野﨑まど劇場
作品 No.11 デザインベイベ
デザイナー・木瀬尚樹はタブレットのペンを置くと目頭を圧えた。少し疲れが溜まっている。だが残念なことに仕事も溜まっている。
木瀬は再びペンを取ってディスプレイに向かった。画面は四つのアルファベット[A][G][C][T]で埋め尽くされていた。
西暦二〇XX年。発展を遂げた遺伝子操作技術によって人類はあらゆる遺伝的欠陥を克服していた。それと同時に出生前操作も広く一般化し、身長・体重・スタイル・容姿・能力・性格すらも遺伝子段階で決定するという時代が到来した。今や日本における新生児の実に七割が遺伝子操作を施された子供、デザイナーベイビーという状況であった。
木瀬は手馴れた手付きでショートカットを叩きデータを保存した。今月四〇人目のデザインだった。多い月には一〇〇人をデザインすることもある。彼は気鋭のベイビーデザイナーなのである。
出来上がったファイルのサイズを確認する。ベイビーデザインファイルは一ギガバイトもない。だがこのファイル一つが、一人の人間の未来に多大な影響を及ぼす。自分のやっていることは神の領分を犯す所業なのではないかと思う時もあった。しかし一方では、これはあくまでも依頼された仕事であり、淡々とこなさなければ生活が立ち行かないこともよく理解していた。木瀬は偽善的な倫理観を押し込めてファイルをアップロードした。
「お茶どうぞ」
差し出したのは女子社員の五反田墨子であった。事務所はデザイナーの木瀬と、その他の事務仕事をする五反田の二人しかいない。
「五反田君」
「なんでしょう」
「君はこの仕事をどう思う」
「そうですね……なんていうか……罪深い的な感じ」
「もういい」
十も年下の五反田とは根本的に倫理観が合わなかった。木瀬はため息をついて茶をすすった。
「クライアントから修正指示いっぱいきてます」
「読み上げてくれ。順番に直すから」
木瀬は再びタブレットのペンを取った。簡単な修正ならば聞いたそばから直していける。木瀬の手の速さがなせる技だ。
「室田様。目をもう少し大きくしてほしいそうです」
木瀬はクライアント・室田の子息のファイルを開くと、目的の遺伝子を素早く検索して修正した。プレビューの3D画像の目が少し大きくなった。木瀬はファイルを保存して、五反田に次、と指示を出す。
「池本様。美人にしてほしいそうです」
クライアントからはアバウトな指示が来ることも多い。慣れている木瀬は少し考えてから三種類の顔パターンを出力した。複数案を出してクライアントに選んでもらうのだ。ちなみに本命案一つと捨て案二つである。わざといまいちの案を入れておいて、本命を通し易くする仕事上の知恵だ。
「大月様。黒木メイサっぽいんだけど黒木メイサまんまじゃない感じにしてほしいそうです」
木瀬は黒木メイサっぽいんだけど黒木メイサまんまじゃない感じに修正した。
「小野様。急ぎなのでバランスだけ先に見たいそうです」
木瀬は顔全面に『ダミーです。本校では差し替えます』と書いて送った。
「岡本様。余白が気になるので埋めてほしいそうです」
木瀬は眉をおでこいっぱいの太眉にした。
「クラフト社様。ファイルが読めないそうです」
「その会社はベビレ(Adobe Babylator)の最新版入れたって言ってたはずだぞ」
「割れの上にウイルスだったそうです」
木瀬は互換性優先で出力して送った。
「室田様。目を大きくしてほしいそうです」
「さっき大きくしただろ」
「『ぼんり』くらい大きくしてほしいそうです」
木瀬はしょうがなく『ぼんり』の公式サイトを開き、春田ななくらいの大きさに修正した。
「手塚様。髪の色が頼んだのと違うそうです」
木瀬はクライアントに電話をかけて、髪の色は合っていますディスプレイのせいですと説明した。
「富岡様。お兄ちゃんのことが大大大好きな妹にしてほしいそうです」
「誰の妹」
「富岡様の」
木瀬はクライアントに電話をかけて、貴方の娘は貴方の妹にはなれないのですと説明した。
「富岡様。幼なじみならどうですかだそうです」
木瀬は電話をかけて説明した。
「堤様。可愛い字を書くようにしてほしいそうです」
木瀬はモリサワのはせトッポRを遺伝子に組み込んだ。
「池本様。C案でお願いしたいそうです」
捨て案の方だった。木瀬はテンションが下がった。
「室田様。目を大きくしてほしいそうです」
「春田ななじゃ足りないというのか」
「種村有菜くらいだそうです」
完全に輪郭から飛び出しているが、クライアントの指示では仕方がなかった。木瀬は種村有菜くらいの大きさに調整した。
「あと前髪が目にかからないようにしてほしいそうです」
「前髪を伸ばすなってこと?」
「目にかかるまで伸びるけど目にはかからないようにしてほしいそうです」
五反田が添付された『ぼんり』表紙.jpgを送ってきた。前髪の手前に目があった。木瀬は苦悩の末、眼球を顔から前に飛び出させて目と顔の間に前髪が入るように調整した。プレビューは見ないようにした。
「堤様。漢字も書けるようにしてほしいそうです」
木瀬はモリサワのタカハンドDBを遺伝子に組み込んだ。
「森岡様。名前おまかせでお願いしたいそうです」
木瀬は友美と名付けた。
「森岡様。もっとかっこいいのが良いそうです」
木瀬は
「平井様。背景白でお願いしたいそうです」
「どういうこと」
「背景が白い方が娘が目立つからと」
「背景はもう人体の一部じゃない」
「やり方はお任せするそうです」
難題だった。だが木瀬にもプロの意地があった。結局彼は三日間の苦悩の末、背中の気門から体内の水分を湯気のように噴出して自分の背中側を真っ白にする遺伝子を創り上げた。神デザインだと彼は確信した。二徹だった。
そんな昔のデザインファイルを眺めながら、木瀬は懐かしい気分に浸った。あれから事務所もそれなりに大きくなって、今では八人のデザイナーを抱えて仕事を回している。あの頃はまだ自分と五反田君だけだったなと思い出していたその時、オフィスのドアが開いた。
「パパー!」
入ってきたのは娘の
紗流楼都はまるで小説の表紙のヒロインのような満面の笑みで、遠慮なく背中から湯気を噴き上げた。部屋は真っ白になり、社員の仕事は中断し、火災報知機が鳴り響いた。
デザインは機能を忘れてはいけない。
紗流楼都はそんなデザインの本質を、木瀬に教え続けるのであった。