「だから僕は青春をやめた」――三橋俊吾 ③

 同時翻訳の力を借りて国連の事務総長が語るところによると、小惑星〈メリダ〉の接近が日本人の天文学者によって観測されたのは三年前。

 それから世界中の頭脳が集結して〈メリダ〉の軌道を計算し、つい先日、地球への衝突が不可避であることが判明したという。

 地球の自転の関係で、矢面に立たされるのは広大なシベリア地方の森林になるらしい。人がほぼ住んでないエリアなら平気だよな、心配して損したよと一瞬思ったけれど、事務総長のポルトガル人は深刻な表情を崩さなかった。

 同席していたNASAの科学者がマイクを引き継いだ。


『直径一.二㎞の小惑星が衝突した場合、ユーラシア大陸全体が甚大な被害を受けることになります。TNT火薬換算で四四,八〇〇メガトン――広島型原爆の三〇〇万倍ほどのエネルギーが発生し、付近の都市は一瞬で壊滅します。さらに地震や火山の噴火など大規模な気候変動が全世界で多発し、巻き上がった大量の粉塵で太陽光が遮られて氷河期が到来し、衝突から一年以内に約四〇億人以上が――』


 ――え、嘘だろ。

 ――なにこれ、人類滅亡ってこと?

 ――本当に? ドッキリとかじゃなくて?

 ――というか、メジャーデビューの件はどうなんの?

 ――これじゃ、鈴音に告白するどころじゃないじゃん。


 混乱しすぎて、逆に真剣味のない感想しか漏れてこない。

 重力キーホールだのヤルコフスキー効果だのの解説はわけがわからないし、国連軍とNASAが共同で進めているプロジェクトの概要もいまいち理解できない。

 不思議なことに、その時の俺の脳内を埋め尽くしていたのは、人類の未来に比べたら遙かにどうでもいい疑問ばかりだった。


         *


 しばらくは、世界中が酷い有様だった。

 国連の発表から数日経ってもドッキリのネタバラシがないとわかると、人々はまず混乱し、各国政府に説明を求めた。NASA発表の正確な軌道予測がメディアで報道され、総理大臣や大統領や国家主席やローマ法王が「報道は全て事実である」と認めると、いよいよ世界の終わりが現実味を帯びてきた。略奪や暴動が日本を含む世界中で多発し、陰謀論や誹謗中傷が電子の海を飛び交った。小惑星が来る前に人類が勝手に自滅するんじゃないかと、当時の俺は本気で心配したものだった。

 国連の発表から二年と少し経った今、世界は意外にも落ち着きを取り戻している。

 世界各地で起きていた略奪や暴動は次第に収まり、人類共通の敵ができたことで国同士のいがみ合いも随分減った。

 全世界の軍隊や科学者が協力して、小惑星の軌道を逸らすプロジェクトが着々と進行しているのが主な原因だ。今年の一二月に予定されている計画実行日――いわゆる〈運命の日〉に、国連軍がうまいこと軌道を逸らしてくれるかもしれない――そういう希望がまだ残っているからこそ、人類はまだ正気を保っている。

 あと、混乱を防ぐために各国でインターネットの使用が段階的に制限されたことも大きいかもしれない。テレビやラジオなどの限られた媒体からは平和なニュースしか降ってこないし、何よりみんな、いちいち恐怖することに疲れてしまっていた。

 この平和な世界は、現実逃避によく似た楽観主義に満たされている。

 けれど、俺はその風潮に上手く乗ることができないでいた。


 ――国連軍のプロジェクトなんて、どうせ失敗に終わる。


 だって、普通に考えたらわかる話だ。

 科学技術がいくら発展しているとはいえ、宇宙の果てから凄まじい速度で飛んでくる巨大質量を撃墜できるわけがない。

 それに、表面上は協力しているように見える各国も、腹の底では権謀術数を巡らせているに違いないのだ。どうせ土壇場になって足の引っ張り合いが始まり、プロジェクトは頓挫する。昔Netflixで観た映画でもそんな展開があった気がする。

 まあ要するに、人類の滅亡は結局避けられないのだ。

 人々の期待も空しく、来年の五月にはすべてが瓦礫と粉塵の中に埋められてしまう。

 そんな状況で、夢だの目標だのに何の意味があるのだろうか?

 いつの間にか白紙に戻ったデビューの話が復活することはないし、ネットが規制されている以上、せっかく作った曲を発表する場所すらない。だから必然的に、俺はプロのミュージシャンになることはできない。

 でも、まあいいや。

 だったらもう、全部やめてしまえばいいんだ。

 どうせ叶わないなら、努力に裏切られることが目に見えているなら、最初から気楽な生き方を選んだ方が遙かにマシだ。

 身を焦がすような感情はいらない。

 脳髄を痺れさせるような幸福もいらない。

 何も得ることがない代わりに何の未練も残さない生き方のほうが、小惑星が落ちたときのダメージが少なくて済む。

 だから俺は、ダラダラと流されるように生きることを選んだ。

 決して流れに逆らわず、楽な方へ楽な方へと漂っていくだけの日々。

 いざやってみると意外に楽しい。ネットが規制されても娯楽はそれなりにあるし、幸いなことに友達もわりといるから、退屈に殺されることもない。

 焦燥に突き動かされてギターをかき鳴らしていた頃が遠い昔に感じられる。

 どうして俺は、あんな無意味なことに全てを捧げていたのだろう。

 必死に頑張っても、最後の瞬間に諦めがつかなくなるだけなのに。

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どうせ、この夏は終わるの書影