アクセル・ワールド1 ―黒雪姫の帰還―
2-④
ソーシャルカメラというのは、正式名称ソーシャル・セキュリティ・サーベイランス・カメラというもので、治安維持を目的に日本国内にびっしり設置してある、政府の映像監視
そんな理屈を思い浮かべながらも、ハルユキは反射的にテーブルの下に伸びる生徒会役員の女子の脚を追い、その優美なラインがスカートの縁で消滅しているのを確かめてしまった。
慌てて立ち上がったハルユキを、黒雪姫はじろりと
「私の脚は見るなよ。カメラの視界に入ってるからな」
「み……見ませんよ」
苦労して視線を固定しながら、ハルユキは首を振った。
「ま、まあ、今見てるものの理屈はなんとなく
「そうだ。今は便宜的に君の学内ローカルネット用アバターが流用されているが」
「できるなら、
「でも……これでやっと半分ですよね。知りたいのはここからです。……《加速》って一体何なんです? こんな時間停止みたいな機能がニューロリンカーにあるなんて、聞いたことないですよ!」
「当然だ、ニューロリンカーに秘められた加速機能を引き出せるのは、《ブレイン・バースト》というプログラムを持っている者だけだ」
「ハルユキ君、キミはニューロリンカーの作動原理を知っているか?」
細い指が《自分》の首に触れるのを見て、わけもなくドキッとしながらもハルユキは
「は、はい……とおりいっぺんの知識だけですけど。脳細胞と量子レベルで無線接続して、映像や音や感触を送り込んだり、逆に現実の五感をキャンセルする……」
「そうだ。つまり二〇二〇年代のヘッドギア型VR機器、あるいは三〇年代のインプラント型とは原理が根本的に異なる。量子接続は、生理学的メカニズムではないのだ。ゆえに、脳細胞に負荷をかけることなく、とんでもないムチャができる……ことに気付いた者が居た」
「ムチャ……とは?」
ハルユキの疑問に、黒雪姫はやや見当はずれとも思える問いを返した。
「キミは二〇年
「え、ええ、一応。自宅にもあります」
「ならば、PCの基準動作周波数を何と呼んでいたか知っているだろう」
「ベースクロック……ですか」
黒雪姫は満足そうに頷いた。
「そう……マザーボード上の振動子が時計のように刻む信号を、設定倍率にしたがって
「え……!?」
ハルユキは目を丸くし、大きなブタ鼻からぶふーっと息を
「ま、まさか。僕らのどこに振動子があるっていうんです」
「ここだ」
黒雪姫は即答し、現実の青いハルユキに正面から抱きつくと、いたずらっぽい上目遣いになりながら左手で背中の中心をつついた。
「な……、な、何するんですか」
「今、キミのクロックが少し上がったぞ。もう分かったろう……心臓だ! 心臓は、ただ血液を送り出すだけのポンプではない。その鼓動によって、思考の駆動速度を決定する基準クロック発生装置なのだ」
息を
「たとえ体が静止していようと、状況次第では心臓の鼓動はいくらでも速くなる……レーシングドライバーのようにな。
黒雪姫は、現実のハルユキの胸にあてた指先を、ゆっくり上に動かし首で止めた。
「心臓が一度どくんと脈打つと、発生した量子パルス信号は中枢神経をさかのぼり、脳を、つまり思考を駆動する。ならば──その信号を首のニューロリンカーで乗っ取り、
ぞくっ、と背筋に
「思考が……加速する?」
「そう、ニューロリンカーならそれができる。肉体や脳細胞に一切の
「いっせん……ば……い」
告げられた言葉を
「思考を一千倍に加速する。それはつまり、現実の一秒を、一千秒……割り算をすれば十六分四十秒として体感するということだ」
F1レーサーどころの話ではない。もはやテクノロジーというよりも、《時間停止の
しかし、その
「……?」
「いや、すまん。説明に夢中になって、少し時間を使いすぎてしまったな。すっかり忘れていたが、現実のキミは今まさにぶっとばされつつあるんだった」
「げっ……」
ハルユキは慌てて足を動かし、青く凍る自分の向こう側へと回り込んだ。
確かに、会話に費やした約五分(またはコンマ三秒ほど)のあいだに、
荒谷の顔は、これが
一体何が楽しいんだ。──いや、そりゃ楽しいだろうな。
「……あの、この《加速》って、いつまで続くんですか?」
「理論上は無限だ。だが、《ブレイン・バースト》プログラム上の制限によって、キミが加速していられるのは最大で体感三十分、現実においては一・八秒だ」
涼しげに返された黒雪姫の言葉に、ハルユキはピンクブタのくりくりした眼を
「……な、
コマ送りでぶっ飛ぶ自分の姿を想像し、ハルユキは叫んだ。が、黒雪姫は軽く笑い、説明を付け加えた。