境界線上のホライゾン きみとあさまでGTA Ⅳ

第二十四章『先行場の駆け引き娘』

 雅楽祭の二日目は、初日を受け継いだ流れで始まった。

 参加者の内、出店側は余裕を持って動けるようになっており、来客側は初日の慌ただしさから落ち着いた流れになっており、全体としては、


「皆がじっくり見て回るようになった今日が本番っつーことで、回転率なるべく上げるようにやってくぞー。

 じゃあ今日は衛士・巫女・騎士・忍者だかんな?」


 早速、黒髪女装で衛士衣装を着た馬鹿の言葉に、ある者は持ち場につき、ある者は、


「おーいテンゾー、三年一組の外出部隊が第二校庭で出してる”練って美味しい練金練るね”ってやつ。

 リンゴ飴のでいいから買ってこね?」


「ああ、練ると金色になるヤツで御座ったか。

 練りが足りないと銀色になるらしいで御座るが、変なもの入って御座らぬかなあ」


 という遣り取りがある一方。またある者は、仕入れに出ていたのであった。

 多摩表層部。”青雷亭”がその現場だ。


「こんにちはー」


 と、浅間がナイト達を連れて来たとき、青雷亭の中は静かになっていた。

 あれ? と首を傾げるこちらとミトツダイラの視線の先。

 客は皆、テーブル席についており、


「おや、浅間様、ミトツダイラ様、──いいところに来ました」


 P-01sが注文票を手に振り向いた。


「春期学園祭と言うことで、今日はP-01sが料理を作ることになっております。

 さあ、窓際の席が二つ空いておりますので、そちらにどうぞ」


 ……何かまた妙な事に。


 浅間はそう思い、しかし慌てて作った笑みで、手を左右に振った。


「あ、いえ、私達、ここに仕入れに来ただけですので」


「Jud.、そうでしたか。P-01sが実験的に作った料理を頂きたくない、と」


 周囲の客が、皆して俯きを深くしたのは、気のせいだろうか。

 だが、P-01sが、すぐに奥の厨房に行く。

 奥の方から、二人の声が、


「店主様、浅間様がオパーイ揺らしてミトツダイラ様が無理なのですが、どうしたら」


「ああ、難しいねえ、そりゃあ……」


 P-01sが戻って来た。

 彼女は深く頷き、


「難しいそうです」


「それ、仕入れのことじゃありませんわよね!? そうですわよね!?」


 ミトツダイラの言葉は論点がズレてる気もするが、これはどっちがズレているんだろうか。ただ、自分はP-01sを訂正するように、


「ええと、おばさんに、仕入れのものが出来てるかどうか聞いて貰えます?」


「Jud.、聞いて参ります」


 P-01sが、奥の厨房に向かった。

 そしてまた、声だけで、おもむろに、


「──オバサン」


「あぁ!?」


 P-01sが鈍い汗をかきながら戻って来た。


「拒否られました。

 浅間様、下手なワードは一発で関係修復困難な状況になるので気をつけた方がいいかと判断します」


「え、えーと、じゃあ、店主さんに、という感じで」


「Jud.、聞いて参ります」


 P-01sが、奥の厨房に向かった。


「──店主様」


「あ? 何?」


 二人が細かい遣り取りをする声が聞こえる。が、内容までは聞き取れない。何かを油で揚げる音が響きだしたからだ。

 そして、ややあってからP-01sが戻って来た。

 と、見れば彼女は、皿に布を丸めたものを載せている。

 新品の布巾だろう。


「店主様と相談したのですが、──ミトツダイラ様。これを胸に詰めれば、浅間様ほどではないにしろ、擬似的な揺らしが可能かと」


「そっちの話題じゃありませんのよ──!」


 言われ、P-01sが思案するように天井を見た。

 数秒の後に、彼女は視線を水平に戻し、


「一体何がしたいのですか、ミトツダイラ様」


「仕入れ! 仕入れですのよ!?」


 Jud.、と自動人形は頷いた。

 布巾の乗った皿を差し出し、


「オパーイ二つお持ち帰りですね」


「あのう、軽食屋に来て、布巾の胸パット持ち帰る人が何処にいますの?」


 ミトも付き合いいいですねー、と、何処となく余所行きの脳で思い始めたこちらの正面。

 P-01sが軽く頭を下げて厨房に戻った。

 しばらくしてから、P-01sが戻ってくる。

 彼女が差し出す皿にのっているのは、


「どうぞ、ミトツダイラ様、──鶏の胸肉をパット型にしてみました。本物嗜好のミトツダイラ様もこれなら大丈夫かと」


「仕入れ! 仕入れに来ましたのよ!?


 狼の声に、厨房から店主が顔を出してこう言った。


「あ、悪い、一〇分くらい待ってくれる?」


 いきなり何かが解決した気がした。

 脱力したようになったミトツダイラに、こちらは軽い苦笑を向け、


「ま、まあ、軽い準備運動だと思って頑張りましょう、ミト」


「そうですともミトツダイラ様、本番はこれからです」


 追い打ちがなかなか厳しい。

 見れば、窓の外には魔女二人がいて、白の方が魔術陣を掲げている。

 そこに書かれている文字は、

『楽しい?』


 ……逃げましたね!?


 即座にそんなことを思うが、間違ってないだろう。

 ただ、P-01sが窓際の席を手で示した。


「では、一〇分ほどお待ち下さい。楽しい朝食の始まりです」


 と、空いた席の向かいには、見知った人影があった。それは、


「……第一特務の、渡辺・守綱さん?」


 渡辺は、思わぬ合い席に軽く身構えた。

 懸けられた声に会釈は返すものの、


 ……あら。


 浅間神社の代表と、暫定の水戸領主。

 浅間神社代表の方は、制服姿だとあまり目立つルックスではないが、水戸領主の方は違う。知られた顔に、場の空気はわずかに動く。

 無論、流れる空気はゴシップ的な浮ついたものではなく、彼女の地位などに基づく緊さのあるものだ。お偉い人が来た、というのが近い。だが、その一方で、


 ……彼女がここに来ることを知っている者もいるようですね。


 何処となく、知ってる知ってる、というような、そんな優越や余裕の雰囲気も漂っている。

 ならばここは、彼女達にとって馴染みのある場所なのだろう。ゆえに、


「────」


 自分は、居住まいを楽にした。横にいる補佐には、同じく楽にして、

『こっちを気にしないように御願い』

 Jud.、という返答をこちらにだけ聞こえる声で得ると、前を見る。

 どちらかというと対照的な印象を得る彼女達。

 そんな二人に、己は問うた。


「──ここにはよく来るんですか?」


 渡辺は、問うた先で浅間神社代表が急ぎ頷くのを見た。

 こちらが声を掛けるとは、思っていなかったのだろう。

 窓の外にいる魔女二人に顔を向けようとして彼女は、急ぎ振り返り、


「え? ──あ、はい、私の方は、ここに用があったりいろいろなので、毎日とは言いませんけど、顔出したりで、よく、ええ」


「私の方も、そこそこの頻度で来ますわ」


 と、水戸領主が、浅間神社代表の代わりを為すように、浅く開いていた窓を広めに開ける。

 窓から入って来るのは朝の空気。だが、厨房が外に流す調理の匂いが、外周を回ってこちらに届いてくる。

 そして外にいた白魔女と黒魔女のコンビが、窓際に肘をついた。が、二人はこちらを見ない。浅間神社代表と水戸領主の”側”なのだろう。そんな彼女達の視線を受ける水戸領主は、こっちに向けた視線をまっすぐに、


「青雷亭はバゲットの焼き方が強めで好みですし、知った部分も大きいので」


 Jud.、と自分は頷いた。すると、


「渡辺さんは?」


「Jud.、先日の、配送業者の戦闘の記録を、検証している形ですね」


 無言で立ち去ろうとした魔女の内、白の奥襟を、水戸領主が笑顔で掴んだ。


「──何か御迷惑を?」


「いえ、処理は内々で済んでますから」


 言った台詞。

 それに対し、黒魔女が、白魔女の肩を掴んだ。


「やったね! 無罪だよガっちゃん!」


 大きな声で言わなくて宜しい。

 ただ、己は思った。

 ……この二人が、これからの配送業代表となった訳ですね。

 次の時代。少なくとも、自分達の後の世代の代表という訳だ。

 水戸領主が白魔女の奥襟を離し、また二人が窓際に着く。

 先ほどの遣り取りで、こちらへの警戒を少し解いたらしい、白魔女が頷きを作り、


「──第一特務がわざわざ実地に?」


「学園祭中の見回りの一環です。ついでに朝食を、と思ったのですが」


「引っかかったわね」


 白魔女が半目で言ったなり、それが来た。

 給仕の自動人形、P-01sだ。彼女は注文票を掲げ、


「では始めます。出席番号が最後臭いので”渡辺”様、宜しいでしょうか」


 ナイトは、窓の縁に肘を着きながらこう思った。


 ……すっごく興味あるけど、興味を悟られたら巻き込まれるかなあ。


 何処となく視線を外に送りながら、店内の気配を探る。

 と、自動人形が言った。


「何を食べたいか、仰ってみて下さい。P-01sがそれを作りますので」


 危険だ、と己はじんわり思った。以前の経験から判断するに、P-01sの料理はどちらかというと実験……、創作料理に近いのだから。


 ……変な答えを言うと、死ぬよねー……。


 横、ナルゼが魔術陣に文字を書いている。


『牛丼とか頼むと、すごそう』


 ”凄”って漢字が書けないガっちゃんちょっと可愛いけど、朝からそのチョイスはそれこそ凄いんじゃないかな。

 だが、渡辺がテーブルの上のメニューを手に取った。彼女は笑みで、


「コレに書いてあるものを頼めばいいんですね?」


 店内。座る客の間から、明確な歯ぎしりや身じろぎの音が聞こえた。間違いなく、”そうじゃねえよ!”という気配だ。


 ……ああ、皆、コレを楽しみにしに来ているんだなあ……。


 とはいえ、客としている以上、ある程度の確率で自分達が俎上に上がることになるわけだが、大丈夫なのだろうか。それとも、これはやはりアレかな。極度の刺激を日頃浴びると、感覚が麻痺してくると言うやつだろうか。

 だが、P-01sが注文票を構えた。そして彼女は無表情に渡辺に、


「どうぞ」


「──じゃあ、モーニングセットを」


「何ですかそれは」


 即答であった。

 気づけば、店内の皆が動きを止めていた。渡辺の正面に座る浅間とミトツダイラも、二人で一つのメニューを広げて渡辺から顔を隠している。

 沈黙が有り、ナルゼが、


『この店、朝に頼んで今まで出てきてたのは何?』


 ……何だろう……。


 昨夜の残りのできあわせかもしんないね、と、心の中でひとまずの結論を作って、自分は渡辺の方に気配を向ける。

 すると、第一特務が一つ咳払いをした。


「モーニングセットと言いますのは──」


「はい」


「トーストと珈琲、そして目玉焼きあたりのセットです」


「ハイ一丁入りまぁ──す!!」


 いきなり無感情な声で叫んだP-01sが厨房にダッシュで向かった。


「市場?」


 と首を傾げるナルゼを余所に、きっかり十五秒後、P-01sが戻って来た。

 そして彼女は盆の上から、


「モーニングセットです」


 皿の上に置かれたのは、茶色い立方体だった。


「セットというので、珈琲とトーストと目玉焼きを一纏めにしてあります」


 それは、見たままだった。

 すると、魔術陣にトークが来た。


『フレンチトーストの珈琲版ですの?』


『いや、どう見てもトーストも均等に千切りにした上っぽいけど」


『でもでも、これは結構まともな気がしますよ!』


「おっと」


 P-01sが、気づいたようにエプロンからナイフを出した。


「申し遅れました。朝食と言うことで、──中にはコーンスープが入っております」


『終わった……』


 清々しささえ感じる終わり方だ。

 だが、割った中から出てきた黄色い粒入りのスープを見て、渡辺が言う。彼女は笑みの顔のまま、入り口側の席を手で示し、


「──じゃあ、これを、向こうの席の方にサーブして下さい。私のオゴりです」


『この女、出来るわよ!』 


『というか、遂に部外者に被害が出ましたけどね!』


『──え!? P-01sさんが何かしでかしてるんですか!? 自分、こっちに飛び火しないならちょっと見てみたいんですけど!』


『……ああ、こうしてリピーター増えるんだ』


『それ、軽食屋としてのリピーターじゃないと思いますのよ?』


 そしてナイトは、P-01sがサーブして戻って来るのを確認した。

 足音を冷たく響かせる彼女は、やはり渡辺の横に立ち、


「では渡辺様、朝食のオーダーを」


 告げられた言葉に、渡辺が、メニューを見る目をとめた。

 こちら、浅間とミトツダイラが、メニューの中身を見せてくる。朝用のメニューとしてあるのは、

 ・産地直送オレンジジュース

 ・日替わりトースト

 ・五穀サラダ

 ・ミックスサンドイッチ

 ・新鮮フィッシュアンドチップス

 などなどある。だが、今の自分にとっては、


 ……どれも危険なものに見えるよ……。


 何故、オシャレに”日替わり”とか”ミックス”とか枕につけるのだろうか。それによって危険度が増大しているようにしか見えないのだが。

 ある意味、アデーレが朝に受け取っていた”残飯・銀”とかの方が安全な気がする。

 だが、P-01sは、重力制御で配膳台を運び、皆に水のグラスをサーブしながら、


「さあ、如何ですか、渡辺様」


「そうですね……」


 渡辺が、思考の間を作った。


「言ったものを、作る訳ですね?」


「オーダーには考え得る限り正確にお答えいたします」


 ”正確”のハードルがやたら低いことはさっき証明された。

 ならば、と、渡辺が言った。


「トーストを」


 見事ですわね! とミトツダイラは感嘆した。

 危険な枕のついた青雷亭オフィシャルのモーニングメニューを忌避しながら、変なものは頼まないようにする。そのために渡辺が取ったのは、


 ……危険な枕を取ったモーニングメニューとは!


 発想の転換と言うことだろう。

 まさかトーストでエクストリームな展開が生じるとも思えない。

 思えない。

 ええ、思えません、の。

 多分、思えないんじゃないでしょうか。でもちょっと覚悟しておいた方がいいかも。

 だが、


「渡辺様」


 P-01sが言った。


「それは、どのようなものですか」


「……どのよう、と、言いますと?」


「──形から入りましょう」


 P-01sが、言葉を続けた。


「渡辺様の想定されるトーストとは、どのような形をしておりますか」


『哲学?』


『よく、料理モノだと、酒とかを宇宙に例えるの、あるわよねえ』


『あれって、飲む側の言い訳ですわよね。宇宙に例えてもアル中治りませんし』


『あれあれ、何でこっちを見るんですか』


 だが、渡辺は冷静だった。彼女はカウンターにある英国式の四角いブレッドを指さし、


「あれを二センチ厚で切って、二枚、軽く炙って持って来て下さい」


「Jud.、解りやすい説明を有り難う御座います」


 おお、という声の生まれる中で、P-01sが厨房に下がった。

 数秒して、不意に、


「!?」


 打音と共に青雷亭が揺れた。それも縦揺れだ。


 ……おおう!?


 窓際まで来た震動にナイトは翼を震わせる。そして、数秒の後に、P-01sが戻って来た。


「渡辺様の仰ったとおりのトーストを持って参りました」


 P-01sの掲げた皿には、二枚のトーストが載っていた。

 二センチ厚のブレッドが、切って二枚だ。皿にはちゃんと軽く炙ってある。

 だが、何かがおかしい。


 ……えーと、これは……。



「何で、トーストの周囲を、ブレッドの耳が覆っているのかな?」


「Jud.、あれを二センチ厚で、と言われましたので。──あれを二センチ厚に圧縮。その上で切って二枚に致しました。ああ、軽く炙ってあります」


「……聞く意味無いと思うけど、どーやって圧縮?」


「Jud.、──店主様が掌底の遠当てを垂直打ちに」


 何でそんな芸当が、と言ってはいけない。


「ここは青雷亭だもんね」


「Jud.、よくお解りですねナイゼ様。ともあれミッションクリアと判断出来ます」


 超圧縮のブレッドトーストを、P-01sが渡辺の前に置いた。

 渡辺が、僅かに俯きで、


「あのう」


「何でしょう」


「私の敗因は何処に?」


『”あれを二センチ厚で”じゃなくて、”あれを二センチ厚に切って”だったら、渡辺さんの勝ちだったと思うんですよね……』


 極東語って怖いなあ、と改めて思うこちらの眼前。P-01sが頷いた。


「よく解りませんが、P-01sの勝ちではありません。P-01sは渡辺様の依頼通りに成し遂げましたので。これはP-01sと渡辺様の勝利だと判断出来ます」


 彼女が渡辺の前にグラスを置いた。


「さあ、どうぞ、水です。朝食なのでコーンスープですが」


 史上初の、ナイフで切らないと食べにくいトーストと、グラス入りのコーンスープというものを眼前にしながら、ミトツダイラは水を飲むことに専念する。

 他、P-01sは注文取りに言っているが、しばらくすると背後のテーブルの方から、


「ははは、お前のはそれか!」


「貴様こそそれだろうが!」


 など、危険な遣り取りが来るのが凄すぎる。

 とはいえ、やはり店主の管理があるのか、ぎりぎりで食べられないものにはなっていないようで、必要ならば店主から後フォローとしてソースや副菜が追加される。

 P-01sが注文取りを出来る時間には制限が掛けられているので、これは一種、朝のアトラクションと言ったところか。


 ……注文取りが終わったら、極厚のベーコンサンドを持ち帰りで頂くのも有りですかしら。


 それとも、と自分は心の中に言葉を作った。外は学園祭なのだから、屋台で肉料理を頂くのも悪くない、と。

 昨日から町中はどこも食事の匂いばかりなので、今日は朝食も軽めだ。間食の用意は出来ているのだ。


 ……K.P.A.Italiaが近いせいか、牛カツなどの肉フライ料理も屋台には多いですものね。


 午前の仕入れや準備をしながら何かいただき、午後は”資材運び”の行きと帰りにまた何かを頂くなど……、ふふふ、いいですわね……。


「ミト! ミト! さっきから何を目を閉じて幸せそうな顔してるんですか!? 緊張感ある現場のあまり、脳から変な信号出てませんか!?」


「し、失礼ですわね。そんなこと──」


 窓の外から、近くの屋台発祥らしい肉の匂いが来た。

 ケバブ系らしい。香辛料がやや強めだが、匂いの分には香ばしく、


「あっ……」


「ミト! ちょっと帰ってきて下さいって!」


 揺らされて我に返るが、少々危ないところであった。

 ただ、そうして気づけば、正面の渡辺が、こちらに視線を向けていた。

 それも、いつもの笑み顔とは違う、可笑しいというふうな笑いの顔で、だ。


 ……え?


 そんな顔をいきなり向けられて、己は軽く戸惑う。


「どうなさいましたの?」


「Jud.、不思議なものだと、そう思ったのです」


 渡辺が、P-01sから圧縮トースト用のジャムを受け取りながら言う。


「貴女達は、しっかりとそれぞれの道を行きながら、整っているから」


 渡辺は思う。この子達を”揃えている”ものとは何でしょうね、と。

 権力、財力、戦力、学力、来歴や術式や多くの要素をもって、人と人の間には差が生じるものだ。幾ら否定をしたところで、人間は完全な画一がなされるものではなく、その差をどう思うかによって不平等が生じる。

 浅間神社代表。

 水戸領主。

 配送業代表。

 他にも、彼女達のクラスには元東宮が所属しており、


 ……最近頭角を現してきた商人も、クロスユナイト先生の息子さんもいて……。


 普通、それだけの”差”が集まっていれば、派閥や牽制のようなものが生じていてもおかしくない。それぞれが自分の立場を守ったり、高めるために、他との付き合いを断つことだって普通にある筈だ。

 だが、見ている限りでは、彼らは、従士の子や他の皆も、分け隔て無く過ごしている。

 これはどういうことか。

 自分は彼女達のクラスを詳しくを知らないが、一つ、確信めいた思いがある。


 ……長がいるのでしょう。


 どのような権力や、財や力や身分を持っていても、かなわないとする長の存在。

 そんな人間が、きっと、皆の傘になっている。

 一朝一夕では無い筈だ。

 長年を過ごしてきたことで、いつしかそういった”差”を気にしない風情が生じている。それゆえに今、目の前にいる”差”の持ち主達は、”高等部の友人”というより、まるで姉妹や、古くからの友人として過ごしていて、


「────」


 ふと、己は思った。一体どのような長が、彼女達にはついているのだろう。

 担任の、オリオトライだろうか。


 ……否、彼女は高等部からの受け持ちだから、違いますね。


 知られた名があるとすれば、


 ……まさか──。


 鳥居とも親しい、いつも祭事のたびにに問題ごとを起こす少年がいる。

 後悔通りの主。

 九年前に、ホライゾン・アリアダストという少女を死なせたと、そんな後悔を得た少年。

 そんな彼の事を自分は想起し、


「あの」


 問うていた。


 浅間は、渡辺の問いかけを聞いた。その始まりは、まず、


「もしもの話をいいでしょうか」


「仮定ですか?」


 Jud.、という頷きに、自分は思案する。


 ……もしもの話に付き合う義理は無いですよね……。


 だが、相手が第一特務だ。何かの情報の遣り取りのために、こういった回りくどい方法をとっている可能性もある。

 だったら、と思い、横のミトツダイラや魔女コンビが視線を飛ばしてくるのに対し、己は襟を直して頷いた。

 言葉は巫女の領分だ。


「聞きましょう」


 言うと、渡辺が頷いた。圧縮トーストを賽の目に切っていく手元、彼女はそちらを見ながらこう言った。


「ある判断の機会が、生じたとします」


「どのような判断の機会、……ですか?」


 迂闊な答えは駄目だ。浅間神社代表としての判断として捉えられる可能性もあるので、念を押すように問い返す。すると、


「一人の命を懸けて、大きな事件を解決しようとする判断です」


 渡辺が、言葉を続けた。


「それをすることで、極東全体がいい方に変わる。そういうことをする機会が来た場合、貴女達は──」


「駄目ですね」


 自分は即答した。


 渡辺の問い掛けに、浅間は、安堵のようなものすら感じていた。


 ……命を担保にした判断ですか。


 それは、無い。

 綺麗事とか、神道だからどうだとか、そういうものではなく、


「その判断は無いです」


「極東の何もかもが、いい方に向かうとしても?」


「ええ、何かを失うことを前提とした方法は、許されないですから」


 言っていて気づくのは、自分の言葉が当然のものとして口から出ることだ。

 巫女の代演として、嘘をつくことが出来ないという制約を得てはいるが、


 ……そうですね。


 一瞬、頭の中に、彼の影がよぎった。

 その背中を追うような、守るような感を得ながら、自分は断言した。


「その判断はあり得ません」

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