アクセル・ワールド1 ―黒雪姫の帰還―

1ー④

 最悪な気分で午後の授業とホームルームを聞き流し、ハルユキは逃げるように教室を飛び出した。

 二つとなりのチユリの教室、あるいは校門、あるいは帰り道のどこかで彼女を待って謝るべきだという声を意識のらちがいに押しやり、もう一つの隠れ場所である図書室へと駆け込む。

 本来、図書室などという空間はとうにその役目を終えている。しかし、大人の中には学校そのものと同じようにペーパーメディアの本も子供の教育に必要だと考える連中がいて、資源と空間のとしか思えない真新しい背表紙が書架に並べられているのだ。

 もっとも、そのおかげで学校内に貴重なパーソナルスペースが確保できるのだから文句は言えない。カムフラージュにハードカバーを二、三冊抱えてかべぎわの閲覧ブースに閉じこもったハルユキは、狭いに体を押し込むと、リンカーが認識できるぎりぎりの音量で完全フルダイブを命じた。

 授業が終わってから数分しかっていないだけあって、学内ネットはかんさんとしていた。いまのうちにいつもの場所に引きこもるべく、高速で草地を横切りの幹を登る。

 バーチャル・スカッシュコーナーも当然無人だった。本当は、こんな単純な球当てではなく、血みどろの戦争もので胸のもやもやを一時でもふっ飛ばしたいところだが、グローバルネットには接続できずゲームアプリの起動も制限されている学校内ではむを得ない。

 空腹はもう限界を超えていたが、それでもすぐに帰宅する気にはならなかった。帰り道でチユリにそうぐうしたら、どんな顔で何を言えばいいのかまったくわからない。いや、謝ればいいのだが、自分の口を意思に従わせられる自信がそもそもない。

 ──あのときも、そうだったな。

 昔、同じようにチユリを泣かせてしまったときのことを思い出しそうになり、ハルユキはきつく目をつぶった。そのまま操作パネルに右手をかざし、ログインする。

 手探りでラケットをつかみ、体の向きを変え、コートに正対した。

 目を開け、落下してくるボールに、あらゆるうつくつたたきつけようとして──。

 ハルユキは、全身を凍りつかせた。

 コートの中央に表示されている原色の立体フォントが、おくと異なる数字を表示させていた。

「レベル……166!?」

 ハルユキがつい数時間前に更新したレベルを、10以上も上回っている。

 一体何故なぜ、スコアは生徒IDごとに管理されているはず、といつしゆん思ってから、すぐに悟った。あのとき、チユリのげんこつによってハルユキは強制ログアウトさせられたため、ゲームがそのまま保持されたのだ。だから、だれかがその続きでプレイを再開し、スコアを塗り替えることは可能だ。しかし。

 自分以外の誰がこんなとんでもない点を!?

 ハルユキの、ほうかい寸前のプライドをどうにか維持させているもの、それは完全フルダイブ環境下でのVRゲーム・テクニックだ。もちろん、頭の良さが勝敗を左右するクイズやボードゲームは除かれるが、反射速度がものを言うガンシューティングやアクション、レースゲームなら、この学校で自分に勝てるやつはいないという自負がハルユキにはあった。

 それをひけらかしたことはない。自分が目立ってもろくなことがないのは、小学校のころからいやと言うほど学習している。あえて確認するまでもないとこれまでは思っていたのだが──この、スカッシュゲームの恐るべき得点は……。

 その時。

 背後で、声がした。チユリではない。女性だが、もっと低く、絹のようになめらかなひびき。

「あの鹿げたスコアを出したのはキミか」

 おそるおそる振り向いたハルユキの目の前に立っていたのは。

 やみに銀をちりばめたドレス。つえ、あるいは剣のように床に突かれた傘。純白の肌としつこくひとみ──《クロユキヒメ》。

 アバターでありながらデジタルくささのかけらもない、一種せいぜつぼうわずかに傾け、学校一の有名人は音もなく前に進み出た。

 全身でそこにだけ色彩のあるあかくちびるにかすかな微笑を浮かべ、黒雪姫は続けて言った。

「もっと先へ……《加速》したくはないか、少年」


 その気があるなら、明日の昼休みにラウンジに来い。

 たったそれだけを言い残して、クロユキヒメはあっけなくログアウトした。

 アバターがハルユキの視界に存在した時間は十秒に満たなかったろう。ローカルネットサーバーのバグか、いっそ幻覚を見たのだとすら思える、余りにもあり得なさ過ぎる出来事だったが、しかし、コート上に浮かび続ける恐るべきスコアはたしかな現実だった。

 もう、ハイスコア更新に挑戦する気すら起こらず、ダイブを終了したハルユキはそのまま図書室の閲覧ブースでぼんやりと座り続けた。耳の奥では、三つの台詞せりふだけが無限に連続再生されていた。黒雪姫の口調は女子中学生としては異質だったが、あの圧倒的存在感とミックスされると違和感はかいで、むしろ男子だけでなく女子生徒にも絶大な人気がある理由のいつたんなのだろうと思えた。

 やがてふわふわした足取りで学校を出て、家路をたどる間も、体はほとんど自動操縦のありさまだった。ニューロリンカーがちようかくモードで表示する交通予測ナビがなければ、二、三度車にかれていたかもしれない。

 こうえんの高層マンションにある無人の自宅に帰り着くと、ハルユキはまっさきに冷凍ピザを温め、炭酸飲料といつしよに平らげた。両親はずいぶん昔にこんし、今は母親と一緒に暮らしているが、毎夜零時を回らないと帰ってこないので登校ぎわに昼食代をもらういつしゆんしか顔を合わせない。

 すきっ腹をジャンクフードで満たし、自分の部屋に引っ込む。いつもならまずグローバルネットの巡回コースをチェックして、その後ヨーロッパあたりの戦場を数時間駆け回り、余力で宿題を片付けてから寝るのだが、今日に限っては何をする気もいてこない。

 余りにも色々なことがあり過ぎたせいか、脳がれているかのように重く、ハルユキは着替えてニューロリンカーを外すなりどすんとベッドに倒れこんだ。

 眠りは、しかし、とても安らかとは言いがたいものだった。アラたちのちようしよう、チユリの涙、そして黒雪姫のなぞめいた言葉がり返し夢に現れ、ハルユキをほんろうした。

 もっと先へ──《加速》したくはないか。

 夢のなかで、黒雪姫はアバターではなく現実の副生徒会長の姿だった。全校集会のだんじようで超然とした無表情を保つ彼女しか見たことはないはずなのに、なぜか夢ではどこかさそうようなあくてきな微笑をそのくちびるに浮かべ、ハルユキの耳にささやくのだった。こっちへ来い、と。

刊行シリーズ

アクセル・ワールド27 -第四の加速-の書影
アクセル・ワールド26 -裂天の征服者-の書影
アクセル・ワールド25 ‐終焉の巨神‐の書影
アクセル・ワールド24 ‐青華の剣仙‐の書影
アクセル・ワールド23 ‐黒雪姫の告白‐の書影
アクセル・ワールド22 ‐絶焔の太陽神‐の書影
アクセル・ワールド21 ‐雪の妖精‐の書影
アクセル・ワールド20 ‐白と黒の相剋‐の書影
アクセル・ワールド19 ‐暗黒星雲の引力‐の書影
アクセル・ワールド18 ‐黒の双剣士‐の書影
アクセル・ワールド17 ‐星の揺りかご‐の書影
アクセル・ワールド16 ‐白雪姫の微睡‐の書影
アクセル・ワールド15 ‐終わりと始まり‐の書影
アクセル・ワールド14 ‐激光の大天使‐の書影
アクセル・ワールド13 ‐水際の号火‐の書影
アクセル・ワールド12 ‐赤の紋章‐の書影
アクセル・ワールド11 ‐超硬の狼‐の書影
アクセル・ワールド10 ‐Elements‐の書影
アクセル・ワールド9 ‐七千年の祈り‐の書影
アクセル・ワールド8 ‐運命の連星‐の書影
アクセル・ワールド7 ‐災禍の鎧‐の書影
アクセル・ワールド6 ‐浄火の神子‐の書影
アクセル・ワールド5 ‐星影の浮き橋‐の書影
アクセル・ワールド4 ‐蒼空への飛翔‐の書影
アクセル・ワールド3 ‐夕闇の略奪者‐の書影
アクセル・ワールド2 ‐紅の暴風姫‐の書影
アクセル・ワールド1 ‐黒雪姫の帰還‐の書影