境界線上のホライゾン きみとあさまでGTA Ⅳ

第二十二章『未来を作る密室劇』

 ……見事で御座るなあ。


 と己は正純を評した。

 民の総意を、国家の方針に置き換える事で国に人格を与える。

 これは、現在における最新の政治学だ。

 王権を否定し、更には民衆に踊らされないようにした議会政治の根幹だろう。

 そして正純が今、自分の為すべきとして選択したのは、私意ではなく、国の方針を国家の人格から導き出す政治的行為だ。


 ……”一人でやる”というのは、私意の極で御座るしな。


 これが、もしも先ほどのシロジロの”たとえば”に応えた内容ならば、その時点で失敗だ。

 何故ならシロジロは正純という”一人の存在”に”一人で何をするのだ”と問うたのだ。

 だが正純は、政治家としての為すべきを提示した。


「国家が望むならば、で御座るか」


 国が望むならば、”一人でやる”ことも選択する。

 それが政治家だと彼女は言った。

 それは、民からの要求を、そのまま飲むことではない。

 国家に必要なものとして的確な形は何かと思案し、取捨選択するということだ。

 場合によっては、民衆に負担を強いることもある。

 民衆を守る”国”を存続させるために、民衆の総意にそぐわぬことを選ぶこともある。

 その場合を差すならば、確かに、誰の手助けも、誰も欲さない、という状況になるだろう。

 そして彼女の言は、シロジロの言葉も否定していない。

 政治家として国を動かすに至るには、多くの受け継ぎが必要だからだ。

 受け継いだ先で、孤独な選択をも享受する。それは、シロジロに言わせるならば、


「場合によっては、何もかもを敵に回すことも厭わない、という政治か」


「あ、すみません。点蔵様担当ですが、政治について私の視点で語ってしまってますね、これは……」


「このままだと御父様が賢くなってしまう……?」


「それを疑問に思うのはどうなのかしら……」


「まあシロ君も政治脳がアガってる感だけど、いいんじゃないかな? セージュンのターンということで先に進もうよ」


「だが全ては、まだ、観念だろう」


 正純は言った。


「現状、暫定支配の極東で、そのような事を選択する状況が生まれるとは思えない。

 ――だが、国が望むならば、否、そうしなければ国を救えないなら、そうする」


「いい答えだ」


 ベルトーニが頷いた。

 彼は、立てていた硬貨を、塔のように積んだ一つの上に重ね、言葉を作る。


「憶えておく必要は無いが、一つ、サービスをしておこう。

 いいか? 貴様が将来、政治家となって何もかもを敵に回すと、そう覚悟したとしても」


 聞いた。


「──必ず一人は、貴様を支持する者が出るだろう」


 正純は、ベルトーニの言葉に苦笑した。


「やはりそれも観念だな。──あれか? どんなときでも常に反対者がグループから出るとか、そういう人間心理のパターンか?」


「憶えておく必要は無い。そういうレベルのことだ」


 と、彼が左腕で硬貨の塔を抱え込むような動きを見せた。すると、


 ……お?


 机の上にあった金が、気づけば硬貨だけではなく、札束も無くなっている。

 術式だ。

 首元にはいつの間にか白狐の走狗が出ており”集金”の表示枠を出している。

 さっきの金は、どこか別の空間の金庫に格納されたと、そういうことなのだろう。

 商人として、ベルトーニとハイディは既に動いている。


 ……本物、か。


 と、そんなことを思った時だった。


「ほいよー。セージュン、持ち帰り用で簡単に作ってみたわ」


 厨房の方から、馬鹿が出てきた。彼は左手に開けた重箱を。右手に風呂敷と蓋を持っている。掲げられた重箱には、四つのグラスが並んでいるが、上から見る限りでは、


「ジャムか?」


「トライフルだよ」


 知っている。

 英国の菓子で、何かを作った際の余り物などを、器に積層したものだ。


「わざわざ作ったのか」


「いや余ったものがあったっつーか、量的に余るものが大体見切れてきたからな」


 と、馬鹿がグラスを一つ持ち上げる。そこに見えるのは、


「上から、ジャムとシリアルと硬めのクリームにまたシリアルで、ジャムが入って、底に小豆な? 底の方のジャムが遠いから、なるべく中盤からは混ぜて食えよ?

 オメエん家なら家庭用の氷室あるだろ? 冷蔵の方に入れておきゃ、素材的に一日一個ペースで食って保つから」


 蓋をされると、隠されたような気になるのが自分の子供らしさというところか。

 しかし、馬鹿は器用に手の上で風呂敷を包み、


「ほい、持ってけ」


「──ああ、うん」


 受け取る。

 断る理由もない。

 今、言っておくべきは、


「有り難う」


「気にすんな。──器はミトツダイラので、重箱は浅間のだから、後で返しといてくれ」


「解った」


 しかしまあ、


「お前ら、何だかんだでいろいろ出来るなあ」


「い、いや、金髪巨乳の彼女は出来ぬで御座るよ!?」


 即答すんな。


「まあ、ええ。その方が安心なのがフクザツですね……」


 うん。幻影はそう思うよな……。


 ……でもまあ、私も、期待されているかは解らないが、応援はされているのだろうなあ。


 手の中の重みや、先ほどのベルトーニの言葉を思って、自分は頷いた。


「帰って勉強するか」


「おお、真面目だなセージュン」


「それが取り柄だ。大体──」


 と、手にした包みを目の高さまで掲げて、言葉を作る。


「真面目にやらず、応援もされない者が、政治家になれるはずもないしな」


 壁の時計を見れば、五時を過ぎていた。

 教室の通信環境も契約が切れたのだろう。浅間達からの通神も、いつの間にか消えていた。


 ……あっちはあっちで、また忙しいのだろうな。



「じゃあ、先に帰る。──皆、明日も宜しくな」


 おう、という女装の声を聞き、己は廊下に出た。

 冷える。


 廊下に出てから、今が夕方だと気づいた。

 朱色の光が、空全体を覆うステルス防護障壁を通して淡く降ってくる。

 緩く朱に染まった廊下には、誰もいない。

 その静けさと涼しさから、教室内には熱気があったのだと今更気づく。


「……学生生活か」


 言いつつ、自分の思考が、急速にいつもの形に戻っていくのが解る。

 今日はこれから帰宅して、父の伝達を他の政治家や役所に届ける仕事だ。

 その後で勉強と読書に入るが、


 ……実績ゼロで、ただ方針だけは決まっていくのが、私の現状だな。


 そういう、下積みの時期なのだろう。

 政治家のやり方を学び、世界と武蔵の動きの最新を、リアルタイムで知っていく。

 少なくとも一年はそれを続けない限り、世界と武蔵野流れの把握は出来ないだろう。一年間という期間における行事など、年間ペースの動きは多いからだ。


「だとすれば、あと、十一ヶ月」


 焦るな、と思い、手の中の重みを握った。


 ……孤独な選択をしても、支持をする者が一人はいる、か。


 憶えておくことではない。

 ちょっとした言葉の遊びや、ジンクスのようなものだというのも理解出来る。

 だが、何となく思うのだ。既に一線で働いている者がいるうちのクラスの中、既に皆が、受け継ぎの先で、それぞれの孤独な選択を覚悟して動いているというならば、


「──私は、一人ではないのかもしれんな」


 ただ、スタートが遅れ、下積みが長いだけだ。

 そして当然、先を行く者達が、今、自分達の成果をどんどん獲得しつつある。

 雅楽祭が、それだ。


「────」


 己は、手の中の重みを握りながら、こう思った。


 ……先行く皆を見ることに、将来の自分を重ねるのは、不遜だろうか。



「雅楽祭を見に行くことは、真面目の範疇に入るのかな」


 何か理由を考えよう。父に対し、上手い説得となる理由を。


「よっし、湯も張ったし一番風呂いきまあす!」


 桶から一杯の湯をかぶり、身を一度振ったアデーレが、軽いジャンプで浴槽の中心に身を送る。

 それはすぐに波と飛沫になり、


「あー、アデーレ、波立てるのあんまよくないって」


 翼を縦に沈めるため、正座するように湯船に身を入れていくナイトが告げた。

 同じようにしているナルゼが、一つ頷いて、


「そうね。最初は結構湯をしっかり張ったから、それが溢れたら、溢れた分だけモロ損よ」


「え!? あ、す、すみません! 溢れた分だけ弁償しますので!」


 と、湯船の中央でアデーレが身を起こした。

 だが、アデーレが飛び込んで起こした波は、湯船に座った鈴の方に届くものの、


「だ、大丈夫、縁、越えない、から」


 そっかー、とナイトが吐息してつぶやいた。


「水を押しのける体積が足りないからしょーがないかー……」


「な、何です、その最後の”しょーがないかー”って!」


 アデーレの声に、ナイトは首を横に振った。


「アデーレ、今のナイちゃんの台詞、最後に”……”があるの忘れてるって」


「た、確かに! その方が愕然度高いですね!」


 とアデーレが立ち上がった瞬間だ。

 翼を沈めた湯船が下がり、バランスが変わることを予期した自分は身構えた。

 有翼系にとって、水量の変化は沈めた翼を揺らすものだ。

 だから姿勢を崩されないよう、膝を浴槽の床につく。

 しかし、


 ……お?


 違った。

 不意に、経るはずの湯船が持ち上がったのだ。

 それも、本来の高さを超え、溢れて洗い場の方にと落ちていく勢いで、だ。


「おおう?」


 と振り向いた先、入り口側の湯船に、湯を溢れさせた原因がある。

 湯船を外に押し返した人影。

 入り口側の湯に浸かっているのは浅間だ。


 ……ああ、こりゃデカいもんねえ……。


 全体的なことだ。

 胸だけのことではない。

 だが、こちらの納得を知らない浅間は今、一息を入れていた。

 そして後ろに喜美が続いてくる。

 また湯が溢れる。

 見ている先、喜美が湯船の半ば、こちらの方にまで軽く身を泳がせてきた。一方の浅間は、浴槽の内壁に背をつけた状態で、緩めるように身体を伸ばし、


「ん……、と、あれ? どうしたんですかこっち見て。何か通神関係とか、ありました?」


「あ、いや、物理的な法則について、ちょっとね」


「は?」


 と浅間が首を傾げている間に、湯を浴びた直政がこちらの縁に入って来る。

 まず、縁に座って膝までを入れる直政のシルエットを、自分はアデーレと共に見て、


「……オッパイって水に浮くよね。つまり──」


「待って下さい」


 言ったのはアデーレだ。

 彼女はこちらに振り向き、


「自分が飛び込むのより、オッパイホルダーのオッパイの方が、体積的にインパクトあるって事ですか?」


 答えを代弁するように、直政の分の湯がまた溢れた。


 それを見たアデーレが、ぬ、と言葉を詰め、


「今ので通算自分の何人分ですか……! 二次方程式ですよね多分! あ、でも、xとyだけじゃなくてオッパイっぽいwが入るには三次方程式ですか! 参った!」


「三次はwじゃなくてzじゃないかな? あとアデーレさ、オッパイだけで湯を押しのけるわけじゃないから。

 どっちかっていうと身体の方が体積あるんじゃないかな?」


「ほほう、つまり、尻ですか? そっちもですね!?」


「おおう、結構食い下がるねアデーレ。まあ、どっちかっていうと各部を支えるだけの全体のボリュームってところ?」


「成程、だとしたら──」


 アデーレが浅間の頭上、その向こうを見る。

 そこに、湯船に入ってこようとする姿が一つあった。

 ミトツダイラだ。

 彼女を見たアデーレが、頷きと共に言う。


「……では問題です。スレンダー型の場合、どのくらい溢れると思いますか」


 ナイトは思った。何だか段々と哲学+数学じみた話になってきた気がする、と。

 ギリシャの時代の数学というか、これは、あれだっけか。


 ……昔、アルキメデスが、作られた王冠の中にどれだけ混じりものがあるかを探れと言われて、水にそれを沈めて測る方法を思いついたんだっけ。


 本来の重量の純金と、混じり物入りの王冠を、それぞれ別に水に沈め、溢れた水量を比較するのだ。

 体積と比重の関係から、溢れた水量差でまじりものの量が解るというわけだ。

 聖譜記述によれば、風呂に入った際にそれに気づいたアルキメデスが、喜びの余りに素っ裸かで街に飛び出し”エウレカ!”と叫んで回って街を混乱に陥れるというのがある。

 歴史再現においては、担当者が話し合い、


「流石にフルチーンはヤバいだろう」


「それで”エウレカ!”って女子供を追いかけたら更にヤバい」


「じゃあ衣服着用でいこうか」


 とのことで、湯上がりで冷えても何だという理由から、コート着用が許された。

 結果として、アルキメデスは世界初の全裸コートで、前を広げながら”エウレカ!”と叫んで女子供を追い回し、街を混乱に陥れたのだが、結局何がミスの原因だったのか、HRの道徳授業ではよく議題になるネタだ。

 しかし今、教科書で見るアルキメデスは、どう見てもコートの前を広げた変態だが、


 ……こういう人達が礎になって、今の数学とか哲学があるんだねえ。


 ともあれ今の時代も、それは変わらない。

 デカイ体格のオッパイホルダーと、スレンダーな運動系。

 湯の溢れる量は、どちらが上だろうか。


「結果は解りきったことのようにも思えるけど、――コレは、アレだね」


 自分はアデーレに言った。


「水圧でちょっとシマる密度薄めのオッパイ系と、水圧関係ない密度高めスレンダー系と、どっちが水をおしのけるかって話だね。──結果は目に見えてるけど」


「は、早いですよマルゴットさん! 番外特務は自分達の希望の星なんですから!」


「いや、ナイちゃんどっちかっていうとアサマチ系なんで、敵側?」


「ええ!? 今まで騙してたんですか!?」


 何を? と思ったが、アデーレも最近はよく吹っ飛んだり転がったりで脳がおかしくなっているのだろう。

 あまり追求しないことにしておく。

 だが、そちらを見る視線に気づいたのか、湯船に入ろうと後続していたミトツダイラが顔を上げた。

 彼女は、浅間達の方から、まず膝までを湯船に入れながら、


「な、何ですの? マルゴット、アデーレ、その目つきは」


「あ、いや、──ミトっつぁんは体積的にちょっと違うと思うから、気にしないで」


「どーいう意味ですのソレ!」


 言いつつ、ミトツダイラがゆっくりと身を湯船の半ばにまで入れる。

 そのときだ。

 何気なく水位を手で測っていた浅間が、声をあげた。


「あ、れ……?」


 彼女は眉をひそめ、


「……水位が下がりましたよ?」


 ……は?


 自分が浅間の声に疑問するのと、皆が、


「え?」


 という言葉を作るのは同時だった。

 誰も彼もが、ミトツダイラも含めて顔を見合わせる理由は、己にはよく解る。

 何故なら、という内心の先を、直政が眉を歪めてこう言ったのだ。


「……ミトツダイラという”体積”が湯の中に入ったのに、水が押し出されずに、引いたさね?」


 浅間の掲げた手の平の下、湯面までは明らかな隙間がある。

 こちらの横、ナルゼが、ペンを縦に構えて浅間の手と湯面までの距離を遠間から測った。


「5ミリ以上は空いているわね。……どういうこと? ミトツダイラの無いっぷりに、水がヘコんだって言うの?」


「ガっちゃん。だったらさっきアデーレが飛び込んだ瞬間、湯が消失してると思うかな」


「あれ!? あれ!? 今、自分の方に飛び火してきてますよ!?」


 まあまあ、と浅間が、水位を測っていた手を軽く振る。


「ええと、ミト? 変な体質じゃ無いですよね?」


「試しに聞いてみますけど、どういう体質がありますの?」


「フフ、水に浸けると三十倍位に膨張する玩具とか、思い出しちゃったわね」


「ああ、ありましたね」


 浅間が真剣な顔で頷いた。


「昔、トーリ君がゴキブリ型のそれをうち持って来て遊んでたら、無くしちゃって。

 翌朝、手水台の中でソレが巨大化してて、参拝客が大騒ぎしたんでしたっけ。

 トーリ君、おばさんと謝りに来て、おばさんに打点の超高いドロップキック食らってましたけど」


 トーちゃんろくなことしない。

 うんうん、と湯船の中央あたりで座り込む喜美も頷き、


「あったわねえ。祭の縁日で買ったんだわ、あれ」


 でも、と彼女が言って、ミトツダイラに視線を向けた。


「ミトツダイラ? アンタ、水に浸かるとオパイが膨張するとか、そういうネタ無いの?」


「あ・り・ま・せ・ん・わ・よ!」


 いやさ、と、自分は喜美の言葉を継いだ。

 そしてミトツダイラに首を傾げて、


「だとしたら、ミトっつぁん、この水位低下って、何?」


「え? ええと、そうですわねえ……」


「フフ、ともあれミトツダイラ、湯船に沈んでみなさいな?」


 喜美が、小さく笑って湯船を叩いた。


「もし、さっきのアデーレ理論が正解なら、水位が下がるはずよ?」


「仕方有りませんわね……」


 喜美の言葉に、ミトツダイラは吐息をつけて肩を落とした。

 自分が見世物になっている感は拭えないが、名誉というものもある。

 己はちゃんとした存在だ。

 湯船に入って水位が下がるなど、何かの間違いだろう。

 だからこれから、身を沈めることで、


 ……ちゃんと水位を上げてあげませんと。


 皆の視線を浴びるのは、くすぐったい感もある。

 自分の身体には、足りない部分もあるが、それなりの自信だってあるのだ。

 だから物怖じはせず、


「見ていて下さいませ」


 と、腰を落とした。

 直後。

 まだ尻まで湯に浸かっていない状態から、いきなり湯が湯船から溢れた。


「──は?」


 自分は、壁以外の三方から勢いよく膨れ溢れた湯を見る。

 おおう、とナイトとナルゼが湯の中の翼を浮かす。

 それくらいの勢いだ。

 浅間も、水位を測る手を上に移動させ、


「……え?」


 溢れ出しは止まるが、こちらはまだ湯船に身を沈めていない。

 どういう事ですの? と己が皆に対して首を傾げたときだ。

 直政が声をあげた。


「ああ、――ちと、ミト? 立ってくれるさね? それで謎が解けるさ」


「え? あ、Jud.、いいですわ」


 それで謎が解けるなら、と湯から身を起こした。

 すると、ある事が起こった。

 水位が一気に下がったのだ。


「──は?」


 ミトツダイラの驚きを、浅間は聞いた。

 自分としても、彼女の驚きはよく解る。

 何しろ水位を測るために広げていた手の下には、一センチ近い隙間が空いているからだ。

 だが、


 ……どういうことです……?


 まさか、と思った時だ。喜美が深く頷き、こう言った。


「これは、あれね」


「知っているんですか喜美!」


「Jud.、──ミトツダイラは隠れ巨乳で、人狼の精霊的な”型”が、本来あるべきオッパイの体積を常に確保してるのよ」


「有り得ますわね……! 頑張るんですのよネイト!」


「──でも現実には貧しいままだから全部無駄だけど」


「……変な種族性質を捏造しないで下さいます? 幾ら人類の恐怖によって”型”づくられた種族だとしても、望んだくらいでそうはなりませんわよ?

 それが出来るなら、人狼種族は最強種族じゃありませんの」


「御母様、大御母様がボケ殺しになってますの……」


 幻影にとりあえず頷いておく。

 ともあれ、え? 首を傾げたのは鈴だ。

 彼女は浴槽縁に座り、湯気で肌に汗を浮かせながら、


「恐怖、って、人が考えたもの、だよ、ね? じゃ、じゃあ、人の考えが反映されるなら、ミトツダイラさんの、胸、……誰かに望んで貰ったら、大きくなるんじゃ……、ない?」


「……え?」


 自分は考えた。鈴の言うことはつまり、


「フフ、つまりアレよ! オッパイ揉んで貰うと大きくなるのよ!」


「ちょ、ちょっとお待ちなさい! 何ですのその結論!」


 あらあら、と喜美が細めた目をこちらに向けた。


「あり得る話じゃ無いの? 人狼のロマンス、って感じで」


 母in実家だと、こうだろう。


「あらあら、貴方ったらまたそんな風に半泣きで。

 でも仕方ありませんわよね? 私自身が、貴方にフィットする形で身体を成長させてますもの。

 ──ええ、人狼は精霊系ですから、ある程度は望んだ方向に自分を変えていく事が出来ますのよ? それでまあ、毎日というか毎時間というか毎分のようにお互いを循環させていれば、私は貴方の望む形になっていく、とも言えますの。

 ──ええ、勿論、私の方も貴方をたっぷり捕食出来ることを望んでますので、どちらかというと貴方合わせと言うより、貴方の望みを知った私の方が超有利合わせですけどね?

 あらあら、どうしたんですの? そんなのけぞって。

 ベッドの底には逃げられませんのよ? ふふ、

 ──これからたっぷり頂きますからね?」


 ……あり得ますわ──!


 実家の母の反則体型は、母自身と父の相乗効果だと考えると納得出来る。

 ただ、両者の話を聞いていると、母は元来からそっち系だったようで、


 ……やっぱりベースとなる身体が大事じゃありませんの?


 深く考えると未来が暗く感じそうだったので、やめることにした。

 気づけば、皆がこちらを興味対象の目で見ているが、流石に勘弁して欲しい。

 咳払い一つで浅く眉を立てて、自分は言った。


「──ええと、と、とりあえず、そっちからは離れますわよ!?」


 落ち着きな、と声を作ったのは直政だ。


「これ、アレだろうさ。──鈴、ここの湯って、向こうに比べてどのくらい加護ついてる?」


「え? ええと、”鈴の湯”に比べ、て?」


 その疑問に応じたのは、浅間だ。


「こちらは武蔵野ですし、どちらかというと欧州含んだスタイル。

 そういうこともあって、浅間神社からの加護は湯の消毒と殺菌、それと熱量関係に絞ってます。

 何か効能など入った御風呂をするときは、天然系のものを鈴さん家で用意して頂く形になってますね」


「じゃあ決まりさ。

 ちょっと喜美、ミトツダイラの髪、抱きしめてやってくれさね」


「──? こう?」


 と、おもむろに喜美が、こちらの後ろに回って、髪の房を一本抱いた。

 直後。

 喜美の抱きしめた髪から、大量の湯が破裂した。


「……は!?」


 浅間は、飛び散った湯に前髪を掻き上げながら、こうつぶやいた。


「──スポンジ?」


「そういうことさね」


 直政が苦笑して、喜美が他の髪房も抱きしめる。

 すると、やはりミトツダイラの髪からは湯が溢れ、湯船を打った。

 飛沫の音を聴き、直政が小さく笑う。


「ミトの髪には毛繕いの加護が掛かってるが、これは意外に神道加護と相性が悪い。

 浅間神社の泉も、浅間の方で異族用の調整入れたりしてるくらいにさ。

 だけどここの湯は、どちらかというと自然に近い。だから──」


「湯が一気に染みて来ましたのね?」


「ミトの種族加護による重量軽減のせいで、あまり重さを感じなかったろうさ。

 だから最初に湯に入ったとき、浸透圧の関係で湯が染みて水位が下がり、次に身体を沈めたときは、髪に含まれていた湯の分だけ、水位が上がった。

 そして今、立ち上がったときは──」


「浸らせていなかった分の髪が湯を吸った、というわけですのね」


 成程、と思う自分は、己の髪が湯にどれだけ馴染んでいるかを確かめるため、指で梳く。


 ……気のせい、ってレベルで、何となく指の通りがストレートなような。


 表示枠で検索を掛けると、髪や肌の美容加護は入っている。

 湯に浸けていて髪が傷むということは無い筈だ。

 だが、ふと気になって問うて見た。


「ナイトとナルゼ、大丈夫ですか?」


「あー、さっきからビミョーに重いかなコレ」


「浮力はあるから、無理に動かそうとしなければ”鈴の湯”と変わりないわ」


 でも、とナルゼが言った。


「小等部や中等部の頃、ここには何度も来てたのにね。

 ──”鈴の湯”が出来てからは、向こうに慣れちゃってたのね」


 二人とも奥多摩在住。

 自分もそうだ。

 他の皆にとっても、教導院の帰りに寄ることが出来る”鈴の湯”は重宝されている。

 だが、


「ミトだって、昔はこっちに何度か来てましたよね?」


「ですわよね……? 当時はこんなに水を吸う事が無かったと思うのですけど」


「”型”が変わってるのよ」


 喜美の声に、ミトツダイラの頭上のケルベロスが一つ吠えた。

 その声に応じるように、喜美が言葉を続ける。


「昔のミトツダイラは、加護性の弱いお湯だって弾くような、ちょっと拒絶の指向。

 でも今は、加護性の強いお湯じゃないと弾かないような、緩めのキャラになってるんだわ」


「それって、私が退化してるということじゃありませんの?」


「フフ、誰かを好きになるのと同じじゃない? そういう想いって、大事よ?」


 と、上機嫌で鼻歌を奏で出した彼女が、湯の中と上で幾枚かの表示枠を出している。

 ”転機編”だ。


「喜美、それは──」


「Jud.、ミトツダイラのオッパイ拡張祈願と、鈴へのモミング依頼の代価。

 ──ほら、ミトツダイラ、以前に浅間神社で唄わなかったアンタの曲よ。

 今日はここで練習なんだから、スタートこれでキメてみなさいな」


 いいねえ、とナイトは湯船の底を伝うように、主翼を後ろへと伸ばしていく。

 水の抵抗は翼にとって厄介なものだが、自分から流れを作る分には構わない。

 今もまた、自分は湯をかき分けるでもなく、ナイフを通すようにして翼を沈めながら、


「ナイちゃもん、今度こそミトっつぁんの歌、聴きたいかなあ」


「そうね」


 と言ったのはナルゼだ。彼女はネームを描く手を止め、額の汗を拭うと、


「そっちの手の内も見せて欲しいわ。

 こっちは大体を明かしてしまっているしね。

 そうすることで、こっちはそちらに被らない演出が出来るようになるし」


「いい判断ですわね」


 ミトツダイラが、喜美から集音用の表示枠を受け取る。

 振り仰ぐ彼女の表情には、先日にあったような迷いや消沈が無い。


 歌は出来たのだ。


 歌唱準備完了。

 その事実を示すように、ミトツダイラが首を下に振った。

 彼女はこちらに顔を向け、


「正直、私としても貴女達に歌を聴かせておく意味は感じてますの。だって貴女達の根本は東欧の古きから始まる魔女の歌。そして武蔵での魔女としての生活の歌。

 ですけど、私の歌も同様に、欧州の古きから始まる騎士の歌。そして武蔵での騎士としての生活の歌ですもの。

 ──騎士と魔女、時代背景など同じくしている以上、要素が被る可能性は高いですものね」


「そうね。こっちも魔女要素はなるべくファッションにしていくつもりだけど、被る要素が多いとしたらアンタだわ。──だから聞かせて頂戴」


「──仕方ありませんわね」


 こちらの視線の先、ミトツダイラが、頭上にケルベロスを乗せたまま身構える。


 お、という直政の声と、続く皆の拍手をミトツダイラは聞いた。

 ようやく得ることの出来た拍手だ。

 先日の浅間神社での披露は、自分の中の”語り”が決まっていなくて出来なかった。

 だが、あの場所で喜美の”歓起舞”を聴いておいて良かったと思う。


 ……自分の中の言葉を、どれだけ出していいか、線引きができましたものね。


 喜美を先頭にしているこの雰囲気は、騎士として忸怩たるものがある。

 だが、自分はまだまだバンド活動では不慣れなのだ。

 今回の仕上げと作り直しで、肩を並べるところまでは行けたでしょうかと、そんな風に思い、


「フフ、何をニヤニヤしてんのよ」


「いいじゃありませんの、ちょっとしたテンションの調律ですわ」


 自分を茶化されても悪い気はしない。

 こういう遣り取りさえも、数年前にはあり得なかったことなのだ。

 だったら、と己は思う。そろそろ”あの頃”のことを、忘れることは出来なくても、自分の基準にしなくていいのではないか、と。

 そして、その一方で、


 ……新しいものが、始まってないのも事実なんですわ。


 昔を遮断し、今を作った過去の一件。

 それは自分にとって鮮烈であるが、王にとってはどうなのだろうか。

 あの頃と今は変わらないようでいて、王は自分の女を拵えようとしている。

 喜美はこちらのことを騎士と言い、その関係があるから安心しろと言うが、


「────」


 思いにとらわれていますわね、と自分は感じた。


 思いにとらわれていては駄目だ。


 思いとは、行動を決め、促すためのもので、自分を追い込むものではない。

 王を待っている己が正しいのかどうか。

 ただ、今はその判断が解らないが、だからこそ”どうしようか”を思うべきだ。

 今、自分の用意した歌は、その結論を思うものだ。つまり、


「ちょっと堅い歌ですわよ? 勝利の凱旋の歌ですの」


 ほう、という感心のような反応をミトツダイラは聞いた。

 ナイトが、うん、と一つ頷いて、こっちに右の親指を上げて見せた。


「ミトっつぁん、やっぱ騎士歌だったら、そう来なくっちゃね」


 そう言われると気が楽になる。

 自分の”色”が、皆には伝わっているということだからだ。

 そしてナルゼが、


「勝利の曲。いいじゃない。少なくとも、悪くは無いわ」


「屈折してますわねー」


「昔からこうだから、これでまっすぐなのよ」


 眉を立てた笑みで言われると、こちらも小さく笑うしかない。

 そしてアデーレが、浴槽の縁、鈴の横に座った。彼女は手を広げ、


「──手拍子、つけますか?」


「流石にそれは違いますわ。あと、まだちょっと、定めてない部分がありますの」


「定めていない? 定まっていない、って訳じゃないんさね?」


 Jud.、と自分は頷いた。


「語りのシメをどうしようか、というとこなんですの。

 ──雅楽祭用に煽りの語りを作って見ましたけど、最後をどうしようかと」


 凱旋の曲だ。

 だから、


「最後は王を讃えるべきかとも思うのですけど」


 言うと、喜美が口に手を当てて軽く吹いた。

 そのまま身を捻って、彼女は皆から視線を逸らすが、


 ……この……!


 己には、喜美が吹いた意味がよく解る。

 彼女は、自分が作った歌詞も語りも見ているのだ。

 だが、ここで唄うならば、もう気負うことは無い。

 どうせ雅楽祭でも唄うのだから、


「あ」


 気付いた。


「語りのあたりで、伴奏続けて貰って、意見あったら受けてみるのも悪くないですわね」


「フフ、あまり添削受け入れすぎると個性消えるから気をつけなさいよ?」


 確かに、と自分は考えた。

 そして、歌を始めようかとも思うが、


 ……ええと。


 一言告げておく必要がある。

 それは、先ほども思ったこと。


「これから唄う凱旋歌。この前のナイトとナルゼの勝利の後、喜美が作ってる歌詞を見せて貰った影響がちょっとありますの」


 だから、と敢えて喜美から視線を外しながら、こう言った。


「感謝しますわ。──ちょっとですけど」


 何ソレ? という顔を皆がするが、口で説明するものではない。

 幾つかのわだかまりなども含めた上での歌詞だ。

 そのタイトルは、


「”月床咆吼”。──行きますわよ?」

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