アクセル・ワールド1 ―黒雪姫の帰還―

1ー②

 巨大なきのこがそこかしこに生え、ひときわまぶしくがさす円形の草地の中央には、水晶のような泉がき出ている。外周には、内部が空洞となった巨大な樹木が輪をつくってそびえ立ち、その内側は歓談やレクリエーションに使えるよう、何層にも分かれて階段でつながっている。

 この仮想空間が、東京都杉並区に存在する私立うめさと中学校の学内ローカルネットだ。

 森を行き交ったり三々五々固まって笑い声を上げているのは、これもほとんどが人間ではなかった。二足歩行するコミカルな動物が半数、あとは羽を生やした(と言っても飛べはしないが)ようせいあり、ブリキのロボットあり、ローブのほう使つかいあり。すべて、ローカルネットにダイブしている梅郷中の生徒・教師のアバターである。

 生徒のアバターは、数多あまた用意された素体から自由に選択・カスタマイズできる。根気さえあれば、用意されたエディタを駆使して完全オリジナルの姿を一から組むことも可能だ。しよせんは中学生の技術及びセンスなのではあるが、それでも四月にハルユキがろうした自作の黒いアバターは大きな注目を浴びた。

 ──のもせつの栄華だった。ハルユキはため息まじりに、現在の己の姿を見下ろした。ブラックナイトのアバターはまたたく間にアラが巻き上げていき、ハルユキにはこのデフォルトのブタの使用を強制したのだ。

 もっとも、独自性という点では桃色豚も負けてはいない。こんなぎやくてきなボディを選択する者はいないからだ。現実サイドと同様、丸っこい体をけんめいに縮めたハルユキは、小走りで一本のを目指した。

 と、中央の泉のほとりに、ひときわ大きな人だかりができているのに気付いた。走りながら視線を送ったハルユキは、思わず足の進みをゆるめた。生徒の輪の中央に、なかなかもくげきすることのできないレアなアバターが見えたのだ。

 デフォルトセットにあるものではない。透明な宝石がちりばめられた、しつこくのドレス。手にはたたんだ黒い日傘。背中には、にじいろのラインが走るくろあげちようはね

 長いストレートの髪に縁取られた、雪のように白い顔は、これが自作だとは信じられないかんぺきな美しさだ。ハルユキも到底かなわない、プロとしても通用しそうなデザインスキルである。

 きやしやな体をしどけなく巨大茸にもたれさせ、ものげな表情で周囲のアバターたちの言葉をいている彼女が、生徒会で副会長を務める二年生の女子生徒であることをハルユキは知っていた。おどろくべきことにそのぼうは、現実の容姿をほぼ完璧に再現したものであり、ゆえに献ぜられた通り名が──。

《スノー・ブラック》。《クロユキヒメ》。

 あのような存在と自分が、梅郷中の生徒であるという共通項をひとつにせよ持っていることすらハルユキにはうそっぽく思える。こうして仮想の視線を向けているだけで、自意識をさいなわいしようかんがいや増す気がして、無理やりに首を正面に戻す。

 全力ダッシュで駆け込んだ先は、レクリエーションルームが設置されている大樹の一本だった。簡単に言えばゲームコーナーだが、もちろん市販ソフトのようなRPGや戦争ゲームなどは一切ない。クイズやパズルなどの知育系、または健全なスポーツゲームばかりだが、それでも多くの生徒たちが各コーナーに群がり、歓声を上げている。

 彼らは皆、教室の自分の机や学食から完全フルダイブしている。その間、生身の体は無防備に放置されているわけだが、ダイブ中の人間に悪戯いたずらするのは明らかなマナー違反なので、気にする者はハルユキ以外にはいない。教室からローカルネットにダイブし、戻ってきたら、制服のズボンが脱がされていたのは入学して一ヶ月もたないころだったか。

 現実の肉体をトイレに隠し、そして仮想空間ですら人の目から逃れるべく、の幹に刻まれた階段を駆け上がる。上に行けばいくほど、設置されたゲームは人気のないものになっていく。

 野球、バスケ、ゴルフ、テニスと通り過ぎ、卓球のフロアも無視してたどり着いたのは、《バーチャル・スカッシュ・ゲーム》のコーナーだった。

 生徒は一人も居ない。人気がない理由は明らかだ。スカッシュというのは、テニスに似てはいるが、ラケットでボールを打ち込む先は上下左右正面が硬い壁に囲まれた空間であり、跳ね返ってきた球をもくもくと一人でリターンし続ける、とことん孤独なスポーツだからだ。

 本来ハルユキが好むゲームジャンルは、マシンガンを抱えて戦場を駆け回る主観射撃FPSもので、それでなら本場アメリカの連中とも互角以上にやり合える腕前だ。もちろん日本でも人気のジャンルなのだが、まさか学校のネットにそんなものが用意されているわけもないし、それに──小学校の頃、クラスの男子ほぼ全員をハンドガン一丁でち殺し、翌日からひどいイジメにあった苦苦しい思い出もある。以降ハルユキは、学校のやつらとはジャンルにかかわらず二度と同じゲームをしないと誓っている。

 がらんとしたコートのみぎはしに歩み寄り、操作パネルに片手をかざす。ハルユキの生徒IDが入力され、セーブされているレベルとハイスコアが読み出される。

 ハルユキは、一学期の中ほどから昼休みはひたすらこのゲームで時間をつぶしてきた。結果、スコアはあきれるような数字に達しつつある。さすがに飽きてきた気もするが、ここ以外に行く場所があるわけでもない。パネルからき上がったラケットを、黒いひづめのついた桃色の右手でしっかりと握る。

 ゲームスタート、の文字に続いて、どこからともなくボールが降ってくる。それを、今日一日のうつくつを込めたラケットで思い切りたたく。

 ちかっ、といつしゆんひらめきを残して、レーザーのようにボールがすっ飛び、床と正面の壁にぶつかって戻ってきた。ほとんど視覚以上の反射でそくし、脳が自動的に導く最適解に従って、一歩左に動きながらバックハンドで打ち返す。

 現実のハルユキには、無論こんな動きはできない。しかしここはあらゆるナマのしがらみから解き放たれた電子の世界だ。ボールを認識し、体を動かすのはただ脳とニューロリンカー間を往復する量子信号のみ。

 ボールはたちまち実体を失い、コートにひらめくおぼろな軌跡でしかなくなる。ぽごん、ぽごんという効果音が一秒間に何度もり返され、機関銃のようにひびく。それでも、ハルユキは豚の体をじゆうおうじんちようやくさせ、ラケットを全方位にうならせ続ける。

 くそ──現実なんてるか。

 極限のゲームスピードに挑みながらも無心にはなれず、脳裏をえんに満ちた叫びが貫く。

 なぜ、本物の教室や学校なんていう下らないものが必要なんだ。人間はもう仮想世界だけで生きていけるし、実際そうしている大人は腐るほどいる。過去には、人間の意識をまるごと量子データに置き換え、本物の異世界を構築しようという実験まで行われたほどだ。

 それなのに、集団生活を学び、情操を育てるため、なんて鹿みたいな理由で子供はひとまとめに現実のおりにぶちこまれる。アラたちはいいだろう、適度にストレスを解消し、小遣いも節約できるんだから。でも、僕は──これ以上、どうすればいいんだ。

 ぴぽん、と音がして、視界の隅でゲームレベルがひとつ上がった。

 いきなりボールが加速する。反射角度も不規則になり、予想外の方向から曲線を描いておそい掛かってくる。

 ハルユキの反応が徐々に遅れはじめる。

 ちくしよう、もっと──もっと加速しろ。

 仮想世界も、現実すらも、あらゆる壁をぶち抜いて、だれもいない場所へ行けるほど──

 速く!

刊行シリーズ

アクセル・ワールド27 -第四の加速-の書影
アクセル・ワールド26 -裂天の征服者-の書影
アクセル・ワールド25 ‐終焉の巨神‐の書影
アクセル・ワールド24 ‐青華の剣仙‐の書影
アクセル・ワールド23 ‐黒雪姫の告白‐の書影
アクセル・ワールド22 ‐絶焔の太陽神‐の書影
アクセル・ワールド21 ‐雪の妖精‐の書影
アクセル・ワールド20 ‐白と黒の相剋‐の書影
アクセル・ワールド19 ‐暗黒星雲の引力‐の書影
アクセル・ワールド18 ‐黒の双剣士‐の書影
アクセル・ワールド17 ‐星の揺りかご‐の書影
アクセル・ワールド16 ‐白雪姫の微睡‐の書影
アクセル・ワールド15 ‐終わりと始まり‐の書影
アクセル・ワールド14 ‐激光の大天使‐の書影
アクセル・ワールド13 ‐水際の号火‐の書影
アクセル・ワールド12 ‐赤の紋章‐の書影
アクセル・ワールド11 ‐超硬の狼‐の書影
アクセル・ワールド10 ‐Elements‐の書影
アクセル・ワールド9 ‐七千年の祈り‐の書影
アクセル・ワールド8 ‐運命の連星‐の書影
アクセル・ワールド7 ‐災禍の鎧‐の書影
アクセル・ワールド6 ‐浄火の神子‐の書影
アクセル・ワールド5 ‐星影の浮き橋‐の書影
アクセル・ワールド4 ‐蒼空への飛翔‐の書影
アクセル・ワールド3 ‐夕闇の略奪者‐の書影
アクセル・ワールド2 ‐紅の暴風姫‐の書影
アクセル・ワールド1 ‐黒雪姫の帰還‐の書影