僕を振った教え子が、1週間ごとにデレてくるラブコメ 1

8月・1 中学時代の苦い思い出 ③

 それまで僕は、勉強のことばかり考えていて、気づかなかったのかもしれない。あるいは、傷つくのを恐れて無意識のうちに気持ちを封印していたのかもしれない。

 けれど一度意識してしまうと、その感情を否定できなくなった。

 僕は芽吹めぶきさんが――芽吹ひなたが好きだ。

 高校に進学したら、彼女と一緒にいられる時間は一気に減ってしまう。進学後に同じ塾に通ったとしても、大学受験コースの塾舎は今までとは別の場所だ。

 塾が僕と芽吹さんの唯一の接点だった。いまだに連絡先のアドレスもアカウントも知らない。このまま僕が卒業すれば、彼女に会える機会も失われてしまう。

 でも、僕の気持ちを伝えられたら。

 芽吹さんと恋人になれたら。

 いろんな話がしたい――勉強以外のことも。いろんなところへ行きたい――自習室やファミレス以外の場所も。もっと多くの時間を一緒に過ごしたい!

 しかし彼女に告白する勇気は持てなかった。相手は誰もが認める美少女、何人もの男子から告白されても動じない高嶺の花。

 それに対して僕は、今まで誰かと付き合ったこともないし、告白したことも、されたこともない。勉強ばかりして、恋愛なんて無縁で生きてきた。

 そんな僕が芽吹さんと付き合えるなんて、考えられない。

 それでも彼女のことを諦められない。

 受験直前だというのに気持ちがぐるぐるまわって、勉強に集中できなかった。

 そんな状態から救ってくれたのは、たまたま目についたテレビ番組だ。もうすぐ始まる海外のベースボール大会を前に、『侍ジャパン』と呼ばれる代表チームを特集した内容だった。

 番組では、出演者がこんなふうに語っていた。

『大切なのは挑戦することです。挑戦しなければ夢がかなうこともなく、勝利をつかむこともできません』

 普段はスポーツにあまり興味のない僕も、このときばかりは番組に見入ってしまった。

 挑戦すること。そうしなければ、何も始まらない……。

 そのとおりだ。受験だって試験に挑戦しなければ、合格なんてありえない。

 僕は決意した。勇気を出して、芽吹さんに気持ちを伝えよう。

 もちろん間近に迫った受験も大事だ。だからこのように決めた。

 受験に合格したら、芽吹ひなたに告白する。

 その瞬間に心の迷いは消え、再び勉強に集中できるようになった。いや、今まで以上にやる気がみなぎっていた。何もかもがうまくいく確信に満ちていた。

 あのとき、芽吹さんは僕の目を見ながら言った。

『わたしは、こうして勉強しているほうが楽しいですから』

 それって、僕との勉強が楽しいってこと?

 芽吹さんが何人もの告白を断ったのって、僕の告白を待っているから?

 芽吹さんはメッセージを発していた。なら僕は、しっかりと彼女に応えるべきなんだ!


 いよいよ受験の日が到来し、僕は無事に志望校である私立時乃崎ときのさき学園高等学校に合格した。

 合格発表の日はちょうど塾で授業のある日だったので、夜は塾に向かった。

 授業前に自習室に向かうと、窓際の席に芽吹さんの姿があった。僕に気づくと、彼女は待ちわびたように見返した。

「芽吹さん、今からちょっと話してもいいかな?」

 彼女も今日が僕の合格発表だと知っている。その結果報告を待っていてくれたんだ。

 二人で自習室を出てエレベーターを降り、塾舎の外に出た。

 午後五時でも二月の空は薄暗い。冷たい風が吹き抜けてコートを揺らしていく。

「そこの公園を歩かない?」

「ええ、わたしはどこでも大丈夫ですよ」

 芽吹さんはニコッと笑顔を見せてうなずいた。

 徒歩で五分ほどの場所にある小さな公園に入り、冬の枝がむき出しになった並木道を二人で並んで歩いた。

「芽吹さんと知り合ったのって夏だよね」

「もう半年になるんですね。なんだか、あっという間に過ぎた気がします」

 広場に出たところで立ち止まり、僕は芽吹さんに向き直った。

「今日、合格発表を見てきたんだ。僕の番号、書かれていた。合格してたよ」

 聞いた瞬間、ひまわりが咲くように芽吹さんの表情がぱあっと明るくなった。

「おめでとうございます、先生! よかった~。わたしまで嬉しくなってきちゃった!」

 満面の笑みを浮かべて、いても経ってもいられないようにピョンピョンと跳ねている。

 そうだ。僕は芽吹さんと感情を共有したい。いろんな喜びを一緒に分かち合いたい!

「それと……もう一つ、大事な話があるんだ」

 芽吹さんはさらにいい話があるのかと、期待を込めたような視線を向けた。

 僕も彼女の澄んだ瞳を見返し、言った。

「僕は、芽吹さんが好きだ」

 少し、間があった。彼女は笑顔を崩さずに僕を見つめ続けた。

「えっと、わたしも先生と勉強するの、好きですよ!」

「いや、そうじゃない。僕は芽吹さんを、一人の女の子として好きなんだ」

 彼女の表情に戸惑いの色が浮かんでくる。

「あの……それって、どういう……?」

「付き合って、ほしい」

 再び彼女は無言になった。

 その間が耐えられず、僕はじりじりと視線をそらしていく。

 頭の一部が急速に冷静さを取り戻した。

 取り返しのつかないことをしたのだと、気づき始めた。

 でももう無かったことにはできない。続く言葉は、懇願するような口調になっていた。

「芽吹さんのこと……好きなんだ……」

「……ごめんなさい。わたし、先生と――若葉野わかばのさんとお付き合いすることは、できません。お付き合いとか、そういうことは、よくわからなくて……」

 申し訳なさそうな声が冬の冷たい空気に響き渡る。

 僕の頭は激しく考えをめぐらせていた。どうしたらこの場を取りつくろえるか、どうにか元の雰囲気に戻せる方法はないか、そんな言葉を探し求めている。

「そ、そうなんだ。悪いね、急に変なこと言っちゃって」

「いえ……。わたしこそ、ご期待に添えなくて……」

「気にしなくていいんだ。さ、そろそろ戻ろうか」

 僕は彼女に背を向け、逃げるような足取りで引き返す。

 二、三歩進んだところで、芽吹さんの声が追いかけてきた。

「どうして……」

 振り返ると、彼女はまっすぐ僕を見つめていた。大きな瞳が悲しそうに揺れていた。

「どうして告白したんですか? わたし、今年は受験生なんですよ。先生だってそのこと、知ってるじゃないですか。なのになんで、告白なんてするんですか?」

 その瞬間、僕は全身が張り詰めるのを感じた。

 忘れてたわけじゃない。でも意識の外に追いやっていた。自分のことばかり考えるのに必死で、思いいたる余裕がなかった。

「すみません……。失礼します」

 軽く一礼すると、芽吹さんは僕の横を通り過ぎて先に歩いていく。

 僕は何も言えずに立ち尽くしたまま、彼女の後ろ姿を見つめ続けていた。


 その後、何度か塾で芽吹さんとすれ違ったけど、どう話しかけていいか、わからなかった。

 高校進学が決まった僕は塾のコースを終了し、彼女と顔を合わせることもなくなった。

 三月になり、三年間通った中学校を卒業した。

 けれど中学生活の思い出も、高校生活への希望も、何もかもが色あせていた。

 僕の中学生時代は、手痛い失恋とともに、最悪の気持ちのまま過ぎ去ってしまったんだ。

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