境界線上のホライゾン きみとあさまでGTA Ⅳ
第五章『境内酒場の引き出者』
●
武蔵の空が、夕暮れを過ぎ、夜に向かおうとしていた。
ステルス障壁の白い壁は、外が暗くなったためにその白さと陰影を浮き上がらせる。そんな時間帯の空を中から見ると、
「今日は特に配送業者が多いねえ」
教導院前の階段を下りながら、酒井がつぶやいた。
その足取りについていくのは”奥多摩”だ。
”武蔵野”型フレームではなく”多摩”型フレームを使用している彼女は、重力制御で背後の階段に箒を掛けながら、
「──祭の前日だと判断出来ます、酒井様。最後の仕込みかと。──以上」
「何処もかしこも大変だ」
と、酒井が空を見上げる視線を、艦首側に振った。
浅草の空、そこに宙域ブイが列を作って浮いている。本来ならば異国の艦に航路を知らせるためのものだが、今の並び方は、
「配送業者の”零四”。その一般参加列を作ってるのか、あれ。
タマ子、今まであったっけ? あんな事するの」
「”浅草”から聞きましたところ、今年は序列の変動が生じていることもあり、賑やかにやろうという配送業トップの判断だそうです。──以上」
「”提督”さんか……」
●
”奥多摩”の視界の中、酒井が首から提げる印籠を開け、中から煙管のパーツを手に落とす。
彼はそれを軽く右手の中で組み上げ、
「うちの二年、内藤と成瀬のあやかりを得てる魔女が、序列三位なんだよね」
「先夜で二位になりました。──以上」
「へえ、じゃあ今度、一位になるかもしれないわけだ」
「……酒井様」
自分は、半目で酒井の背に告げた。
「何故、そう負けず嫌いなのですか。──以上」
と、己が言った瞬間だ。
空から銀の軌跡が落下した。
それは一瞬でこちらのエプロンに突き刺さり、階段にまで穿ちを入れる。
●
「……!? ──以上」
慌てて後退ろうにも、刃の背が布地を止める。
そして動けなくなったこちらの正面、おや、と酒井が振り返った。
酒井が、突き立って未だに震動している一刀を見て、言葉を作る。
「”武蔵”さん、今日は来ないの?」
呼びかけに対し、応答は表示枠で来た。
刀の柄頭。そこに”武蔵”を映した画像が一枚出る。
それは一度、こっちの方を向く。
数秒。いつもよりも強めの半目を見せた上で、”武蔵”の表示枠が酒井に向き直る。
そして”武蔵”が一礼して、
『申し訳御座いません酒井様。一艦長程度が学長を相手に”勝とう”などという姿勢を見せてしまうなどと、下克上の世とはいえ、私の管理不行き届きと判断出来ます。
目の前の一刀で始末して頂いて構いませんので御判断を。──以上』
「”武蔵”さん、俺に判断預けたら斬らないって解ってるでしょ」
腰をかがめて視線の高さを合わせる酒井に、”武蔵”は数秒反応をしない。
ただ、ややあってから彼女は軽く後ろ髪を払い、
『斬るときには斬る方と、そう判断しておりますが。──以上』
「錆びてなければいいねえ」
苦笑して、酒井が言った。
「”武蔵”さん、鞘頂戴」
『Jud.。──以上』
彼女の返答を聞いた酒井が身をかがめていたのを起こし、不意に左手を上に掲げた。
直後。その手の中に空から赤塗りの鞘が落ちる。
手の平を打つ音に、酒井が指を動かして鞘を回す。
そしてこちらのスカートを貫いていた一刀を引き抜くと、
「はい納刀。──タマ子」
●
「J、Jud.」
酒井が、鞘に収めた刀をこっちに放った。
それを受け取るのも確かめず、彼は”武蔵”の映った表示枠を手で拾いつつ、
「タマ子? それ持って俺の護衛ね」
『酒井様は甘すぎます。──以上』
「いやいや、代わりに黒盤の”未来落破-地雷打”見て貰うから」
酒井の言葉にこちらは俯くしかない。
そして”武蔵”が形ながらの吐息をする。
『酒井様、明日から祭です。忙しさが増すと判断出来ますので、あまり”奥多摩”に時間を潰させないように御願いいたします。──以上』
「いろいろとある祭になりそうだねえ」
『? と、言いますと? ──以上』
「ああ、さっきね? 俺のところ、鳥居達の方から、雅楽祭に出るバンドの順番を決定したオーダーが来てさ」
酒井は、また階段を下り始める。
「”武蔵”さん? オオトリ、ラストに演奏するバンド、誰だと思う?」
『酒井様、こちらにまだ出していない情報で問われても、解りませんとしか言うことが出来ません。──以上』
成程ねえ、と酒井が言った。
彼は表示枠でついてくる”武蔵”に視線を向け、薄い朱色に染まるステルス障壁の空を見た。そして顎で艦首側を示し、
「ま、ちょっと艦首甲板で夕飯食いたいから頼むよ”武蔵”さん。
そこで、そのあたり、いろいろ確認しようか」
○
『……Jud.、大体、このような内容が進行していた記憶があります。――以上』
『そういう訳で、御本人に参加して貰うたで?』
『ウヒョー、艦長クラスが参戦だよ!』
『それ言ったら総艦長代理がこっちにはいますよ!?』
『え? え? 私、バイトみたいなものだから』
『世界最強のバイトだな……』
『ともあれ何か大がかりな内容になってきたような』
『というか”奥多摩”様としては、こちらに参加して大丈夫なのでありますか?』
『……さっき”武蔵”様から、ひどく婉曲した言い方で”様子を見てきなさい”と言われまして……。――以上』
『ひょっとして私達、警戒されてませんの?』
『フフ、危険な女はチェックしておきたいものよ。――ともあれ先、行くわよ?』
●
夕刻の空。武蔵のステルス防護障壁を見上げながら、浅間は手元の表示枠を操作した。
浅間神社の全域を囲む結界。それを作る操作だ。
結界によって他者の出入りを禁止。内部の音や映像を外に出さないようにして、
「さて」
自分は吐息して、手を一つ打つとこう言った。
「これより二年梅組女子衆による、一六四七年度一学期中間試験打ち上げを奏じます!」
目の前、境内には茣蓙が敷かれ、梅組の女子が皆座っている。彼女達は酒の注がれた升を掲げ、大きな声でこう言った。
「奏上──!」
●
皆が一息をつき、茣蓙の上に菓子袋やら重箱を広げて行く。そんな動きの間、直政は炒飯入りの櫃を置くと、酒の入った升を手に拝殿側に向かう。
拝殿の前、置かれた長机の上、宙にはハナミが浮いている。
ハナミの背後には、
『直結:サクヤ:継続』
という表示枠があり、直政は彼女の下、長机の上に升を置いた。
「頼むさ」
軽く手を打ち、直政はハナミに言う。
「お門違いかもしれんが、安全祈願さね」
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直政の視界の中、ハナミが手を打った。
『拍手──』
すると、置いた升の酒から、流体光が軽く立ち上った。
同時。
ハナミの背後の表示枠に『受領:仲介:アメノマ系:確認』と言葉が並ぶ。
サクヤが技術系の神であるアメノマ系に、こちらの祈願を仲介したのだ。
安全祈願。
そして応じるように、こちらの傍らに表示枠が一枚出た。それは、
……無形型の術式符の付与さね。
紙ではなく、流体の符だ。
物理的に貼り付けないため、機関部では部品の動きに干渉せず有用される。
その分、高価だが、
「アサマチ、この酒、どれだけ価値があるんさ」
「さあ……、私の仕込みなので正式計測してませんから。でも、代演が通るなら、腕が上がったって事ですよ」
「そうなのか?」
と言ったのは正純だ。
この転入生は、自分にとってまだ未知ばかりの人間だが、
……将来的にはお偉いさんになるのかねえ。
縁があるかは解らない。それを考じる自分でもない。ただ、共通項はあった方がお互いいいだろうさと、己はそんな事を思い、
「これ、アサマチの噛み酒なんさ」
言うと、正純が手元の升を見た。
そして浅間が、付け加えるように、
「一応、禊祓は通してますけど、気になるようだったら、今のマサみたいに奉納用として使うだけでも充分ですからね?」
「あ、いや」
正純が首を傾げた。
「神酒?」
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正純の問い掛けに、直政は、義腕の手を顎に当てる。
……あ──。
説明が面倒だ。
だから浅間に視線を向けると、浅間が苦笑した。
「簡単に言うと、お米を発酵させてお酒にする際、発酵の触媒として唾液を使うんです。
だから噛み酒と言います。
その種を増やして使っていってもいいんですけど、古くなると禊祓を掛ける部分も大きくなるので、うちでは毎年作り直してるんですね」
「ああ……」
正純が、手元の升を見て目を細めた。
「うちの母も、薬草噛んだのを酒を造るときに入れていたけど、あれもそうだったのか。
──何かのしきたりや作法なのかと思っていたけど」
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「ノブタン! ノブタン! また君は奥方の酒種を使った酒を一人で!」
「当たり前だ馬鹿者! うちの隠し清酒セラーで培養した妻の噛み酒! こればっかりはプライスレス! つまりただより高いものは無い!」
「で、ではノブタン! 正純君の残飯から唾液を採取して噛み酒生産の話は!」
「ククク、こちらの酒を飲んでみるといいコニタン」
「──む。美味い! これが正純君の噛み酒!?」
「いいや、私の噛み酒だ馬鹿者! あ、だが、正純は私の子だから、これ、ニアリー正純の噛み酒扱いですかあ? おやおやコニタン? 何ですかその顔はああああああああ? んン?」
「く、くそ、まさかこんなところでノブタンと間接接吻とは……!」
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「母は酒を飲まなかったから、あれは、父に送っていたと思うんだが」
背中を甘く丸めて言う正純が、皆に背を向けるのを鈴は知覚する。
……笑って、る?
何かに出会ったような、懐かしいものを見つけたような喜びの笑みだ。
ただ、そこには涙もついていた。
だからだろうが、正純が背を向ける。
そして彼女が、
「すまん、湿った空気にしているな」
「いいわ別に、……上手く同人誌のネタにするから」
「──待て! 何する気だ!?」
そりゃあ、とナルゼが頷いた。
彼女はペンを左右の手にジャグリングして、左の肩を時折上げて確かめながら、
「噛み酒を好きな相手に飲ませて、後からそれを告げてみたり、自分の口移しにしたり、ねえ。そういうもんでしょ?」
浅間が立てた手を左右に「ないない」と振っているが、どうだろう。
「浅間さんはそういうこと、考えないの?」
「い、いや、考えませんって。神聖なお酒ですから。ええ」
と、喜美が升を口に傾けた。
そして彼女はそのまま頬を左右に膨らませてマウスウオッシングして、飲み、
「ふう……」
喜美が、女座りに崩れると、頬に手を当てた。
「浅間に口を乱暴されちゃった……。熱いの注がれて、ごしごしされて……」
「そのネタ前にもやりましたよね!? ね!?」
「でも智、これ、噛み酒のせいか口の匂いなんかもの凄く消えますのよ? 出来れば焼き肉の際など頂きたいんですけど」
「そうだよアサマチ! 売ろうよ! 密かにオーダー来るときあるんだよ!?」
凄いなあ、と思うけど、そういうものでもないような気がする。
大体、こういう遣り取りについては、いつも結論は一つだ。
浅間が手を左右に振り、
「身内用です。身内用。
小等部以降は父さんにも出していませんし。女子用です」
「あら、前から思ってたけど、浅間父はそこらへんどう思ってるわけ?」
「父さんは、母さんの酒種ありますから」
おおう……、と鈴は女子衆と感心の仰け反りをする。
……浅間さんのお父さん、お母さんと仲良かったんだね……。
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そのあたり、浅間の母の事を、鈴は自分の親からも聞いたことがある。
何しろ武蔵を支える浅間神社に嫁いだ人間だ。注目を浴びない筈もない。
自分の記憶にある浅間の母のイメージは、浅間神社に浅間を訪ねていったとき、御菓子をくれた女性という、そんな知覚の記憶から始まる。
綺麗な人だった。
出会ったとき、びっくりするほどに気配が綺麗で、それが触れてきたことに身を堅くした。警戒を悟った彼女に言葉を投げかけたのはやはり彼で、
「あ、ベルさんには、触れたりするなら先にこーやって音立てたりが合図なんだよ」
そしたら彼女は、微笑した。
……”じゃあ、こうですね”って。
そう言って手を取られたとき、不思議な感じがした。
自分が綺麗になった気がしたのだ。
両親が湯屋勤めゆえ、身綺麗であることにはそれなりの自信があった。
湯屋に勤める者の娘は、くたびれていても身汚くあってはいけないと、そんなことを思い始める時期でもあった。
だけど”それ”は違った。
表面ではなく、中に浸透する禊祓。
触れられた手から、背中の方に何かが波のように抜け、
……うん。
こう言われた。
「大事にされてるんですね」
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当時のことだ。
浅間の母に告げられた言葉に、自分は恥ずかしさを感じた。
あのときの、自分の身体を抜けていったものが何であるかは解っていた。
神社に住む者は、穢れを祓うのだと。
自分は身綺麗にしていたが、そうではない。
もっと中のもの。
だから帰宅して、両親に問うたのだ。
「身体の、外じゃなく、中、禊祓するの、どうしたらいい、の?」
以後、両親の務める湯屋を、自分も手伝うようになった。
たびたび浅間神社に遊びに行ったとき、浅間の母に褒められるのは嬉しかった。
彼女が意外にそそっかしかったり、普通に笑うことが解ったのも、また嬉しかった。
亡くなったときは哀しかったが、
……浅間さん、いるもんね……。
●
同じだ。
●
今、升に頂いた酒を口に含むと、知覚に来る。
自分の中の穢れが、口元から禊祓されで、背や足先へと抜ける。
一気に飲むなんてとんでもない。
ちびちびと、という表現があるが、その通りにしか出来ないものだ。
魂が震えてしまう。
……喜美ちゃん、凄いなあ……。
あんな豪快に飲めるのは、ちょっと凄い。
自分の中に穢れが無いということだろう。
浅間も、自分で作ったということを抜きにしても、普通に飲む。
彼女はときたま暴発することがあるが、基本、神道は男女の仲を認めるし、子作りも奨励だ。
「──ん」
酒を口に乗せて、自分は思った。
……浅間さん、綺麗になってる。
「え!? 高評価有り難う御座います!」
「智、ちょっと」
「あ、すみません! ストレートに褒められるのなかなか無いので!」
「あ、うん。まあ、嘘じゃないから、うん」
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浅間は、あの、綺麗な知覚に近付いている。
いずれきっと、越えていくのではないかと、そんな事を己は思って、
……私も、頑張ろ。
自分とて、同じ年月を経ているのだ。
何かの意味で、浅間のように成長していたいと、そう感じる。だから、
「…………」
己は、自分を試すように酒を大きく口に含んで、
……うわ。
自分の成長は”こっち”ではないらしい。
人間、無理をしてはならない。
身が長く震え、喉から腰に、芯が軽く抜けたような感を得る。
軽くふらついたのだろう。
横に来ていたアデーレが、こちらの身体を後ろから片腕で抱いて、
「うわ、鈴さん! ──お?」
「え? ア、アデーレ……?」
「あ、いや」
支えてくれる彼女が、こちらの身体を抱く腕を軽く上下した。そして、
「あ、うん、ええと、来年の修学旅行あたりではっきりするような」
「な、何が」
問うと、アデーレが一瞬の間を置いた。
しかし直後に彼女は、笑みになって、
「大丈夫、自分、頑張りますから!」
最近ハマっている機動殻の修理のことだろうか。
頑張るなら応援したい。だから自分は、
「う、うん。頑張って」
考える。
……ええと、機動殻は、防具、だっけ。
最近の流行は、しかし軽装の高速型。装甲も薄いと聞く。
ならば言うべきは、
「薄くて硬い方が、いいんだよ、ね」
「……え!?」
何故かアデーレとミトツダイラが声をあげた。
ミトツダイラが、浅間に振り向いた。
「そうなんですの!?」
●
「わ、私が知るわけないじゃないですか! ──マサ!」
「お前ら実は話題が錯綜してるだろうさね」
単純に切って捨てる直政は格好いいと己は思う。その一方で、右にいた喜美が腕を軽く組んで、空になった升を浅間に掲げた。
「もう一杯。──あと、さっきの話だけど、浅間父にこれを小等部以降飲ませてないのって、浅間カーチャンの指示?」
「んー、まあそんな感じですね。”そろそろ大人なんだから”って」
「大人……!」
アデーレが胸の前に掲げた両手で曲線を描くが、そういうものなのだろうか。
ただ、正純が、口に升を傾けながらこう言った。
「売り物にはしないと言ったが、そうしようとしたらどうなるんだ?」
●
問われ、浅間は考えた。
「そうですねえ……」
基本、母の時からセキュリティは変わっていない。だから、
「私が許可していない人が飲もうとすると、空間転移した御酒が尿道から逆流した上で違反警報が武蔵全土に鳴り響いて尻にサクヤ必殺の赤熱棒がぶち込まれた後で御酒が単なる水になります」
「──最後のだけで充分だろ」
正純の言うことはもっともだ。だけど、
「うちの歴代が順々に組んでいったら、いろいろ積み重なっちゃって。外そうにも祖霊の手によるものなので”子孫を護っている”という塩梅ですからね……。
あ、私や母さんは何も付け加えてないですよ?」
「……アサマチ。これ、逆に暗殺用に使っていい? 行けるよ!」
最近ハイディは商人じゃなくて別のものになりつつあるんじゃないだろうか。
ただまあ、
「皆は持ち帰っても大丈夫ですよ? それ以外の人に飲ませようとすると、凄いことになるので気をつけて下さい。一番危険なのは調理用に使う場合です」
「一人用の料理でも駄目なんさね?」
「だったら大丈夫だと思います。下水に流した場合も、黒藻の獣達は汚れを分解するタイプなので影響はありません。ただ、ネズミとかが口にすると酷いことになる筈です」
「化学兵器じゃないさねコレ」
「いや、だから持ち帰らずにここで飲めばいいだけですって。いつもそうして貰ってますし」
「そうねえ」
と言ったのはナルゼだ。彼女は升を小さく口に傾けながら、
「お酒のある宴会。それも酒飲み必須となったら、後はどうするか解ってる?」
彼女の問いに答えるのは、一つの声だ。
喜美だった。彼女は立ち上がり、
「ちょっと誰か、一曲唄いなさいよ。合わせて踊ってあげるから」
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言いつつ、こちらの視界の中で喜美が身を回す。そして歌い手の御指定は、
「ミトツダイラ、──ほら」
「え? わ、私ですの!?」
ミトツダイラの驚きとは別に、己は意外を感じる。
「ミト、もう既に一曲作ってたんですか?」
「──智の方と条件同じですのよ? こっちで歌詞作って、喜美が粗々のメロディを当てるという詞先の方法で」
横目で言われるそれは、自分の方にも来ている。
こっちは二曲分の作詞を要求されてもいるのだ。
一応、ある程度のものは既に喜美に渡しているが、
……うわあ、あと三日しか無いんでした……。
ミトツダイラが曲を得たのを早いと言っていては駄目だ。
こちらが遅いのだ、これは。
少々の愕然を今更受けて、己は内心で冷や汗を掻く。すると、
「フフ」
来ますよねー、と思っていた声が来た。
酒の升に二杯目を入れた喜美が、やってきて、こっちの肩に肘を乗せてくる。そのまま彼女は腕を絡めて、細めた目で、
「たーいへん」
●
ふふん、という鼻声つきの顔に、己は半目の横目を返す。
……全く……。
「大変、って、何がですか?」
「解らない?」
喜美が、眉を下げた笑みでこちらを見る。
そして彼女が、ふ、と息を吸い、
「馬鹿ね! いい!? アンタ、私がテスト勉強中、アンタ達に淫語プレイしながら勉強してなかったのは何のためだと思ってるの!?」
「さあ」
「フフ、あれは私が夜な夜な勉強せずに雅楽祭の仕込みをやったり作曲の方を行ったりしていたからよ! どう、驚いた!?」
「驚きました」
自分は無表情に言った。
「ええ、──赤採ったら雅楽祭出られないのに、あの泊まり込みの近距離戦で遊んでる馬鹿がいたとは」
「え!? 何? 今、私が責められる処!?」
「あまりそうしたくはありませんが」
「つまり賢姉総ウケね!?」
何故? と思ったが、ナルゼが箸を左手にスイッチして右手でペンを構えたから、つまりそういうことなのだろう。
一方の馬鹿は、境内に響くデカい声で、
「や、やだ私、神道ステルスの中でまずは浅間に責められるんだわ! ”ほら、毎晩遊んでいるから、こんなに赤くなっちゃって……。あまりそうしたくはないですけど、今日はトーリ君と一緒に御説教ですね”とか言って言って!」
「トーリ君関係ありませんって」
「え? だってアンタ達が寝た後、作業しながら愚弟と通神してたら馬鹿話とかエロゲ攻略で盛り上がっちゃって。
人狼騎士モノをクリアしながらミトツダイラの曲作ったのよねえ」
●
「何してるんですの──!!」
騎士の抗議も尤もだと思う。
だが、
「まさか私の方の曲、巫女モノをクリアしながら作ってませんよね?」
「やだ、何言ってるの……? 馬鹿……? クリアしながらだなんて、……そんなことしないわよ?」
「本当ですか?」
「Jud.、──奏填中に大体作ったから。いやあ、愚弟が言うには枚数多くて時間掛かって」
「さ、最悪! そんなだったら攻略しながらでいいじゃないですか!」
「智! 智! 争点がズレてますのよ!?」
そんな気もする。
だが、そういう馬鹿は別として、最大の懸念であったテストは終了したのだ。今更、喜美の馬鹿を注意していても意味は無いだろう。
……仕方ないですね。
「ええ、……テストは終わったと、そう思って気を切り替えないと」
「フフ、そうよ! テスト終了だから切り替えないと! ね!?」
この馬鹿が両腕を広げて言うと腹が立ってくるのは何故だろうか。だが、
「そうしないと、帆掛け船描いた過去が消えないもの! ね!?」
全身の血が、綺麗に一回下がってから、顔に上がって来た。
何時見られたのか、とか、ブラフですよね!? という疑問があるが、馬鹿姉は、
「フフフ、アクロバット~」
などと、身を倒して手だけをついた倒立を見せたりしている。
何か問うても応える気は無いらしい。
ただ、自分の方では赤面を隠そうとしていると、じわりと首と背に汗が染み出してきて、
……い、今はやや薄暗いからバレない筈……!
すると、
「浅間、さ、ん……?」
鈴が、声を掛けてきた。
熱源でこちらの赤面を悟ったのだろう。
「だ、大丈、夫?」
……しまった!
鈴の気遣いが、今は危険だ。
「だ、大丈夫ですよ? 酔っただけですから、え、ええ!」
「アンタが酔うなんて、そっちの方が異常事態じゃない?」
言われて見るとそうかもしれない。だが、ここでこの流れを引きずっては危険だ。
己は、自分に向かってくる視線を無視して、
「ええと、──ミトの歌って、どのくらい出来てるんですか?」
●
興味と言うよりも、必然に近い欲求がある。それに、
「ガっちゃん達も聴きたいなあ」
そうねえ、とナルゼ達が頷くのにも意味があるのだ。
何故なら自分達は、彼女達の新しい持ち曲を聴いているのだ。
だが、ミトツダイラが吐息で肩をすくめ、こう応じた。
「──実のところ、まだ一部が決まってませんの」
「え? ……喜美に詞先で作曲して貰ったんですよね?」
疑問に対して、答えたのは喜美だ。
彼女は首を一つ下に振り、
「イントロや間奏に、どんな語りを入れるか、ってことよね?」
「……語り?」
Jud.、と喜美が応じる。
「歌詞とは別の、騎士歌にはつきものの”前口上”やMC部分。あるでしょ?」
「言われてみれば、確かに……」
ミトツダイラがカラオケで歌う騎士歌には幾つかの特徴がある。
基本、時代背景もあってか、男性向けの発声を要求したり、王や国を賞賛する咆吼が入ることもだが、
……物語があるんですよね。
歌に入る前には、この歌がどういう物語かを示す口上。中盤には展開している歌詞の内容を説明するような語りが入る。
「舞台劇のようなものですわ」
ミトツダイラが言う。
「曲と歌詞だけでは、たとえば戦いや凱旋のシチュエーションを唄っているだけに過ぎませんの。その前や、中間にある語りで、歌の背景を露わにする作りなんですの」
「そんな汎用性のある作りにしてるのは、何故さね」
「簡単なことですわ。王が代替えしたり、騎士団自体が人数不足で解体、再構成されたりした場合、歌詞部分でそれを固定していると歌を作り替えになりますもの。それに──」
それに、
「こういう歌に限らず、ゴシップや民俗歌を広めていったのは吟遊詩人なんですけど、彼らは各国、各地域へ行った際、わざわざその土地の歌を作りはしませんの。
汎用性ある歌に、即興でその国や地方に合わせた”語り”をつけて、ソレっぽくでっち上げるのが”芸”ですのよ?
そういう、伝統とはいえない、しかし、古来の歌としてのちょっとした決まり事ゆえ、”語り”は大事なんですけど……」
「そこの部分が決まってない、と」
「Jud.、何を唄うか、示したいものは決まってますけど、その形が決まってませんの。
語りが無しならば私自身の騎士歌。あれば、私を含めた物語、となるのですけどね。
私、即興が苦手ですもの」
「フフ、即興が出来れば、気になる相手に恋愛曲とアドリブの語りで迫るような、それこそ中世吟遊詩人の必殺”愛の歌”が使えるのにねえ」
また……! とミトツダイラが喜美に歯を剥く。
だが、ミトツダイラが歌えない意味は解った。つまりはこういうことだ。
「少なくとも、初披露では語り有りでしっかりやりたいですよね……」
●
成程ねえ、という直政の声と、続く皆の頷きの仕草をミトツダイラは聞いた。
場を埋めるため、ともいえる一曲披露の要求だ。
しかしそれが出来ない事にちゃんとした理解があるならば、
……期待はされてるし、いい加減ではないと思われていると、そういうことですのね。
思う頭上、皆の会釈に応じるようにして頭上のケルベロスが三つ鳴いた。
こちらの意思を汲んでか、やや落ち着いて諭すような吠え声。
それに対し、皆が小さく笑った。
だが、こちらの視界の中、喜美の頭上ではウズィが回っているのが見える。
彼女の手元にあるのは音響術式の表示枠。
それも、”集音”の文字の術式陣だった。
喜美がその表示枠を手に取り、胸の間に挟む。そして彼女は、
「さあ、ミトツダイラ、口にしてみなさい!」
「意味が解りませんわよ──!!」
こちらが叫ぶと、馬鹿姉はそれに口づけして、舌で舐めた。そしてこちらを見て、
「実は苺ミルク味の千歳飴……! どう!? 驚いた!?」
●
「……あの、本気で意味が解りませんけど」
「馬鹿ね! 喉飴として溶けやすいように殿のために人肌で暖めてました! ってやつなのに! ほら、浅間! ミトツダイラが舐めないっていうからアンタ来なさい! 胸を押しつけて二人で喉飴るのよ! 全く、ミトツダイラも残念ね……。こうして舐めるとオッパイ大きくなる加護があるってのに……」
アデーレが膳を引っ繰り返す勢いで立ち上がりかけ、しかし直政の義腕に腰を掴まれて座らされる。
向こうで浅間が”無視、無視”と手振りで知らせてくるが、確かにその通りだ。
自分は、一息を入れ、
「そんなものがあるんだったら口つけてないところを切って置いといて下さいません? 帰りにでも頂いていこうと思いますから」
「え!? 今の信じたの!?」
拳を振り上げると、馬鹿は長いストライドで向こうにウズィと逃げていく。
だが、去った後に置いていかれるのは表示枠だ。
更には自分の後ろに、追加で十数枚のそれが現れる。
喜美が用いる”転機編”だ。
既にそれは待機状態に有り、
「……誰がこれ、使うんですの?」
「え?」
と疑問の声を作ったのは喜美だ。
彼女は軽く左右に身を揺らしながらこちらに歩いてきて、
「私に決まってるじゃない。こういう場には歌と踊りが必要なものだし、企画が上手く通らなかったら代わりが必要だし、言い出しっぺがどうにかするものよ」
「喜美の方は、もう出来てますの? 雅楽祭用の歌」
「当たり前じゃない」
呼吸するように肯定が入り、喜美が笑みで片目を瞑った。
「──じゃあ新曲、”歓起舞”。一つここで初披露してあげるわ」