野崎まど劇場(笑)

作品 No.19 メーユー夏バリューチャレンジ


 中島敏男は新品のスマートフォンの背を見つめた。白色の曲面が真珠のように美しかった。

「気になる傷などはございませんでしょうか」

 携帯電話キャリア『ME-YU』の女性社員は、手袋をした手で新品の携帯を差し出して確認を促す。中島は本体を慎重に回して眺め、大丈夫ですと答えた。その持ち慣れない手付きを見て、店員は穏やかに微笑んだ。

「スマートフォンをお持ちになるのは初めてでいらっしゃいますか」

「ええ……はずかしながら」

 中島は難しい顔をしながら、自分がこれから持つことになる新しい電話を見つめる。

「携帯なんて会社と電話が繫がればそれでいい。そう思って、もう十五年も同じ物を使ってきましたが……最近少し思うところもありまして」

「思うところとおっしゃいますと」

「中学生の娘が、本当に一日中スマートフォンを眺めているのです」

「まぁ。でも今のお子さんは、皆さんそうですから」

「ええ、私も娘から電話を取り上げようなどとは思いません。妻と別れて以来、娘には寂しい思いをさせてきましたから……。ただそう思った時、私はやっと気付いたのです。今まさに寂しい思いをさせているのはスマートフォンすら使えない自分なのだと。娘とコミュニケーションを取るために、新しい電話を臆さず手に取って使いこなすことが必要なんだと解ったのです」

「素敵なお父様ですね」

「とはいえ、いまだチンプンカンプンでして……」

「ご安心ください中島様」

 女性店員は洗練された笑顔を中島に投げかける。

「我が社『メーユー』ではスマートフォン向けの様々なサーヴィスを提供しております。その中には中島様とお嬢様のコミュニケーションを円滑にするツールが目白押しです。これからデータ移行のお時間を利用しまして、私メーユーユーザーアシスタントの綾瀬が中島様にぴったりのサーヴィスをご紹介させていただきたいと思います」

「私にもスマートフォンが使えるようになりますか」

「メーユーユーザーアシスタントの名にかけまして保証致します」

 そう言って綾瀬は様々なサーヴィス名の書かれた書類を卓上に出した。メーユー各種サーヴィスの申し込み用紙には、項目名とチェックボックスが整然と並んでいる。

「それでは上から順番にご紹介させていただきます。まず外せないのがこちら『メーユーアテンダントゲート』です」

「それははいったい」

「こちらはメーユーの定額会員サーヴィスになりまして、『メーユーアプリゲート』『メーユーソングゲート』『メーユーブックゲート』『メーユービデオゲート』などから様々なコンテンツがダウンロードし放題に。お嬢様のキャリアもメーユーでしたら間違いなく加入されているはずですから、共通の話題がぐっと増えて会話も弾むことでしょう。月額三七二円で大変お得なサーヴィスとなっております」

「なるほど……じゃあそれをお願いします」

 かしこまりました、と頷いて綾瀬は書類上のボックスにチェックを入れた。

「続きましてこちら『メーユーショッピングコンパス』もお嬢様とのやりとりの要になるかと」

「それは」

「街でのお買い物、通信販売、グルメ等の紹介とクーポンの総合サーヴィスでございます。こちらもお嬢様はご使用のはず。お支払いは『メーユーパーソナルバンク』で簡単おまとめ、『メーユーノーハブマネー』を併用すれば外でも小銭いらず、さらに『メーユーオーヴァードーズ』にお入りいただけたら返済能力を超えたキャッシングも可能となっております」

「怖いサーヴィスがあるのですね」

「使い方にさえ気をつければ有益なサーヴィスですわ。こちらも是非」

「ではそれも」

 綾瀬は項目にチェックを入れた。

「お嬢様の心証を上げるならば『メーユービルドマッスル』もおすすめですわ」

「それは」

「中島様のトレーニングをサポートする総合サーヴィスです。『メーユーランニングパートナー』で走行カロリーを計測、『メーユーバーベルカウンター』はバーベルを上げた回数を数え、『メーユーウェイトスケール』は体重を記録いたします」

「この電話機で体重まで測れるのですか」

「いえ体重計でお測りになってから打ち込んでください」

「メモ?」

「『メーユーウェイトスケール』です」

「必要だろうか……」

「お嬢様のためにも、ぜひ健康的でたくましいお父様に」

 中島が頷き、綾瀬がチェックを入れる。

「そして女の子にダントツの人気を誇りますのが総合メイク管理サーヴィス『メーユーフェイスファンタジー』ですわ」

「化粧ですか」

「中学生といえばお化粧の目覚め。お嬢様は興味津々のはず。こちらの『メーユーミネラルファンデ』は美しい下地を作り、『メーユーボリューミーマスカラ』は豪奢な瞳を演出、『メーユーキャンディーリップ』の透明感発色も抜群です」

 綾瀬はテーブル下から取り出した化粧品を並べた。

「これが家に届くんですか」

「総合メイク管理サーヴィスですので。月額一万二千円になります」

「高い」

「きっとお嬢様はお喜びになりますわ」

「むぅ……」

 中島が半分ほど頷いたところで綾瀬はチェックを入れた。

「お化粧を始めたらお嬢様もすぐに高校生。『メーユーサテライトゼミナール』ではお嬢様の大学受験を一年生からサポートいたします。『メーユーオープンキャンパス』の情報も充実。『メーユープラクティステスト』でA判定を確保して、卒業前には『メーユードライビングスクール』で免許も取っちゃおう」

「気が早すぎませんか」

「お嬢様の前途を考えるのに早すぎるということはありませんわ」

 綾瀬は勝手にチェックを入れた。

「そしてもちろんお嬢様だけでなく中島様ご本人へのサーヴィスも多数ご用意しておりますわ。持ち家ですか」

「借家です」

「ならば迷わず『メーユーマンションギャラリー』。現在建築中の『メーユータワーレジデンス』は『メーユー1LDK』から『メーユー4LDK』まで『メーユーカスタムオーダー』、『メーユーサイドビーチライン』にも『メーユーダイレクトアクセス』ですわ」

「ちょっと意味が」

 横浜線から近いです、と綾瀬は言い直す。

「しかし家は流石に……娘も大きくなれば出ていきますし」

「中島様。そんな時こそ『メーユー住宅ローン』をご活用いただいての『メーユー二世帯住宅』です」

「日本語でもいいんですか」

「なにか?」

 中島は釈然としないものを感じたが我慢した。

「『メーユー耐震建築』の『メーユー環境共生住宅』で一〇〇年持つ家をお嬢様に。ご相続のご面倒も『メーユー相続セミナー』『メーユー遺言サポート』でバッチリ。最後は『メーユーファイナルセレモニー』で華々しい旅立ちをご提供いたします」

「葬儀ですよね」

「『メーユーファイナルセレモニー』です。さ、お嬢様のために」

「私が死んだ方が娘は喜ぶと……」

「そういうわけではございませんが『メーユー立つ鳥跡を濁さず』とも申しますし……」

「そうですな……中学生の時点ですでに娘と距離ができつつある私では、この先娘に好かれる可能性は薄いのかもしれませんな……」

 中島が意気消沈したので、綾瀬はその隙にチェックを入れていった。だが一〇六個目まで埋まったところで綾瀬の肩に手が置かれる。やつれたスーツの男は責任者のようだった。

「綾瀬君。メーユーユーザーアシスタントからメーユーサーヴィスの無理強いはいけませんよ」

「福留メーユーショップオペレーションリーディングコンダクター」

「替わりましょう。綾瀬君はメーユーグリーンティーを」

 綾瀬は不服そうにお茶を淹れに行った。福留は書類のチェックを消しゴムで消していく。

「若い社員が申し訳ありません」

「いえ……店員さんの言う通りです。中年の私が今更背伸びしたところで、中学生の娘に愛される光景など幻です……」

「中島さん」

 福留は全てのチェックを消し終えると、自分の疲れた手を見つめて呟く。

「私もね、この歳までメーユーショップオペレーションリーディングコンダクターとして、メーユーラブリーマイファミリーのためにそれはもうメーユーっぱい働きました。しかしメーユー深夜帰宅が続いた結果メーユー家庭内別居……昨年ついにメーユー熟年離婚となりました」

「福留さん……」

「大丈夫、あなたにはまだメーユーお嬢さんがいます。どうか私のようになる前に」

 ぽたりと書面に水がこぼれた。

 中島はその水跡をハンカチで拭いて、福留の肩を軽く支える。

「飲みますか」

「中島さん…………綾瀬君! やっぱりメーユー淡麗辛口もってきて!」

 福留の声が店内に響き、番号札を取ったまま延々と待たされ続けていた数人のお客が切れそうになったその時であった。

 メーユーショップのガラスの外に、突如強靭な鋼鉄製のシャッターが落下した。店内の全員が戸惑う一瞬の間に四方が塞がれ、メーユーショップが完全な密室と化す。

《ククククク……》

 店内のスピーカーから電子音声の不穏な笑いが漏れ出した。福留はこの異常な状況に心当たりがあった。

「まさかこれが噂に聞いていた……『メーユーデスゲーム』!」

「それはなんですか」

「メーユーショップに来店のお客様全員が強制的に参加させられるメーユーユーザーの不可避サーヴィスです。ゲームが終わるまでショップから出られません」

《勝ち残ったものは機種変無料……》電子音の声が説明する。《負けたものはメーユーからのメールを全て受け取るにチェックを入れてもらう……》

 一日十五万件きます、と福留は言った。中島は嫌だなと思いつつも、同時に機種変無料の言葉に強く惹かれていた。家計簿をつけている節約家の娘には、無料が何よりのアピールとなるはずだ。負けられない。

《勝負は『メーユー全サーヴィス山手線ゲーム』……始め!》

 中島、綾瀬、福留、うんざりした客数人で山手線ゲームは始まった。

 早い勝負となった。うんざりした客はそもそもやる気がなく早々に脱落した。メーユーショップオペレーションリーディングコンダクターの福留は店長になって以降接客から退いていたためサーヴィスの知識が甘くなっており三周目で脱落となった。戦いはメーユーサーヴィスの圧倒的知識を持つ綾瀬に対し、素人の中島が必死で食い下がる形となった。

「『メーユーイルカセラピー』」ピンポン

「メ……『メーユーグルコサミンサプリメント』ッ」ピンポン

「『メーユー山盛りポテトフライ』」ピンポン

 綾瀬は二十万を越えるというメーユーサーヴィスを次々と繰り出してくる。対する中島はメーユーに適当な単語をくっつけてみて偶然当たるのを祈るというあまりにも綱渡りの展開であった。

「メー……メーッ……」

「苦しそうですね、中島さん。もう諦められた方がよろしいんじゃありませんか」

「く……貴方こそ別に機種変更する気もないでしょうになぜそこまで……『メーユーホームラン競争』!」ピンポン

「広告メール嫌なので。『メーユー土方歳三資料館』」ピンポン

 中島に勝ち目はなかった。相手はメーユーの鬼である。しかし娘のために負けるわけにはいかない。帰って機種変無料を報告し、娘の満面の笑みを手に入れるため……。

 とそこまで考えた瞬間、中島の肩から力が抜けた。

 彼はふっと笑い、柔らかな顔で答えた。

「『メーユーソフトバンビ』」

 ブー、という音が鳴り響く。中島が答えたのはメーユーには絶対にありえないサーヴィス。競合他社の名前であった。

「中島さん」綾瀬は驚いて中島を見る。その誤答は明らかに故意だった。「どうして……」

 ガシャンガシャンとシャッターが開き、メーユーショップの中に眩しい陽が差し込んでいく。付き合わされていた客達が罵声を飛ばして店を出て行く中、中島は日差しに眼鏡を反射させながら、年若い店員に優しく微笑んだ。

「女性を負かしてまで無料にしてきたなどと言ったら、娘に怒られてしまいますからな」

「中島さん……」

 綾瀬は潤んだ瞳で中島を見つめた。

 中島の眼鏡に、綾瀬が映り込んでいた。

「メーユーやさしいキス……」

「しない、しないから」



 その後、結局中島は綾瀬の勧めるまま各種メーユーサーヴィスに加入し、『メーユーデートコースナビ』『メーユーエンゲージリング』『メーユー歳の差ウェディング』を経て現在は家族三人で『メーユー環境共生住宅』でそれなりに幸せに暮らしているのであった。娘はソフトバンビに換えたのであった。

刊行シリーズ

独創短編シリーズ2 野崎まど劇場(笑)の書影
独創短編シリーズ 野崎まど劇場の書影