野崎まど劇場(笑)

作品 No.08 シンデレラアローズ


 二月の神社は閑散としている。

 社務所の中で、宮司の老人は部屋の一角を見つめた。そこには山積みの破魔矢があった。全て正月の売れ残りである。不況の時は初詣客が増えるという経験則を信じた宮司は年末に大量の破魔矢を用意した。七十の老体に鞭を打ち、たった一人で一五〇本の破魔矢を製作した。八本売れた。

 山に歩み寄り、残一四二本のうちの一本を手に取る。

「そろそろ社務所も閉め時かのう……」

《……主よ……》

 どこからか、まるで天女のような美しい声が聞こえた。

《……神主よ……》

「誰だ、いったいどこから」

《ここです、神主よ》

 声に導かれて宮司は目を落とす。

 その声はなんと、手に持った破魔矢から聞こえていた。

《私の声が聞こえますか》

「破魔矢が喋っておられる」

《そうです、神主よ。神職である貴方が私の体を精魂込めて作りました故、矢に神通力が通い、ついには心を宿すに至ったのです》

「なんという奇跡か……ありがたや、破魔矢様、ありがたや」

《畏まることはありません神主よ。むしろ私の方から貴方に詫びましょう》

「詫びと申されますと」

《八本しか売れぬ不甲斐ない破魔矢で申し訳なく思います》

「そんな。こちらこそ破魔矢様を売れ残らせるなどあまりに口惜しく……」

《神主よ、心は同じです。私ももっと売れたいのです……たくさん売れ、国の民に愛され、思う存分破魔りたい……ッ!》

「それは正しい言い回しなのですか」

《私達の業界では一般的な用法です。しかしいくら売れるために尽力したいと思うとも、手足すら持たぬ私にできることなど何もありません》

「破魔矢ですから……」

《神主よ。どうかこの私に力添えを》


  

《これが今の私です》

《普通の破魔矢です》

「普通の破魔矢ですね」

《神主よ、もしかすれば、私は売れている他所の破魔矢よりも少し地味……なのではないでしょうか》

「なるほど……わかりました。吹き流しを増やしてみましょう」

「二色増やしてみましたが」

《そうですね…………微差、ですね》

「もう少しですか」

《もう少し》

「おかしくないでしょうか」

《いいえ有りかと……むしろこう、もっと》

「おかしいですね」

《だめでしょうか》

「色も増やし過ぎましたし……かえって見づらくなった気がいたします」

《そうですね……。ああ、解りました、神通力で見通せました神主よ。神主の孫娘がちょうど良い品を持っていますよ》

《キングブレードX10 Vテン ファイブと申すものです》

「ほほう……暗くしてみましょう」

《すごい。綺麗。これならば夜の参拝客が皆寄って来るのではありませんか》

「社務所が十五色に光っていたら何事かとは思うでしょうな」

《しかしこうなると、相対的に他の部分が地味に見えてきますね。矢羽とか》

「羽ですか……そういえば、孫娘がダウンジャケットを捨てるなどと言っておりました」

《良い。良いです。振り袖のようです》

「高そうになりましたね」

《東京ガールズコレクションのようです》

「なんですかそれは」

《孫に伺いなさい。さて首元が絢爛になりますと、今度は下の方が裸というのが急に恥ずかしくなってきましたね》

「ビニール袋はかけるつもりですが」

《シースルーはもっと恥ずかしく……》

「どういたしましょう」

《孫に》

「人形の服を借りてまいりました」

《麗しいです。ほぼ完璧です。が、一つだけ》

「なんでしょう」

《私、脚には少々自信がありますゆえ、もう少しスカートなど短くしてもよいですよ》

《上げ過ぎ、ダメ、エロいです》

「すみません、よくわかりません」

《うん。グッときますか神主よ》

「持ちやすくはなったと思います」

《さあ、もうこうなっては絵馬も変えてしまいましょう。迎春とか書いてあっても何が言いたいのかよくわかりませんし》

「本当に破魔矢ですか破魔矢様」

《不敬な》

「ハハーッすみません。しかし破魔矢様、絵馬を変えるとおっしゃいましても、干支以外ですと花や達磨の絵くらいしかございませんぞ」

《神主、耳を》

「なんです」

《実は昨今》

「はい」

《痛絵馬というのが流行っているようです》

「孫娘に描いてもらいましたが」

《これが……私……》

「最初とは完全に別物になりましたな」

《神主よ。全て貴方のお陰です。私は生まれ変わりました。これならば馬鹿売れ間違いなし、そしていずれは世界中の民衆を神道に……》

「ただこうしてみますと破魔矢様は……」

《なんです》

「もう破魔矢でも何でもないですね」

《ハッ!》

 宮司の指摘に、破魔矢は呆然と立ち尽くす。

《破魔矢ではない……つまり私は売ることに躍起になるあまり破魔矢としての本質を見失っていたと……矢羽を失い、吹き流しは流れず、あげくエネループ必須になってしまった私はもう破魔矢などではなく……もうただの……ただの…………なんでしょう……》

「わかりません」

《売れる破魔矢になりたかっただけなのに……》

 消沈の破魔矢からは神々しい威光が失われていた。破魔矢はしゃがみこみ背を丸めその場で蹲ってしまいたかったが矢だから出来なかった。

 しかしその時。

《何をショボくれているのです》

 突然、別の破魔矢が口を開いた。

《破魔矢……》

《こんなことで自信を失ってどうするのです。リーダーの破魔矢がそんな調子では、私達他の破魔矢まで落ち込んでしまいますよ》

《そうです》

《破魔矢……》

《売れる破魔矢になるんでしょう? 民に買ってもらって破魔りまくるんでしょう?》

《ええ……そうですね、その通りです》

 破魔矢は、矢が通ったように背筋を伸ばした。

《プロデューサーよ》

「宮司です」

《私は、私達はやります。必ずや売れて、日本中を破魔ってみせます! さあ! 孫娘に連絡を!》

 こうして破魔矢達は神社の節分祭の能舞台で、破魔矢ユニット『神棚ハマり隊』としてデビューを飾った。その神々しいパフォーマンスは一躍話題となり瞬く間に国民的人気を得たのだが、絶頂の最中、彼女達は突如として姿を消した。活動期間はたった十一ヶ月。閃光のように駆け抜けたアイドルであった。

 彼女達の行方を知るのは年老いた宮司と、神社の裏に立ち昇る一筋の煙だけである。

刊行シリーズ

独創短編シリーズ2 野崎まど劇場(笑)の書影
独創短編シリーズ 野崎まど劇場の書影