境界線上のホライゾン きみとあさまでGTA Ⅳ
第十四章『寝坊場の駆け出し者達』
●
ミトツダイラは、寝惚けていた。
昨夜はいろいろあって、
……ええと。
結局、何があって、何がどうなったのだろうか。
今、自分が寝ているのは浅間の部屋であることは理解出来ている。
最近は自分の屋敷よりもここで寝ることが多く、完全な通い同棲状態だ。
左右には浅間と喜美が眠っており、近くにはアデーレと鈴がいる。
ハイディは先に仕事に出たようで、一つ布団が畳んである。
つまり今は朝の時間だ。
ナイトとナルゼ、直政はおらず、
……あとは……。
正純も、昨夜、キリのいいところで帰ったのだ。
あそこは親が厳格だ。
朝から小等部で講師のバイトも入れている。
「大変ですわね……」
つぶやき、己は表示枠を開いた。
外。
障子を通して入る光は、衝立で阻まれているが、確かに明るい。
……何時でしょう。
表示枠に書かれているのは朝八時二十九分。
●
八と、二十九。
その数字を読み、自分は意味も無く頷いた。
そしてややあってから、もう一度、己は数字を見た。
八時二十九分だ。
浅間が禊祓に起きるのが朝四時半だから、約四時間が経過している。
「もう」
己は、苦笑の唇に左手を当て、右手で表示枠を軽くひっぱたいた。
「智ったら、寝坊してますわよ? 四時間も」
言って、自分は息を吸った。
朝の空気。
しかし皆の寝床としての、薄暖かい匂いを肺に入れ、こう叫んだ。
「遅刻しますのよ──!?」
●
ナルゼは、急ぎ身支度を調えていた。
……しまったわ──!
昨夜、箒を直政に預け、とりあえずという形で帰宅したら、ドっと疲れが来た。
だがそれは、身体の疲労であって、心の疲れではない。
寧ろ、気分としては高まっていて、
「あは」
ナイトに抱きつくと、向こうも受け止めてくれて、そのまま奥の床に倒れ込んだ。
ベッドに上がる体力はないが、テンションだけは高い位置にあって、
「マルゴット」
「ん」
いきなりマルゴットが、唇を重ねてきた。
そのまま、捏ねるように、お互いの身体を暖めた粘度としてくっつけて押し込み、引き寄せては隙間を埋め、
「やった」
どちらともなく言って、笑った。
大いに笑った。
●
床に脱いだ服を寝床に、翼を毛布に、そしてそれぞれの手や唇や、肌肉そのものを自分のものとして、足りないところを欲しては導かれ、気がつけば笑った。
「信じられない」
だから、
「憶えているようにさせて」
と、その言葉がどちらのものか、応じたのもどちらなのかを憶えていない。
しかし、朝、汗と香水の匂いのする衣服の脱ぎ散らかしの上で目覚め、お互いにまた笑ったのだ。
「ガっちゃん、タイツ半端に千切らないでさあ。ちゃんと脱がそうよ」
「マルゴットも、シャツ部分残してるとか、ちょっとマニアック」
言って、意味も無く笑みが口に零れ、肩が揺れる。
俯きの額を合わせ、
「──後でテスター権の申請しましょう」
「そうだね、でもガっちゃん」
「何?」
マルゴットが、口を横に開いて、入り口の方を示した。
「ドア開きっぱなし」
「……机の陰に入ってるからセーフ」
セーフではないのは、位置ではなかった。
鐘が聞こえたのだ。
「……え?」
魔術陣を開くと、時刻は既に八時半。
昨夜から十二時間を経っている。
●
「やば……」
「え、ええと、身体拭くぐらいはしよう」
「──ハイ、ガっちゃん、拭いてあげるから立って全部見せてくれるとナイちゃん嬉しいなあ」
「朝から充実してるわねマルゴット!」
こっちもしてやったら余裕で時間が経過した。
浅間神社の禊祓による洗髪符の串で髪を研ぎ、家を出ようとして、
「あ」
白の羽箒は破損が酷く、直政の預かりだ。
だから、
「ナイちゃんの箒で行こう! 二人乗り!」
それがいい。
自分は、マルゴットが差し出すように掲げた箒を、彼女の手ごと掴んで。
「行くわよ」
廊下へと、急ぎのステップで飛びだした。
●
浅間は、表層部に上がる階段を駆け上っていた。
先行するのはアデーレで、後続は、
「ミトツダイラ、さん、だ、大丈夫?」
「大丈夫ですわ。楽器よりも遙かに軽いですもの」
鈴を抱きかかえて急ぐミトツダイラと、喜美だ。
遠く、鐘の音が響いていて、花火の炸裂音も届いてくる。
……ま、参りましたね……!
ほとんど飛び込みで禊祓を済ませ、着替えただけだ。
何も食べてないし、準備もない。
春期学園祭の開催式なので、授業の用意がいらないのは行幸だが、
「いきなり初日から遅刻とは……」
「そうねえ」
と、並んでくる喜美が言う。
「ちょっと朝方に起きちゃって、四時だったのよね。そして部屋の時計見たら、四時半に目覚まし掛けてあるじゃない? だから、二度寝を三十分で起こされるのも嫌よねえ、って、目覚まし停めておいたんだけど。
──何でこんな遅刻してるのかしら」
「言ってる言葉の意味を考えましょうよ!? ね!? そうですよね!?」
ともあれ下手人は自白したので、謎は解決した。
そして階段の終着点が見え、アデーレが先に表層部に出て身を回す。
彼女は階段の降り口からこちらを見て、
「先に行って来ます! 先生に言い訳の直談判必要ですから!」
「御願いします!」
と言った瞬間だ。
艦首側からいきなり、吠え声の重なりと共に犬の群が飛び込んで来た。
アデーレが余裕で飲まれた。
「ひゃああああああ!!」
朝の散歩を欲する犬達だ。
アデーレが使えなくなった。
●
「おお、アデーレ様、折角残ぱ……、残り物セットを持ってきたというのに犬波に飲まれるとは何事ですか。
――お、浅間様、丁度良い、朝食のセットです」
表層部に出た浅間は、犬波に運ばれていくアデーレから視線を外すことにした。
そしてP-01sから紙袋を受け取りながら、
「幻覚ですか」
「有りの方が朝食にありつけますが」
「フフ、じゃあ”あり”でいいわ!」
「こっちで朝食セット配布です――」
皆が受け取っていく。
そして走り出す。
浅間神社と周囲の自然区画の境目。そこを行く通路に視線を向け、
……後悔通りを行った方が早いでしょうか。
浅間神社の右舷側、艦尾に近い方にその通りはある。
人通りも馬車類も通ることが少ないので、急ぐときは有用だが、
「ま、いいですね」
遅れているのは明確なのだ。
無理に道を選ぶくらいなら、まっすぐ行った方がいい。
だから、
「行きましょう」
自分は、遠くに見える教導院に足を向けた。後ろの二人も、皆もついてくると、そう確信しながら、だ。
●
あれ? と空を行くナイトは、それに気づいた。
鐘が鳴り響く現在、奥多摩の表層部を教導院に向けて行く者達がいる。
「ガっちゃん。下、アサマチ達がいる」
「は? 何遅刻してんの? あの連中」
浅間など、早起きが得意技の一つだろうに、訳が解らないと、そう言いたいが、
……昨夜、こっちに付き合ってくれてたしね。
だから高度をやや下げ、彼女達の上空に身を移した。
眼下、行く三人と、運ばれていく鈴がいる。
先に気づいたのは鈴だ。彼女はこちらに振り仰ぎ、笑みを見せた。
……結構、いい度胸してるなあ。
だが、三人は気づいていない。
ゆえに自分は、気づかせる意味も含めて、
「キ──ン、コ──ン、カ──ン、コ──ン」
聞こえる鐘を口真似する。
すると浅間が気づき、
「あ、二人も遅刻ですか?」
●
「今から超スピードで窓から飛び込めば遅刻はアンタ達だけよ?」
「あ、そうでもないよガっちゃん」
右舷側、後悔通りを走っているのは正純だろう。
昼でも薄暗く、通る人の少ない場所を物怖じなく行くのは、武蔵の事をまだ知らないからに違いない。
……知ったら、どうなるかなあ。
そして、急ぐのは彼女だけではない。
左舷側でも、教導院への道を走っている連中がいる。
点蔵と、トーリだ。
他、ノリキやペルソナ君達までもがいて、
『テンゾー、何やってんの?』
『い、いや、昨夜あれから、トーリ殿が小西殿達の仕事を手伝うとか言って、輸送艦や倉庫の貨物運搬をすることになって御座ってな!?』
『ああ、学園祭の資金稼ぎね』
『まあ、結果としてはそうで御座るな。そちらは──』
と、点蔵が続きを告げる前に、馬鹿の声が聞こえた。
『序列一位だってな!』
あ、情報早い、と、そう思った時だ。
『──すげえじゃん!』
言われた台詞に、身が震えた。
●
凄いという、その言葉に、己は戸惑った。
……う、うん?
凄い?
そうなのだろうか。
どうなのだろうか。
自分達はお互いよくやって、上手く行ったが、
……す、凄いの、かな? かなかな? どうかな?
淺間や、ミトツダイラや、喜美や、他、総長連合や生徒会の者達がいる武蔵の中だ。
そこにおける自分達は、自負はあれども、他から見たら、
『……凄い?』
その問い掛けに、馬鹿は確かに応じてくれた。
Jud.、と前置きをつけて、
『すげえよ。うん』
声に喜びがあるのが不思議だ。
ただ、後ろから、ナルゼがこちらを抱きしめてきた。
彼女の胸の上下が、笑っていると教えてくれる。そして、
「凄いって」
「うん」
「あの馬鹿が言うなら、信じていいと思うわ。
だって、──馬鹿は嘘つかないから」
うん、と重ねて頷く中、鐘の音が響いていく。
そして自分は、息を吸い、
……あ。
ようやく、力が抜けた。
●
ここ数週間。ずっと身構えていたものが、今、落ちた。
これからと、これまでの分岐点。
その中を行く自分を自覚して、己は思う。
……鐘が聞こえるね。
自分達の、新しい目覚めの音だ。
だから自分は、ふと考えた。
雅楽祭の新曲を、もう一つ作れそう、と。それは、
「ガっちゃん。──コレ、曲にならないかな?」
「キンコンカンコン?」
うっわ可愛い。
絶対曲にしよう。
己は頷き、耳から聞こえる音を譜面に落とした。そして、
「行くよ」