少女星間漂流記

運の星

 どうしてこんなことになっているんだ……。

 リドリーは狼狽していた。

 足元には少女が倒れている。

 ワタリだ。


(ありえない)


 リドリーの知る限り、こと戦闘においてワタリが敗北することなどありえない。

 そのワタリが、屈服させられて動けずにいる。

 ワタリは震えた声でリドリーに言う。


「逃げ、て……リドリー……」


 冷汗をかきながらも、リドリーは余裕ぶってワタリにウインクを返した。


「おいおい、私は君のためなら命なんて惜しくないんだぜ」


 ワタリの前でみっともない姿は見せられない。だから強がってみせるが、内心は焦っている。


(信じられないことだが……)


 ワタリは負けたのだ。


「く、くふふふふ……」


 目の前で不気味に笑う男、ピネスに。

 貧弱そうで、骨と皮だけに見えるこの男に。


「これでワタリさんは僕の妻だね、もらっていくよ」


 ワタリは負けたのだ。

 ジャンケンで……。


 その日、二人はいつものように新天地を求めて旅をしていた。


「次に行くのはどんな星?」

「運の星らしい」

「運?」

「うん。運が良い人間ほど偉い星とのことだ」



 降り立った星は、文明レベルがそこそこ高いようだった。

 奇妙な造形のビルがあり、車と思しきものが走っている。車には女神と思われる女性が刻まれたエンブレムがついていた。

 この星の人々は、全体的にやや痩せぎすで筋肉量が少なそうだった。

 特徴的なのは、手が三本あること。

 町のいたるところでかけ声が聞こえてくる。


「ジャーンケン……」


 掛け声を背にリドリーとワタリはカフェに入った。

 宇宙の共通言語で書かれたメニューを見て、二人はパフェを注文することにしたが……。

 気がかりなのが値段だった。


「やたら高いね……」


 どう贔屓目に見ても、銀河の平均価格の倍の値段が付記されている。


「でもよく見ると、値段の隣に無料とも書かれてる」


 店員を呼んで、事情を聞いてみた。

 痩せぎすで手が三本ある女性店員は答えた。


「運比べで勝った方には無料とさせていただいております」

「運比べ?」


 店員が検めるようにワタリとリドリーを見た。


「お客様方は地球人ですね?」

「ええ」

「では、ジャンケンがよろしいかと」


 店員はにゅっと手を突き出してきた。


「なるほど。わかりやすい運比べだ」


 リドリーがほくそ笑む。


「ワタリ、やっておしまいなさい」

「えっ……でも……」

「行きなさい、さあ」

「リドリーがそう言うなら……」


 ワタリが前に出る。

 店員が発声する。


「それでは行きますよ。ジャーンケン……」


 ワタリと店員が同時に手を出す。


「ポン!」


 ワタリがチョキで、店員がパーだった。

 店員がワタリを祝福する。


「素晴らしい。お客様、幸運の女神が微笑んでいるようですね」

「これでパフェ代は無料?」

「ええ、もちろん。それだけではありません。今回のお会計、全て無料とさせていただきます」

「えっ、本当かい!」


 リドリーもワタリも目を輝かせた。


「この星では、運が良い者が偉いのでございます。幸運の女神が味方しているということでございますから」


 そういえば町の中心には手が三本の女神像が立っていた。

 今にして思えばアレは幸運の女神像だったのだろう。

 二人はたらふく食べて、特に食いしん坊のワタリはこれでもかというくらいに食べて、カフェを後にした。

 二人は町を歩き、ウインドウショッピングを始めた。

 リドリーの足が宝石店の前で足を止まる。


「ほほう……」


 宝石に付けられた値札には「幸運者は無料」と書かれていた。

 にやにやと笑うリドリーを、ワタリがジトっとした目で見た。


「リドリー……良くないことを考えているでしょ」

「いやいや、そんなことは」

「いやらしいことを考えている顔してるよ」

「そんなことはない。さあ、宝石をいただきに……いや、買いに行こうか!」


 二人は宝石店の扉を開けた。

  


「辿り着いた、ここが理想郷……!」


 リドリーとワタリの手には宝石が大量に詰まった袋。

 全てワタリがジャンケンに勝利して手に入れたものだ。


「こんなことなら、この国の通貨はいらなかったなぁ。せっかくいくらか両替してきたのに」


 リドリーは女性の顔が彫られた金貨を指で弄んだあと、ポケットにしまった。


「ワタリ、次は不動産屋に行くよ! 不動産! 不動産だよ! ついに私たちが家を持つんだ」


 リドリーは少し、泣く。


「根無し草だった私たちが……。豪邸を持てるんだ」


 だが、ノリノリなリドリーとは真逆にワタリは乗り気ではない。


「リドリー、もうやめよう? また私をジャンケンで勝たせて手に入れるんでしょ?」

「何を遠慮しているんだい! それがこの星のルールなんだよ。幸運の女神が微笑む方が偉いって、カフェの店員も宝石商も言っていただろう?」


 ジャンケンで連敗した宝石商は、ルールに従って大人しく宝石をリドリーらに持たせてくれた。……悔しそうな顔はしていたが。


「でもさ、私たちのはズルだもん……」


 ワタリは、ジャンケンで負け知らずだ。だが、それは運が良いからではない。

 彼女は極めて動体視力が良い。

 だから、ジャンケンをする時、相手が振り下ろしている拳がどんな手か見えてしまうのだ。


「ズルなんかじゃないよ。ワタリは相手の拳を人よりちゃんと見てるってだけじゃないか。それは反則じゃない。さあ、次行こう次!」


 意気揚々としたリドリーがワタリを先導する。

 だが、彼女らの行く手に人が立ちはだかった。


「君が幸運の女神が微笑んでいるという噂の少女、ワタリさんかい?」


 声をかけてきたのは、高そうな皮のコートを纏った青年だった。

 貧相な体つきだが、全身から気品のようなものを纏っている。

 何より特徴的なのは、全身からあふれる絶対的な自信だ。湛えている笑みはまるで生まれてこの方、敗北を経験したことがないといった風だった。

 青年の背後には女性がいた。その女性は青年とは真逆に不安そうで、おどおどしていた。


「ひっ……」


 知らない人に声をかけられてびっくりしたワタリが、リドリーの背後に隠れる。

 だから、ワタリの代わりにリドリーが対応する。


「あなたは?」

「僕は運の王」

「運の王」

「名はピネス。早速だけどワタリさん、僕と運比べしてくれるかな」


 リドリーが答える。


「見返り次第ですね。勝ったら何をしてくれるんです?」

「この星をあげるよ。僕はこの星で一番運が良い男で、王なんだ。ついでに王宮もあげる」


 リドリーがほくそ笑む。


「不動産に行く手間が省けたな」


 王宮をもらえるとは渡りに船である。


「その代わり、ワタリさんが負けたら僕の妻になってもらうよ。僕は、この星で一番運のいい女性を伴侶にすると決めてるからね」

「かまいません。さあ、行きなさい、ワタリ」

「ええ……私、まだ結婚なんて……」

「大丈夫大丈夫。負けやしないんだから」

「……リドリーがそう言うなら」


 ワタリがおずおずと前に出る。


「勝負を受けてくれてありがとう、ワタリさん」


 ピネスはにこやかに微笑んだ。


「さて……」


 ピネスは、背後に控えていた女性に言う。その女性はピネスの妻だった。


「僕は新しい妻を迎える。君はもう用なしだ。消えてくれ」

「そ……そんな……!」


 女性は悲憤した。


「どうかお考え直しください。私はあの日、あなたと運試しに負けてから、ずっとあなたのお傍にいたのです。あなたの子を三人も生みました。今になって捨てられては、子供たちをどうやって食べさせていけばいいんですか」

「運が良ければなんとかなるでしょ」

「そんなご無体な……」


 ピネスの足に縋りつきながら、女性は乞う。


「せめて……せめて最後にジャンケンさせてください。それで負けたら、大人しく去ります」

「うるさいな。君との運比べは三年前だか四年前だかに決着がついているだろ。興味ないね」


 ピネスは女性を蹴り飛ばした。女性は唇を切って、ピネスの後ろへと転がった。


「ひどい……」


 思わずワタリは女性に駆け寄った。そして抱き起そうとしたが、女性は失意と絶望のどん底にいて立ち上がれなかった。

 だがピネスはそんな女性は意に介さず、にこやかにワタリへと向き直った。


「待たせてごめん。さあ、運比べを始めよう」


 対峙するワタリの目には、静かな怒りが灯っていた。


「……この人の妻には、死んでもなりたくないな」


 ワタリは決意した。全身全霊を以て、このジャンケンに臨むことを。

 そして、必ず勝利すること。


「いくよ、ジャンケーン……」


 ワタリは最大限の集中力を以て、ピネスの手を見た。

 彼女の動体視力を以てすれば、止まっているも同然の動きだった。

 ピネスの手が振り下ろされる。

 五本の指、全てが緩く開いていくのが見えた。


(パーの形……!)


「ポン!」


 ワタリはチョキを出した。

 そして、唖然とした。

 眼下の光景をワタリは信じられない。


「……嘘」


 どういうわけか、相手の手はグーだった。


「どうして……」


 ワタリは困惑する。だが、困惑しているのは、ピネスも同じだった。


「あれ? おかしいな。パーを出したつもりだったんだけど、どうしてグーが出てるんだろう。なんだか途中で指に痛みが走って動かなくなったんだよね……。でも、まあいっか。勝ったんだし」


 結果オーライとピネスは笑った。


「事故で勝つなんて、僕って本当についてるなぁ」


 ピネスはワタリに近付くと、その腕を掴んだ。


「あっ……」

「さあ、君は今から僕の妻だ。一緒に結婚式場の手配に向かおう」

「ひぃっ……!」


 対人恐怖症のワタリが小さく悲鳴を上げた。


「は……放して!」


 乱暴に腕を振りほどく。

 ピネスはにこやかな態度を崩さずに言った。


「ダメだよ、そんなことしたら。幸運の女神様が天罰を下すよ」


 途端、ワタリが地面に伏した。


「あ……ぐあ……!」

「ワタリ!」


 突然倒れたワタリへリドリーが駆け寄って起こそうとする。でも、びくともしない。

 地に伏しているワタリの姿は、まるで見えない何かに上から押さえつけられているようだった。ありえない。強靭な肉体を持つワタリが一方的に組み伏せられるなど。


「一体何が……」


 目に見えない力の存在を感じて、リドリーは眼鏡を取り出す。ただの眼鏡ではない。

 ダイヤルで度数を調整すると、目に見えないものが見えるようになる眼鏡だ。

 度数を合わせて、ワタリを見る。


「な、なんだコイツは……!」


 ワタリの上に何か得体のしれない生き物が乗っている。

 それは女性の姿をしていて、手が三本あった。

 全ての手に大きな歯車を持っていて、ワタリを戒めている。

 この女にリドリーは見覚えがあった。

 町の広場に、車のエンブレムに、金貨の中に。

 この女はいた。


「幸運の女神……!」


 それはこの星を司る女神なのだった。

 幸運の女神は、あの強靭なワタリを一方的に押さえつけている。恐ろしい力の持ち主だとまで考えたところで、リドリーは考え直す。


(いや、おそらく力が強いというのは少し違う。この女神はきっと『ルール』だ。この星では、運比べで負けたのに勝者の言うことを効かない奴は、この女神の姿をした『ルール』に戒められるんだ)


 だから、宝石商はワタリにジャンケンで連敗して悔しがりながらも素直に従っていたのだ。


(私の経験上、この手の存在には物理的干渉は不可能。攻撃しても無駄)


「く、くふふふふ……」


 ピネスが穏やかにワタリに言う。


「これでワタリさんは僕の妻だね、もらっていくよ」

「う……うあ……」


 ワタリが立ち上がろうとする。否、立ち上がらせられている。

 女神が歯車で戒めて、無理矢理立たせようとしているのだ。


「待てぃ!」


 リドリーが弾けるように叫んだ。


「私とジャンケンしろ。勝ったらワタリは返してもらう」


 ここでピネスは初めて冷酷な表情を見せた。


「……僕、嫌いなんだよね。他人の運に乗っかるしかできない奴がさ……。そういうゴロみたいな連中……」


 平坦な声でピネスは言う。


「ジャンケン、してあげてもいいよ。でも、僕が勝ったら、君は死んでね?」

「かまわないとも」

「リドリー、逃げて……!」

「おいおい、私は君のためなら命なんて惜しくないんだぜ」


 リドリーは冷汗をかきながらも、余裕ぶってワタリに向かってウインクをする。

 今、ワタリが捕まっているのは自分のせいだ。

 リドリーが調子に乗ってジャンケンさせたから、捕まった。

 だったら、助けるのに命を懸けるくらい当たり前のことだ。


「さっさと終わらせよう」


 ピネスが面倒くさそうにリドリーが対峙する。


「ジャンケーン……」


 ピネスが拳を振り上げて、振り下ろす。

 リドリーは拳を振り上げる代わりに、スカートの裾を軽くめくった。

 太ももにはホルスターが巻き付いている。

 そこからレディースのピストルを抜いた。


「ポ……」


 パンという乾いた音が響いた。


「付き合ってられるかよ」


 リドリーは一切の迷いなく、ピネスに発砲していた。

 リドリーは格別ジャンケンが強いわけじゃない。

 ワタリのように動体視力に優れているわけでもない。

 だったら、相手を殺してしまえばいい。

 それが、確実にワタリを回収できる手だ。

 ジャンケンの相手を殺してしまえば、無効試合だ。勝ちも負けもないのだから、幸運の女神だって手を出せまい。

 そう踏んだのだが。


「ゲスだね。君は……」


 弾は、ピネスに届いていなかった。

 リドリーはピストルの扱いが下手だし、運動神経も悪いが、今回はそういう問題ではない。

 至近距離から撃ったのだ。外れすわけがない。


「ちっ……」


 銃弾は、ピネスの眼前で停止していた。

 幸運の女神が、弾丸を抓まんで、止めていた。

 二人目の女神。ワタリを拘束しているのとは、別の個体だった。


「いけないな、ルール違反は。女神が天罰を下すよ」


 ピストルを持っている手を何かが打ち据えた。


「いたっ……」


 ピストルが手を離れ、地面を転がっていく。ピネスの背後まで滑っていった。

 その時、リドリーは背後に気配を感じた。

 気付けば三人目の幸運の女神が、リドリーの後ろに現れていた。

 三人目の女神は、三本の手に持つ三つの歯車でリドリーの体を挟み込んだ。


「ルール違反は、二回で反則負けだよ」


 ぎりぎりと締め付けてくる歯車が痛い。


「うう……」


 骨が軋んでいるのを感じる。おそらく、負けたら自分はこの歯車に潰されて死ぬ。

 手だけは自由だった。歯車の隙間から手を伸ばす。まるで助けを求めているかのように。


「わかった。ジャンケンしよう……」


 もう、するしかない。たとえ勝ち目がなくても。

 リドリーは考える。もう彼女に出来るのはそれだけだ。ジャンケンに勝つ方法を考える。


(そもそも何故ピネスはワタリにジャンケンで勝てたのか)


 理屈の上では決して負けないワタリに、いったいどうやって。

 途中で指が動かなくなったと彼は言っていた。指に痛みが走って事故的にグーが出たと……。

 戸惑うリドリーを嘲るようにピネスが言った。


「教えてあげるよ、どうして僕がジャンケンに強いのか」

「うん。ぜひ教えてもらいたい」


 こういう時のリドリーには恥も外聞もない。生き延びるためなら敵の靴だって舐める女だ。


(何でもいい。何か話させれば、攻略のきっかけが得られるかもしれない)


「それはね、僕がただただ……運が良いからなんだ。君みたいな不幸で惨めな人間には理解できないだろうけど」


 昔からそうなんだとピネスは言った。


「飛行機に乗ろうとしたら、お腹が痛くなって乗り過ごしたことがあった。でも、それでよかったんだ。その飛行機、墜落しちゃったから。町を歩いていてさ、靴紐がほどけたから立ち止まって結んだんだ。そうしたら、目の前に工事の鉄骨が落ちてきたんだよね。危なかったなぁ、もし靴紐が切れていなかったら死んでいたよね。実際、僕の目の前で男の人が潰れていたし……。さっきのジャンケンも同じさ。パーを出そうとしてたのに、突然指が痛くなって開かなくなったんだ。それでグーになった。そうしたら勝てた」


 ピネスはリドリーを見下して言った。


「理解したかい。これが本当に運が良いってことなんだ」

「なるほど……わかった。君は本当に運が良い人間なんだな」


 なら、リドリーに勝ち目などない。

 幸運なんて目に見えないものに、どうやれば勝てるというのか。


「無駄だよ……どんな小細工を弄そうと。僕の幸運の前には……」


 目の前の男から威圧を感じる。

 無理もない。ここにいる幸運の女神、いや、この星にいるすべての幸運の女神がピネスの味方なのだから。

 リドリーは目を伏せた後、細く息を吐いて言った。


「後生だ。ジャンケンの発声は、私に任せてくれるかな」

「かまわないよ。死にたい時に死なせてあげる」


 歯車で拘束されたリドリーには、もう片手しか自由はない。

 だが、リドリーはその唯一動く手で、ピネスを指して言った。


「宣言してやる」


 リドリーは不敵に笑った。


「このジャンケン、私が100%勝つ」


 だが、その宣言を、運の王は取り合わない。


「程度の低い揺さぶりだ……」

「揺さぶりなんかじゃない。先に教えておいてやる。君の敗因は、人の心を弄んだことだ」


 リドリーは見つめる、ピネスの後方を。

 そこにはピストルが転がっている。リドリーのピストルだ。女神にはたき落とされてピネスの後方まで滑っていったのだ。

 そう、後方まで。

 それは事故的に滑っていったものではない。

 わざとリドリーがそこへ滑らせたのだ。

 女神にはたき落とされる直前、手首をスナップさせることで。

 ピストルの傍らには、捨てられた元妻がいた。

 よろよろと立ち上がった元妻がピストルを拾い、ピネスに突き付けるところだった。


「アンタなんてぇえええええええええええ!」


 元妻が引き金に指をかける。


「!」


 咄嗟にピネスが元妻へと振り返りそうになる。

 焦るピネスを見て、リドリーは「今だ」と確信する。

 発声を始めた。


「いくぞ、ジャンケーン……!」


 リドリーはこの瞬間を待っていたのだ。


(予想通り、女神たちが動く気配はない!)


 元妻は完全なる第三者。第三者による妨害はルール違反に該当しないのだろう。後は元妻が引き金を引くだけでリドリーの策は完了する。


「くっ……!」


(小賢しい! 元妻に僕を殺させようって作戦か……!)


 さすがのピネスも動揺した。銃弾から身を守りそうになる。

 だが、彼は咄嗟に思い直した。


(僕は運の王。己の運に誇りがある)


 僕は幸運の女神に愛されている。

 腹痛で飛行機事故を回避し、靴紐がほどけて鉄骨を避け、指の痛みでワタリを負かした。 

 ならば。

 自分が真に幸運の女神に愛されているならば。

 ――きっと銃弾は詰まって発射されない……!

 だから、ピネスはピストルの方を振り向かなかった。

 ここで撃たれて死ぬならば、自分の運はその程度ということ。


(信じよう、自分の運を)


 ピネスはリドリーだけを見て、拳を振り上げた。

 揺らぐことなく自分を見据えるまなざしを感じたその瞬間、リドリーはピネスのことを敵ながら大した奴だと思った。


(この状況で本当に自分の運を信じられるなど!)


 背後には、ピネスの後頭部に銃口を突きつけている女がいるというのに!

 リドリーは不覚にも少しだけピネスを見直してしまった。彼は屑だが、彼なりの信念があるようだ。それをとても強くて美しいと感じてしまったのだった。

 ならばまた、自分も全霊を以て応えよう。それが礼儀だと柄にもなく思った。

 ピネスが、


(僕は運の王。だから、)


リドリーが、


(敵は運の王。それでも、)


 拳を振り下ろす。

 この瞬間、二人の想いは重なり合った。


(――絶対に負けられない!)


「ポン!」


 決着がつくのは一瞬だった。

 銃声は、聞こえなかった。


「そんな……」


 元妻の絶望した声が漏れる。

 元妻がトリガーを引く、カチカチという音が虚しく響いていた。 

 弾が詰まっていた。

 幸運の女神はピネスに微笑んでいた。


「馬鹿な……」


 だが、絶望していたのは元妻だけではない。


「何故、運の王たるこの僕が何故!!」


 ピネスの手はグー。

 リドリーの手はパーだった。


「何故、運に見放されているんだ!」


 リドリーは呟く。その声には敬意が込められていた。


「君はすごいヤツだ。本当に銃を詰まらせるとは。確かに君は幸運の女神に愛されている」


 だが、とリドリーは繋いだ。


「気付いていなかったようだな、君の幸運は完璧じゃないことに」

「完璧じゃない……だと?」


 リドリーは静かに説明する。


「飛行機が墜落する前に、お腹が痛くなったと言ったね。鉄骨を回避する時は、靴紐がほどけたとも。ワタリにジャンケンで勝った時には、指に痛みが走った。君の幸運は、必ず小さな不運と一緒に訪れる。だから、私は待ったんだ。君に幸運が訪れるのを。そして……『殺されかけるのを回避する』という特大の幸運が訪れるタイミングでジャンケンを仕掛けた。私のジャンケン(不運)を、幸運の隙間にねじ込むために」


 元妻に銃撃させるのもあくまで布石。

 リドリーの狙いはあくまでその先、ジャンケンでの純粋な勝利だった。

 幸運という目に見えない敵をねじ伏せた先にあるもの、彼女の目は最初からそれだけを見ていたのだ。

 リドリーはもう一度告げる。


「宣言通りだ。このジャンケン、私の勝ちだ」

「あ、ああ……」


 ピネスはボロボロと泣き出した。


「泣いても遅い。もう少し奥さんに優しくするんだったね」

「違う」


 ピネスは笑いながら泣いていた。


「僕は今、感動して泣いているんだ。こんなにも美しい女性がいるなんて……。この僕を負かす激運の持ち主。君はまさに幸運の女神だ、リドリー……」


 思わずリドリーはたじろいだ。


「えぇ……」


 ピネスはリドリーの両手をガシッと掴んだ。


「どうか僕を夫にしてほしい。いや、下僕でもいい。君とのジャンケンはドキドキした。こんなに胸が高鳴ったのは、生まれて初めてなんだ。お願いだ、一緒にいさせてくれ」

「お……お断りだ。ワタリを解放して、私の前から消えろ!」

「ああ、そんな!」


 それでもピネスはリドリーに縋りつこうとした。

 だが、その場に幸運の女神たちが舞い降りてきて、ピネスを引きはがして連れ去った。女神たちは常に幸運な者の味方である。


「好きだ、君が好きなんだぁ……」


 声が遠ざかって、やがてピネスが見えなくなった。

 気付けば、リドリーたちを拘束している女神たちは消えていた。

 リドリーがワタリに手を差し伸べる。


「立てるかい」

「うん……」


 手を握って立ち上がる。


「リドリー、格好良かった……」


 絶体絶命の状況で、ピネスに勝利宣言をしたリドリーの雄姿がワタリの目に焼き付いていた。


「ふふ、惚れてくれてもかまわんのだよ」

「それにしても……とんでもない星だね。早くこんなところ出よう」

「そうかな? 私は結構、気に入ってるんだけど」


 リドリーの目がギラリと光った。


「最後のジャンケンに勝った時、すごい気持ちよかったんだ、頭の奥がビリビリ痺れてさ。一か八かの勝負に勝つと、すごい恍惚感があるんだね。もう一度、味わってみたい……」


 口元のよだれを拭うリドリーを見て、ワタリは戦慄した


「の、脳内麻薬……」


 ワタリは理解した。リドリーにギャンブルをやらせてはいけない。


「馬車出して。早く」

「ええ、でも……」

「いいから!」

「仕方ないなぁ……」


 リドリーが渋々馬車を準備した。ワタリは強引にリドリーを馬車に押し込んで、発車させた。

 運の星が遠ざかっていく。

 車窓から名残を惜しむように、リドリーが星を眺めている。

 機械の御者に指示を送るワタリには、この星にだけは二度と来ないという決意があった……。

刊行シリーズ

少女星間漂流記2の書影
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