境界線上のホライゾン きみとあさまでGTA Ⅳ
第六章『夜待ち場の踊り子達』
●
ナイトは、音の始まりを聞いた。
今、喜美の新曲のイントロ前、調律とも言える音が”転機編”から聞こえている。
調律は大事だ。
何しろ、ここは場所が場所だ。
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……こういう場所って難しいんだよね。
神社は、開けているようで、そうではない空間だ。
音は空や宙に抜けて散り、響きの無いデッドになるかと思えば、拝殿や玉砂利の地面は明確な反響でライブを返す。
低音と高音。
音量の調整で、何が生きて何が死ぬのかを理解し、適切な形に合わせてやらねばならない。
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「フフフ――ン」
今、喜美が展開する”転機編”の中で、全ての音が、浅間神社の境内という特殊な空間に対応した音質と音量に変えられていく。
丁寧に、編むような調律。
これが出来るのは、浅間神社で楽曲を奉納している喜美だからこそだろう。今までの演奏経験から、パターンのライブラリが出来ているものと思えるが、
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「新曲となると、ちょっと面倒?」
喜美に問いかけると、踊り子が薄い笑みを作った。
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「舞台用の、欲しい?」
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……うわあ。
遠回しに話をしていこうと思ったのに、図星が来た。
喜美の言うとおり、こちらが今欲しいのは劇場艦の舞台用調律ライブラリだ。
劇場艦の舞台上。
そこではどのように音が響くのか。
また、どのように音が死ぬのか。
本来ならば艦上リハーサルの予定があった筈だ。
演習でデータを得て、自分達の楽器に合わせた調律のパターンを作る事が出来る。
その筈だった。
●
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……しかし今回は怪異対応のため、品川の積荷広場でしかリハーサルが出来ないんだよね。
だから、劇場艦での調律はぶっつけ本番だ。
三年生はそれでも大丈夫だろう。
出場しているバンドはどれも昨年も雅楽祭に出たものばかりだ。
去年のライブラリを基礎として調律が出来る。
だけど、自分達は違う。
去年のデータを持っていないのだ。
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……でも。
と、己は思う。自分達が劇場艦での調律ライブラリを得る方法がある、と。
それは、
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「──喜美」
ナルゼが、こちらの思考より早く言った。
わずかに眉を立てた彼女は、口を開き、
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「”谷川城”で非神刀を倒したとき、”転機編”を立ち上げたわよね? ──あのときの調律データを私達が貰うことは出来るかしら?」
鋭い口調。その問いかけに、喜美が動いた。
踊り子は両の掌を上に、こちらにまっすぐ差し出したのだ。
そのまま彼女は、全開の笑顔で、
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「何か頂──戴!!」
●
ストレートすぎて回避不能だ。
やはり魔女の気合いなど馬鹿には効かないということだろう。
勉強になった気がするけど、こんなの何度もあった気もするから難しい。
ただ、自分は言うだけ言ってみた。
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「”もの”じゃ駄目だよね?」
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「あら? ──じゃあ、何をして見せてくれるの?」
喜美の言う意味はよく解る。
そう。
相手は芸人なのだ。だが、
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「あれ? 喜美さん芸人だから、……ものを貰った代わりに調律情報を出すのは、ありなんじゃないですか?」
そんなアデーレの疑問に、答えた者がいる。
浅間だ。
彼女は、笑みと右の人差し指を立ててアデーレに見せると、
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「それはですねアデーレ。喜美の調律情報が”芸”じゃないからなんです」
浅間が始まった。
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「ちょっと浅間神社に宿泊している観光客も、遠間で聞いてみたい話ですね」
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「どういうことかしら?」
向こう、拝殿の脇の方で夕涼みしていた観光客が、そんな風にこちらを見ている。
すると浅間が、いいですか? と前置きして、
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「──芸人の”芸”の代価として供物を払うのはありなんですけど、今回、喜美からナイトとナルゼが貰おうとしている調律情報は”芸”ではありません。
そして喜美は芸人ですから、こう言ってるんです。つまり──」
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「オッパイよ──!!!」
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「──あれは気にしなくていいです。
ああ、落ち込まないで下さいアデーレ、オッパイ無いと喜美の援助が得られないわけじゃないですから。
ええと、──何の話でしたっけ」
こっちもこっちで大概凄い。
だが、話が進まない気もしたので己は自ら言った。
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「芸人の喜美ちゃんとしては、ナイちゃん達が芸を見せたら、その代価として調律情報あげよう、って、そう言ってんのね」
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「Jud.、そういうことね。──でも、私を楽しませるもの、アンタ達なら用意できるんでしょうから頑張りなさい?」
え? とナルゼがこちらに怪訝の視線を向けた。
そんなものあったかしら、という顔だ。
無論、自分の方でも解るものではない。だが、喜美が言うなら、何か自分達には良い”芸”があるのだろう。
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……何だっけ?
喜美の口調から言うに、頑張る必要はあっても、それほど見つかりにくいものでもないようだ。
ただ、今の自分達が気づいてないだけ、そんなものだと思う。だが、
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「──じゃ、そろそろ行くわよ?
喜美が調律を終え、音を前に出した。
”歓起舞”という、彼女の新曲が始まるのだ。
そして、喜美が両の手を前に上げ、喉を開き、
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「────」
始まった。
●
ミトツダイラは、喜美の一声に背を立てた。
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……これは──。
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「さあ 目を覚ましなさい 長い眠りはそろそろ終わり
お早う御座います 愚衆共 グモーニング 武蔵」
語りだった。
メロディに乗った歌詞ではない。
騎士歌と同様に、語りによって物語が確定する曲。聞こえる歌詞は、
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「グモーニン!!」
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「グモーニン!!」
パン屋の出前の幻覚による明らかなアドリブを含んで、喜美が歌い出す。
●
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「思い出す 夢うつつ
目を閉じた 薄闇で」
短いセンテンス。連続する言葉は、しかし息継ぎも短く、
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「思いだす 光ある
ひとときの あなたとの」
舞の曲だ。
騎士歌ではない。
語りがあり、物語は生まれている。が、しかしこれは、騎士や吟遊詩人の歌ではない。
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……やってくれますわね!?
喜美は、古来からの曲の作りを、しかし今、最新の舞の曲に叩き込んできたのだ。
騎士歌ではない曲に語りを入れて、物語を多用にしながら確定する。
語りは騎士だけのものではないと、まるでそう言われているようで。
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……その上、唄われる内容は──。
きらびやかな、眩しいとしか言いようがない音。そこに乗る言葉は、
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「思い出す お別れを
突然の さよならで」
耳に通る歌詞は別れの過去を歌う。
だがそれはもはや暗いものではない。
目覚めの歌だというのは始めの語りで確定しているのだ。
音が鮮やかに光るようなこの曲においては、過去は振り返るものではなく、思い出して前に行くためのもの。
だからこれは今の歌だ。その証明として、
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「思い出す それからの
今までの 私達」
く、と己は歯を噛んだ。
同じように、自分の周囲からも、あ、とか、お、という声が生じているのが聞こえる。
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……Jud.、……解りましたわよね? 喜美の作る”物語”が。
●
彼だ。
●
否、正確には、過去から続く今最新の、彼との生活の歌。ゆえに、
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「暗いのは嫌 目を覚ますの
毛布を抱いて 片目を開け
明るい場所 行きたいから
呼べば 呼べば 手も握れて……」
薄暗い寝床。
そこに眠る喜美がいる。
明るい場所に行きたいと彼を呼べば、手を取られ、
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「窓を開けるの お日様浴び
髪の色に 光るリング
あなたの顔 笑っていて
きっと 私も 同じ顔……」
解る。
明るい場所に行きたくても、寝ている手を取られたら動けない。
だから彼はカーテンと窓を開け、自分達が今いるところを明るくする。
そして二人、まだ寝ぼけのある姉と弟は、ベッドの上で意味もなく笑うのだろう。
そんな事実を示すように、中盤の語りが来た。
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「あは 贅沢よね これ
何もかも 今だけでも 幸いなんだわ」
語りが告げる。
それはこちらの想像を裏付けして、見せつける。
無論、喜美の今の語りは、物語を明確に言ってはいない。
だが、これは、二人を知っている人間ならば誰でも想像できる”物語”。
喜美はそれをこちらに提示して、語りを追加した。
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「──そう思うでしょう?」
●
想像の後押しだった。
ブラフに近い誘導だが、想像してしまった自分達にこれは効く。だが、
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「思ってる 水平線
いつだって 高望み」
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……え?
自分は、喜美の今の歌詞に、ある事をふと思った。すると、
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「思ってる 認めてる
友のこと あなたとね」
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……あ。
今のも、だ。先ほどの歌詞もだが、ここはきっとそうだ。
掛詞だ。
洒落とも言える、一つの言葉に別の意味を含ませたもの。
そして今の歌詞におけるものは、
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……私達の名を寄せたものですわね?
友、認、それに高嶺の高望みと、
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……水平線。
それらの言葉を彼とどのように認め、望んでいるのか。
喜美はしかし、それ以上を唄わず、
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「教室で 見渡せば
賑やかで いい空気
でも私は 背を叩くの
光る 光る 時間を手に……」
そこまで歌って、喜美が手を一つ打った。
舞だ。
●
踊り子が舞う。
今まで軽いスイングとステップくらいだったものが、身を回し、背を見せ、口を開いてこう語った。
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「ふふ 本気なのよ 私 いつだって
楽しくて でももっと上を ね」
物語は進む。
朝の目覚めから日常へ。眩しい二人の時間は、だがそのまま失われずに皆と共にいる場所に進み、
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「ほらついてきなさい足りない子達」
一息。
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「カモ──ン!!」
両腕を振り上げると、”転機編”が一度破裂した。
光が莫大量の雨と散り、境内を全域に照らす。
それを見上げるこちらの視界。
その下と奥では、踊り子が手にした白い布を宙に流し、光を浴びて笑い踊る。
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「思ってく これからを
放課後に 肩抱いて」
ああ、これは先日のデートの事ではない。
別の日の、彼とのデートだろう。
何故なら、この歌は彼との日常賛歌だと、先の”語り”が確定してくれているのだから。
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……全く。
自分は、舞のリズムに身を軽く揺らしながら、こう思った。
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……”語り”を迷ってる私に、何てものを見せつけてくれるんですの?
己は思った。
今作っていて、喜美に曲も当てて貰った歌詞があるのだが、これを喜美にもう一度相談して作り直そう、と。
”語り”だけではない。
騎士歌として、しかし、今までの自分の殻を割ったような、先を見据えたものを作ろうと、自分はそう思った。
●
浅間は、ミトツダイラが何か納得をしたように肩から力を抜いたのを見た。
いろいろと思うところが、喜美の歌を聴き、理解したか、観念したのだろう。
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「思ってく 歩み添え
笑ってる 声重ね
思ってく 夕食や
洗濯や 掃除して」
喜美らしい歌詞の構成だ。
言葉を繋げたり、連続することで、意味を確かにしつつ、差による変化を見せていく。
意外に、芯を残すのだ。
この、無軌道に見える友人は。
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「思ってく 毎日を
手を握り 眠るのよ」
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……う。
毎日、手を握って寝てるわけじゃないですよね? ね!?
見ればミトツダイラも半目で拳を握ってるから、喜美の誘導は完璧だ。
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「起きてみれば 窓には月
呼べばそこに 応える声
あなたの顔 笑っていて
きっと 私も 同じ顔……」
そうですね、と己は喜美の声を肯定する。
この姉弟は、お互いが楽しさや悲しさを分け合うように、同じものを見ているのだろう。
そして、最後の歌詞として、声が響いた。
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「夢のとおり 君の向く先
笑いながら 認めてる
共に行くわ 地平の先
ずっと ずっと どこまでも……」
掛詞を確かめる無粋は無い。
これはお互いが秘めている事。
物語を語り、確定したとしても、大事に言わずにいる共通の秘密なのだろう。
歓びを起こし、歓びに起きる舞歌。
それゆえの歓起舞。
まさしく喜美の歌だ。
やがて最後の音が消えていく。
その中で、喜美が髪を振って笑った。
曲が終了したのだ。
●
直政は、アデーレが感心で、鈴が喜びで拍手するのを見ながら、己の感想を呟いた。
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「男で苦労するのは女の華だろうけどさ」
苦笑を一つ。
汗をタオルで拭っている喜美に対し、付け加えるように言うならば、
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「家族で苦労するのは女のサガさねえ」
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「それは”私達”に対しての言葉?」
と言って立ち上がった影がある。
ナルゼだ。
彼女はこちらをペンで指し、問うてきた
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「箒の補強策、どうなってるのか、訊いて大丈夫よね?」
全く、と魔女は吐息して、喜美に半目を向けた。
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「厄介なもの見せられて、相当の”芸”じゃないと代価は駄目なのは解った、という感じね。
──だから、それにするつもりはないけど、とりあえず、面白いものを見せてあげるわ。
いい? 直政。
出して貰える?」
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「大丈夫か訊いて、すぐに出せってのがいるかね」
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「展開が早いだけで、段取りは間違ってないでしょう?」
どうなの? とナルゼが疑問する。
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「出来てる? ──私達の箒」