少女星間漂流記3

蝕の星

 月蝕の星だった。

 どういう理屈かはわからない。近くにある恒星の光が特殊なのか、あるいはその星を覆う大気が光を反射するのか。ただ一つ確かなのは、その星は満ち欠けを繰り返しているように見えるのだった。まるで月蝕が起きているかのように。白が黒に侵されていく。

 この星に文明があることは確認済みだ。ワタリとリドリーを乗せる馬車はその星に降りて行った。


 割と良い星だった。文明のレベルは高くもないし低くもない。地球でいう十八世紀くらいの科学力はある。環境も問題ない。

 だが、気がかりなのはこの星の人々の雰囲気だった。

 誰も彼もが暗い顔をしている。空気が重いせいであまり住みたいと思えない。

 ひとまず旅道具を買いそろえながら、この星の人たちに話を聞くことにした。リドリーが旅行用品を売っている店の主に尋ねる。


「どうしてこの星の人はみんな元気がないんですか?」


 店の主は俯いて答えた。


「……女王だ」

「女王?」

「流れ星みたいな宇宙船に乗ってやってきた……異星の女さ。そいつはとんでもない力を持って、この星を征服しちまった。剣も銃も役に立たねえんだ……」


 アレを見ろと言って、店主は窓の外を指さした。そこには大きな城がある。


「女王はこの星の王を倒して、城を奪った。そしてやりたい放題やってやがる。贅沢し放題、遊び放題……。皺寄せがくるのは俺たちさ。食べ物や宝石を奪われるのはまあいい。問題は、人を連れてくってことだ。うちの娘も……後宮に入れられちまった……」


 言って、店主は悔し涙を零した。


「アンタらもさっさとこの星を出た方がいい。女王は、女なら何でも食っちまう奴なんだ。見つかったら最後……」


 その時だった。何やら店の外が騒がしくなった。


「女王だ! 女王が来たぞ!」


 リドリーとワタリはひとまず物陰に身をひそめることにした。窓からわずかに顔をのぞかせ、外を確認する。

 兵士を引き連れて、女王がやってきた。二人は驚いた。やってきた女王が地球人だったからだ。高い身長、真っ白な肌、銀色の髪、凜とした佇まい。自分に絶対の自信があることが歩き方から見て取れる。

 特にワタリの驚きは尋常ではなかった。彼女は女王を見て、ハッとしていた。


「ルナ……」


 その呟きはリドリーにも届いていた。知り合いなのかと聞きたかったが控えた。今は物音を立てたくなかった。

 道を歩く女王ルナの下へ老夫婦が飛び出した。


「女王! 女王陛下! どうか……!」


 老夫婦はルナのスカートに縋りついた。


「娘をどうか返してください。年老いてから授かった宝物なのです」

「ふん」


 ルナは老夫婦を足蹴にする。たまらず老夫婦は尻餅をついた。


「汚らわしい。薄汚い老人どもが私に触れていいと思っているの?」

「く……くう……」


 老夫婦は地べたに頭を擦りつけた。


「どうか……どうか……!」

「私たちにできることならなんでもしますから……」


 老夫婦の懇願にもルナが心動かされた気配はなかった。ひれ伏す老夫婦を見下ろして、ルナは冷たく言い放つ。


「あなたたちにしてほしい事なんて何もないわ」

「そんな……」

「でも」とルナが微笑んだ。


「そこまで言うなら仕方ない。特別に返してあげるわ、あなたたちの娘を」


 老夫婦は顔を上げる。そこには希望の表情があった。


「ああ! なんとありがたい……!」

「このご恩は一生忘れません……!」

「感謝なんてしなくていいわ」


 ルナはドレスの胸元から小さなポーチを取り出した。それはリドリーの持つ万能小物入れと同じものだった。ルナはそこから何かを取り出して老夫婦の前に放った。ポーチから出されたそれはみるみる本来の大きさに戻る。

 老夫婦の娘だった。


「ああっ……!」


 娘の姿を見て、老夫婦は絶句した。


「う……あー……う……」


 放られた娘は、虚ろな目をしている。どんな酷い目に遭わされたのか、ろくに言葉も話せないありさまだった。


「ああ……! そんな……」

「しっかりおし。私がわかるかい?」


 老夫婦が必死に話しかけ体を揺さぶるが、娘は呻くばかりだ。

 ルナが老夫婦に言う。


「話しかけても無駄よ。散々遊んで壊してしまったから」


 ルナは退屈そうに続けた。


「まあ、全然面白くないおもちゃだったけどね」

「う、うう……こんなのあんまりだ……」


 老夫婦は、変わり果てた娘を抱いて涙を零した。

 ワタリとリドリーは、ルナのあまりの残忍さに思わず顔をひきつらせる。


「さて……あなたたち、この辺りで黒髪の地球人を見なかった?」


 ルナは周囲を見渡し、町の人々に呼びかける。


「私は先ほど見たのよ。空から馬車型の宇宙船が降りてくるのを。乗っていた人間は、この近くにいるはず。私の知り合いがね」


 ルナが町中に呼びかける。


「いるんでしょう、ワタリ」


 突然に名前を呼ばれてワタリは少し驚いたが、ルナの呼びかけに応じようとはしなかった。息をひそめ、隠れている。沈黙しながら思う。やはりあの女王はルナ。自分の知っているルナなのだ。地球にいた時に同じ実験施設にいた少女……。

 しばしの沈黙が町に満ちた。やがてルナが残念そうに言う。


「出てきてくれないの? 私はあなたとお話がしたいだけなのに。そんなに警戒しないでよ。実験施設にいた頃からのお友達でしょう?」


 何を言っているんだとワタリは思った。ルナは決して友達などではない。それどころか、彼女はいつもワタリに異様な執着を向けてきた。ワタリとしてはルナにそういう感情を向けられる理由に全く心当たりがなかったから、ルナはワタリにとって薄気味悪い人だった。

 ルナはワタリが応じるのを待っている。けれど、ワタリは物音一つ立てない。そのうちにルナがため息を吐いた。


「悲しいわ。そんなに嫌われてしまったなんて。まあ、出てきてくれないなら仕方ないわ」


 足音がした。それでワタリは安堵した。ルナが諦めて立ち去ってくれたのだと思ったのだ。

 だが、違った。


「出てきてくれないなら、こちらから行くしかないわね」


 いつの間にか、ワタリたちの隠れている店の扉が開けられていた。嫌な予感がした時にはもう遅かった。

 ワタリの背後にルナがいた。安堵という一瞬の油断を突かれてしまった。

 振り返って迎撃しようとしたが、ルナの方が速かった。彼女は背後からワタリに両手を絡みつかせた。


「私、あなたのことは匂いでわかるの。宇宙にいた時からほのかに感じてた」

「放して……!」

「放さない。こうしてまた会えたからには……」


 身動きが取れない。振りほどこうにもルナはワタリと同じくらい力が強い。施設では二人は常にナンバーワンを争うほどに実力が拮抗していたのだ。


「ふふ、宇宙にも運命の女神さまっているのね。私のもとにあなたを遣わしてくれた……。これは私からの愛の証」


 がちんと首のあたりで音がした。見ると、銀色の首輪がワタリの首に嵌っている。


「あっ……」


 途端、どういうわけかワタリの全身から力が抜けていった。


「こ、これは……」

「その首輪は銀河で見つけた特別な鉱石でできているの。身に着けた者の力を奪うのよ。これであなたは私のかわいい愛玩動物というわけ」


 ワタリは立っていることもできなくなって、その場にへたりこんだ。全然力が入らない。


「ワタリ!」


 リドリーもただ見ていたわけではない。彼女はレディースのピストルを抜いて、狙いを定めていた。引き金を引く。ちゃんと狙いを定めただけあって、弾丸は正確にルナの額へと飛んでいった。だが、


「こんな玩具で私を止められると思って?」


 あろうことかルナは弾丸を指でつまんで止めた。そのまま弾丸を指でぐしゃりと潰すと、床に落とした。

 歯嚙みしているリドリーをルナは冷たい目で睨んだ。


「あなた……確かワタリと一緒に地球を出た人だったわね。お名前、なんだったかしら。ま、なんでもいいけど。嘆かわしいわ。あなたみたいな雑魚がワタリの隣にいるなんて」


 言い終えた瞬間にルナの姿がブレた。瞬きのあとには、ルナはリドリーの目の前に移動していた。手を伸ばす。リドリーの首を摑んで、そのまま持ち上げた。


「ぐ……が……」


 万力のように強い力。その手をはがそうとリドリーはもがくがどうにもならない。


「殺してしまいましょう。このまま首の骨を折ってあげるわね」


 ルナが手に力を込める。指が首に食い込んで、リドリーが苦悶の表情を浮かべた。

 ワタリが叫んだ。


「やめて、ルナ!」


 ルナが力を弱めて、ワタリを見る。


「リドリーを殺さないで。お願い……。大切な人なの」

「大切な人……?」


 ルナが再び指に力を込める。


「だったらなおのこと殺さないと……」


 苦しむリドリーを見て、ワタリはひときわ大きな声で叫んだ。


「やめて! なんでもするから!」


 それで再びルナが止まった。彼女は醜悪な笑みを浮かべて、ワタリに聞き返した。


「なんでも……と言った?」

「うん。なんでも……」

「ふぅん」


 ルナは空いている手の人差し指を口に当てた。


「では、今から言う私のお願いを聞いてくれるかしら」

「……言って」

「私を愛していると言って。銀河で一番ルナのことを愛していると」


 ワタリは一瞬たじろいだ。そんなこと言いたくはなかった。だが、ワタリの迷いをルナは察したのだろう。再び指に力を込めようとするのが見えた。リドリーの命がかかっている。ワタリは覚悟を決めて、言った。


「愛してる……」


 ルナの表情が意地悪く歪んだ。


「ううん。聞こえないわ!」


 弾けるように、半ば自棄になってワタリは叫んだ。


「愛してる! ルナのこと、銀河で一番愛してる!」


 ルナは醜悪な笑みを浮かべる。


「ふ。ふふふふ。はははははははは!」


 満足したルナはリドリーの首から手を離した。床に落ちたリドリーがゴホゴホと咳き込む。


「そうよ。それでいいの。あなたは私の運命の人なのだから!」


 言って、ルナはリドリーの首の後ろを手刀で打った。それでリドリーが倒れた。思わずワタリはルナに叫んだ。


「そんな! リドリーに手を出すなんて約束が違う!」

「安心して。殺してない。気絶させただけ」


 そう言うとルナはドレスの懐から鎖を取り出して、ワタリの首輪にひっかけた。


「さあ、行くわよワタリ。結婚式の準備をするの。明日には式を挙げましょう」


 ルナが鎖を引っ張る。ワタリは犬のように引っ張られていった。

 まだ微かに意識のあるリドリーが、連れ去られるワタリを見上げていた。


「ワ、ワタリ……」


 ワタリに向かって手を伸ばすのが見えたが、そこで気を失った。


 そうして結婚式が始まった。

 式場は教会だった。花が咲く中庭。その中央に壇があって、神父が立っていた。

 そして式の主役である花嫁姿のワタリとルナが向かい合っている。

 神父が穏やかに、二人へ尋ねた。


「病める時も健やかなる時も富める時も貧しき時も、互いを妻として愛し敬い慈しむ事を誓いますか?」


 即答するルナ。


「もちろん誓います」


 ワタリも答える。


「私も誓います。ルナを妻として愛します」

「ま、待ってくれワタリ!」


 そこに駆け付けたのはリドリーだった。リドリーは壇上のワタリに向かって叫んだ。


「私を捨てないでくれ!」


 だがしかし。

 壇上のワタリは、リドリーを見下ろして、冷たく言い放った。


「ごめんなさい。私もう、リドリーみたいな貧相な女性じゃ満足できないの」


 そう言うと、ワタリはルナに抱き着いた。


「ああ、なんて力強い肉体。やっぱり伴侶はルナくらい、強い女性じゃないと……」

「うふふ。たくさん満足させてあげるわ、ワタリ」


 神父が二人に言う。


「では、誓いのキスを」


 ワタリとルナが瞳を閉じる。そして互いに唇を寄せ合う。


「ワ、ワタリー! やめてくれぇええええええええええええええええええ!」


 唇が触れ合ったその瞬間、


「やめてくれぇええええええええええええええええええ!」


 叫びながら目を覚ました。

 リドリーは木製のベッドの上で、上体を起こしていた。どうやら飛び起きたらしい。辺りを見渡す。彼女がいるのは、見知らぬ粗末な部屋だった。


「ここは……」


 どうやら気を失っていたらしいと理解する。そこで部屋の扉が開けられた。


「なんだい、大きな声を出して」


 入ってきたのは、ルナと会う前に話をしていた店主だった。

 リドリーは店主に言った。


「……気を失った私を介抱してくれたんですね」

「ああ。女王に酷い目に遭わされた人を放っておくなんて、できないからね」


 店主は目を伏せて言った。


「相方のことは残念だったね」


 それでリドリーはワタリがさらわれたことを思い出した。


「そうだ。ワタリを助けに行かないと!」


 ベッドから出ようとするリドリーを店主が止めにかかる。


「やめなさい。悪いことは言わないから諦めた方がいい。あの女はこの星の人間が束になってかかっても敵わなかったんだ。あんたの命を助けてくれたあの子の思いを無駄にしちゃいけないよ」

「ご忠告感謝します」


 そう言いながらもリドリーは店主を押しのけて、ベッドから降りる。


「私たちが別れて生きていくという選択肢は存在しないので」


 とはいえ。

 リドリーはルナの強さを思い出す。ワタリと力で張り合い、銃弾を指で止めた。その身体能力はワタリと比べても遜色ないはずだ。言うならば今回の戦いは、ワタリと戦うに等しい。

 無策で勝てる道理はない。何か手を考えなくては。

 リドリーは窓の外を見た。そこからは大きな城が見える。


「店主さん。ルナはあのお城にいるんですよね」

「そうだけど、城に向かうのは絶対ダメだよ。城にはたくさんの兵士がいる。お前さん一人じゃどうにもならん。玉座のルナにたどり着くことすらできんだろう」


 それはその通りかもしれないと思う。奇襲を仕掛けるにせよ、正面からツッコむのは良くない。

 策を練っていると、部屋の外から声が聞こえた。窓から顔をのぞかせると、兵士が通達を出して回っていた。


「明日の正午にルナ女王の結婚式を行う。場所は教会にある庭園だ。星人は全員出席し祝うこと」

「そこを奇襲する手もあるか……」とリドリーは呟く。

 それを聞いた店主が再度忠告した。


「そりゃ城を攻めるよりはましだが、それにしたってルナ女王は強いんだ。命が惜しければやめ……」


 しかし、リドリーはそれを遮った。


「命が惜しいから戦うんです。私とワタリは二人で一つの命ですから」


 肉体労働をワタリが担当し、頭脳労働をリドリーが担当する。どちらかが欠ければ、この過酷な銀河では生きていけない。


「何より、やられっぱなしってのは性に合わない。私たちにあれだけの屈辱を味わわせたんです。その代償は払わせなきゃ」


 リドリーは、自分の全身から負のオーラが漏れ出るのを感じていた。抑えられない。それは店主にも伝播してしまったのだろう。彼を怖がらせるつもりはなかったのだが、店主はすっかり気圧されてしまっていた。


「そ、そこまで言うなら……止めはしないさ」


 そう言って、店主は部屋を出ていった。

 部屋に一人残されたリドリーは考える。奇襲はあくまで最終手段だ。もっとスマートな方法があれば、それにこしたことはない。

 窓辺で羽を休めている小鳥を見つめながら策を考える。


 一方その頃、城内のルナの私室では、ワタリのドレスフィッティングが行われていた。数人の女の召使いが、ワタリをドレスアップしている。今彼女が着せられているのは、鮮やかな深紅のドレス。黒髪に赤がよく映える。

 着飾ったワタリを見て、ルナは言った。


「よく似合ってるわ」


 だが、言葉とは裏腹にその顔は不服そうである。


「似合ってはいる。でも普通過ぎる。ワタリにはもっと似合うウエディングドレスがあるはず。……そうね、露出を増やしましょう。ワタリのすばらしさは、その肉体美なのだから。特に足はガゼルのように力強くてしなやかなのよ。絶対に見せなくちゃね。でも、決して品を損なわないように。さあ、次のドレスを見繕ってきなさい」

「かしこまりました」と召使いたちはドレスを探しに別の部屋へと向かった。

 ワタリとルナの二人だけが部屋に残った。

 ワタリは訝しむような目でルナを見ていた。それに気付いて、ルナはワタリに微笑んだ。


「そんな顔しないで。心配しなくていいの。必ず私があなたに一番似合うドレスを見立ててあげるから。この星の人間全員があなたの美しさにくらくらするような……。大丈夫。私は銀河で一番、あなたのことをわかっているのだから」

「そんなことを不審に思ってるんじゃないよ」

「あら。じゃあ、どうしてそんな目で私を見るのかしら」

「わからないからだよ……」

「わからない?」

「あなたにそんなに好かれる理由がわからないの」


 ワタリは地球でのことを思い出していた。


「私とあなたは同じ施設にいた。戦場で戦う兵士として肉体を改造され、訓練で何度も顔を合わせた。一緒に戦場に出たこともあるね。けれど……あなたは私のことが大嫌いだったはずでしょう」


 施設においてルナは何かにつけてワタリを目の敵にしていた。顔を合わせればワタリの陰気な容姿を馬鹿にし、カリキュラムの成績も決してワタリにだけは負けないように対抗心を燃やしていた。実戦訓練などは酷いもので、実戦にかこつけて明確な殺意を以てワタリに攻撃をしてきたものだった。だから、ワタリは彼女と会うのが嫌だったのだ。間違いなく自分を殺そうとしてくると思っていた。けれど、今はどうしてか愛情を向けられている。

 ルナは答えた。


「そうね。私、あなたのことが大嫌いだった。ううん、今もそう」


 ルナの目に明確な殺意と憎悪が宿る。それは施設で見たものと全く変わらない……それどころかより苛烈なものだった。


「そう、今だって!」


 ルナはそう言うと、ワタリの頭を鷲摑みにする。ワタリはルナの手をはがそうともがくが、首輪のせいで力が入らないのでびくともしない。


「このままあなたの頭を握りつぶしてやりたい。深紅の鮮血と薄汚い脳漿をぶちまけさせてあげたいの!」


 このまま殺されるかもと覚悟する。しかし、ふっと頭の重圧が無くなった。ルナがワタリから手を離したのだ。床の上に落ちたワタリを見下ろして、ルナが微笑んでいる。


「なんてね。冗談よ、冗談。あなたなんて大嫌いだけど、殺したりはしないわ。結婚するだけで許してあげる」


 ワタリは呆けながらも、もう一度尋ねた。


「だから……どうして結婚したいのかがわからないんだよ……」

「説明したって仕方ないわ。どうせ気持ち悪がられるだけで、理解なんてされないもの。だから、あなたはただ、私からの愛をその身で受け止めていればいいの」


 ルナはワタリの耳元に唇を寄せ、蠱惑的に囁く。


「そして、私を愛してくれれば」


 ワタリはぶんぶんとかぶりを振った。


「それはありえない。たとえ殺されるとしても」


 施設にいた頃から、ルナは感情的だった。彼女の機嫌を損なえば弾みで殺されるかもしれない。けれど、ワタリに反抗されてもルナは思いのほか冷静だった。


「あのリドリーとかいう女が心残りなのね?」


 その言葉で、嫌な予感がする。「まさかリドリーを殺す気なんじゃ……」


 くすくすと笑うルナ。「そんなことをする必要、私にはないのよ」


 言ってルナは小瓶を取り出した。中を赤黒い粘性の強い液体が満たしている。


「これが何かわかるかしら」


 ワタリは首を横に振った。


「ありていに言うならば、惚れ薬よ。血を混ぜて使うの。これを飲んだ人間は、混ぜられた血の主のことを愛するようになってしまう……。見ての通り、とても赤いでしょう。私の血をたっぷり混ぜてあるわ。これを結婚式の誓いのキスで……あなたに口移しで飲ませる」


 昂るルナ。自分で自分を抱きしめる。


「きっとあなたは式が始まっても私を嫌いなままでしょう。けれど、それが反転するのよ。私の口づけでね。誓いのキスを終えたあなたは、私に永遠の愛を約束するようになるの。ねえ、こんなロマンチックなことはないでしょう?」


 そう言って、ルナは狂気の笑みを浮かべた。思わずぞっとしてしまう表情。ルナはワタリに猫なで声で続けた。


「だからね、ウエディングドレスはしっかり選ばないと。シンデレラにも負けない、最高に魅力的なものを」


 そこで召使いたちが新たなウエディングドレスを持ってきた。「女王様、ドレスをお持ちしました」

「では、さっそく着替えさせてあげて。さて、どんなドレスがワタリの旅の終わりに相応しいかしら……」


 着せ替えは続いた。食事や入浴などのその他もろもろを終えた時には、すっかり夜になっていた。ワタリはルナに手を引かれ、城を歩いていた。連れていかれたのは、尖塔にある部屋だった。


「今晩はここで眠ってね。それは私だって、一緒に寝たいけれど、ほら、ヴァージンロードはヴァージンで歩いてもらわないといけないでしょう? 我慢できそうにないから」


 そう言って、ルナはワタリを部屋に押し込んだ。


「脱走なんて考えないように。扉の外に見張りを置いておくからね」


 分厚い鉄扉が閉められた。力を奪われているワタリではとても壊せそうにない。見張りが置かれなくとも脱走など不可能だ。

 それでも一応、脱出できないかと周囲を探ってみる。窓があったが、鉄格子が嵌められているので絶対に抜けられない。

 結局、ワタリにできることは何もなく、ただ時が過ぎるのを待つしかなかった。

 夜が更けてきた。けれど、眠る気にもなれなかった。

 窓辺から外の風景を見下ろしていると一羽の小鳥がやってきた。小夜啼鳥だ。鳥は鉄格子の間から入ってきて、ワタリに寄り添った。


「私を慰めてくれるの?」と尋ね、ワタリは小夜啼鳥を撫でた。

 鳥が嘴を動かす。きれいな鳴き声が聞こえるかと思っていたが、発されたのは全く違う音だった。


「私だ」


 人の声。それも聞き慣れた声だった。


「えっ、もしかしてリドリー?」


 よく見ればその小夜啼鳥は精巧な機械だった。


「すっかり騙されたな」

「まったく気付かなかったよ」

「助けに来た。その鳥の目はカメラになっているから、状況はおおよそ理解している。首輪を見せてくれないか。それさえ破壊できたら、自力で脱出できるだろう?」


 ワタリは頷いて首輪を見せる。小夜啼鳥のつぶらな瞳が首輪を観察していたが、やがて諦めたように言った。


「ダメだ。その首輪は壊せそうにない」

「そうだよね。機械の小鳥じゃ金属を壊すようなことは……」

「いや、厳密には壊すことはできる。その小夜啼鳥は小型の爆弾でもあるからね。だが、それをワタリの首元で炸裂させたら、いくら頑丈なワタリでもただでは済まない。扉の鍵を壊したら、脱出できないか?」

「ダメだよ。扉の外に見張りがいるって言ってた」

「じゃあ、窓の鉄格子を壊そう。実は今、私は馬車に乗って塔の上を飛んでいる。ワタリが窓から出てきてくれれば、引き上げることはできる」

「そうだね。私もそれがいいと思う」

「じゃあ、窓から離れて。その小夜啼鳥を自爆させる」


 ワタリが窓から離れると、窓辺の小鳥が白く発光した。そして次の瞬間、大きな音とともに炸裂する。窓の鉄格子が壊れて吹き飛んだ。窓枠もえぐれていたから、ワタリが外に出ることは容易そうだった。ただ、扉の向こうで人が動く気配がした。大きな音を不審に思って見張りが動き出したのだろう。まもなく扉を開けて入ってくるはずだ。急いで脱出せねば。

 ワタリが窓から身を乗り出す。その動きに合わせて、上空から馬車が降りてくるのが見えた。扉からリドリーが身を乗り出して、こちらに手を差し伸べていた。


「ワタリ!」


 背後で扉が開けられる音がした。見張りが入ってきたのだ。馬車はまだ窓の高さまで降りてきてはいなかったが、もはや時間はなかった。振り向く時間すら惜しく、ワタリは窓から馬車に向かって飛んだ。首輪のせいで力が抑制され、まったく跳躍できなかったが、ワタリの手をリドリーが摑んだ。それでリドリーは少し、馬車から落ちそうになる。だが、どうにか堪える。


「んぎぎぎぎぎぎぎ……」


 顔を真っ赤にして、ワタリを引き上げようとする。非力なリドリーには、ワタリを持ち上げるのは大変な重労働だ。それでもどうにかゆっくりと、歯を食いしばりながらワタリを引き上げていく。

 馬車も上昇を続けている。もう尖塔の天辺より高い位置まで来ていた。これならば、見張りはどうしようもない。安心して、馬車に乗ることだけを考えればよかった。

 あともう少しで籠の入り口のヘリに足がかかる。が、その時……。

 がんという音とともに馬車が大きく揺れた。

 背後に邪悪な気配を感じた。振り返る。


「うふふふふふ、どこに行こうというのかしら」


 ルナがいた。馬車の車輪に摑まっている。

 何故ルナがここに。その疑問がよぎった瞬間には、ルナは車輪からワタリへと飛び移っていた。そのままワタリを抱きしめる。二人分の重みに、リドリーは耐えられない。たまらずリドリーは手を離してしまった。


「ワタリ!」


 リドリーの叫びが遠ざかっていく。ルナとともにワタリは地上へと落ちていく。

 地面に衝突する直前、ルナは自分の体をワタリの下にした。そして強く抱きしめる。強烈な落下の衝撃がワタリを襲うがワタリには怪我はなかった。ルナもルナで強靱な肉体を有しているため、かすり傷程度しか負っていない。

 地上に降りたルナが笑ってワタリをたしなめた。


「まったくもう。逃げちゃダメと言ったのに……」


 ルナの言葉を無視して、ワタリは尋ねた。


「どうしてあなたがあの場所に……」

「うん?」

「見張りから連絡が行ったとしても、やってくるのが早すぎる……」


 くすくすとルナが笑った。


「だって私が見張りをしていたんですもの。扉越しにずっとあなたの息遣いを聞いていたの……。一晩中そうするつもりだった……。あなたを少しでも近くに感じたくて……」


 ワタリはうんざりした。ルナの言葉に何度ぞっとさせられればいいのだろう。


「それにしても、本当に脱走を図るなんて。これはもう、仕方ないわね。一晩中一緒にいるしか……」


 言うとルナはワタリを横抱きにして立ち上がった。


「ま、まさか……」

「ワタリが悪いのよ? これは必要に迫られて、なんだから」


 言いながら、ルナはワタリをお姫様抱っこして歩き出す。行く先は想像がつく。ルナの寝室だろう。


「た……助けて、リドリー……」


 呟いて、夜空を見上げる。馬車はまだそこにあったが、攻めあぐねていた。正面からルナとぶつかったらリドリーに勝ち目はない以上は退くしかない。彼女の歯嚙みする顔が見えるようだった。


 寝室に連れていかれた。この星で一番贅を凝らしたと思われる大きなベッドが置かれていた。ルナはワタリをベッドの上に放ると、獣のように覆いかぶさってきた。目をぎらぎらさせている。ルナは心底から嬉しそうに言った。


「さあ、褥を共にしましょう」


 舌なめずりをするルナを見て、ワタリは戦慄する。「わ……わぁ……」


 自分はこのまま食べられてしまうのだと直感した。勝てないと分かっていながらもワタリは抵抗しようとした。両手を振り回す。けれど、ルナは難なくその手を摑んでしまった。これでもうおしまいだった。あとはルナにされるがままになるだけ。

 ルナが言う。


「身をゆだねて。大丈夫。私、今日までたくさんの女を抱いてきたから。私の愛撫で満足しない女はいなかった……」


 言いながらルナはワタリの首筋に唇を寄せる。生温かい物が触れた。ルナの舌だと理解する。舌を這わされている。「ひぃ」という悲鳴がワタリの口から洩れた。いよいよ、もう、そうなってしまうのだと思った。ワタリは硬く目をつむって、我慢するしかない。

 けれど、妙なことが起こった。舌の動きが止まったのだ。不審に思って目を開けると、ルナは舌をひっこめてワタリを見つめていた。


「……やめた」


 ルナは覆いかぶさるのをやめて、ワタリの隣にあおむけになった。ただ、手だけは離さなかった。ワタリと手を繫いだまま、天井を見上げていた。

 ワタリは相当驚いた。さっきまでのルナの目は性欲に飲み込まれた獣のそれだったのに、何故。


「……どうしてやめたの?」と思わず聞いてしまった。

 ルナが楽しげに聞く。


「あら、してほしかった?」

「全然、まったく、これっぽっちもそんなことはないけど……」

「でしょうね」


 ルナはくつくつと笑う。


「別にいいかなって思ったのよ」


 ルナは天蓋を見つめて言った。


「この星で……ずっと奇跡を待っていた。夜空からあなたが降りてくる奇跡。起こりえないと思っていたから、胸をかきむしりたくなるような苦しい夜を過ごしてた。あなたに触れたくて触れたくて、でもどうにもならなくて……」


 ワタリの手を握るルナの手に、力がこもった。


「今、手をつないだ時にね、幸せだなって思っちゃったの。そうしたら、別にまぐわいなんてどうでもいいなって、なっちゃった」


 ワタリは動揺した。今、隣にいるルナが、さっきまでのルナと同一人物には思えなかった。天蓋を──その向こうにある夜空を──見つめているだろう彼女の目は、吸い込まれそうになるほどに純な輝きを帯びていた。狂的で獰猛なルナは影もない。

 今のルナなら、話が通じるかもしれない。そう思って、ワタリは切り出した。


「ルナ。私を解放してほしいの。私はね、まだ旅の途中なの」


 ルナが横目に、ワタリを見た。凪いだ瞳だった。


「たくさんの星を、リドリーと一緒に渡ってきた。困難も二人で乗り越えてきたの。リドリーと離れるなんて、私には考えられないんだ。リドリーだってそうだと思う。だからお願い。私を解放して」

「そうなの」


 怒らせるかと思ったが、そんなことにはならなかった。ルナは薄く、少しだけ寂しげな笑みを浮かべただけだった。


「それは……きっと素敵な旅だったのでしょうね。二人の愛情がどんどん深まっていくような……」

「うん……」

「でもね、ワタリ。私のあなたへの愛情も、リドリーに負けないくらい深まっていったのよ。あなたたちが旅をしているうちに……」

「……わからないよ。私たちは地球を出てから全然かかわりなかったのに、どうして深まるの?」

「それはね……」


 言いながら、ルナは体を起こした。そして自分が着ているドレスを脱いでいく。しゅるりという衣擦れの音。窓から射す明かりの下に、ルナの一糸まとわぬ肢体が露になる。


「ワタリ。見て、私の体を」


 その体を見た時、ワタリは思わず起き上がって、ルナを抱きしめていた。

 ルナもまた、そっとワタリの背に手を回した。

 二人にしかわかり合えない絆が、そこにあった。


 翌朝。

 町外れに置いてある馬車の中にリドリーはいた。今日の正午、結婚式が行われる。なんとしても阻止しなくてはならない。町の人に聞いたところによると、ルナは強力な惚れ薬を持っているらしい。彼女は誓いのキスに乗じてそれをワタリに飲ませるつもりだという。それだけはなんとしても阻止しなくてはならなかった。

 問題は、やはりルナをどうするかだった。アレが傍にいる限り、ワタリの奪取は困難なのだ……。

 策を思案していると、誰かが馬車の扉をノックした。町の人間でも来たのだろうか。少し不審に思いながら、リドリーは扉へと向かった。


「はい。どちら様……」


 扉を開けて、リドリーは目を剝いた。そこにいたのはワタリとルナだった。ルナがワタリの手を握っている。

 リドリーの視線は自然とルナに向けられた。警戒していた。それを察して、ルナが言った。


「そんな怖い顔をしないで。昨夜の意趣返しに来たのではないの。私だって、あなたのことを無用に傷つけたくはないわ。だってワタリの大事な人ってよくわかったんですもの」

「……じゃあ、どうしてここに来た。私を殺す以外に理由はないと思うが」

「ワタリの希望よ。どうしてもあなたに会いたいって言うから……」


 ルナがワタリを促す。


「さ、ワタリ。言ってあげなさい」

「うん。リドリー、私ね、決めたことがあるの」


 神妙な顔をしているワタリに、リドリーは尋ねる。「……何を決めたんだ」

「私、ルナと結婚する……」


 リドリーは心臓が縮こまる思いがした。だが、すぐに思い至る。


「ワタリ、拷問でもされたのか」


 そうでなければ、ワタリがこんなことを言うなんて考えられない。


「ルナ、絶対に許さないぞ。ワタリを傷つけたなら……」

「違うよ、リドリー。私の体のどこにも傷なんてないでしょう?」


 今のワタリは、ルナの趣味で露出の多い服を着ている。そして少なくとも見える範囲には傷一つつけられていなかった。

 ルナが言った。「私がワタリに暴力なんて振るうわけないでしょう?」

「そうか。なら、惚れ薬を飲ませたんだな? 卑怯だぞ、ワタリの意思を蹂躙するような真似をして……」

「惚れ薬? ああ、これのことね」


 ルナは、ドレスの胸元から真っ赤な液体が入った小瓶を取り出すと、それを地面に放ってしまった。瓶が割れて中身が飛び散った。


「……惚れ薬を飲まされたんじゃないのか?」


 ワタリが答える。


「うん。飲まされてない。だからね、これは完全に私の意思なの。もう一度言うね、リドリー」


 そうしてワタリは、再びその言葉を口にした。


「私、ルナと結婚するね」


 その瞬間、リドリーは脳が破壊された感じがした。

 何も考えられない。言葉も出ない。リドリーの頭は真っ白だった。


「だから、今日の結婚式は邪魔をしないでほしいな。私を助けようともしなくていいから」


 その後、ワタリが何かを喋っていたがその全てはリドリーの耳を素通りしていった。


「リドリー、聞いてる?」

「────」

「壊れてしまったみたいね。まあ、時間をおけば治るでしょう」とルナがワタリの腰に手を回す。それにワタリは抵抗しない。よく見れば、もう首輪もしていない。それはつまり、ワタリは抗おうと思えばルナに抗えるのだ。なのに、それをしないということは……。

 ワタリは本当に、ルナのことを好きになってしまったのだ。


「さ、行きましょう、ワタリ」


 二人が硬直しているリドリーに背を向ける。

 ルナがワタリに言う。


「これで死ぬまで一緒ね、私たち」

「うん……!」


 二人は仲睦まじい様子で歩いて行った。それをリドリーは茫然として見つめていた。

 かなり時間をおいて、ようやく思考力が戻ってきた。その頃にはとっくに二人はいなくなっていたし、なんなら結婚式が始まる時刻になった。

 意識が戻ってきたリドリーが最初に放った一言は、


「野郎。ぶっ殺してやる」


 言いながら、リドリーは馬車の中に戻った。

 リドリーは弱い。正面からルナを殺すことは叶わない。だが、手段を選ばなければその限りではない。


「この惑星破壊爆弾で……!」


 リドリーの馬車には無数の兵器が搭載されている。その中で最も破壊力があるのがこの惑星破壊爆弾だった。小惑星くらいなら跡形もなく消し去ることができる。いかにルナといえどひとたまりもないだろう。一生使わないと思っていたが、ついに出番が来たようだ。ワタリだって許すものか。たった一晩であんな女に鞍替えして……。


「ふひ、ひひひひひひ」


 リドリーの目は完全にイってしまっていた。口からも唾液が滴っている。

 馬車内のコックピットで機器を操作し、惑星破壊爆弾の起爆スイッチを出現させる。それに指を当てる。だが、押す寸前で止まった。


「う、うう……」


 さっきまで無気味に笑っていたリドリーだったが、今度は泣き出した。


「うわああああああああああああん! うわああああああああああああん! 嫌だよぉおおおおおおおおおおおお!」


 やっぱりワタリが死ぬのはダメだ。もう彼女の気持ちが自分に向いていないとしても、それでもいいからワタリには生きていてほしい。

 そう思って、すんでのところでリドリーは爆弾のボタンを押さずに済んだ。ハンカチを取り出して、涙を拭く。ティッシュで思い切り鼻をかむ。それで少し落ち着きを取り戻した。


「ううっ……ぐすっ……」


 目も鼻も真っ赤だったが。

 ……冷静に考えて。

 やはり一晩でワタリが心変わりするとは考えにくい。何かしらの精神操作がなされたはずだ。いや、もしなされていないのだとしてもだ。私はワタリの心変わりを認められない。絶対にワタリを諦められない。

 リドリーは馬車を発進させると、結婚式が行われる教会へと向かった。


「新婦新婦の入場です」


 教会の中に、二人の新婦のための壇が準備されていた。

 赤い道が壇へと続いている。それは花のアーチで彩られていた。女王の結婚式ということで、星中の人々が集められて、庭園はにぎわっていた。

 ルナとワタリが並び、壇への道を歩く。ワタリは純白のウエディングドレスに身を包んでいた。背中と肩、腕が出ているデザインだ。足も出ているが、フィッシュテールスカートなので品位は保っている。ワタリの黒髪に、ヴェールの透き通るような白さが映える。これを見立てたルナのセンスは確かなものだった。

 ルナはと言えば、夜空を思わせるロイヤルブルーのドレスに身を包んでいる。普段の苛烈な彼女とは正反対の静謐な色。腕に嵌めている銀色のウエディンググローブが輝きを放っている。ヴェールは夜のとばりのようなシックな黒。ワタリと違って、一切の露出はない、格式高い装いだった。

 二人は腕を絡ませて、壇へと向かう。ワタリを見るルナは穏やかな表情をしている。ワタリもまたルナを嫌がる様子は全くない。

 壇に上がって向かい合う。ルナがワタリのドレス姿を改めて見た後に、ほうっと夢見るようなため息を吐いた。


「……本当に綺麗。夢で会った時よりもずっと……」

「ルナも……まるで月の女神様みたい」

「あら、本当?」

「本当だよ」

「……すごく嬉しい」


 ルナの瞳の端から、星屑のような涙が零れた。

 神父役を命じられている星人が、二人に尋ねる。


「病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、死がふたりを分かつまで命の続く限り、これを愛し、敬い、貞操を守ることを誓いますか?」


 二人は迷いなく答えた。「誓います」


 神父は頷いて言った。


「では、誓いのキスを」


 二人は互いのヴェールをそっとあげた。そして唇を寄せ合う。

 唇が触れそうになった、その瞬間。

 ルナがはっとした表情をして、ワタリから離れた。彼女の目は上空を睨んでいた。

 視線の先にはリドリーの馬車があった。馬車のあちこちからレーザー砲が顔を出している。普段は格納されている十近い砲門が、全てルナに向けられていて、それらが一斉に光を放った。色とりどりの閃光がルナを襲った。

 ルナは腕を振るって、そのレーザーを弾いた。ルナのグローブは戦闘用の特殊合金でできていたのだ。圧倒的な身体能力で、撃たれるレーザーを次々とはじいていく。

 集まっていた星人たちは、突然の襲撃に慌てふためいた。騒ぎながら一斉に教会の出口へと向かっていく。

 レーザー攻撃は間断なく続く。正確にルナに狙いをつけ、次々に掃射される。ルナはそれを打ち落としていくが、防ぎきれなかったレーザーによって少しずつ着ているドレスが焦げていった。

 ワタリが、馬車に向かって叫んだ。


「リドリー、やめて! お願いだから!」


 その声は、観衆の騒ぎに搔き消されて届かない。攻撃は苛烈さを増していった。


 馬車の中からリドリーは敵を見ていた。このままレーザーを撃ち続ければ、じきに相手が疲弊する。そうなれば、こちらの勝ちだ。

 モニターに映るルナをリドリーは集中力を以て凝視する。いつ敵が反撃してくるかわからなかった。だが、敵にその気配はなかった。その気になれば、馬車まで跳躍したり、あるいは地上にある何かを投擲して攻撃することもできるはずなのだが……。ただただ攻撃を防いでいる。格式高い服はあちこちが破れて、肌が見えるようになっていた。

 そこでリドリーは違和感に気付いた。


「あれは……まさか」


 リドリーの手が止まる。レーザー攻撃が止む。

 けれど、それはルナを許したからではない。もう、攻撃の必要がないと分かったからだった。

 攻撃をしのぎ切ったルナが、肩で息をしているのが見える。


「がふっ」


 唐突に彼女は咳き込んだ。そして膝を突くと、大量の血液を吐き出した。無論それは、レーザー攻撃のせいではない。

 露出したルナの体、そのほとんどが黒色に蝕まれていた。


「この黒に、あなたなら見覚えがあるでしょう?」


 昨夜、窓からの明かりに肢体を晒しながら、ルナはワタリに言った。

 ルナの体、そのほとんどすべてを覆う黒色を見て、ワタリは言葉を失った。

 黒化。それは、ワタリら改造人間に見られる病の症状だった。戦争のために肉体を改造された彼らは、その限界を超えた身体性能を発揮する。その代償として、適切なメンテナンスや治療を受けないと体が崩壊してしまう場合がある。この黒色がそれなのだ。ワタリもまたリドリーのメンテナンスや治療がなければ、同じ症状に苦しめられていただろう。

 ワタリは咄嗟に言った。


「リドリーに診てもらおう」


 その時にはもう、ワタリはルナへの敵意を失くしていた。とても他人事には思えなかったからだ。施設では黒化して死んでいった者がたくさんいた。

 けれど、ルナはワタリの提案に首を振った。


「もう遅いわ。わかるでしょう、ここまで進行してしまっては。明日で限界だと思うの」


 言いながら、がふがふとルナは咳き込んだ。口に手を当てたが、指の間から血が漏れてワタリに少しかかった。


「ごめんなさい……」


 言いながら、ルナはワタリの顔を指で拭った。


「……この症状が、ルナが変わった理由?」


 ルナは少し考えてから言った。「……そうね。そういうことになるわね」

「施設時代のこと、覚えてる? 私は私のことが大好きだった」

「そうだね。自分が一番だって言うのを隠そうとしなかった」

「だって、みんな私より弱くて醜いんですもの。劣等を尊重する理由があって? その考えは今も変わらない」


 ワタリは黙した。ルナのその考えには賛同できなかった。


「地球が滅んだ後、私はこの星に来た。そして力ですべてを支配した。強者は心置きなく欲しいものを……。いい時代になったものだと思ったわ。私は強くて美しいから、この世の全てを享受する権利がある。そんな幻想を打ち砕いたのが、この黒だった」


 胸の漆黒を忌々しそうに見つめた。


「私は強くも美しくもなくなった。こんな病気ひとつで死ぬ脆弱な存在なのだと思い知らされた。途端、私は怖くなったわ」

「……死ぬのが?」

「……それよりも……誰とも分かり合えずに消えることが」


 ルナは困ったように笑った。


「私は別に他人が嫌いだったわけじゃない。自分と同等の人間に出会いたかっただけ。もし私と同等の強さと美しさを持つ人が現れたら……いつでも受け入れるつもりだった。だったのに……」


 ルナは続ける。


「……荒れたわ。手あたり次第に女を抱いた。愛を囁かせたり、囁いたりしてみた。でも、どれもままごと。すればするほどに虚しくなるだけ。当たり前よね、だって私は内心ではその人たちを見下しているんだもの。私はきっと誰も愛せない。空虚だった私に、ふと過ったのがあなたの顔だった」

「どうして私を。私のこと、嫌いだったはず」

「そうよ。大嫌い。でもそれは……あなたが美しくて鼻についたからよ。いつもおどおどしてて醜いくせに……こと戦いになると誰よりも力強く美しい……。この私と同じくらいに……」


 ルナは不思議な目をしていた。愛憎が混じった、どろどろの目だった。


「病に侵されて、やっと気づいたのよ。私はあなただけは認めていたこと。でも、もう遅かった。だって、あなたはこの銀河のどこにいるかわからないんですもの。私は夜空を見上げて、あなたのことを想うしかできなかった。思いに気付いてからは肥大する一方だった。膨らむのは……もう、私にも止められなかった。夢想したわ。あなたと一緒にこの銀河を渡る夢……。どんな困難も二人で力を合わせて乗り越えるのよ。私の胸の中だけの冒険譚」


 気持ち悪いよねとルナが言った。確かにそうだと思って、ワタリは言った。


「うん。気持ち悪いね」


 昼間のルナの言葉を思い出す。

 ──説明したって仕方ないわ。どうせ気持ち悪がられるだけで、理解なんてされないもの。

 その通りだ。勝手に妄想の出汁に使われているなんて気持ちが悪い。だが、ルナの言葉の後半は違う。


「でも、理解できないってことはないよ」


 ワタリの言葉はルナにとって予想外だったのだろう。彼女は目を猫のように丸くした後、心底嬉しそうに顔をほころばせた。


「ありがとう。すごく嬉しい」


 ワタリはルナの体に触れる。黒くなった部分は、人間の皮膚とは思えないほどに硬化している。その硬さで進行の度合いがわかる。これはもう、助からない。たまらずワタリはルナを抱きしめていた。


「……私にできることはない?」

「……いいの? お願いして」

「うん」


 ルナは、今更ながら躊躇った様子を見せてから言った。


「私のことを愛しているふりをして。私が死ぬまででいいから」


 その願いを跳ねのけることなどワタリにはできなかった。


 翌日、二人でリドリーの下へ向かった。そして事情を全て説明した。自分たちが結婚すること。でも、それは一日限りのことであること。明日になったらルナは自分を解放してくれること。ルナの病を治せないかも聞いたが、リドリーは全く反応を見せてくれなかった。結婚をすると話した時点でフリーズしていた。それで諦めて、結婚式場に向かったのだった。


 ルナへの攻撃をやめた馬車が地上に降りてくる。肩で息をするルナはうずくまったまま動かない。傍らにいるワタリがルナを抱いていた。


「ルナ! しっかりして、ルナ!」


 馬車から降りてきたリドリーが二人に近づいてくる。ワタリがリドリーに縋るように言った。

 ルナの病とワタリの必死さ。それだけでどういう状況か、リドリーにはおおよそ察しがついた。


「ねえ、リドリー! どうにかならない!? 私がこうなるのは防いでくれたでしょ?」

「これは無理だ……」とリドリーはかぶりを振った。


「もっと症状が軽ければどうにかなったが……」


 ルナが血を吐きながら言った。


「いいの。これでいいの」


 血まみれの手で、ルナはワタリのドレスに縋りついた。


「最期に……抱きしめてくれる? 眠るときは、愛する人の腕の中で……」


 もう呼吸も浅い。

 ルナの最期の願いを叶えようと、ワタリは彼女を抱きしめようとした。

 けれど、それをリドリーが制した。


「やめろ、ワタリ」

「リドリー……!」


 ワタリはリドリーを睨んだ。


「最期の願いくらい叶えてあげたいよ」

「必要ない」

「い、いくらなんでもそれは……」

「最期とは限らない」

「えっ……」

「馬車に運ぼう。私にはこの病に打つ手はないが……他の星の技術なら違うだろう。緊急手術をすれば、少しの間延命することができる……と思う。その間に……」


 ワタリの顔に希望の光が射した。


「リドリー……!」

「急いで運び入れてくれ。死んでしまったら終わりだ」

「うん!」


 ワタリはルナを担ぎ上げる。ルナが朦朧とした意識の中、リドリーに尋ねた。


「どうして……助けてくれるの。あれだけ酷いことしたのに……」


 リドリーは静かに答えた。


「お前のためじゃない」


 言って、リドリーはルナの黒化した肌を見る。


「もうあの戦争の犠牲者を見るのは、こりごりなんだよ」


 馬車は蝕まれたルナを乗せて、月蝕の星を出た。

 黒い病を治す術を求めて。

刊行シリーズ

少女星間漂流記3の書影
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少女星間漂流記の書影