「初恋は意外と死なない」――初瀬歩夢 ①
夥しい数の銃弾が、吹き溜まりの街を引き裂いていく。
錆びだらけのドラム缶はあまりに頼りない。あと一分もすれば、後ろに隠れる自分たちごと穴だらけのスクラップに変換されてしまうだろう。
愛銃に最後の弾倉を
「ただの痴話喧嘩がこんな事態に発展するとはな。あんたも罪深い女だ」
「痴話喧嘩? 笑わせないで」
M三A一サブマシンガンの銃身を撫でながら、シャーリーは鼻で笑った。
「最初から、わたしは例のデータを盗むためだけにあの男に近付いたの。恋人のフリをしていただけよ」
「どうだかね」
「なに? 妬いてるの?」
「そっちこそ笑わせるなよ」
鉄の暴風をやり過ごしながら、レイモンドは肩を竦める。
「おれとあんたの関係は五年前に終わったんだ。今更嫉妬なんてするもんか」
「へえ……。じゃあ、なんで助けにきてくれたわけ」
「おめでたい思考回路だな。別にあんたを助けにきたわけじゃない」
レイモンドは深い溜め息を吐き出した。瞳の奥に覚悟の炎を灯したまま、襲撃者たちのリロードのタイミングを伺う。敵の数は五人。運が良ければ、一発も食らわずにこの窮地を突破できるかもしれない。仮にしくじったとしても、元恋人が逃げる時間くらいは稼げるはずだ。
男と女の視線がぶつかり合う。
たったそれだけの行為で、お互いの思考が手に取るようにわかった。
「……死にたいの?」
「おれを誰だと思ってんだ。あんな連中に遅れは取らねえよ」
「あなたにはもう、わたしを逃がす義理なんてないでしょう。どうして命を懸ける必要が……」
「はあ、何度も言わせんなよ。……おれはただ、好きな女を苦しめるクソ野郎をぶちのめしたいだけだ」
レイモンドは薄く笑い、銃弾の飛び交う死線へと飛び出していった。
――そのとき、直径一.二㎞の小惑星がシベリアの森林地帯に衝突した。
凄まじい衝撃波が木々をなぎ倒し、大地を抉り、灼熱の火球がユーラシア大陸全域に降り注いだ。
もちろん、ここマルセイユの路地裏も被害を免れなかった。致死性の熱波がそこで暮らす八〇万人を建物ごと吹き飛ばし、あらゆる物語を塵に変えていく。かつて愛し合った二人の殺し屋と、彼らを取り巻く愛憎と策略さえも、宙に舞い上がる残骸と完全に同化していく。
一方その頃、レイモンドの妹が暮らすポーランドにも巨大な岩石が――――
*
「……いや、なんでだよ!」
文芸部の部室で、菅谷が僕の机に原稿用紙を叩きつけた。
「なんでまた唐突に小惑星降ってくるんだよ! そんな伏線どこにもなかっただろ⁉ せっかく盛り上がってきたところだったのに……!」
なんでこいつは怒っているんだろうと疑問に思いながら、僕は熱いお茶を啜った。
「リアリティを重視した結果だよ。一年後には実際に世界が終わるのに、そこに触れないなんて創作者としてフェアじゃない」
「にしても、全部の小説が人類滅亡エンドなんておかしいだろ! この前読んだやつなんて、開始三ページ目で人類が滅亡して、あとは延々荒れ果てた廃墟とかマグマの吹き溜まりとかを描写してるだけだったぞ……!」
「それがリアリティってものなんだ。僕は小説で嘘は書きたくない」
「日本の高校生がハードボイルドもの書いといて、何がリアリティだよ」
「……菅谷の意見を取り入れて、今回の滅亡は五〇ページ目まで引っ張ってみたんだ。だから、そんなに文句言うなよ」
「お前はアレか。人類を滅亡させないと気が済まない呪いにでもかかってんのか」
途中までは面白かったのによー、ともう一度悪態をついて、菅谷はコーラを啜り始めた。
冷房がガンガンに効いた部室には、今日もクラスメイトが四人ほどたむろしている。
ボロボロのソファに寝転んで漫画を読んだり、机に突っ伏して惰眠を貪ったり、ただぼんやりと本棚を眺めていたりと、みんな我が家のようなくつろぎっぷりだ。夏休みまであと二日なのに、今からこんなにダラけていて大丈夫だろうか?
まあ、中学時代には考えられなかった光景なのは確かだ。
本来、こういう文科系の部活は部員と顧問以外の誰からも興味を持たれてなくて、卒業アルバムの集合写真を見て「へえ、ウチの学校ってこういう部活もあったんだ」と適当な感想を述べられる程度の存在感しかない。それが普通。
それでもここが男子たちのたまり場になっているのは、インターネットが制限されて娯楽が枯渇していることと、本棚に大量の漫画や小説が格納されていることと、バカみたいに高騰した電気代を一切気にせず冷房を浴びることができるのが原因だろう。
要するに、文芸部の部室は無料の漫画喫茶代わりに使われているのだ。
「なあ、次の小説はいつ書き終わるの?」
「そんなすぐに書けるわけないだろ。まだプロットを練ってる段階だよ」
「プロット? 何だそれ。イタリアのお菓子?」
「……いや、物語の設計図みたいなやつ。ほら、漫画でもまずネームとか書くだろ」
「ふーん、まあいいや。完成したらまた教えてくれよ」
適当だなお前、と愚痴りながらも、内心ではこの状況を楽しんでいる自分がいた。
二学年上の先輩たちが卒業してから、文芸部の部員はずっと僕一人だったのだ。それはそれで執筆に集中できるからいいかと思っていたが、自分が書いたものを誰かに読んで貰えることは確かにうれしいものだ。
菅谷以外の三人は、今のところ本棚にある漫画しか読んでくれないけれど。
「初瀬ってさ、やっぱプロとか目指してんの?」
「……無理だよ。どこの出版社も、今年の新人賞は延期にしてるし」
「その新人賞ってやつに応募しなきゃデビューできないの?」
「なろうとかカクヨムの人気作が書籍化するパターンもあるけど、今はそもそもネットが使えないからな」
「ふーん。じゃあ、来年の賞に向けて書き溜めとこうぜ」
「来年なんてないよ。どうせ小惑星は落ちてくるんだから」
少し前、国営放送のニュースが国連軍のプロジェクトについての続報を出していた。
最新のシミュレーションで、核兵器を使って小惑星の軌道をずらす計画の成功確率が五〇%を超えたのだという。
いやいや、たった五〇%? そんなのお話にならない。
ただのギャンブルじゃないか。ポケモンのわざなら余裕で不採用にするレベルだ。
だいたい、国営放送のニュースなんて市民をパニックにさせないよう検閲に検閲を重ねられたものでしかないのだ。実際の成功確率は一%にも満たないと僕は見ている。
今年の一二月に始動する計画は、きっと失敗に終わる。
もう、来年の夏は来ない。
「お前はほんと、びっくりするくらい悲観的だよなあ」
「物事を現実的に考えてるだけだよ」
「小説家目指してるんだったらさ、もっと夢を持っていこうぜ」
「何回も言ってるだろ。僕が重視してるのは作り手の妄想なんかじゃない。圧倒的なリアリティに裏付けられた臨場感なんだ」
それから僕は、今回読んでもらった小説を書くために、どれだけ時間をかけて取材を重ねたのかを熱弁した。
ネットが使えない今、情報収集の手段は書籍しかない。長崎市内の図書館や古本屋をいくつも梯子して、ヨーロッパの裏社会で流通している銃器の種類やその取り扱い方法、弾丸一発の末端価格に至るまでを調べまくった。もちろん、世界観を重厚にするためには土地の風土に関する情報も欠かせない。ロンドン・マルセイユ・ポーランドのルブシュ地方など、物語に登場するエリアの情報は可能な限り網羅している。
作品には書かない些細な事柄まで徹底的に調べ抜くことで、読者を物語世界に引きずり込めるほど圧倒的なリアリティを作り上げる――それが僕の目指すべき作風なのだ。
熱を込めて語りすぎたせいか、ダラダラと過ごしていた他の三人の注目が集まっていた。
みんなが何事かと集まってきているのを知ってか知らずか、菅谷は意地の悪い笑みをこちらに向けている。
「へえ、道理でねえ……」
「な、なんだよ?」
「ふーん、なるほどなるほど。まあ取材範囲が偏ってるもんなあ」
「ちょっと、言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「初瀬くんさ、なーんか恋愛パートだけリアリティが足りないんじゃない?」
「なっ……⁉」
リアリティが足りない?
僕の小説が? あんなにたくさん取材したのに?
「……い、いや! 主人公とヒロインが惹かれ合うプロットに矛盾なんてなかったはず……!」
「そうか? シャーリーがレイモンドに惚れ直した理由が俺にはよくわかんなかったぜ」
「そんなことないだろ! ほら、三五ページの、再会した二人がベンチに座る場面! そこでしっかり二人の関係性をセットアップして……!」
「いいか、初瀬よ」
哀れむような目で、菅谷が僕の肩をポンポンと叩いてくる。
「座る場所にハンカチを敷いたくらいで惚れ直してくれる女なんて、昭和のトレンディドラマの中にしかいないんだ……」
「な……でも、僕が読んだ恋愛心理学の本には……」
無言で首を振る菅谷。
いつの間にか、机の周りに集まっていた連中も神妙に頷いていた。
――なんか、ものすごく嫌な予感がする。
「初瀬、お前の小説には体験が足りないんだよ」
いやいや、何を言ってるんだこいつは!
「本で学んだ知識には限界があんの」
小説なんて、僕が書いたやつしか読んだことないくせに!
「本当にリアリティを重視してるなら、そこんところをぼかしちゃ駄目だぜ」
てかこいつ、なんか楽しんでないか?
「いいか初瀬。ここにいる全員――俺も高井も佐々木も首藤も、実は可愛い彼女がいる!」
な……。
「なんだって……⁉」
「そう怯えるな。落ち着いて、深呼吸をしろ」
「……別に過呼吸にはなってないけど」
「おい、誰か水と酸素ボンベを! このままじゃ危険だ……!」
「だから、そんな漫画みたいには動揺してないって」
完全に嘘だ。
本当は死ぬほど動揺している。
部活にも生徒会にも入らず、授業が終わったら所属してもいない文芸部に来て、何の目的もなくダラダラと過ごしているような連中だから油断していた。もれなく全員、女友達すら一人もいないような、うだつの上がらないやつらだとばかり……。
小惑星が落ちてくるより先に、僕の中の世界が崩壊していく。今座っている場所にぽっかりと穴が開いて、奈落の底へと引きずり込まれそうな錯覚がする。
「お前の小説は確かに面白い。唐突に小惑星が衝突してくる欠点はあるけど、まあそれを込みにしても充分面白い。……だからこそ、今ここで一皮剥ける必要があるんだ」
「ど、どうすればいいんだよ」
「……ときに初瀬。お前、好きな子はいるのか?」
「え? ……いない、けど」
「そんなんじゃ駄目だ!」
ばん、と机が叩かれる。
恐る恐る他のみんなに目を向けると、案の定、突然始まった菅谷の奇行にドン引きしていた。
「本当の恋を知るんだ、初瀬。別に失恋してもいい。誰かに想い焦がれるっていう体験が、お前の小説に深みを与えてくれる……」
「なあ、僕別に恋愛小説を書きたいわけじゃ……」
「だまらっしゃい!」
「だ、だま……?」
「いいか、はっきり言って俺たちは退屈なの! 部活も入ってねえし、こんな状況じゃ勉強なんかやってらんねえし、ネットが規制されて娯楽もロクにねえし……じゃあ誰かの面白エピソード聞いて暇を潰すしかねえだろ! なのにみんな彼女ができてから落ち着いちゃってさあ、面白い話題なんて全然ないわけよ……! いいから早く好きな子でも見つけて、俺たちに娯楽を提供しろ!」
こ、こいつ、それが本音なのか……。
人をコンテンツ扱いするなんて外道にも程がある……!
「ふ、ふざけんな!」
ばん、と僕も机を思いきり叩きつけた。
「僕は寝る間も惜しんで努力して、最高に面白い小説を書かなきゃいけないんだよ! 世界が終わるまであと少しなのに、恋愛なんかにかまけてる場合じゃない!」
心底頭にきた。
僕は菅谷の手から原稿用紙を奪い取り、部室の鍵も何もかもそのままにして、逃げるように出口へと走る。
「いいのか? 一度も彼女できたことないまま世界が終わっても。本当はお前だって、好きな子の一人くらいいるんだろ?」
「……い、いるわけないだろ! 僕はそんなに暇じゃないんだ!」
完全に嘘だ。
本当は、一人の女の子に報われない恋をしている真っ最中だった。