境界線上のホライゾン きみとあさまでGTA Ⅳ
第九章『水平上の警告者』
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浅間は、自分の判断が気楽な一方で、随分と踏み込んだものだというのを悟っていた。
そう思ったのは、空の中だ。
青雷亭に向かうナルゼの羽箒の上。座り込んで尻の座りを確定している間に、
……うわ。
浅間神社の仕事上、輸送艦や儀式系艦船に乗ることがある身だ。
高い位置や速度には慣れがある。しかし、
「……っと」
飛んでいる。
船のように、空中を航行し、滑るのではない。
加速をし続け、自分を押し続けることによって飛んでいる。
無論、魔女の箒には浮上能力があり、それによる安定はあるのだが、常に押され続けて振り回されるような感覚は、
「意外と、走ってるのに似てますね」
「え!? 何!? 聞こえない!」
風と速度によって、声は前に届かない。
夜のステルス防護障壁を向こうにして、こちらに振り向くナルゼの声。それですら、投げかけられると言うより、後ろに置いて行かれる途中で耳に入るだけだ。
「後部座席ないから、羽箒のカウルに尻座らせて両横掴んでて、脚は機殻挟んでる!?」
「大丈夫です!」
声をたてると、ナルゼが眉を上げた。
祝詞で鍛えた一声は、しっかり届いたらしい。
ナルゼが小さな笑みを口に見せ、
「じゃ」
言うなり、飛んだ。
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……わ。
一瞬で至ったのは空中。
それも高いところだ。
あっという間に浅間神社は背後の眼下になる。いつも輸送艦などから見下ろしている奥多摩の表層部が、斜め上がりの視点から遠ざかり、
……あ、もう艦首方面。
速度に、自分の風景知覚が追いついていない。
奥多摩が離れていくのを見ていると、すぐに多摩についてしまう気がする。
だから前を見れば、
「────」
ナルゼが、幾枚もの魔術陣を展開していた。
空に臨時の飛び込みをしたため、航路関係の照会を急ぎ行っているのだ。
記号やルートの表示を見るに、奥多摩艦首を右から左に横切り、左斜め前にある多摩へと右側通行で行くという、そんなルートを採るのだろう
きっといつも、二人はこんな業務上の遣り取りをしながら、仕事しているのだ。
……教導院では同人ネタとかいろいろ振りまいていますけど。
ルート照会と、安全のための航路を選択していく後ろ姿は、プロのそれだ。
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大人に負けずと、ちゃんとやっている。
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そのことを思うと共に、自分は、己に軽い緊張があるのに気づいた。
上昇の際の勢いに驚いたせいだろう。
機殻箒の縁を掴む手だけではなく、肘あたりにまで緊さが来ている。
だが、もうそれは不要だろう。
配送のプロが、自分を青雷亭に連れて行ってくれる。
だから自分は首を振り、乱れた髪を直した。
両の手に力を入れてホールドを固め直し、身を前に倒す。
前方。
ナルゼの翼は空気抵抗を避けるために閉じている。
莫大量の羽毛からは、二人が使っている洗髪剤の匂い。
朝顔だ。
未明から咲く花は、朝の早い配送業にとって意味が有るものだろうか。
解らない。
今の自分は、テンションが上がっていて、無理に何ものにも意味を見つけようとしているような、そんな気もする。
だから己は、翼ごしに前を見て、横を見た。
眼下をゆっくりと流れていく風景は、左に曲がり、右手側に武蔵野の艦橋と艦尾を見せつけてくる。
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……おおう。
武蔵野艦橋近辺は、艦橋に害がないように大型艦船の航行が制限されている。
だからここまで近くに橋状艦橋を見ることは希だ。
自分達がいるのは甲板高三百メートルほどだろうか。
巨大建造物を前に、視界はゆっくりと、しかし回って、
「あ」
逆の傾きを箒が得た。
多摩右舷に沿う航路をとるため、右に箒がバンクしたのだ。
やや尻側が滑るような感覚と、箒の腹が風を受け、
「……っ」
二度ほど、左に空中をスキッド。
だが、こちらは機殻をつかんでいる。
反射的に腰を浮かせていたので、尻が機殻にぶつかってバウンドすることもない。それに、
……あ。
ナルゼの翼。
主翼が、こちらの両横を押さえるようにまっすぐ伸ばされていた。
フォローのつもりなのか。それとも機体の挙動を制御するための姿勢なのか。
やはりこれも、解らない。
ただ、
「────」
右から呼び声が聞こえた気がした。
振り向くと、ナイトとミトツダイラがいた。
ミトツダイラは、袂から銀鎖を出して自分の身体を支えるシートを作っている。
シートベルトのように身体の前で交差する鎖は、やや高い位置で×印が作られている。それを見たナルゼが、こちらに魔術陣を書いて寄越す。
○
「銀鎖!? この頃から、御母様、御使用でしたの?」
「ネイトが武蔵の番外特務に就任したとき、固体状態にしたものを一本、祝いとしてうちの人に贈って貰ってますわ。
使えてるようなので、後にオベリスク含めた一式を贈ってますの」
「Jud.、この頃はフォートレスパーツであるオベリスク無しの、”こちらの意図を読んで形を変える鎖”ですわね。長さも3メートルくらいで、ちょっと便利グッズくらいの使い方しか出来てませんの」
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『あの鎖の結び方は、亀甲?』
返答はしないでおくが、同人のネタにされるのは確かなことだろう。
だが、ナイトの箒はこちらと並び、
「────」
ナイトの声はこちらに届かない。
無論、そんなことはナルゼには関係ないのだろう。翼が明らかに頷き、
……行きますね。
こちらの箒とナイトの箒が交差し、緩やかなカーブを描いて多摩へと向かった。
息を揃え、目的地へと降りていく。
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夜でも仕事があるのは航空艦という武蔵の特徴だ。
整備や建築、輸送関係に番屋や役場での残業持ちなど、いろいろな仕事をする者の姿が、夜でも街を行くのが見受けられる。
ゆえに武蔵の大通りとされる場所では、門限が近くなっても店が開いている。
不夜となっている店舗の一つ。明かりのついた木造の空間が多摩にあった。
パン屋兼軽食屋である”青雷亭”だ。
店の中には、幾つかの客の影があった。
家族連れや仲間連れなどはいない時間帯。誰も彼も、職場に向かうための燃料補給として立ち寄る場は、奥のカウンターから埋まっていく。
そんな中、パン売りのレジカウンターの前に、一つの影が立っていた。
点蔵だ。
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点蔵は一つの任務を受けていた。渡辺からの指示で、
……夜に、ナイト殿とナルゼ殿が来たら、渡辺様に報告で御座る。
勿論、ずっと張り込み続けることなどは出来もしない。
だから、
「申し訳ないで御座る。
自分、総長連合の第一特務麾下の者で御座るが」
自分は、店内に入るなり、他の皆に見えないよう、カウンターの自動人形に表示枠を出した。
己の身分証明証を映したものだ。
第一特務の紋章と、自分の名前と在籍番号、そして指示を得ての行動であることを示す印象つきだ。
なるべく他の者に見えないようにはしている。
この店が事件に関与していると、そう勘違いをされては困るからだ。だが、
……この自動人形……。
身元不明の自動人形、というのは第一特務麾下の情報網で知っている。
保護者として、青雷亭の店主が名乗りをあげ、安全が保証されていることも、だ。
しかし、と己は思った。
トーリ殿が最近、この自動人形目当てで来て御座る、と。
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九年前の事件依頼、あの男はここに来ていないと思ったが。
……変わると言えば変わるものと、そう言うべきで御座ろうか……。
とはいえ、
「──誰ですか貴方」
いきなり言われて、自分はこう思った。
……に、似て御座るな……。
誰に、というのは口憚られる。
九年前のことは、自分達の中で一つの区切りとなっているが、敢えて今それを持ち出す意味も無いからだ。
だが、自動人形は問うてきた。
「答えられないなら当てますが、それでも宜しいでしょうか」
「……は? 当てる?」
それはどういう、と言いかけた時だ。
自動人形が、おもむろに右の一差し指を立てた。彼女はその指でこちらを指し示し、視線を鋭くすると、
「──山本」
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違う。
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掠りもしていないので、自分は黙った。すると自動人形は二つ頷き、
「──何でしょう、山本様」
「え!? 今ので決まりで御座るか!?」
「それでは新製品の御紹介です」
自動人形が無表情に、右腕を後ろにあるパンの棚に回した。
右腕が、肩の接合の許容範囲を超えたのだろう。
右肩から先が金属音をあげて外れた。
勢いがあったのか、黒い樹脂に多くを覆われた腕が、床に激突する。
明らかに重い物が木床を打ち、響きを立てた。
……え?
いきなりのことに反応出来ない己であった。しかし、
「だ、大丈夫で御座るか!」
カウンターの向こうを覗き込もうと前に身を倒した。
直後。
カウンターの影から、巨大な蜘蛛のようなものがこちらの顔面に跳躍。避ける間もなく、顔をホールドされ、
「ぬおおおおお!?」
慌てて掴んで引きはがす。
そしてカウンターの上に叩きつけたものは、
「あ、P-01sの右腕です。まだ制御が甘いのか、外れると勝手に動きまして」
「右腕先輩の初出!? カッケエ――!」
「まだこの頃は自律しているというよりも、制御の乱れという扱いだったのね」
何か詳しい観光客がいるで御座るゥ……。
そんなことを思う視線の先、カウンター上を、手の平を使って這い、あちらこちらに身を回している右腕がある。
接合部から蛇の警戒音のような吸気をあげて動き回るそれを前に、P-01sがこちらを見た。
「では、山本様に新製品の御紹介です」
「──え!? 続いていたので御座るか!?」
「何を言っているのです。青雷亭は残ぱ──、パン屋兼軽食屋です」
「い、今、何か凄いこと言おうとしたで御座るな!?」
まあまあ、と自動人形が言っている間に、右手がカウンターの縁を舐めるように確かめ始めた。下に降りれる場所を探しているのだろう。
しかしP-01sは一切構わず、
「実は本日、新製品が出来ました」
「いや、まあ、別に」
なるべく興味がないように言ったつもりだった。
するとP-01sが、首を傾げて下からこちらの顔を見上げ、
「新製品、お嫌ですか?」
「どっちかというと、その、今はいらぬと申しますか……」
丁寧語になってしまうのは何故だろうか。
「フフ、格下確定ね……!」
喜美殿やかましいで御座るよ?
ただ、自動人形が、理解したというように頷いた。そのまま彼女は、カウンターの下から紙袋を出し、
「今は不要ですか。では明日用の残ぱ……、放出品。──五百円です」
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ナルゼは、機殻箒を位相空間に仕舞ってから、青雷亭のドアを開けた。
ドアベルが鳴り、後ろに浅間とマルゴット、ミトツダイラが続く気配を得ながら、
「頼んだの出来てる!?」
入ると、点蔵がP-01sに俯き顔で五百円を払っていたので、己は勢いよくドアを閉めた。
後ろ、おっと、とぶつかってきた浅間の胸が、
「ど、どうしたんですかナルゼ」
「アンタ翼が食い込んで参考資料として美味しいけど、中に点蔵がいて負け犬」
「ガっちゃん言葉の前後が繋がってないけど点蔵が負け犬なの?」
「Jud.、あれはどう考えても負け犬。見た瞬間解るわ」
ああ、とミトツダイラが頷いた。
「P-01sですのね。
じゃあ仕方ないですわ。
あれ、点蔵が勝てないタイプですもの」
あれに勝てるのはいるのだろうかと思うが、まだ人生は長い。
思いがけない事が起きるかもしれないと、自分はそんな事を考える。
○
「結局、勝てた御仁はおられるので御座りますか?」
「えっとお……」
「カースト上ではホライゾンの上に喜美様がいらっしゃいます」
「フフ、どう皆!? 私こそが世界の究極極上存在! 解ったら御菓子を恵むといいわ! カマーン!」
「そんな上位存在なのに”恵んで貰う”でいいんですの?」
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ともあれ、と己は前置きした。
「今、入ると、巻き込まれる気がするのよね」
「正解ですわねナルゼ。ちょっと待った方がいいですわ」
じゃあ、とマルゴットが自分の箒を位相空間に仕舞い、魔術陣を開く。
直政に、先ほどの飛行によって得られた出力数値などを送っているのだろう。
自分の方も、同じように手配をしている間、浅間は神社の管理処理を行っているし、
「私も……」
ミトツダイラも、自分の持ち企業の管理画面を表示枠に出す。
……私達を含めて、どいつもこいつも……。
皆、己の基盤のようなものを持っているのだ。
対する自分達は、配送業で序列が上だとしても、キャリアは短いし、稼ぎもそこそこだ。
それに比べると、
……片や武蔵の神道代表で、片や極東の暫定継承権第一位だものねえ……。
嫉妬するほど、相手の立場や苦労が解っていない身ではない。
こっちは何かあったら空飛んで憂さを晴らすことも出来るが、立場のある身となれば、
「……ああ、だから矢でズドンかましたり、肉食いまくりで……」
「な、何をいきなり得心してますの!?」
「そっちの事情よ。──と、そろそろいいかしら」
自分は、皆をちらりと見た。
三人とも、手元で行っていた作業から、こちらに視線を返す。
ドアを開けていい、と、そういう了承のアイコンタクトだ。
だから己はドアに手を掛け、押し開ける。
開いた。
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正面。
忍者と自動人形が、カウンターに二つのグラスと瓶を置いていた。
するとマルゴットが、こちらの後ろからドアノブに手を掛けて閉めた。
ややあってから、マルゴットが皆に振り向かず、
「これはナイちゃん良い判断」
「そうねマルゴット、いい判断だわ」
「な、何ですの? 今の?」
「水だよん」
「水!?」
「うん、水」
マルゴットが多くを語らないのは賢明だ。
だが、浅間が首を傾げてこう言った。
「このままだと入れないですね……」
「あと、結構時間が経ちますのに、中の客が一人も外に出てこないのは何故ですの?」
「あまりの事態に巻き込まれるのを恐れて動けなくなっているか、これを楽しみに青雷亭に来ているか、どっちかじゃないかしら」
成程、と呟く浅間が、表示枠を開いて時計を確認。
「あ、そろそろ晩の八時半の鐘が鳴りますね」
朝の八時半に鳴る始業の鐘とは逆の、夜を告げる時報の鐘。
最後となる十時の鐘を前にして、帰宅や就寝に向かう時刻だと知らせる鐘だ。
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本来なら大砲の音などを用いるとも聞くが、武蔵上では教導院の鐘を使用する。
八時半の鐘が鳴ると、町には総長連合や雄志による夜警団が回り出す。
寝る前ではあるが、動きの生まれる時間だ。
町が眠りにつく前に、それを告げる者達が通りを回る。
その雰囲気は、自分にとって好きなものだ。
”黒金屋”の終業は六時から九時の間なので、この鐘を聞きながら町に降りていくことや、夕食や湯屋の行き来をすることもある。
徹夜も多い自分にとっては、夜の始まりを告げる鐘なのだ。
だが、今日はちょっと事情が違う。
これから空を飛ぶ場合、改造を受けた機殻箒で夜警の見回りの上を飛ぶのは、
……目立つ、と思うのは自意識過剰かしら。
とはいえ、早めに用件は済ませよう。
己はドアノブに手を掛け、押し開けた。
「そろそろ大丈夫でしょう。──行くわよ!」
ドアの向こう。
忍者と自動人形が、カウンターに”何も乗せていない皿”を並べて向き合っていた。
不動であった。
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ナルゼは無言で静かにドアを閉じた。
気づかれないようにしたつもりだったが、自動人形がこちらにゆっくり振り向きかけていた気もする。
背後、ミトツダイラの声が、
「ナ、ナルゼ? 何がありましたの?」
「Jud.、──新しいものが始まっていたわ」
「え? 新しいもの? 何ですそれ」
「──浅間、興味があるなら明日にでも訪ねてくるといいわ。だけど一人でね」
はあ、と浅間が声を作ったときだ。ドアの向こうから、自動人形の声で、
「おられるのは解っております。ナルガット様、ナルーゼ様」
「……一周して似てきてないかな? ガっちゃん」
「シッ、反応しちゃ駄目よ」
すると、ドアの向こうから、声が追加で来た。
「あー、ナルゼ殿、ナイト殿ー」
……何呼んでんのよ!
『続きを描くわよ!?』
『犯行声明と脅迫が同時に来たで御座るよ!?』
だが、後ろで浅間とミトツダイラが、追加で距離を取る。
それがあからさまなので、
「――こら、何距離とってんの」
とマルゴットの肩を持って、自分は後ろに振り向いた。
そして一歩を浅間達の方に、通り側に進めた瞬間だ。
不意に、浅間がこちらの左手側に振り向いた。
「──え?」
●
夜気が止まり、しかし冷たい体積としての個性を上げたような感覚。
何かが音を抜け、こちらに来る前兆だ。
それは、
……砲撃!?
あり得ないもの。
その一発が、通りを貫きこちらに直撃した。