アクセル・ワールド1 ―黒雪姫の帰還―

2ー①

 そう、全部夢だったのだ。昨日の、ローカルネットでのそうぐうも含めて。

 翌水曜日、いつものようにゆううつな顔で登校したハルユキは、そう思いながら教室に入った。

 既視感あふれる授業に、り返されるアラたちの悪戯いたずらメール。二日連続で昼飯をタカられるのは初めてだったが、指定されたのは昨日と同じ焼きそばパンとクリームメロンパンだった。どんだけ好きなんだよ、と思いながらメールを閉じたハルユキは、昼休みのチャイムとともに席を立った。

 のろのろした歩調で向かったのは、しかし荒谷たちに呼び出された屋上ではなく、校舎一階、学生食堂にりんせつしたラウンジだった。

 安物の長テーブルがぎっちりと並ぶ学食とは違い、半円形のラウンジにはしようしやな白い丸テーブルが余裕を持って配置されている。大きな採光ガラスから、秋に色づく中庭の木々を一望できる、間違いなくうめさと中学校で最も上等な空間だ。

 ゆえに、一年生は使用できない不文律がある。テーブルを囲む生徒たちのリボンとネクタイはすべて青(二年生)かえん(三年生)で、緑はまったく見えない。

 上級生たちの半数はコーヒーや紅茶のカップ片手に談笑し、半数は高い背もたれつきのに体を預けて目を閉じている。眠っているのではなく学内ネットに完全フルダイブしているのだ。

 ハルユキはまず、ラウンジの入り口の観葉植物にどうにか巨体を隠し、内部をうかがった。

 居るわけはない、昨日のアレは夢だったのだから、半ば以上そう確信していた──のだが。

「…………居るじゃん……」

 思わずごくりと空気をむ。ラウンジのさいおうまどぎわのテーブルに、ひときわ目立つ集団があった。二年と三年が混在して六名、よくよく目をらすと全ての顔に見覚えがある。全員が現生徒会のメンバーだろう、男子も女子も方向性に差はあれそろってもくしゆうれいだ。

 その中でも最大の存在感を放っているのが、ものげにハードカバーの頁をめくる青リボンの女子生徒だった。腰近くまであるまっすぐな髪は、いまどきめずらしいほどのしつこく。ダークグレーのプリーツスカートからのぞく脚は、これも黒のストッキングに包まれている。そしてどうしたことか、ブレザーの下のかいきんシャツまでが光沢のある黒だ。間違いない──梅郷中学校一の有名人、《クロユキヒメ》。

<画像>

 ラウンジ入り口から奥のテーブルまでは、直線で二十メートルもないだろう。しかし、そのきよはハルユキにはほとんど無限にも等しく感じられた。上級生のあいだを突っ切ってあそこまで行くなどという冒険は到底できそうもなかった。

 回れ右をして帰ろう。そして学食の販売コーナーでパンとジュースを買い、屋上の荒谷たちに届ける。その後第二校舎のトイレにこもり、ローカルネットの一人用ゲームでむなしく時間をつぶす。

 ──くそ。ちくしよう。行ってやる。

 ハルユキは歯を食いしばると、観葉植物の陰から出て、ラウンジへと足をみ入れた。

 周囲のテーブルから集まる上級生の視線には、これは被害もうそうではなく確かな非難と不快の色が含まれていた。入学当初ならいざ知らず、二学期の半ばともなればすべての一年生が立ち入り禁止の慣習法を知っているはずだからだ。

 しかし幸い、声に出してとがめようという者はいなかった。がくがくふるえる両脚でけんめいに重い体を運び、テーブルの間をって、ハルユキはほとんど息も絶えだえになりながら、ついに生徒会役員たちが占拠するさいおうへと辿たどり着いた。

 最初に顔を上げたのは、最も手前に座る二年生だった。ふわふわした髪を揺らして首をかしげた女子生徒は、わずかないぶかしさの混じる笑顔をハルユキに向け、優しい声で言った。

「あら……何か御用?」

 御用です。とも言えず、ハルユキは口ごもった。

「ええと……あの……えー……」

 その時には、残る役員たちの四人までが皆ハルユキを見ていた。彼らの顔に悪意はなかったが、周囲のテーブルから向けられる不快の視線はもはや耐えがたく、きんちようのあまり卒倒しそうになったとき、ようやく最後の一人が本から顔を上げた。

 初めて間近から肉眼で見るクロユキヒメの顔は、やはり昨日見た(はずの)アバターの数倍は美しかった。切りそろえた前髪の奥、くっきりしたまゆの下で、こうさいまでも黒く見えるひとみえざえとした光を放っている。アバターを黒い薔薇ばらたとえるなら、こちらはくろすいせんか。そんなものがあるのかどうかは知らないが。

 そのぼうに、この見苦しい一年は何、という表情が浮かぶのをハルユキは覚悟した。

 しかし心底おどろいたことに、黒雪姫は色のうすくちびるに見覚えのある微笑を浮かべると短く言った。

「来たな、少年」

 ぱたりと音を立ててハードカバーを閉じ、棒立ちのままのハルユキに手招きしながら、視線をちらりとテーブルの役員たちに走らせる。

「用は私だ。済まない、そこ空けてもらえるかな」

 後半は、となりに座る三年の男子に向けたものだった。短髪長身の上級生は、おもしろがるような表情を浮かべて立ち上がると、てのひらをハルユキに示した。

 もごもごと礼を口にして、ハルユキは丸い体を限界まで縮め腰を下ろした。きやしやな椅子が盛大にきしんだが、黒雪姫はまるで気にするふうもなく、ブレザーの左ポケットを探ると束ねた細長いものを取り出した。

 それは一本のケーブルだった。銀の細線でシールドされたコードのりようはしに、小さなプラグが付いている。左手で長い髪を後ろに持ち上げ、びっくりするほど細い首に装着されたニューロリンカー(当然のようにピアノブラック塗装だった)のたんに右手でプラグの片方を挿入すると、黒雪姫は何気ない仕草でもう一方のプラグをハルユキに差し出した。

 今度こそ、事の成り行きを見守っていたラウンジじゅうの生徒たちから、大きなざわめきが巻き起こった。中には、うそだろとか、いやぁーそんなーとか悲鳴じみたものまで混じっている。

 度肝を抜かれたのは、ハルユキも同様だった。額にぶわっと汗が浮き上がる。

《有線直結通信》。

 略して直結と呼ばれる行為を、黒雪姫はハルユキに促したのだ。ニューロリンカーは通常、無線とその場のネットワークサーバーを通してのみ相互通信を行い、そこには何重ものセキュリティが介在する。しかし、有線で直結した場合は、防壁の九割までは無力化する。ある程度のリンカースキルを持つ者なら、相手のプライベートメモリをのぞき見たり、悪意あるプログラムを仕掛けることすら可能だ。

 ゆえに通常、直結するのは最もしんらいできる相手──家族、もしくは恋人に限られる。逆に言うと、公共の場で直結している男女は九十九%まで付き合っているということになる。ケーブルの長さがその親密度を表すという技術的根拠のない俗習まで存在するのだ。

 いま黒雪姫が差し出しているXSBケーブルは約二メートルはあるが、しかしこの場合長さなど問題ではない。きらきら光る銀色の端子をまじまじとぎようしながら、ハルユキはどうにか声を絞り出し、尋ねた。

「……あ、あの、どうすれば……」

「キミの首にす以外に使い道はなかろう」

刊行シリーズ

アクセル・ワールド27 -第四の加速-の書影
アクセル・ワールド26 -裂天の征服者-の書影
アクセル・ワールド25 ‐終焉の巨神‐の書影
アクセル・ワールド24 ‐青華の剣仙‐の書影
アクセル・ワールド23 ‐黒雪姫の告白‐の書影
アクセル・ワールド22 ‐絶焔の太陽神‐の書影
アクセル・ワールド21 ‐雪の妖精‐の書影
アクセル・ワールド20 ‐白と黒の相剋‐の書影
アクセル・ワールド19 ‐暗黒星雲の引力‐の書影
アクセル・ワールド18 ‐黒の双剣士‐の書影
アクセル・ワールド17 ‐星の揺りかご‐の書影
アクセル・ワールド16 ‐白雪姫の微睡‐の書影
アクセル・ワールド15 ‐終わりと始まり‐の書影
アクセル・ワールド14 ‐激光の大天使‐の書影
アクセル・ワールド13 ‐水際の号火‐の書影
アクセル・ワールド12 ‐赤の紋章‐の書影
アクセル・ワールド11 ‐超硬の狼‐の書影
アクセル・ワールド10 ‐Elements‐の書影
アクセル・ワールド9 ‐七千年の祈り‐の書影
アクセル・ワールド8 ‐運命の連星‐の書影
アクセル・ワールド7 ‐災禍の鎧‐の書影
アクセル・ワールド6 ‐浄火の神子‐の書影
アクセル・ワールド5 ‐星影の浮き橋‐の書影
アクセル・ワールド4 ‐蒼空への飛翔‐の書影
アクセル・ワールド3 ‐夕闇の略奪者‐の書影
アクセル・ワールド2 ‐紅の暴風姫‐の書影
アクセル・ワールド1 ‐黒雪姫の帰還‐の書影