
「まあネイト! 王様に対して拗ねてるならすぐアクションですのよ! ハイ手を挙げなさいな! ハイ!」
母の幻聴が聞こえるが、今日はテストの日であって授業参観日ではない。
……しかしまあ……。
確かに”拗ねている”。
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自覚出来るのが情けない。
騎士はそういう感情に流されないものでなくてはいけないのに。
ですけど、と自分は心の中で前置きする。
……何処まで待っていればいいんですの?
大体、最近は自分の方も興した事業が軌道に乗り、社交の機会が増えつつある。
六護式仏蘭西側との繋がりと、極東継承権暫定一位という身分のせいだ。
極東の君主である松平・元信が健在であるここと、デリケートな問題であるために表だってはいないが、こちらとの関係を密接にしたいと画策している企業や個人はいる。
そういったものを暗にそれとなく牽制し、断っているのは何のためか。
……こっちをもう少し見て欲しいものですわ。
と、思った時だ。
『!』
頭上のケルベロスが一鳴きした。
元気づけてくれているのだろうか。ただ、その声は静かな教室に響き、
「すみません」
周囲の注目に言うことが、自分のネガな思いを切る契機だ。
切り替えましょう、と自分は思う。
時間は進む。
何も起きていないなら、それは停滞かもしれないが、終わっていないということでもあるのだ。だから、
……全く。
皆に頭を下げるとき、ちらりと振り向いて見た彼は、窓の外を見ていた。
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二年の教室は前側校舎。
空が水平に望める場所だ。
しかし空はステルス防護障壁に包まれ、見通せない。
だが、じっと向こうを。
魔女や配送業者、輸送艦が行く空を見る彼は、
……どうなんでしょう。
自分と同じように、動けぬまま何かを待っているのか。
それとも、何かをしようと、そう思っているのだろうか。
そして声が聞こえた。オリオトライの、
「じゃ、──始め!」
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テストが開始されてから、浅間はすぐに表示枠を開いた。
オリオトライが言うには、
「通神文と、同様の意思交換手段はブロックね。
一応、教室内の加護設定でアラームつけておくから。ええと、浅間、頼まれても解除しちゃ駄目よ?」
「え? あ、はい、大丈夫です!」
ゆえに、証拠として教室の加護設定に干渉。
通神文などの個人遣り取りについては、
「それが行われた時点で、表示枠から奇声があがるようになってますので、皆さん注意して下さいね」
「奇声!? おっとパン屋の出前です! 浅間様、どのような奇声なのでしょうか!」
「奇声ソムリエか……」
資格がありそうですね、と思ったが言わないことにした。
ともあれここは、
「どうぞ」
「ウンギャポレド――――――――――――――ン?」
「最後捻ったねえ」
Jud.! と出前が右の親指を上げて退出した。
「いい?」
「あ、大丈夫です」
横目で見る皆は、背を曲げ、答案に向かっている。
表示枠の放つ光がちらほら変わっている者もいるから、通神帯で検索が掛けられているのだろう。
……急がないと。
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保健体育だ。
昨夜、喜美を宥めすがめつして、勉強した範囲でもある。
病気の対処や、家庭の存在する意味など、基本は筆記の論述系。
語る、という意味では、自分の得意分野でもある。
だから自分は、名前を書いた後で、一問目を見た。
……さて!
身構えた目が見たのは、手書きの一文だった。
《第一問:男女の合体技については、どのようなものがありますか。名前と、どのようなものかを記しなさい》
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鈴は、妙な音を聞いた。
呼吸にしては短い。
しかし、嚥下にしては今するようなことだろうか。
擬音で表現するならゴクリ……! この”……!”が大事な気がする。しかも、
……浅間、さん?
耳の知覚では、机に両肘から先を叩きつけたような姿勢の浅間がいる。
軽い熱源では、俯いた彼女の体温が、一気に下がって急上昇しているのが解る。
どうしたのだろうか。
何かあったのだろうか。
ただ、声を掛けてはいけない。
テスト中なのだ。
”音鳴さん”付属の読み取りペンで答案を読み上げさせながら、己は思った。
……だ、だいじょぶ、かな……?
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……駄目ですよこんなの!? どー考えても!
どのような技って、何ですか一体。
あと、名前って、技名ですか。
いや、どっちかって言うと手名ですか。
それとですね、
……どのようなものか、って。
構えでしょうか。
動きでしょうか。
それとも、結果として生じる事でしょうか。
「────」
あり得ない。
そう結論して、己は手を挙げた。
「あ、あの、先生?」
「あら? 何? 違反者が出たの? その割にアラーム鳴らなかったけど、ひょっとして物理的に制裁入れたの?」
オリオトライの言葉に、慌てた動きで彼立ち上がった。
彼は蟹股にした尻を前と後ろから手で押さえ、確かめ、
「い、生きてる……!」
長剣が鞘ごと飛んで激突した。
彼が一回転して、皆が、ああ……、という顔を作るまでが1ターンだ。
オリオトライが剣を拾いに行きながら、こちらに笑みで振り向いた。
「何かあった?」
「あ、いえ、このテスト……」
聞いてみた。
「この内容で、……いいんです、か?」
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「Jud.、いいわよ?」
即答された。
オリオトライは剣を拾い、彼を椅子ごと蹴り上げて起こすと、
「ちょっと先に進みすぎた内容になってるそうだけど」
確かに先に進みすぎだ。
だが、そういうことならば、つまり、そういうことなのだろう。
……うわあ。
自分は、脱力して椅子に座った。
「りょーかい、です」
やらざるを得ない。
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正純は、表示枠を操作しながら、浅間の方に気を向けた。
こちらの通神のスポンサーは何処となく放心したようだったが、すぐに答案用紙に取りかかる。
……浅間は、巫女なのにこういうの、好きなのかなあ。
首を傾げながら、オリオトライが戻ってくる足音に押されるようにして、己も自分の答案用紙に視線を向けた。
集中する。
始めの設問はこれだ。
《第一問:男女の合体技については、どのようなものがありますか。
名前と、どのようなものかを記しなさい》
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浅間は考えた。
合体技。
それは、どのようなものがあるかと言えば、あのようなものもあり、そのようなものもあるわけだ。
神道では、子孫繁栄は奨励されている。
遙か昔に極東の国を作ったイザナギとイザナミが派手に喧嘩別れした際、史上初の鬼女となったイザナミが、
「一日あたり千人死なす」
と言えば、イザナギも、
「一日あたり千五百人産むし」
みたいな感じで、それはイザナギの高度な浮気宣言ではないかとも言われているのだが、どちらにしろ人口増加の奨励は神話でも認められているのだ。
……ゲームとかでも”シム平安”では一日定格で五百人増えて厄介なんですよねー。
イザナミスライダーの設定を”去勢”に振れば五百人から減少出来、住民が早寝をするようになるが、ストレス値が高くなる。
神道を修める身としては神の設定をいじるのはなるべく避けたい。
だが、そのようにして奨励されているとはいえ、どのような合体技が優れているとか、平均的であるかなどは、流石にジャンル網羅性の高い神道でも明確ではない。
……ふ、普通、ああいう感じですよねえ。
「うん……」
男女、と書くように、基本、上が男だ。
そう、男女、男女です。
このように普段からサブリミナルで私達は合体技の知識を仕込まれている訳です。
嬲とか、そんな字を考えてはいけません。
それはちょっと女性がコアシステムな合体です。
しかし、と己は思った。
男女、で上が男性というのは、本当に正しいのであろうか。
……う、うん?
疑問がある。
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つまりは合体プロセスだ。
AパーツとBパーツが合体する流れを考えると、合体もののそれは、基本、上下合体と水平合体に分類される。
あまり斜めはない。
特に、合体部に限定すれば、大半は水平合体だ。
上下合体もあるがこちらはバリエーションが少ないし、重力の影響を直に受けるので初心者には難しいと思う。
では、水平合体の構図を”男女”という字の形から見たとき、それはどのような構図か。
基本、上から見た図を描いた場合、手前が視点主だ。
ならば”男女”という文字は、
……女性主体……!
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ミトツダイラは、浅間が反射的な動きで椅子ごと身じろいだ音を聞いた。
何か驚きがあったのだろう。
ネシンバラが良くやるような、
……「何ぃ……!」って感じですわね今の。
一体、何か不思議発見でもあったのだろうか。
保健体育だ。
浅間にとっては楽な問題……、それは思い込みな気がするが、間違ってはいないような気もする。
ともあれ、と思いつつ、己は自分の答案を埋めていく。
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危なかった、と浅間は内心で鈍い汗を掻いた。
単純なトラップに引っかかるところであった。
そう、聖譜記述では男尊女卑の世の中ではあるが、神代の時代から男女同権の流れは有しているのだ。
合体は負担の多い方が主体でもいいではないか。
……成程……!
自分は、とりあえず今の発見を解りやすく説明しようと思った。
だが、図解でもしない限りは、上手く伝わらない気もするし、生々しくなっては答案用紙が発禁だ。
なるべく、感情的な部分はぼかして、可愛らしく物事を伝えたいというのが女心でもある。
そうですね、と自分は思った。
……可愛い動物に例えてみるのは、いいかもしれませんね。
ゆえに、己は、まずこう書いた。動物に例えて、
『まず、女の人が犬のように』
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……生々しいですよ!? 神道ホワイ!?
動物に例えて可愛らしく行こうとした矢先だったというのに、どういうことか。
犬は可愛いものだ。
しかし合体を説明するときに犬を使うと破壊力が上がる。
どういうことだ。
大体、犬のような合体は最初に書くべき合体ではない。
背面系の合体は、AパーツとBパーツの操縦者が顔を合わせずに行うのため、速度合わせなども難しいとも聞く。
……ちゃんと正面。正面からのもので……!
ただ、背面系のものもチェックしておかねばならないだろう。
何故なら、
……ミトのような人もいますからね。
ミトツダイラは人狼系だ。
彼女は神道だが、それは神道の方で彼女の流儀というものを認めているからでもある。
神道は鷹揚なのだ。
アバウトとか言ってはいけません。
ただ、狼系であるミトツダイラは、やはり、
「──ぬ?」
背面合体を基本として、最初に説明しているのだろうか。
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ミトツダイラは、妙な視線を右後ろから感じた。
浅間のいるあたりだ。
……というか智ですわね?
身動きしなくなった、とは思っていたが、どうも肩越しにちらりと見る視界の中、彼女はこちらに視線を向けているようだ。
……な、何ですの?
何か助けのようなものが欲しいのだろうか。
だが、今はテスト中だし、浅間がカンニングを求める性格とも思えない。
ゆえにミトツダイラは、頭上のケルベロスに軽く手で触れ、
「あ、あら、どうしましたの?」
……演技バレバレですわね……!
ケルベロスが後ろに落ちそうな振りをして、軽く背後に振り向いた。すると、
……智?
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一瞬の中、ミトツダイラは見た。
浅間が、こちらに対し、腰の前あたりで何か左右からエア掴みをしている。
……あれは……。
テストの内容から言って、四肢をついた相手を後ろから抱えたポーズだ。
だからミトツダイラは、ケルベロスを机に置きながら首を下に振った。
頷いたのだ。
●
……やっぱり!
浅間はミトツダイラに深く感謝して、自分の答案に向かった。
……犬で良かったんですね!
そうじゃない。
いや、合っているが、少し落ち着いた方がいい。
大体、犬はいけない。
猫もいけない。
そんなガっついたようなイメージを出してしまうものではなく、もっとクリーンで精悍な動物、そう、
『男の人は馬のように』
……駄目です……!
牛もいけない。
特に牛はいけない。
アデーレにすまない。
……何か今、浅間さん、こっちを巻き込みましたよね!
……念話もカンニングになるからダメですアデーレ……!
「ピュリリリゴレンポーン! 違反者が出たのでパン屋の出前が奇声を上げに来ました!」
「おっとどうなの?」
「あ、まだ冤罪の範囲です! セーフ」
言うとP-01sが両腕を左右に一回広げ、そして出て行った。
ドアの閉まる音を聞きつつ、己は思う。
……よく考えましょうね!
馬と牛、犬も封じられた。
山羊とか羊はちょっとマニアックな方向に行きそうなので除外だ。
もっと小さく、手に乗ってしまうような動物はどうか。
●
「亀……」
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……駄目です1
本気で駄目です。
緑亀とか、抹茶の何をつけたんですか一体。
大体、女性主体から外れてる気がするが、動物水泳部で言うなら、
『女性は仰向けになったカエルのように』
思わず小さく笑いそうになってしまうが、どうせだったらもはや全部動物に例えてしまうのもいいのかもしれない。
駄目か。
……動物作戦は全体的に失敗な気がしますね!
●
鈴は、浅間が先ほどから書いては消してを繰り返し、吐息をするのを知覚した。
……だ、大丈夫か、な。
書いてるときは凄く楽しそうな気配があるが、書き途中からいきなり愕然として落ち込む動きを感じさせるから、また難しい。
ただ、幾度かそれを繰り返して、浅間は正解に至ったらしい。
最後、はー、と嘆息しながら、
「これをするのは人間だけ、と」
そんな一言を聞いて、己は内心で頷いた。
確かに”これをする”のは人間だけだと思う、と。
しかし、
「あ」
浅間のコークスペンが折れる音がした。
「────」
一度机に突っ伏し、浅間が筆箱から別のペンを取り出す。
そして二問目だ。
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《第二問:”帆掛け船”とは、どのような技ですか。図解しなさい》